「100日の朗君様」は韓国そして日本でも大ヒットしたドラマです。

「100日の郎君様」は史実だったのでしょうか?

EXOのD.Oことドギョンスが演じたイユル世子は、実在した人物がモデルとなっているの?

「100日の郎君様」の歴史的背景が知りたいな!
では、「100日の郎君様」は史実なのかどうか、朝鮮王朝時代の韓国ヘタイムスリップしてみましょう!
100日の朗君様は史実?世子は実在した人物なのか検証!
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まずは、「100日の郎君様」の世子は実在した人物でモデルがいるのかどうかを検証してみました。

結論から言うと、「100日の朗君様」はフィクションでした。
調べたところ、記憶を無くして庶民として生活した世子は史実には存在していないようです。
ただ、そこで気になるのが、

「100日の郎君様」の世子ユルのモデルとなった実在の人物がいたのかな?
ではないでしょうか?
そこで、「100日の郎君様」の世子ユルのように“世子の地位を脅かされた実在の人物”にポイントを絞って実存の世子2人をご紹介します。
100日の朗君様のモデル?実在世子①峼世子(第12代仁宗)

しかし8か月と最も短い在位期間でした。
次からは「100日の郎君様」の世子ユルと峼世子(第12代仁宗)の類似点を紹介します。
実在の人物とドラマの類似点①継母に命を狙われる?
峼世子の父は第11代中宗、母は章敬王后尹氏の長男でした。
第11代中宗の3番目の王妃の“文定王后尹氏”は実子の慶源大君を世子にするため、峼世子を目の敵にしていたと言われています。

峼世子(仁宗)を火事など何度もで殺そうとしていたとか。
峼世子(仁宗)は命を狙われながらも王位に就きますが、8か月後に病死。

文定王后尹氏が毒を盛って峼世子(仁宗)を暗殺したのでは、と語られてもいます。
「100日の郎君様」では、
ユルの父親である王イホは謀反で王の座を手に入れ、そのときにユルの実母は亡くなっており王妃は継母でした。
継母の王妃は自分の息子ソウォン大君(チミョンヒョク)を世子にするため、いろいろ画策していましたね。

父と子、母と子の関係がそっくりです。
実在の人物とドラマの類似点②文武両道に秀でた有能な人物
峼世子(仁宗)は成均館に入学して儒学を修めたという記録があります。
儒教に精通していたことから、8か月の在位とは言えとっても信頼されていた峼世子。
実在の人物とドラマの類似点③子孫がいない
峼世子(仁宗)には5人の妃がいましたが、その誰との間にも子供はいませんでした。
そのため、峼世子(仁宗)の死後に異母弟の慶源大君が第13代明宗として即位したのです。
100日の朗君様のモデル?実在世子②昭顕世子(ソヒョンセジャ)
謀反を起こして王となった父親を持つという類似点もある昭顕世子。
では、「100日の郎君様」の世子ユルと昭顕世子の類似点を紹介します。
実在の人物とドラマの類似点①他国と折衝
🌸本日21:00~NHKBSプレミアムにて第13話放送!🌸
ユルはチュユンにホンシムを守るよう命令する。一方、王宮には中国・明の使節団が到着。ユルは2年前にも使節のワンをもてなしていたが、その時の記憶がない。ワンはユルが王位継承者としてふさわしいか試すと言い出す…。#100日の郎君様 pic.twitter.com/aQzAHU2igo— ドラマ「100日の郎君様」公式 (@roukunsama_PR) October 13, 2019
昭顕世子は朝鮮王朝の窓口として、他国と折衝を行っていたと言われます。
他国からの情報も入手して自国の危機も乗り越えたそうです。
「100日の郎君様」で世子ユルは明の使節と直接会っていました。
他国に対して、きちんと関係性を築いていた点も似ています。
実在の人物とドラマの類似点②命を狙われていた?
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昭顕世子は人質として明へ行っていましたが、解放後2か月で急死してしまいます。
昭顕世子の死には不審点が多くあり、暗殺説がささやかれています。
- 死亡した時の症状は毒殺だった
- 昭顕世子の子が世子ではなく弟の鳳林大君が世子となったこと など
「100日の郎君様」のドラマでは、継母の王妃が実子を世子にするためにユルの死を願っていました。
怖いことに、呪いのお札を使っていましたよね。
100日の朗君様は史実だった?歴史的な背景を歴代王の時代で検証!
ドギョンスの演じた世子ユルの父親イホ(チョハンチョル)は、謀反を起こして王の座を奪いました。
朝鮮王朝時代には、実際に謀反で王になった人物が実在しています。
その史実の視点から、謀判で王になった実存の人物と「100日の朗君様」の歴史的な背景を見ていきます。
朝鮮王朝時代とは
李氏朝鮮とも呼ばれ、李家支配下にあった朝鮮という意味。
1392年から1897年(大韓帝国として1910年まで存続)にかけて朝鮮半島に存在した国家。
歴史の順番によって高麗の次の王朝にあたり、朝鮮民族国家の最後の王朝で、現在までのところ朝鮮半島における最後の統一国家でもあります。(ウィキペディアより引用)
100日の朗君様の歴史的背景①第11代中宗
第11代中宗と「100日の朗君様」の王イホを比べてみると、歴史的な背景や人物像の類似点が多く見つかりました。

類似点をそれぞれ見ていきましょう!
史実とドラマの類似点①謀反
第10代燕山君(ヨンサングン)は、王位に就いていた1506年に
左議政の朴元宗(パク・ウォンジョン)の陰謀で王位をはく奪されます。
その後に、燕山君の弟であった晋城大君(チソンテグン)が次の第11代中宗となりました。

この謀反は、中宗反正(チュンジョンパンジョン)として史実に残っています。
「100日の朗君様」でも、左議政チャオンが謀反を先導していました。
その後、ユルの父親イホが王位に就きます。
史実とドラマの類似点②実権は側近が握る
第11代中宗はもともと王になるつもりはなかったと言います。
しかし左議政の朴元宗には代わりに王になる人物が必要だったため、半ば無理に晋城大君が王座に就かせたのでした。
史実では、第11代中宗時代の実権は朴元宗が握っていたと言います。
「100日の郎君様」でも、王イホが左議政チャオンの言いなりのようになっていましたよね。

言い返せないというか…
史実とドラマの類似点③優柔不断の王
第11代中宗の兄の第10代燕山君は、史実では暴君として有名!
その政治を立て直すため、第11代中宗は奮闘しました。
しかし史実でみると、第11代中宗は決断力に乏しく大きな改革には至らなかったのでした。

そのために「優柔不断の王」という評価を受けます。
史実とドラマの類似点④王妃の死
第11代中宗の2番目の王妃となった章敬王后尹氏は、出産後66日で亡くなってしまいます。
この時に生まれたのが、先ほど紹介した峼世子(第12代仁宗)です。
「100日の郎君様」でも、世子ユルの母親は崖から落ちて亡くなったことになっています。
王の妻が命を落としているのは史実ですね。
100日の朗君様は史実?!②第16代仁祖
史実上、謀反後に王座に就いた第16代仁祖、1623年から1649年まで在位していました。
「100日の郎君様」の王イホとの共通点は多くありませんが、歴史的な背景に類似点がありました。
史実とドラマの類似点①謀反
国際情勢が危ぶまれる中で中立的な立場を保っていた第15代光海君。
しかし、1623年に西人派に謀反を企てられ第15代光海君は廃位に追い込まれました。
その後で追うに擁立されたのが仁祖。
史実とドラマの類似点②女真族の戦争
\本日最終話放送!/
🌸「100日の郎君様」ついにNHKBSプレミアムにて最終話放送となります!🌸戦地の城に着いたユルは、単身キム・チャオンが待ち受ける城郭内へ…。果たしてイ・ユルとキム・チャオンの闘いの結末は?そしてユルとイソの運命は…?
皆様、ぜひご覧ください!!#100日の郎君様 pic.twitter.com/S8B2FL6J9Y— ドラマ「100日の郎君様」公式 (@roukunsama_PR) November 3, 2019
第16代仁祖の在位中1627年に女真族×朝鮮王朝×明の戦争が起きました。
第一次朝鮮戦役として史実にも残っています。
「100日の郎君様」では、ドラマの終盤で左議政チャオンが手を引く女真族と明との戦争がでてきます。
女真族と朝鮮王朝、さらには明までも含めた戦争はこの第一次朝鮮戦役とよく似ています。
100日の朗君様は史実とフィクションがうまく融合!実在の人物に近しい人はいた?!まとめ
今回は、「100日の郎君様は史実?実在の人物と歴史背景が知りたい」と言うことで、100日の郎君様の史実として、命を脅かされえた実在の人物の世子と歴史的背景について調べてきました。
「100日の郎君様」に登場する世子ユルは、「史実をうまくアレンジしたフィクション時代劇」のように思えました。

歴史的な背景から見ると「100日の郎君様」は史実や実在した人物と一致する点が多いです。
「100日の郎君様」の歴史的背景は第11代中宗の時代で、世子ユルのモデルは実在の峼世子(第12代仁宗)が一番近いのではないでしょうか?
史実と照らし合わせて見てみると、ますます面白い「100日の朗君様」。

韓国の歴史にも触れられ、より身近に感じられますね!
ぜひ「100日の郎君様」を視聴するときの参考にしてくださいね。
アイキャッチ画像引用元:Kstyle
画像引用元:Youtube (tvN DRAMA)、Instagram、100日の郎君様公式サイト