【タブー】「おじろく・おばさ制度」がヤバい?嘘と言われるその内容は?

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昔と現在では価値観や環境などが異なります。

そのため、歴史を紐解いていくと昔の風習には現代では考えられないようなものがあったりします。

「おじろく・おばさ制度」もその過去にあった現代では考えられないような風習の1つです。

その内容は嘘や都市伝説に思えてしまうようなものとなっています。

では、その嘘のような本当にあった過去の風習「おじろく・おばさ制度」とはどのようなものだったのでしょうか?

現代では考えられないおじろく・おばさ制度とは?

おじろく・おばさ制度は現代では考えられないような風習でした。

その風習はあまりにも現代の物事の考え方とかけ離れているため、嘘や都市伝説の類に聞こえてしまう人がいるほどです。

では、その制度はどのようなものだったのでしょうか?

おじろく・おばさ制度の内容は?

おじろく・おばさ制度とは長兄以外の弟や妹たちは家の労働力として一生を送るという家族制度のことです。

つまり、家庭内での奴隷制度のようなものです。

弟や妹として生まれてきた子供は男であれば「おじろく」女であれば「おばさ」と呼ばれていました。

おじろく・おばさは他の家に嫁ぐか婿養子となることでしか結婚が許されなかったり、村の行事に参加することなども許されませんでした。

また、戸籍には「厄介」と記載され、完全に社会生活から隔離されていました。

どこで行われていた?

おじろく・おばさ制度は長野県の神原村で行われいました。

ただし、すでに神原村は合併によって廃止されています。

当然ながら、かつて神原村があった地域にその制度は残っていません。

なぜおじろく・おばさ制度があったのか?

おじろく・おばさ制度はまるで奴隷制度のような内容から、「かなり古い時代の風習では?」と思う人もいるでしょう。

しかし、始まりは16世紀~17世紀頃と言われていますが、昭和40年代でもこの制度は残っていたようです。

この制度が始まった理由は村は小さくて裕福ではなかったため、子供が生まれても養うことができなかったことが原因のようです。

そのため、村や家の継続できるように家を継ぐ長兄にだけ社会的生活を送らせて、弟や妹は家のために働き続けるという風習でした。

結婚が他の家に嫁ぐか婿養子となることでしか許されていなかったのも、家を出ることを前提とした条件だったためでしょう。

おじろく・おばさの生活とは?

おじろく・おばさとなった人たちは家の労働力として一生働くことをなり、まるで奴隷のような印象を受けます。

また、与えられる居住も納屋や長屋の奥の暗い部屋などで、長兄たちとは扱いが異なりました。

しかし、おじろく・おばさは家にとっては大切な労働力のため、暴力で無理やりに従わせるようなことはなかったようです。

むしろ、家のために働いてくれることに感謝されていました。

ただし、家の人以外との接触が少なく、村の行事にも参加できず、戸籍では「厄介」とまで記載されて社会から隔離されることは精神的に大きな負担となっていたでしょう。

おじろく・おばさにインタビューをした人がいる?

おじろく・おばさ制度は山の深い場所にある小さな村で行われていた風習です。

閉ざされた村では独自の風習が生まれることはよくあり、その風習が長く続くこともあります。

嘘のように聞こえますが、実際に昭和40年頃になってもわずかにその風習は残っていて、村には3人のおじろく・おばさがまだいたようです。

そのおじろく・おばさにインタビューをした人がいます。

では、そのインタビューをした人はどのような人で、インタビューにはどのように答えが返ってきたのでしょうか?

インタビューをしたのは誰?

おじろく・おばさにインタビューをしたのは近藤廉治さんという精神科医です。

近藤廉治さんはおじろく・おばさであった人たちが分裂症に似た症状があるということで面接を行いました。

ただし、診断結果は小さな頃から制度の中で生活をしたことで形成された人格とされました。

おじろく・おばさの精神状態

3人のおじろく・おばさは常に無感情で、当初は近藤廉治さんの問いかけにも答えませんでした。

そのため、近藤廉治さんは診断のために催眠鎮静剤を投与を行ったそうです。

薬の効果により表情は徐々に穏やかになり、問いかけにも少しずつ答えてもらえるようになりました。

おじろく・おばさは問いかけに対して、「人に会うことが嫌い」「家が一番良い」「不平はない」など、自身たちが身を置く現状に納得しているかのような回答がいくつか得られたました。

インタビューからの結論

近藤廉治さんはおじろく・おばさ制度が成立する理由として、もともと精神障害の人が多い地域、無気力で村から出られない人が多く取り残された村などの推論をしていたようです。

しかし、診断を通してのインタビューからおじろく・おばさが無感情で制度に従っているのは社会から隔離された生活環境によって人格が変化したためと結論づけられました。

実際に、おじろく・おばさの子供時代は明るい性格だったそうです。

おじろく・おばさ制度が成り立った理由

おじろく・おばさ制度が成り立つのは、環境によって制度に従う無感情の人格ができてしまうためです。

しかし、いくら人格が環境によって変化させられても家の労働力として一生を過ごすことを簡単に受け入れられるとは考え難いです。

なぜ、おじろく・おばさ制度に反抗せずに、制度を受け入れてしまう状況が成り立つのでしょうか?

風習として認識していた

現代の価値観からすれば家の労働力として一生を過ごし、戸籍に「厄介」と記載したり、暗い部屋を生活スペースとされたりなどするのは人権を無視した行為です。

しかし、生まれたときからおじろく・おばさ制度があり周囲に自分と同じ境遇の人たちもいれば、それは当然の風習として認識するでしょう。

また、社会から隔離された状態となることで、世間の常識を知る機会も少なかったはずです。

そのため、制度に対して疑問も反抗も生まれにくかったと考えられます。

環境に適応してしまう

おじろく・おばさは家の労働力として働き続け、家の人以外との接触も少ないです。

そのため、他の生活に対応することができなくなり、次第に「人に会うことが嫌い」「家が一番良い」などの考えを持つようになってしまいます。

実際に、まれに結婚で村を出る人もいたようですが、他の生活環境に耐えきれなくて家に戻ってくることもあったようです。

嘘ではない「おじろく・おばさ制度」

昔の風習には現代の価値観からすると信じられない嘘のように聞こえてしまうものがあったりします。

ただし、それは当時の人たちの価値観からすればおかしくないと思えることだったのでしょう。

時代によって物事に対する考え方は変わるので、おじろく・おばさ制度は悪い風習であったとは一概には言えません。

しかし、社会から隔離したり、暗い部屋で生活をさせたりなどの人権を無視するような風習は現代では作ってはいけないものであることは確かでしょう。