神田沙也加の遺体は自宅に帰らなかった?謎の多い死因や自殺と言われる原因とは?

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神田沙也加さんが、2021年12月18日、宿泊中の北海道札幌市内のホテル22階から転落し、お亡くなりになりました。

主演ミュージカル「マイ・フェア・レディ」の札幌公演期間中でした。

神田沙也加さんの突然の死に、ニュースを聞いてショックを受けた人も多いでしょう。

神田沙也加さんの遺体は自宅に帰らなかった?謎の多い死因や自殺と言われる原因とは?徹底検証していきます。

神田沙也加の遺体は札幌にある?

神田沙也加さんは、12月18日午前10時から「マイ・フェア・レディ」のリハーサルを控えていました。

しかし、沙也加さんは現場に現れず、11時になっても連絡がつかなかったそうです。

心配したスタッフが、沙也加さんの宿泊するホテルの最上階22階の部屋を訪れましたが、部屋には誰もいない状態で、窓が開いていました。

その窓下の14階の屋外スペースには雪が積もっていて、13時頃、沙也加さんは雪の中から靴を履いていない状態で発見され、緊急搬送されました。

30㎝ほど積もっていた雪がクッションとなり、即死は免れたそうです。

しかし、意識不明の状態のまま、搬送先の病院で午後9時40分頃、お亡くなりになりました。

同日、母の松田聖子さんは東京グランドプリンスホテル新高輪で、19時からクリスマスディナーショーが行われていたといいます。

神田沙也加さんが所属する事務所は、伯父(松田聖子さんの実兄)が社長を務める株式会社ローブです。

お兄さんが、プロ意識の高い聖子さんのことを考え、ディナーショーが終わるまで詳細を伝えなかったとのことです。

松田聖子さん、父の神田正輝さんの到着を、沙也加さんはご遺体となって札幌で待っていたのでしょう。

神田沙也加の遺体はなぜ自宅に帰らず火葬された?

神田沙也加さんのご遺体は、21日午後、札幌市清田区で火葬されました。

自宅から遠く離れた地で亡くなった場合、事件性が無ければ、一般的に遺体の腐敗が始まる前に亡くなった地元の火葬場で荼毘(だび)に付します

今回のような遠隔地の場合、ご遺体を飛行機で搬送するとなると、「預け荷物扱い」になってしまい、お骨にした方が、機内に持ち込むことが出来て、ずっと一緒にいられます。

神田沙也加さんは自宅に帰らないでなぜ札幌で葬儀を行ったの?

ご遺体を棺桶に入れて飛行機に乗せるのはお金もかかるし大変なのです。なので旅先とかで亡くなると、その土地で焼かれます。

引用:Yahoo!知恵袋

神田沙也加の死因や自殺の原因は?文春報道を解説

神田沙也加さんは、警察の司法解剖の結果、強い衝撃を受けたことによる外傷性ショックが死因であると判明しました。

沙也加さんが、転落した原因は何なんでしょうか?自殺なのでしょうか?そうであるとしたら、原因は何でしょうか?

沙也加さんが亡くなられてから、文春の報道が複数出ています。

週刊文春の報道を解説していきます。

神田沙也加の死因

神田沙也加さんが亡くなられた翌日の2021年12月19日、週刊文春オンラインで下記のように報じられています

22階の高さから14階に落ちたものの、雪がクッション代わりになり即死は免れたようです。12時55分、救急隊が駆けつけた当初は意識不明の状態で沙也加さんは病院に搬送されました。この日の夕方頃から関係各所やマスコミに話がまわり、安否が心配されていたのですが、通報から9時間後の午後9時40分にお亡くなりになったそうです。

                                                                       引用:週刊文春オンライン 2021年12月19日

自殺した原因とは一体?

神田沙也加さんは、亡くなった当日「マイ・フェア・レディ」の公演を控えていました。

10時からリハーサルで、開演は正午と、夕方5時からの2本の予定でした。

「マイ・フェア・レディ」は沙也加さんが、”芸能界の母”と慕う大地真央さんの代表作です。

イザベラ役を2018年から引き継いでいて、繊細で頑張り屋な性格の沙也加さんは、真摯に役と向き合い、思い入れも強かったはず…。

そんな沙也加さんが、途中で役を放り出すでしょうか?

ホテルの幹部は、部屋の窓は15㎝までしか開かないようになっていると証言しています。

警察も事件性はないと発表しています。

ですが、15㎝の幅から窓の外に出られるでしょうか。

文春では、以下の3つが自殺の主な理由として挙げられています。

  •  恋愛関係のもつれ
  •  喉の病気による将来への悲観
  •  メンタル系の薬の服用による影響

沙也加さんは、独りどのような想いで窓の外に飛び込んだのでしょうか?

15㎝しか開かないはずの窓が、実は壊れていて、それ以上開いていしまったことが原因の事故であったとは考えられないでしょうか?

謎が多く残りますが、どのような理由であれ、彼女のことを思うと胸が張り裂けそうです。

>> 神田沙也加が転落したホテルは?自殺なのか真相調査!

神田沙也加はなくなる直前に恋人から罵倒されていた?

文春は、神田沙也加さんが亡くなった4日後の2021年12月22日配信の「週刊文春オンライン」と翌日発売の「週刊文春」で、ホテルの部屋から沙也加さんが書き残した手紙が2通見つかったことを公開しています。

1通は事務所宛て、もう1通は恋人の男性宛てだったそうです。

文春はその手紙を、「書き置き」ではなく、「遺書」と断定して報じています。

誰もいない部屋の机に置かれていたのは、2通の封筒だった。

1通は事務所宛て、もう1通は”ある男性”に宛てたもの。

数枚の便せんに綴られていたのは、こんな言葉だった。

『女性にあんまり強い言葉を使っちゃだめだよ。一緒に勝どきに住みたかった。2人で仲良く、子供を産んで育てたかったです。ただ心から愛してるよ』

そして、男性が別の女性に心変わりしてしまったショック、自分が理想の女性になれなかったお詫び、夢見た未来がもう叶わない現実への無念や悲しみ…。

その遺書が、彼女の最期の言葉になった。

                                引用:週刊文春オンライン 2021年12月22日

勝どきは、神田沙也加さんが恋人と同棲しようと決めて物件を内見していた東京都中央区勝どきの物件のようです。

また、文春は2022年1月5日配信の「週刊文春オンライン」と翌日発売の「週刊文春」で、神田沙也加さんと恋人が口論する音声データや、口論に至った経緯について報じています。

問題の音声は、同棲生活を始めることを決めていたにもかかわらず、恋人が沙也加に無断で契約した別のマンションを巡って、2人が口論する様子を収めたものだ。

音声には、「死ね」という表現も複数回出てくる。恋人からの繰り返される厳しい言葉に、沙也加は涙声で応じていた。

引用:週刊文春オンライン 2022年1月5日

このことだけが、沙也加さんを死に追いやった原因ではないのかもしれませんが、沙也加さんが深く傷つき悲しんだことは確かでしょう。

ツイッターやインスタでは、亡くなった当初だけでなく、1年を迎えようとしている今でも、沙也加さんの死を悼む声が聞こえてきます。

神田沙也加の遺骨は現在どこにある?

2022年1月30日、この日神田沙也加さんの四十九日法要が行われました。

父の神田正輝さんを含む親族10名ほどで静かにとり行われました。

当日は母の松田聖子さんが沙也加さんのお骨を自宅から持ってこられました。

納骨はされておらず、法要が終わると、聖子さんがお骨を持ち帰られたそうです。

いついつまでに納骨しなければいけないという決まりはありませんので、少しでも長く愛する沙也加さんと一緒にいたいという気持ちがあるのでしょう。

四十九日では、気持ちの整理をつけるにはあまりに早すぎますからね。

松田聖子・神田正輝との親子関係とは?

母、松田聖子さんは最初、娘の神田沙也加さんが芸能界入りするのを反対していたようです。

沙也加さんがロサンゼルスの日本人学校に通っていた1999年頃、短編映画「ビーン・ケーキ(おはぎ)」に出演し、その映画がカンヌ国際映画祭で短編パルムドールを受賞しました。

聖子さんはそれを機に、沙也加さんをCMに出し、歌を歌わせ、映画にも出演させました。

芸能界の厳しさを知り尽くしていた聖子さんは、沙也加さんに対し厳しくなりすぎてしまい、行動を制限したりと、幾たびも衝突し、母娘の確執として報じられていました。

しかし、聖子さんの沙也加さんに対する想いは、2001年に沙也加さんがデビューした当時に「やるからには、私が守っていく」と語っていたあの頃と変わらず、どんなときも最愛の存在だったにちがいないでしょう。

父、神田正輝さんとの絆は強かったようで、沙也加さんが亡くなった当日の午前10時に、正輝さんと沙也加さんは電話で話していたと報じられています。

沙也加さんが正輝さんのお誕生日(12月21日)を祝うために電話をかけたようです。

神田正輝さんは、MCを務める「朝だ!生です旅サラダ」の12月25日放送分の生出演を心配されていましたが、視聴者を心配させまいと予定通り出演し、笑顔さえ見せていました。

その姿に、プロ根性を称賛する声とともに、ツイッターやインスタでは、神田正輝さんを心配する投稿で溢れました。

12月21日午後、札幌市清田区の火葬場で荼毘に付された後、聖子さんと正輝さんは報道陣に対し会見を開きました。

父の正輝さんは沙也加さんのお骨を手に、憔悴しきった様子で「近親者のみでお別れできた」と伝え、母の聖子さんもご位牌を胸に、震える声で「寒い中、申し訳ございません。ありがとうございます」と深々と頭を下げていました。

これは、松田聖子さんが家族3人揃っての最後の記者会見を希望したためとり行われたそうです。

松田聖子は一睡もせず一緒にいた?

母の松田聖子さんは訃報を知り、20日昼過ぎに札幌に到着しました。

沙也加さんは、降り積もっていた雪がクッションとなったためか外傷は見当たらず、穏やかな表情で眠っているようだったと関係者は話しています。

聖子さんは、冷たくなった愛娘の頬に何度も何度も自分の頬をすり寄せ、覆いかぶさるように両手で撫でながら泣き叫んでいたそうです。

20日の通夜後も聖子さんはホテルに帰らず、次の日の葬儀まで、一睡もせず沙也加さんのそばを片時も離れようとしなかったといいます。

そして、聖子さんは帰りの機内でもずっとお骨箱を抱きしめたまま、決して離そうとしなかったそうです。

愛するわが子を亡くした親の悲しみはとても深く、何をしても、心の傷は到底癒えることはないでしょう。

時間が解決してくれるものでもなく、月日を重ねても、悲しみは消えることなく、沙也加さんがいないことへの現実味が増し、辛く悲しいものとなることでしょう。

しかし、聖子さんは、ギリギリまで大晦日の紅白歌合戦出場に向けて前向きに検討していたのだそう。

12月25日には、自身の心境と周りの出演者への気遣いから、出場を辞退をしていますが、プロとして娘のためにも「私がしっかりと歌わなければ」と前へ進もうと自分を鼓舞していたのだと思われます。

神田沙也加の遺体は自宅に帰らなかった?謎の多い死因や自殺と言われる原因とは?のまとめ

神田沙也加さんは、2021年12月18日、35歳の若さでこの世を旅立たれました。

ご遺体は、「マイ・フェア・レディ」公演場所の札幌で荼毘に付され、自宅のある東京には帰られませんでしたが、お骨となった沙也加さんは今、母、松田聖子さんのもとにいらっしゃると思われます。

沙也加さんの死には、謎が多く残ります。

15㎝しか開けられないと言われている窓からどう飛び降りたのか、文春が報じた遺書は本当に遺書として本人が書いたものなのか。

しかし、最愛の娘を亡くし、どれほど続くのか分からない深い悲しみの底にいる松田聖子さんと神田正輝さんが、未来の光を見据えて立ち上がろうと前に進み始めている今、そっと見守り応援し続けることが、お2人にとっての支えになるのではないでしょうか。

沙也加さんの所属事務所株式会社ローブによると、沙也加さんの公式ホームページやツイッター、インスタ等は現状のまま閲覧できるよう維持されるとのこと。

時に、沙也加さんの活躍を見返し、そばに感じることで私たちファンの心の中で生き続けてほしいですね。

沙也加さんの代表曲を空を見上げて口ずさむと、天国から「もっとおかしなこと言ってもいい?」と笑顔の明るい沙也加さんの声が聞こえそうではないですか?