平和記念公園(広島)の原爆の子の像のモデルや由来は?千羽鶴の寄付先と「迷惑」という噂

地域

広島県広島市の広島平和記念公園にある「原爆の子の像」

 

像のモデルとなった、佐々木禎子さんの同級生らによる募金活動によって1958年5月に完成。

禎子さんをはじめ、原爆の犠牲になった子を慰めるという平和への祈りが込められています。

 

広島から発信された平和への祈りは世界中へと広がり、原爆の子の像の周りには日本のみならず世界各国から贈られた年間約一千羽、重さにして約10トンもの折り鶴が毎年捧げられています。

 

今回は、

 

  • 平和記念公園(広島)の原爆の子の像のモデルや由来は?
  • 千羽鶴の寄付先と「迷惑」という噂

 

について、お伝えしていきたいと思います。

 

平和記念公園(広島)の概要

 

 

原爆の子の像がある平和記念公園は、広島市中心部にある広大な公園です。

世界の恒久平和を願って、爆心地に近いこの場所に建設されました。

 

平和記念公園には、原爆の子の像の他にも原爆の恐ろしさや世界平和への祈りを感じられる、施設や像、碑などがたくさんあります。

 

また、平和記念公園には平和の鐘が3つあり、いずれも核兵器のない平和な世界を伝えるために鳴らされています。

 

一発の原子爆弾によって、多くの人の尊い命が失われ、今でもその悲しみに苦しんでいる方がたくさんいます。

 

平和記念公園はたくさんの施設や像、碑などによって、当時何が起こったか、その後どうなったのかということを世界中の人々に向けて、核兵器の恐怖や非人道性を訴えている場所なのだと思います。

 

 

平和記念公園(広島)の原爆の子の像のモデルは?

 

平和記念公園にある原爆の子の像のモデルは、佐々木禎子さんという実在した当時小学6年生の女の子です。

 

佐々木禎子さんがなぜモデルとなったのか、それについて詳しくお伝えしていきます。

 

原爆の子の像のモデルとなったのは「佐々木禎子」さん

 

原爆の子の像のモデルとなった佐々木禎子さんは、二歳の時に爆心地から1.6㎞離れた自宅で被爆し爆風で吹き飛ばされましたが、特に外傷もなくすくすくと元気に育ちます。

 

将来の夢は中学校の体育の先生になることで、スポーツが得意な女の子だったみたいです。

 

それが一変したのが、小学6年生の時。

突然の病が禎子さんを襲います。

 

白血病と診断された禎子さんは、中学へ進学することもかなわず入院生活を余儀なくされてしまったのです。

 

体調は日に日に悪化し、入院してから8ヶ月後の1955年10月25日亜急性骨髄性白血病のため、12歳の若さで亡くなってしまいます。

 

戦後10年たっても、今なお残る原爆の爪痕をのろい悲惨な死を遂げた佐々木禎子さんの死がきっかけとなり、後の原爆の子の像建立へと繋がっていったのです。

 

原爆の子の像の象徴である折り鶴の由来

 

入院中、名古屋からお見舞いとして千羽鶴が贈られたのをきっかけに、生きたいという願いを込めて禎子さんは鶴を折り始めます。

 

針を使って、丁寧に一生懸命折り続けた鶴は1300羽以上

禎子さんだけでなく、当時入院していた多くの患者も一緒に鶴を折っていたそうです。

 

もしかしたら、鶴の数はもっと多かったかもしれませんね。

実際、鶴の数は1500羽、2000羽以上という話もきかれています

 

 

同じ小学校の同級生たちは、禎子さんが入院してからずっと「団結の会」という会を結成して、中学校に入ってからもお見舞いを続けていたそうです。

 

きっと元気になって一緒に学校に通えることを、ずっと願っていたのでしょうね。

禎子さんが亡くなってしまって、思いが強かっただけにその喪失感や悲しみは想像を絶するものだったと思います。

 

禎子さんが、生きたいと願って丁寧に丁寧に折った折り鶴が、原爆の子の像の象徴ともいえる折り鶴へと繋がっており、世界の平和の象徴として存在しているといえると思います。

 

原爆の子の像の由来は?

 

原爆の子の像は、どのようにして建立するに至ったのでしょうか?

 

  • 像が建てられる課程
  • 像に込められた思い
  • 像の概要

 

について詳しくお伝えしていきます。

 

原爆の子の像がつくられた経緯は?

 

禎子さんの同級生たちは、亡くなった禎子さんのために何かできないかと思いを巡らせ、翌11月に開かれた全国中学校校長会で2000枚ものビラを配り、禎子さんや原爆の犠牲となった子供たちの像を造ろうと呼びかけを始めます。

 

 

「もう二度と原爆を繰り返してほしくない」

「像を造って、佐々木さんや原爆で亡くなった子の霊を慰めたい」

 

同級生たちの熱意は、次第にその輪の広がりをみせ、広島市内の小中学校生徒会などが集まって「広島平和をきずく児童生徒の会」が発足し、原爆の子の像を造るための募金活動が進められていきます。

 

 

そして、全国から当時のお金にして約540万円もの寄付金が集まり、禎子さんが亡くなって3年後の1958年5月5日、原爆の子の像が建立されたのです。

 

原爆の子の像に込められた思いとは?

 

当時、これに類した原爆に関する碑などの建設は行われていたようですが、原爆の子の像のように全国から盛り上がった計画は今までにはなかったそうです。

 

原爆の子の像建立は、全国の児童、生徒がいかに平和を願っているかということを窺い知れる出来事だったんだと思います。

 

原爆の子の像は、佐々木禎子さんの死がきっかけとなり、もう二度と再び原爆を繰り返してほしくないという、多くの人の切なる願いが込められて形になったものだといえますね。

 

原爆の子の像概要

 

 

原爆の子の像は、平和記念公園の北側に位置しています。

別称「千羽鶴の塔」、年間を通してたくさんの千羽鶴が捧げられている事が由来になっています。

 

高さ9メートルのブロンズ像で、三脚のドーム型台座の頂上に金色の折り鶴を捧げ持つ少女の像と、左右にある少年少女の像で構成されています。

 

当時、東京芸術大学教授であった菊池一雄さんによって、

 

頂上の少女 平和な未来への夢を託している
左右の少年少女 明るい未来と希望を象徴

 

という思いが込められて制作。

 

原爆の子の像の下には石碑が置かれており、「これはぼくらの叫びです これは私たちの祈りです 世界に平和をきずくための」という碑文が刻まれています。

 

 

また台座の下部に、ノーベル物理学賞を受賞した湯川秀樹博士の筆、

 

  • 「千羽鶴」
  • 「地に空に平和」

 

という文字が彫られた銅鐸を模した鐘が下げられ、さらにその下に金色の折り鶴が下げられており、風鈴式に音が鳴るようになっています。

 

 

像の北側には、世界各国から捧げられた千羽鶴を飾る折り鶴ブースがあり、直接現地に行って捧げることも可能なようです。

 

原爆の子の像の千羽鶴の寄付先

 

原爆の子の像には、年間約一千万羽もの折り鶴が捧げられています。

 

像の横に折り鶴ブースがあるので、直接行ける方は千羽鶴を持っていって捧げられるようになっているのですが、遠方などの理由で来られない方もいらっしゃると思います。

 

そんな方のために「折り鶴の送付先」が用意されています。

 

送付先

〒730-0811 広島県広島市中区中島町1-5

広島市市民局国際平和推進部平和推進課

電話:082-242-7831

 

別記事で詳しい折り鶴の送り方と注意点を記載しているので送る際の参考にしてみてください。

 

千羽鶴は迷惑という噂は本当?

 

 

千羽鶴について調べていた時に、「千羽鶴 迷惑」というワードが引っかかったのでちょっと調べてみました。

 

結論からいうと、千羽鶴は迷惑という広島に関しての噂は特に話題になったという話は見当たりませんでした

 

そういった意見を書いてる人もいましたが、いずれも単発な印象だったので噂になるほど話題になっているといった感じではなかったです。

 

それよりも、被災地に千羽鶴を送るべきでないという意見がネット上で多く見られたので、千羽鶴が迷惑という噂はこちらのことじゃないかなと思います。

 

2016年の4月に起こった熊本大地震の時に、震災直後の被災地に千羽鶴を送るべきではないという呼びかけがあったようで、かなり話題になったみたいですね。

 

 

近年は自然災害が多く起こったので、被災地への支援に関しては被害の状況と復興状況を知らせるニュースともに、よく取り上げられていたように思います。

 

支援は困っている人を手助けしたいという善意が前提としてあって、これを送ったら自分なら元気が出る!と思っての行動なのかもしれないので、いらないと切り捨ててしまうのはどうかという声も多くあります。

 

 

一番良いのは、被害にあった自治体に問い合わせをして、被災地でボランティアや支援物資を受け入れる準備が整っているかどうか確認することだと思います。

 

そして、今何が不足していて必要なものは何かということを聞いて、送ってあげることではないでしょうか。

 

そういう支援のあり方が今後広まっていけば、千羽鶴は迷惑という声も少なくなっていくんじゃないかなと思います。

 

平和記念公園周辺には原爆に関連した建物が多い

 

平和記念公園の周辺には数多くの原爆関連の施設があります。

一例ではありますが、紹介していきます。

 

▼原爆投下時の広島の様子がわかる広島平和記念資料館

 

 

▼世界遺産に登録された原爆ドーム

 

 

▼原爆被害を受けた広島を平和都市として再建することを願った原爆死没者慰霊碑

 

 

▼永久平和を祈念し後代へ被爆体験の惨禍を伝える国立広島原爆死没者追卓平和祈念館

 

「戦争」を知らない日本人が増えてきた中、ぜひ足を運んでみてもらいたいスポットです。

短慮な発言が多くなってきた政治家の方を見ていると「戦争のことが何も分かっていない」と思ってしまいます。

 

明るい気持ちにはなれませんが、大きくなったお子様を連れて訪れてみて欲しいです。

 

平和記念公園(広島)の原爆の子の像のモデルや由来は? まとめ

 

  • 平和記念公園は原爆投下時の広島を知ることができる場所
  • 原爆の子の像のモデルは佐々木禎子さん
  • 原爆の子の像の建立は禎子さんの同級生たちによって発案された
  • 原爆の子の像は原爆の悲劇を繰り返さないという強い想いが形になったもの
  • 原爆の子の像に捧げる折り鶴は郵送可(条件あり)
  • 千羽鶴は迷惑という噂は広島の千羽鶴についてではなかった

 

原爆の子の像は、一人の女の子を悼む同級生たちの強い心から生まれたものだったんですね。

 

小学生の頃、修学旅行で広島に行き、原爆の子の像を直に見たことがあります。

千羽鶴も学校で一人何羽分とみんなで折って持って行きました。

 

原爆投下時を知る語り部さんからお話をみんなで聞いて、原爆資料館にも行って、原爆の恐ろしさや世界平和の大切さをしっかり見てきたのですが、当時の私はまだ幼すぎて、ただなんか怖いとしか記憶に残らなかったように思います。

 

大人になって理解力が追いつき、原爆の怖さ、戦争の悲惨さ、平和の尊さがいかに大切で忘れてはいけないものかということが、今ならわかります。

 

原爆が投下されてから早70年以上もたち、当時を知る語り部さんたちもどんどん減っていると思います。

 

平和記念公園に行けば当時のリアルな惨状を知ることはできますが、原爆が投下された時代を生き抜いてきた人たちのお話を聞く機会はとても貴重です。

 

原爆の子の像に込められたもう二度と原爆を繰り返してはいけないという強い想いを、私たちもしっかり心に留め、後生へとつなげていけるように過ごしていきたいですね。

 

 

画像出典:ひろたび原爆の子の像I Love Hiroshima広島市トリップアドザイバー

コメント