みなさんはウクライナのチェルノブイリ原子力発電所をご存知でしょうか?
このチェルノブイリ原子力発電所では1986年に事故が起こり、その結果放射能による汚染によって周辺への立ち入りが禁止され、生態系にもダメージを与えました。
一体チェルノブイリとはどんな場所で、どのようなことが起こっているのでしょうか。
今回の記事では、チェルノブイリにまつわる噂やチェルノブイリの現在について徹底調査してみました!
チェルノブイリの遺体は腐らない?腐らない理由とは?
チェルノブイリでは遺体が腐らないという噂が存在します。
聞いた限りでは信じられない話ですが、どうやらこの噂は本当のようなのです!
なぜ遺体が腐らず残り続けるのか、その理由を調査してみます!
放射線で腐敗を進める菌が生きられない
理由として挙げられる1つ目は、チェルノブイリの放射線量の高い空間で腐敗を進める菌が生きられないため腐敗が進まないというものです。
確かに放射線は多くの生命体に深刻なダメージをあたえるものですので、この説もあり得ない話ではないですね。
しかし、「事故から30年以上経過しているので、今なお菌が生きられないレベルの放射線が放出されているとは考えにくい」という人もいるようです。
気温が低いため腐りにくい
2つ目の説は「チェルノブイリは気温が低いので遺体が腐りにくい」というものです。
ウクライナという時点で察する事ができる方も多いと思いますが、チェルノブイリ原子力発電所のある地域は緯度が高い、とても寒い地域です。
そのためこの説は「気温が低いため、遺体を腐らせる菌が活発に活動できないのではないか」という説です。
死体をコンクリートで埋めたため腐りにくい
最後にもう一つの理由を述べますが、これは恐ろしい話です。
最後の説は「遺体を回収せずにコンクリートで固めたため、遺体の腐敗が進まない」という説です。
どうやら事故が起こってから亡くなった方の遺体はすべて回収されることはなく、そのままセメントで固める作業を当時のソ連は行ったようなのです。
よって腐敗を進める菌がいない状態でセメントで固められたため、腐敗が進むことなく残っているというのがこの説なのです。
未発見の遺体も多い?
またチェルノブイリ原発事故当時の爆発した4号炉に居た人は跡形もなく消し飛んだ可能性があるので、未発見の遺体も多々あるようです。
回収できなかった遺体はセメントで固められてそのままにされているようなので、それらの遺体も合わせると、かなりの数の未発見の遺体が存在するのではないかと思われます。
犬の遺体は腐っていない?
チェルノブイリ原発の除染作業に参加した人の話のなかに犬の死骸の話がありました。
その犬はおそらくチェルノブイリ近辺の被爆したネズミを食べていたため、外部被爆と内部被爆を同時に起こしていたのだと思われます。
その犬の死骸は腐ることなくミイラのように残り続けていたそうです。
原子力事故のあったチェルノブイリとは?
そもそもチェルノブイリ原子力発電所とは一体どんな施設で、どのような事故がおこったのか、ここで改めて説明しようと思います。
チェルノブイリ原子力発電所についてはおそらく小学校や中学校で学習したという人が多いと思いますが、その事故の実態を詳しく知っている方は少ないのではないでしょうか。
ウクライナの原子力発電所
チェルノブイリ原子力発電所は現在のウクライナのキーウ州プリチャピにある原子力発電所で、当時はウクライナ・ソ連の原子力発電所として運用されていました。
1971年に着工が開始され、1978年に1号炉の運用が開始されました。
その後は4号炉までが作られ、5号炉、6号炉の建設にも手がかかるなど、ソ連の主要な原子力発電所として運用されていました。
1986年に原子力事故が
1986年4月26日1時23分のに原子力発電所の4号炉で事故が起こります。
西側諸国が事故が起こったことに気付いたのは事故から約2日後のことで、ソ連に対して「原発事故が起こったのではないか?」と訪ねるとソ連は当初は否定しました。
しかし、スウェーデンがIAEA(国際原子力機関)に報告する意向を示すと、ソ連は一転して原発事故の事実を認めました。
実験中に爆発が起きる
事故が起こったのは原発の4号炉で、実験中に爆発を起こしました。
4号炉は緊急時にタービン発電機の慢性回転で所内の電源を確保できるかという実験中でした。
事故の原因ははっきりとはわかっていませんが、おそらく制御棒の欠陥と職員の怠慢が原因だとされています。
死者数はどれくらい?
チェルノブイリ原発の事故が原因によって亡くなったのは約50名とされています。
しかしこの数は事故の被害に遭って直接亡くなった人の数で、二次災害(放射能による汚染等)で亡くなった人は含まれておりません。
二次災害も合わせると、50人プラス4000人もの作業員が1年以内に死亡したようです。
4号炉で発見された象の足とは?
チェルノブイリには「象の足」と呼ばれる有名な物が存在します。
この象の足は事故発生から約8カ月後の1986年12月、溶融した4号炉炉心の直下に位置する蒸気分配回廊上で発見されました。
この象の足が一体何なのか、簡単に説明させていただこうと思います。
炉心溶融物の塊の通称
象の足は4号炉の炉心が融解した物の塊の通称であり、その見た目の黒さとしわの多さから象の足と呼ばれています。
象の足はメルトダウンした原子炉の燃料集合体が容器を溶かして貫通し、地面で固まったものでした。
密度と硬度が非常に高く、ドリルを受け付けないほどであったため、サンプルを採取するためにカラシニコフ銃が使用されました。
近づくと即死するほどの威力
この象の足は高い放射線量を持っていたようで、近づくだけで即死してしまうレベルのものだったようです。
実際象の足は放射性物質であるプルトニウムの塊そのものだったようで、高い放射線を放っていたようですね。
しかし現在は経年とともに放射性崩壊が進み、以前よりは放射線量が少なくなり、以前よりは危険性が低くなったとされています。
作業員が語るチェルノブイリの怖い話とは?
チェルノブイリは放射線に汚染され、さまざまな二次災害が発生しました。
事故後すぐにチェルノブイリ作業員として働いた方は放射線がもたらした恐ろしい事実を目撃している人ばかりのようです。
ここではそんな作業員が語る怖い話をご紹介しましょう。
奇形な動物が目撃された
除染作業に従事したナタリア・マンズロヴァさんはチェルノブイリで放射線の被害を受けたと思われる犬を発見しました。
犬は四本の脚に毛が全く生えておらず、肉からは出血しており、瞳は濁っていて、口から唾液がしたたり落ちていました。
また見捨てられた果樹園に行くと、猫ほど巨大化したネズミが果物を貪っているのを見たそうです。
胎児がミイラ化
ナタリアさんは廃墟と化した病院で放射線の被害を受け中絶された胎児たちを見つけています。
胎児はある缶の中に入っており、チョコレート色の「ミイラ」化した胎児たちが目を閉じ、腕と脚をたたまれて入っていました。
生後約4ヶ月から8ヶ月目の胎児たちではないかと語っていました。
作業員も被ばく
作業員の除染作業は過酷なもので、マスクを着けていたにも関わらず放射性の塵を吸い込んでしまったことから、健康に深刻な影響を与えました。
多くが体験した被曝の症状は、頭痛、嘔吐と吐き気、悪寒、発熱、失神、衰弱と眠気だったそうです。
放射能という目に見えない恐怖との戦いがあった事を考えると、恐ろしい話ですよね。
無理やり連れてこられた作業員も
作業員のなかには、当時のソ連政府に刃向かうなどの行為を行ったために、強制的に作業員として連れて行かれてしまった人もいるようです。
マイケル・フィシュキンさんは政府の高官の頼みを断っただけで、チェルノブイリの除染作業に従事させられたそうです。
チェルノブイリの状況を考えると、自ら進んで除染作業をしたがる人は居ないと思われるので、強制的に作業員を決めていたと考えると恐ろしい話ですね。
詳細を伝えられずに作業させられる
ソ連政府の職員は除染作業にあたった作業員達にチェルノブイリの詳細を説明していなかったようです。
簡易のマスクと防護服だけで作業させられた作業員たちはいとも簡単に被爆してしまいました。
詳細を伝えれば反抗されることを知っていたからこそ、当時のソ連は事実を語らずに黙っていたのでしょう。
チェルノブイリの現在は?
ここまでチェルノブイリについて様々なことを述べましたが、現在のチェルノブイリはどうなっているのでしょうか。
今現在でも当時のまま危険な状態で残されているのでしょうか。
最後にチェルノブイリの現在について調べてみました。
30キロメートル圏内は危険区域
事故後当時のソ連政府は、ウクライナ・ベラルーシ両国にまたがる、原発から30km圏内の住民13万5000人を強制疎開させました。
チェルノブイリは今現在でも30キロメートル圏内は危険区域とされていて、立ち入りは制限されているようです。
30年経った現在においても他の地域と比べて高い放射線を放出しつづけており、非常に危険な地帯であることは相変わらずです。
制御室は一部稼働している
チェルノブイリはすべての炉が停止されていますが、現在でも作業が行われおり、制御室も稼働しているようです。
また4号炉の制御室は一般公開されており、防護服を着た状態であれば5分間の入室が許可されています。
チェルノブイリの見学も徐々にウクライナの観光業として成立しはじめているようです。
2017年に「再石棺計画」が行われた
2016年の終わりから爆発した4号炉の再石棺、すなわちセメントのシェルターで覆い固めてしまう作業が再び着工されました。
シェルターで囲い込んで放射線量を抑えることで、チェルノブイリを安全な場所に戻そうとしているのです。
この計画をウクライナの担当職員は長きにわたる放射能との戦いの「終わりの始まり」と捉えています。
「サマショール」と呼ばれる住人がいる
チェルノブイリ周辺は危険地帯ですが、自己責任と自己判断でこの地帯に住んでいる人々が存在します。
彼らは「サマショール」と呼ばれており、現在は約160名のサマショールの方がこの危険地帯に住んでいます。
彼らは放射能の恐怖より、古里で暮らすことを選んだのです。
侵攻により作業員が閉じ込められる
チェルノブイリでは2022年のロシアによるウクライナ侵攻でロシア軍に占拠されており、100人以上の作業員が閉じこめられているようです。
閉じこめられている作業員はなおも原発の管理作業に従事しており、食料等もあるので当面の生活は大丈夫のようです。
しかし、チェルノブイリは現在も危険地帯ですので、この状況が続けば作業員にとって辛いでしょう。
チェルノブイリで遺体は腐らない!チェルノブイリの今後はどうなるのか?
調査の結果、様々な理由からチェルノブイリで遺体が腐ることがないことがわかりました。
チェルノブイリは今現在でも危険地帯であり、爆発した4号炉の再石棺作業も途中のままで、放射能との戦いはいまでも続いています。
チェルノブイリが以前のように人が寄りつける地域になるかどうか、今後のチェルノブイリに注目です!