千日回峰行で自害した人はいる?過酷な修行内容と達成した人とは?

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千日回峰行は命がけの修行であり、挫折した場合は自害しなければいけないことは有名です。

しかし、修行に挫折して本当に自害した人や、厳しい修行に耐えきれなくて死亡した人などはいるのでしょうか?

また、その厳しい修行を達成した人にはどのような人がいるのでしょうか?

命がけの修行…千日回峰行を満行した人たちとは?

千日回峰行は平安時代から続いていると言われている歴史の長い修行です。

自害の覚悟まで必要になるその過酷な修行を達成した人には、どのような人がいるのでしょうか?

また、現在までにどのくらいの人たちがその修行を満行できたのでしょうか?

千日回峰行の達成者数とは?

千日回峰行には大きく延暦寺千日回峰行と大峯千日回峰の2つがあります。

延暦寺千日回峰行の達成者は51人(2023年現在)と記録されていて、そのうちの14人は戦後の達成者です。

ただし、51人の記録は比叡山延暦寺が焼き討ち以降のものであり、それ以前の記録は焼き討ちによって失われたと言われています。

また、大峯千日回峰では達成者は2人(2023年現在)です。

長い歴史がある修行であるにもかかわらず、これだけ達成者が少ないことから、その過酷さや厳しさがわかります。

ちなみに、これら達成者の記録に女性はいないようですが、延暦寺の記録が失われる前に女性の達成者がいた可能性はゼロではないでしょう。

有名な達成者は誰?

千日回峰行は厳しい修行ですが、満行した人たちはいます。

また、その中には有名な人もいるので、どのような人が千日回峰行を達成されているのか確認してみましょう。

光永圓道大阿闍梨

光永圓道さんは『激レアさん』に出演

千日回峰行中には、瞳孔が開き、死臭がしていたようだ

とご自身の経験を語ってくださいました。

光永圓道さんが成し遂げた千日回峰行は延暦寺千日回峰行。

光永圓道さんは50番目の達成者です。

塩沼亮潤大阿闍梨

塩沼亮潤さんは1999年に大峯千日回峰行を満行されています。

メディアへの出演をされることもあったので、知っている人もいるでしょう。

また、塩沼亮潤さんをテレビで観たことをきっかけに千日回峰行のことについて知った人も多いようです。

現在(2022年)は仙台市の慈眼寺で住職をされています。

塩沼亮潤さんは修行を始めた頃は、極限状態に追い詰められたことで、よく幽霊のようなものを見たと語られています。

餓鬼が石を投げつけてきたり、4m近いイノシシの突進されたり、武士の幽霊に体を押さえつけられたりなどのしたそうです。

しかし、これらの幽霊は幻覚であったためか、石やイノシシはぶつかる直前に消えたり、武士の幽霊は大声をあげて体を動かすと消えたりなどしたそうです。

酒井雄哉大阿闍梨

酒井雄哉さんは1980年に延暦寺千日回峰行を満行されています。

また、1987年には2度目の満行までされました。

その後は比叡山飯室谷不動堂長寿院で住職を務め、2013年に入滅されています。

1人目の達成者は誰?

延暦寺千日回峰行の記録は延暦寺の焼き討ち以降からしか残っておらず、1人目の達成者はわかりません。

しかし、その修行は平安時代に天台宗の僧であった相応という人が始めたとされています。

そのため、延暦寺千日回峰行は相応和尚が1人目の達成者とも言えるでしょう。

また、大峯千日回峰の達成者は2人しかおらず、塩沼亮潤さんは2人目の達成者です。

大峯千日回峰の1人目の達成者は柳澤眞悟さんで、1983年に満行されています。

千日回峰行で自害した人はいる?

千日回峰行は挫折した場合に自害しなければいけない修行であることは有名でしょう。

しかし、近年で千日回峰行を理由に自害した人の記録はないようです。

ただし、千日回峰行は歴史のある修行であり、現代の死亡届のような死亡者の記録することのない時代から続いています。

そのため、昔には千日回峰行を理由に自害した人がいても不思議ではないでしょう。

また、自害ではなく、過酷な修行に体が耐えられずに死亡した人や、修行の途中で山に入った際に獣に襲われて死亡するなどのこともあったと考えられます。

文字通りの命がけ!千日回峰行の内容とは?

千日回峰行には延暦寺千日回峰行と大峯千日回峰がありますが、どちらも命がけの危険な修行です。

記録には残っていませんが、かつては千日回峰行で命を落としたり、自害をした人もいたことでしょう。

それほど過酷な千日回峰行ですが、その修行内容とは具体的にどのようなものなのでしょうか?

延暦寺千日回峰行と大峯千日回峰で修行内容は異なりますが、今回は比叡山延暦寺の創建から続いている延暦寺千日回峰行の方を紹介します。

修行が行われる場所

延暦寺千日回峰行は滋賀県と京都にまたがる比叡山で行われる回峰行です。

また、千日回峰行はすぐに始められるものではなく、まずは先達から受戒を受け、作法と所作を学ぶことになります。

その後、初百日満行を経て、千日回峰行へと入っていきます。

修行の期間

延暦寺千日回峰行に入ると、その後は7年かけて厳しい修行を行います。

ただし、千日回峰行と言っても、1000日通して修行が続けられるわけではありません。

1年目~3年目は年100日4年目~5年目は年200日で修行します。

5年目を超えて修行期間が700日になると、修行の内容はさらに厳しいものとなります。

修行の内容

1年目~5年目までは、東塔、西塔、日吉大社などを巡礼します。

その数は260箇所あり、距離は30kmもあるので、巡礼には6時間ほどかかります。

また、巡礼に出発するのは勤行の後で、深夜2時からです。

その修行を5年間、年に100日や200日も行うことになります。

挫折した場合

千日回峰行は修行を挫折した場合には自害しなければならないことが有名です。

自害に備えて、千日回峰行に挑む者は白い装束を身に着け短刀と埋葬料の10万円を携帯することになっています。

5年目に行う過酷な堂入り

修行期間が700日を超えると生き葬式を行い、その後に堂入という修行に入って9日間の四無行を行います。

四無行とは、飲食と睡眠を絶ち、横たわることも禁止された状態で、真言を10万回唱え続けるというものです。

また、すでに700日の修行をしていることや、飲食と睡眠、横になることを禁止されていることで心身は極限状態に近くなりますが、堂入中は深夜2時になれば堂内にある不動明王に備える閼伽水を毎日汲みに行かなければなりません。

堂入が終わると、阿闍梨と成ることができます。

6年目以降の修行

堂入が終わっても修行は終わりません。

6年目では修行の日数が年100日に戻りますが、これまでの修行に京都の赤山禅院の往復まで追加されます。

そのため、1日の移動距離は30kmから60kmに延びます。

また、7年目には修行の日数が年200日に増えます。

さらに、その200日のうち前半100日は京都を大回りするようになり、移動距離は84kmにもなります。

後半の100日では30kmに戻りますが、それでもかなりの距離があり、過酷な7年の修行の後ではかなり辛いものとなるでしょう。

満行後にも続く修行

千日回峰行の修行期間は1000日ではなく、実は975日となっています。

千日回峰行の修行の目的は悟りに到達するのではなく、近くことです。

そのため、あえて25日を残すことで、残りの25日分の修行を一生かけて行う理解を得らえるようになっています。

現在も千日回峰行は行われている?

千日回峰行は命に関わることがあるほどの過酷な修行ということもあり、以前は千日回峰行で堂入りを終えた人がいれば、ニュースで取り上げられることもありました。

もし、千日回峰行に関するニュースが流れいないのであれば、それは今は千日回峰行を行っている人はいないということでしょう。

挫折時の自害は自殺教唆ではないのか?

千日回峰行は挫折をすれば自害することになっています。

そのため、「自殺教唆になって、現代では法律的にできないのでは?」と思う人もいるでしょう。

しかし、他人に自殺をそそのかされず、自分の意思で自害をした場合には自殺教唆にはなりません。

ただし、「千日回峰行に失敗したから自害しろ」と言った場合は、その人が自殺教唆の罪と問われてしまう可能性はあります。

1日体験が実施されている

千日回峰行は修行に入れば、途中で挫折することは許さない厳しいものです。

しかし、現在ではその修行の1日体験が実施されていて、女性の参加者も多いようです。

体験内容は深夜2時に出発する巡礼です。

たった1日でもその修行の厳しさを体感できるでしょう。

また、その修行を7年も続ける厳しさも理解できるでしょう。

千日回峰行は自害を覚悟して挑む厳しい修行

千日回峰行で本当に自害した人がいるかどうかはわかりませんが、長い歴史や過酷な修行内容などから、自害した人もいることでしょう。

修行を続けて生きるよりも自害を選択するほど、千日回峰行は厳しい修行ということです。

修行に挑戦した人たちのマインドを見習い、今一度自分の限界を低く設定しすぎていないか考えてみる機会にしてみましょう。