【衝撃真相】美空ひばりの死因はガン!?病院通いの原因は酒とタバコ!?

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唱和の歌謡界を代表する歌謡界の女王と呼ばれた歌手の美空ひばりさん。

1989年6月24日午前0時28分、美空ひばりさんは52歳の若さで亡くなりました

華々しい活躍とは裏腹に酒や煙草に溺れた時期もあったようです。

そんな美空ひばりさんの死因や晩年の様子など、詳しくご紹介していきます。

美空ひばりの死因はガンで確定!?白米が原因との声も?

永遠の歌姫と名高い歌手の美空ひばりさん。

生誕85周年企画としてオーケストラとのコラボCDが発売され、現在も美空ひばりさんの歌声は受け継がれています

そんな美空ひばりさんは、何歳の時に、何が原因でお亡くなりになったのでしょう?

美空ひばりの死因は?

美空ひばりさんの死因は肺炎が原因だと言われています。

正確には、特発性間質性肺炎の症状悪化による呼吸不全が原因のようです。

その他にも大腿骨頭壊死症を患っており歩行が困難だった時期もありました。

大腿骨頭壊死症:大腿骨頭の一部に血が流れなくなり、骨壊死が生じる病気のこと

大腿骨頭壊死症の原因はステロイドホルモンが3分の1,飲酒が3分の1、原因不明が3分の1と言われています。

美空ひばりさんは酒豪で愛飲家だったため、お酒が原因だとする声もあがっていたようです。

美空ひばりの死因がガンと言われる理由は?

美空ひばりさんの死因は肺炎による呼吸困難でガンではありません。

晩年の美空さんは、大腿骨頭壊死症と同時にお酒飲みすぎによる肝硬変と診断されていました。

肝硬変:慢性肝炎を発症して肝臓に長く炎症が生じることで、肝臓の組織が線維化して硬くなる病気のこと

1980年代に美空さんの近しい友人や身内の方たちが次々と亡くなっています。

その寂しさを紛らわせるために、美空さんはお酒に溺れてしまったのでしょうか?

最後の入院を決断する直前まで、美空さんはツアー中の横浜アリーナのステージに立ちたいと訴えていました。

「ママは舞台で死ねたら本望なの!余計な口出ししないで!!」

しかし、息子である和也さんや周囲の説得により入院を決め、全国ツアーは中止に。

3か月間の闘病生活を送ったのち、特発性間質性肺炎の症状悪化による呼吸不全で亡くなっています。

美空ひばりの死亡年齢とは?

1989年6月24日午前0時28分、美空ひばりさんは52歳という若さで息を引き取りました。

誰もが歌姫のカムバックを願っていましたが、叶わなかったようです。

また、亡くなる年の1月11日には最後のシングルレコード「川の流れのように」を発売

レコードからはいつもと変わらぬ歌声を聞かせてくれましたが、この頃の美空ひばりさんの病状はとても悪く、命を削った歌唱だったようです。

美空ひばりの本当の死因は難病?

美空ひばりさんの死因は「特発性間質性肺炎」です。

特発性間質性肺炎は、指定難病の1つとされています。

特発性間質性肺炎:肺胞の薄い壁である「間質」に炎症や損傷がおこり、酸素と二酸化炭素の交換がうまくできなくなる病気

特発性間質性肺炎の治療にはステロイドが有効とされているそうですが、肝硬変も同時に患っていた美空ひばりさんはステロイドが使えなかったのです

美空ひばりさんは入院先の病室で52歳の誕生日を迎えました。

しかし、誕生日から約2週間後の6月13日に呼吸困難を起こして重態に陥り、最期は人工呼吸器をつけなくてはならない程だったそうです。

美空ひばりはガンで亡くなった?

美空ひばりさんの死因はガンであるという情報がありますが、間違いです。

なぜ間違った死因が広まったかというと、美空ひばりさんの周囲のガードが堅すぎたからだと考えられます。

美空ひばりさんは晩年、東京都にある順天堂大学医学部附属順天堂医院に入院しました。

入院はトップシークレットで、病室のネームプレートには偽名も使われていたとか。

マスコミはおろか関係者の面会も大幅に制限されており、さらに病状すら公表されなかったため、様々な憶測が飛び交いました。

重態説や小康説、病名もガンや梅毒とバラバラな情報がいくつも出回る事態に。

死亡率が高いガンであるといった情報はインパクトが大きく、噂として広まってしまったのではないでしょうか。

玄米だけの食事で難病が悪化?

病気を患ってから、毎日玄米おにぎり2つとセンナ茶だけを飲むといった食生活を続けていました

美空ひばりさんに玄米食を勧めたのは、韓国系アメリカ人の医師であるハワード・ヤング氏で、玄米食だけを食べる食事療法はハワード・ヤング氏の独自療法だったのです。

健康体でも偏った食事制限は病気のリスクが高まるのに、病人である美空ひばりさんが医師からの指導で食事制限をしていたなんて恐ろしい話です。

玄米は確かに身体に良い食材ですが、玄米だけではたんぱく質やビタミン群がとれず、結果として栄養不足を招いてしまいます。

偏った食生活が直接の死因ではありませんが、病状を悪化させた要因の1つである可能性は高いと考えられますよね。

美空ひばりの病院での様子とは?

美空ひばりさんは調子が良い時、ベッドの上で絵を描いたり屋上を散歩したりして、回復にとても意欲的だったそうです。

しかし、この頃のマスコミは「復活は絶望的」と騒ぎ立てていました。

そこで、美空ひばりさんは1989年5月27日に、入院直後の写真と共に「麦畑 ひばりが一羽 飛び立ちて… その鳥撃つな 村人よ!」と短歌を発表してマスコミをけん制します。

さらに、美空ひばりさんは病室で、ファンに向けてメッセージを録音しました。

「私自身の命ですから、私の中にひとつでも悩みを引きずって歩んでいくわけには参りませんので、後悔のないように、完璧に人生のこの道を歩みたいと願っているこの頃です。」

受け取る人によっては、様々な解釈ができそうなメッセージですね。

しかし、美空ひばりさんの最期を知る今となっては、予感している「死」を受け入れようとする凛とした心情が察せられます。

美空ひばりさんは命が尽きようとしていても、歌謡曲の女王として誇り高くファンに振る舞いたかったのかもしれません。

死を直感して涙した美空ひばりと加藤和也が看取った最期

1989年5月29日、美空ひばりさんは病室で52歳の誕生日を迎えました。

しかし、誕生日から2週間程経った6月13日に病状は悪化し、人工呼吸器が装着されることになります。

「このまま…死ぬんじゃないの!?悔しい!」

涙交じりに絞り出すような声で呟き、死ぬ事を悲しんだ様子だったそうです。

その後、だんだんと口数が少なくなっていった美空ひばりさん。

「ごめんね」「ありがとう」と養子である加藤和也さんに繰り返す日々だったそうです。

最期の瞬間も「ごめんね」と謝る美空ひばりさんを、加藤和也さんは「大丈夫だよ」と制し、加藤和也さんは病室を出ました。

その直後に、美空ひばりさんの病室から警告音が響き、加藤和也さんは病室に急いで引き返します。

数名の医師が蘇生を試みて心臓マッサージをし、AEDを使いましたが、心拍は戻りませんでした。

蘇生術を繰り返す医師を、加藤和也さんが「もう、いいです」と制して、美空ひばりさんの死亡が確認されたのです。

美空ひばりは難病だらけ?酒とタバコに溺れた末路とは?

美空ひばりさんは死因である特発性間質性肺炎を患う前にも、病に伏していた時期がありました。

美空ひばりさんが患った病は、驚く事に3つもあるのです。

病と闘いながらもステージに立ち歌い続けた美空ひばりさんは、まさしく歌謡曲の女王でしょう。

美空ひばりは酒とタバコに溺れていた?

美空ひばりさんは酒豪で有名で、タバコも吸っていました

ハリがあってのびやかな独特の歌声からは想像できませんが、健康を害する嗜好品を多量に摂取していた時期があるようです。

そのため、美空ひばりさんは病を患うリスクが高かった可能性があります。

なぜ、美空ひばりさんは酒とタバコにのめり込んでしまったのでしょうか?

家族の不幸が相次いだ?

1980年代に入ると、美空ひばりさんの身に次々と不幸が起きてしまいます

1981年、美空ひばりさんを公私共に支えてきた実母の喜美枝さんが転移性脳腫瘍により68歳で永眠
その後、美空ひばりさんの父親代わりを担っていた三代目山口組組長の田岡一雄さんも他界
1983年に実弟のかとう哲也さん、1986年に実弟の香山武彦さんが亡くなり、美空ひばりさんは2人の弟達も失ってしまう
さらに、親友の江利チエミさん、「銭形平次」で共演した大川橋蔵さんら親交がある友人達もこの頃にお亡くなりになる

その後、かとう哲也さんの息子である加藤和也さんを養子に迎えますが、美空ひばりさんの喪失感はぬぐい切れませんでした。

寂しさを癒そうと、酒とタバコの量は日に日に増えていったのです。

難病①:特発性間質性肺炎

1989年3月上旬に、美空ひばりさんは医師から特発性間質性肺炎について説明を受けていたそうです。

恐らくこの時に、特発性間質性肺炎が難病で助かる可能性が低い事も聞かされていたのではないでしょうか。

美空ひばりさんの直接的な死因である特発性間質性肺炎には、ステロイドによる治療が有効とされています。

しかし、当時肝硬変も患っていた美空ひばりさんには、副作用の危険性があったためステロイドによる治療ができませんでした

特発性間質性肺炎を患ってしまった原因は不明とされていますが、喫煙習慣が要因の1つである可能性が考えられます。

難病②:大腿骨頭壊死

1985年5月、美空ひばりさんは誕生日記念ゴルフコンペでプレー中に腰をひねり、両足内側に痛みを感じたそうです。

その後も、原因不明の腰痛はどんどん悪化していきますが、ファンには痛がる様子を見せずにステージに立ち続けます。

しかし、最初に腰に違和感を感じたゴルフコンペから2年程経過した頃には、足腰が激痛に耐えられない位病気が進行してしまいました。

一人では段差を登り切れず、付き人に手を借りなければならない程だったようです。

難病③:肝硬変

1987年4月、公演先の福岡市で極度の体調不良を訴え、福岡県生会福岡総合病院に緊急入院。

そこで肝硬変および腰痛の原因だった両側特発性大腿骨頭壊死症と診断されます。

どちらの病気も、アルコールの大量摂取が原因です。

美空ひばりさんの病状は深刻でしたが、マスコミには隠し通して程度が低い病名を公表しました。

緊急入院から約1か月後の同年5月29日、美空ひばりさんは50歳という節目の誕生日を病室で迎えます。

この後、退院した美空ひばりさんは福岡県で発覚した2つの病が完治せぬまま、伝説のステージ「不死鳥コンサート」の舞台に立つのです。

美空ひばりの最後の歌声が公開された!?

2023年11月18日に美空ひばりさんの最後の歌声に関する情報が公開されました。

美空ひばりさんが大好きな高校生、梅谷心愛さんが登場し1本のカセットテープを紹介。

入院の為に全国ツアーを中止し、その3か月後に亡くなった美空さんが中止前に行ったコンサートで披露したもののようです。

ラストステージである北九州・小倉公演では珍しいトーク姿も披露したとのこと。

SNS上では美空さんの最後の歌声を聞いただけで涙が流れたという声も聞かれました。

美空ひばりの死因は肺の難病で死亡年齢は52歳

様々な噂が飛び交っていた美空ひばりさんの死因について詳細をまとめました。

  • 死因は肺の難病「特発性間質性肺炎」
  • 1989年6月24日午前0時28分永眠。死亡年齢は52歳
  • 肝硬変を患っていたおかげで、適切な治療を受けられなかった

美空ひばりさんには身内や親友を続けざまに亡くしてしまった時期があり、寂しさを紛らわすために酒とタバコに溺れてしまいます。

やがて病を患いますが、歌を愛した美空ひばりさんは命を振り絞りステージに立ち続けました。

一途で芯の通ったその生き様が、数々の名曲をより良く輝かせているのかもしれません。