みだれ髪などの代表作で知られる昭和歌謡曲の女王美空ひばりさん。
没後から30年以上経ちますが、今でも美空ひばりさんの功績は称えられ、歌声は多くの人に愛されています。
華々しい活躍の裏側で苦悩の多い人生を歩んでいた美空ひばりさんは、難病を患い、まだまだ飛躍が期待される中お亡くなりになりました。
美空ひばりさんの死因や晩年の様子を詳しく解説します。
美空ひばりの死因は難病?ガンや玄米が原因という声も?
生誕85周年企画としてオーケストラとのコラボCDが発売され、2022年となった現在も美空ひばりさんの歌声は受け継がれています。
美空ひばりさんは、何歳の時に、何が原因でお亡くなりになったのでしょう?
美空ひばりの死亡年齢とは?
美空ひばりさんの死亡年齢は52歳という若さで、1989年6月24日午前0時28分、入院先の病院で息を引き取りました。
誰もが歌姫のカムバックを願っていましたが、叶いませんでした。
また、亡くなる年の1月11日には最後のシングルレコード「川の流れのように」を発売。
レコードからはいつもと変わらぬ歌声を聞かせてくれましたが、この頃の美空ひばりさんの病状はとても悪く、常人では考えられない命を削った歌唱だったようです。
この時、まさに美空ひばりさんは闘病中であり、満身創痍だったはず。なのに、この歌唱力に
表現力。この方を超える歌姫は二度と出てこないと思う。【最後の映像】 美空ひばり/川の流れのように https://t.co/bqAkljuaBO @YouTubeさんから— あつし (@fMlqnmvgXaqUWC6) October 23, 2019
美空ひばりはガンで亡くなった?
美空ひばりさんの死因はガンであるという情報がありますが、間違いです。
なぜ間違った死因が広まったかというと、美空ひばりさんの周囲のガードが堅すぎたからだと考えられます。
美空ひばりさんは晩年、東京都にある順天堂大学医学部附属順天堂医院に入院しました。
美空ひばりさんの入院はトップシークレットで、病室のネームプレートには偽名も使われた程だそうです。
マスコミはおろか関係者の面会も大幅に制限されてしまい、さらに病状すら公表されなかったため、様々な憶測が報道されてしまいます。
重態説や小康説、病名もガンや梅毒とバラバラな情報がいくつも出回りました。
中でも、死亡率が高い病気であるガンと結び付けた情報がインパクトが大きかったため、噂として広まってしまったのではないでしょうか。
美空ひばりの本当の死因は難病?
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美空ひばりさんの本当の死因は「特発性間質性肺炎」です。
特発性間質性肺炎は、指定難病の1つとされています。
人間の肺の奥には「肺胞(はいほう)」と呼ばれる器官があり、呼吸で取り込まれた酸素を二酸化炭素と交換する働きをします。
しかし、様々な原因から肺胞の薄い壁である「間質」に炎症や損傷がおこり、酸素と二酸化炭素の交換がうまくできなくなる病気です。
特発性間質性肺炎の治療にはステロイドが有効とされているそうですが、肝硬変も同時に患っていた美空ひばりさんにはステロイドが使えなかったのです。
美空ひばりさんは入院先の病室で52歳の誕生日を迎えました。
しかし、誕生日から約2週間後の6月13日に呼吸困難を起こして重態に陥り、最期は人工呼吸器をつけなくてはならない程だったそうです。
玄米だけの食事で難病が悪化?
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美空ひばりさんは病気を患ってから、毎日玄米おにぎり2つとセンナ茶だけを飲む偏った食生活を続けていました。
美空ひばりさんに玄米食を勧めたのは、韓国系アメリカ人の医師であるハワード・ヤング氏で、玄米食だけを食べる食事療法はハワード・ヤング氏の独自療法だったのです。
健康体でも偏った食事制限は病気のリスクが高まるのに、病人である美空ひばりさんが医師からの指導で食事制限をしていたなんて、恐ろしい話だと思いませんか?
玄米は確かに身体に良い食材ですが、玄米だけではたんぱく質やビタミン群がとれず、結果として栄養不足を招いてしまいます。
偏った食生活が直接の死因ではありませんが、病状を悪化させた要因の1つである可能性は高いと考えられます。
美空ひばりの病院での様子とは?
美空ひばりさんは調子が良い時、ベッドの上で絵を描いたり屋上を散歩したりして、回復にとても意欲的だったそうです。
しかし、この頃のマスコミは「復活は絶望的」と騒ぎ立てていました。
そこで、美空ひばりさんは1989年5月27日に、入院直後の写真と共に「麦畑 ひばりが一羽 飛び立ちて… その鳥撃つな 村人よ!」と短歌を発表してマスコミをけん制します。
さらに、美空ひばりさんは病室で、ファンに向けてメッセージを録音しました。
メッセージの内容を紹介します。
受け取る人によっては、様々な解釈ができそうなメッセージですね。
しかし、美空ひばりさんの最期を知る今となっては、予感している「死」を受け入れようとする凛とした心情が察せられます。
美空ひばりさんは命が尽きようとしていても、歌謡曲の女王として誇り高くファンに振る舞いたかったのかもしれません。
死を直感して涙した美空ひばりと加藤和也が看取った最期
1989年5月29日、美空ひばりさんは病室で52歳の誕生日を迎えました。
しかし、誕生日から2週間程経った6月13日に病状は悪化し、人工呼吸器が装着されることになります。
「このまま…死ぬんじゃないの!?悔しい!」
涙交じりに絞り出すような声で呟き、死ぬ事を悲しんだ様子だったそうです。
その後、だんだんと口数が少なくなっていった美空ひばりさん。
「ごめんね」「ありがとう」と養子である加藤和也さんに繰り返す日々だったそうです。
最期の瞬間も「ごめんね」と謝る美空ひばりさんを、加藤和也さんは「大丈夫だよ」と制し、加藤和也さんは病室を出ました。
その直後に、美空ひばりさんの病室から警告音が響き、加藤和也さんは病室に急いで引き返します。
数名の医師が蘇生を試みて心臓マッサージをし、AEDを使いましたが、心拍は戻りませんでした。
蘇生術を繰り返す医師を、加藤和也さんが「もう、いいです」と制して、美空ひばりさんの死亡が確認されたのです。
美空ひばり 死去のニュース 1/2 https://t.co/mKwtiTpyr1 @YouTubeさんから
— あつし (@fMlqnmvgXaqUWC6) October 23, 2019
美空ひばりは難病だらけ?酒とタバコに溺れた末路とは?
美空ひばりさんは死因である特発性間質性肺炎を患う前にも、病に伏していた時期がありました。
美空ひばりさんが患った病は、驚く事に3つもあるのです。
病と闘いながらもステージに立ち歌い続けた美空ひばりさんは、まさしく歌謡曲の女王なのです。
美空ひばりは酒とタバコに溺れていた?
美空ひばりさんは酒豪で有名で、タバコも吸っていました。
ハリがあってのびやかな独特の歌声からは想像できませんが、喉に悪そうな嗜好品を多量に摂取していた時期があるようです。
そのため、美空ひばりさんは病を患うリスクが高かった可能性があります。
なぜ、美空ひばりさんは酒とタバコにのめり込んでしまったのでしょうか?
家族の不幸が相次いだ?
1980年代に入ると、美空ひばりさんの身に次々と不幸が起きてしまいます。
・その後、美空ひばりさんの父親代わりを担っていた三代目山口組組長の田岡一雄さんも他界
・1983年に実弟のかとう哲也さん、1986年に実弟の香山武彦さんが亡くなり、美空ひばりさんは2人の弟達も失ってしまう
・さらに、親友の江利チエミさん、「銭形平次」で共演した大川橋蔵さんら親交がある友人達もこの頃にお亡くなりになる
その後、かとう哲也さんの息子である加藤和也さんを養子に迎えますが、美空ひばりさんの喪失感はぬぐい切れませんでした。
寂しさを癒そうと、酒とタバコの量は日に日に増えていったのです。
難病①:特発性間質性肺炎
1989年3月上旬に、美空ひばりさんは医師から特発性間質性肺炎について説明を受けていたそうです。
恐らくこの時に、特発性間質性肺炎が難病で助かる可能性が低い事も聞かされていたのではないでしょうか。
美空ひばりさんの直接的な死因である特発性間質性肺炎には、ステロイドによる治療が有効とされています。
しかし、当時肝硬変も患っていた美空ひばりさんには、副作用の危険性があったためステロイドによる治療ができませんでした。
特発性間質性肺炎を患ってしまった原因は不明とされていますが、喫煙習慣が要因の1つである可能性が考えられます。
難病②:大腿骨頭壊死
1985年5月、美空ひばりさんは誕生日記念ゴルフコンペでプレー中に腰をひねり、両足内側に痛みを感じたそうです。
その後も、原因不明の腰痛はどんどん悪化していきますが、美空ひばりさんはファンには微塵も痛がる様子を見せずにステージに立ち続けます。
しかし、最初に腰に違和感を感じたゴルフコンペから2年程経過した頃には、足腰が激痛に耐えられない位病気が進行してしまいました。
一人では段差を登り切れず、付き人に手を借りなければならない程だったようです。
難病③:肝硬変
1987年4月、公演先の福岡市で極度の体調不良を訴え、福岡県生会福岡総合病院に緊急入院。
そこで肝硬変および腰痛の原因だった両側特発性大腿骨頭壊死症と診断されます。
どちらの病気も、アルコールの大量摂取が原因です。
美空ひばりさんの病状は深刻でしたが、マスコミには隠し通して程度が低い病名を公表しました。
緊急入院から約1か月後の同年5月29日、美空ひばりさんは50歳という節目の誕生日を病室で迎えます。
この後、退院した美空ひばりさんは福岡県で発覚した2つの病が完治せぬまま、伝説のステージ「不死鳥コンサート」の舞台に立つのです。
美空ひばりの塩酸事件とは?当時の被害や事件の犯人は?
美空ひばりさんには生前、観客から塩酸をかけられるというとんでもないトラブルも起きていました。
犯人は捕まりましたが、美空ひばりさんの身に危険が迫ったという事で多くのファンに衝撃を与えました。
事件の詳細を解説します。
美空ひばりの塩酸事件とは?
事件が起きたのは1957年1月13日、美空ひばりさんが20歳の頃です。
浅草国際劇場にてショーに出演していた美空ひばりさんに、客席にいた女性が近付いて、上着のポケットから取り出した液体を美空ひばりさんの顔にかけたというのです。
液体を浴びた直後に、美空ひばりさんは「熱い!」と叫びます。
後に、この液体が塩酸であった事が判明します。
美空ひばりさんにかけられた液体は硫酸という情報もありますが、正しくは塩酸です。
塩酸事件の被害とは?
塩酸が左顔と衣装にかかってしまった美空ひばりさんは、緊急搬送されて入院しました。
顔や胸にやけどを負い、全治3週間の負傷となりましたが、幸い顔に傷は残る事なく舞台に復帰しました。
しかし、その時美空ひばりさんが着ていた衣装は焦げて、穴が開いていたそうです。
また、美空ひばりさんの周りにいた俳優3名もまきぞえをくい、内1名は失明の恐れがある程の重傷を負ったそうです。
塩酸事件の犯人は同い年の少女?
驚いた事に、犯行に及んだ犯人は美空ひばりさんと同年代の女性だったのです。
美空ひばりさんの熱心な大ファンだった女性は、故郷の山形県から東京都へ女中として働きに出ていました。
しかし、慣れない仕事に嫌気がさしたのか、事件の2日前に「世の中が嫌になった。死にたい」という書置きを残し、勤め先から姿を消してしまいます。
その後、あてもなく東京を歩いていた女性は、美空ひばりさんの浅草公演の情報をキャッチします。
そして、華やかな世界で活躍する美空ひばりさんに対し、同じ女性として嫉妬心がわき「醜くなった顔が見たい」と犯行を決意するのです。
犯行後、女性は逃走しようとしますが、現場に居合わせたブロマイド業者に取り押さえられ、その後雑居房に入れられます。
女性は取り乱す事なく、自身の行いを悔いていたそうです。
美空ひばりの死因は肺の難病で死亡年齢は52歳
様々な噂が飛び交っていた美空ひばりさんの死因について詳細をまとめました。
- 死因は肺の難病「特発性間質性肺炎」
- 1989年6月24日午前0時28分永眠。死亡年齢は52歳
- 肝硬変を患っていたおかげで、適切な治療を受けられなかった
美空ひばりさんには身内や親友を続けざまに亡くしてしまった時期があり、寂しさを紛らわすために酒とタバコに溺れてしまいます。
やがて病を患いますが、歌を愛した美空ひばりさんは命を振り絞りステージに立ち続けました。
一途で芯の通ったその生き様が、数々の名曲をより良く輝かせているのかもしれません。