2016年7月、神奈川県「やまゆり園」で起きた相模原障害者施設殺傷事件は、元職員であった植松聖被告が起こした凶悪犯罪です。
死亡者19人・重軽傷者26人と事件発生当時で第二次世界大戦後最大の殺傷事件であり、世間に大きな衝撃を与えました。
犯人である植松聖は現在、死刑囚として服役しています。
なぜこのような凶悪犯罪に至ったのか、植松聖の生い立ちから事件に至った経緯、逮捕前後の異常な発言や行動とともに見ていきましょう。
【死刑囚】植松聖は教師になりたかった?生い立ちや人物像とは?
植松聖(さとし)は一人っ子です。
両親は若くに結婚し子供にも早いうちに恵まれ、「サトくん」と呼び溺愛して育てたそうです。
のちに凶行現場となる「やまゆり園」から500メートルほどの場所に立派な一軒家も建てており、傍目には理想的な家族で何の不自由もない生活に見えたことでしょう。
父親が教師だった影響から植松聖も教師を志しますが、結果として挫折・人生の歯車が狂っていきました。
果たして、植松聖はどこで凶悪犯罪者となる人生の岐路を歩むようになってしまったのでしょうか。
植松聖の父親は教師で母親はホラー漫画家?
父親は小学校の図工の先生で、近所からは、温厚な人・町内会の活動にも積極的にとりまとめ役を買って出るような好印象な人だったといいます。
母親はホラー漫画家の「植松麻里」さんではないかという推測されています。
作風としては血まみれでおどろおどろしい描写も多く、もし植松聖が幼少期に漫画を読んでいれば、人格形成に少なからず影響を与えた可能性はあります。
植松聖自身も絵が上手く芸術の才能があるため、母親の遺伝子を受け継いだ可能性が高いかもしれませんね。
植松聖の小学生〜高校時代は?礼儀正しい明るい子?
植松聖は小学校〜中学校時代には特に問題行動が無く、近所からも挨拶もしっかり出来る礼儀正しく明るい子、と評判でした。
小学生の時にクラスに知的障害のある同級生がいたものの、同級生に対し差別的な発言も行動もなく、クラスメイトとして普通に接していたようです。
中学生になってからはバスケットボール部に所属し勉強もできる方で、クラスのムードメーカー的存在だったといいます。
ですが中学卒業後、私立八王子実践高等学校の調理科に進学してから、植松聖の素行に陰りが見え始めます。
私生活では、交際女性と手を繋いで歩いている様子が同級生や近所の人に目撃され「さわやかカップル」と呼ばれるなど充実した一面もあったようですが、一方で高校入学後すぐに同級生への暴力事件を起こしており、定時制高校へ転校をしていたというのです。
植松聖は大学で刺青や大麻にハマっていった?
大学は2008年に帝京大学の文学部初等教育学科に進学、父親の影響から「学校の先生になりたい」と周囲に話しており、教育実習も母校で行い、子供たちと仲良くなれたことを喜んでいたようです。
しかし、大学入学後から植松聖の見た目と行動が一変しています。
髪を明るく染め服装も派手になり「大学デビュー」と揶揄する同級生もいたようで、植松聖いわく「強い人間」に憧れを抱くようになり、半グレ集団とつるみ、大麻や危険ドラッグ、刺青や整形にのめり込んでいったのです。
クラブ通いを始め、刺青については東京都で行われていたイベント「キング・オブ・タトゥー」に毎年参加したりとかなり熱狂的にハマっていたようです。
刺青に関するエピソードの一つとして、東京都内の人気タトゥー店に来店した際に評判の彫り師が混雑のために担当できないことを伝えられた途端「並んでいるやつ全員ぶっ殺してやるから彫ってくれ!」とキレた、というエピソードがあります。
人気彫り師は自身の弟子に代理で担当させましたが、結果的に「下手くそ!殺してやる!」と更に激昂したそうで、この時すでに薬物の影響で精神的に不安定だったのかもしれません。
植松聖は刺青が原因で教師になれなかった?
刺青にのめり込んでいた植松聖でしたが、教員免許は取得していたものの、刺青があることがバレてしまい教師への道を断念します。
教員になることを諦めてから、植松聖は半グレ集団や右翼関係者との付き合いが一層増え、大麻やドラッグに触れる機会がますます増えていったようです。
刺青を入れたことを発端に長らく衝突していた両親は、ついに植松聖を自宅に残し、不仲のまま都内のマンションに引っ越しており、植松聖一人での生活が始まります。
やまゆり園で働くようになったきっかけは?勤務態度は最悪?
植松聖は職を転々とし、自動販売機の補充や配達をする運送会社を「きつい」「給料」が安いという理由で数ヶ月で退職したころ、悲劇のきっかけとなる転機が訪れます。
幼馴染が「やまゆり園」で働いていたことを知り、「俺もやってみようかな」と面接を受け、働き出すようになったのです。
2012年に非常勤職員として働き始め、転職翌年の2013年4月に常勤職員となったころから勤務態度は非常に悪化・何度も面談を重ねられていました。
- 常勤職員となった初日に刺青を見せつけるようにTシャツで出勤。職員から刺青を見せないよう指導されるも無視、むしろ更に露出したTシャツを着用するなど反抗的な態度を取る
- 入所者に対する暴力、暴言。
「障害者は死んだ方がいい、生きる価値がない」というような発言を同僚にし、注意される
初めは入所者を「かわいい」と友人らに話していたようですが、何が植松聖の心境の変化に影響を与えてしまったのでしょうか。
植松聖はイルミナティカードに傾倒してた?
植松聖の異常な思想は、イルミナティカードに影響されていたのではないか?という説があります。
イルミナティカードとは、1982年に発売されたカードゲーム。
秘密結社イルミナティをゲーム化したものであり、カードに描かれたイラストが、後の重大事件を予言している、として話題になった。予言しているとされる主な例として、アメリカ同時多発テロや大統領選におけるドナルド・トランプの勝利、COVID-19のパンデミックなど様々な陰謀論が生じた。
引用元:Wikipedia
この説に関しては裁判の供述からと、植松聖が衆議院議長に宛てた過激な手紙に、イルミナティカードの複写が入っていたということも後に発覚しています。
裁判において、イルミナティカードについて
「ネットやテレビ番組で見た」
「日本が滅びると書いてあった」
「9.11、ビットコイン、トランプ大統領、世界情勢のことが書かれており実際に起きた」「真実が書かれている」
「日本が滅びる」のを防ぐために「社会貢献として重度障害者を殺した」と話しています。引用元:文春オンライン
イルミナティカードについては世界中で様々な考察がされていますがあくまで都市伝説レベルであり、鵜呑みにしていた植松聖はある意味、異常なまでに純粋だったのかもしれません。
植松聖は事件前に精神病院に入院してた?
やまゆり園で勤務していた2015年ごろから「宇宙からテレパシーが来る」といった妄言や右翼的思想の過激発言が目立つようになり、衆院議長宛て・ひいては安倍元首相宛てに犯行予告を書いた手紙を持ち込んでいます。(以下抜粋)
この手紙を手にとって頂き本当にありがとうございます。
私は障害者総勢470名を抹殺することができます。
障害者は不幸を作ることしかできません。作戦内密
職員の少ない夜勤に決行致します。重複障害者が多く在籍している2つの園を標的とします。
2つの園260名を抹殺した後は自首します。日本国と世界平和の為に何卒よろしくお願い致します。
想像を絶する激務の中大変恐縮ではございますが、安倍晋三様にご相談頂けることを切に願っております。引用元:ニュース速報 Japan
恐ろしい、狂っているとしか思えない手紙ですね。
その後2016年2月、植松聖はやまゆり園を辞職しています。
自己都合とされていますが、実質は数々の問題行動からクビにされたというのが正しいでしょう。
「障害者を殺す」といった発言も出ていたことから、やまゆり園の職員は警察に「植松聖には他害の恐れがある」と通報、警察の面談や医師らとの協議の結果、精神病院への緊急措置入院が決定します。
入院時の尿検査と血液検査により大麻への陽性反応が検出され、大麻精神病であるとの診断を受けます。
植松聖はそのまま入院となりますが、医師が問題ないと判断し、2週間程で退院してしまっています。
植松聖が事件決行日を急遽変更した理由は?
元々植松聖が決行予定日としていたのは、10月1日だったようです。
これはイルミナティカードで聖なる数字とされる「1001」に倣ったようですが、直前に変更しています。
事件の年の7月26日に知人と会った際に「自分が狙われている」と感じたため、犯行を前倒しにしたというのです。
前倒しした背景としては、大麻の合法化を提唱している自分(植松聖)→自分は大麻を資金源にしている暴力団から狙われている→暴力団に殺される前に決行しなければ、という思い込みからのようです。
完全なる被害妄想といえますが、統合失調症において「殺される」といった被害妄想の症状が特徴的ですので、植松聖の精神は完全に崩壊していたのでしょう。
植松聖は死刑?45人殺傷は戦後最大?
植松聖の大麻精神病による心神喪失状態の有無が争点となった裁判でしたが、2020年3月31日に死刑判決を言い渡されており、植松聖は死刑囚として服役中です。
大量殺人を企てた植松聖によって、事件発生当時の日本における殺人の犠牲者数記録を塗り替えることとなってしまいました。
相模原障害者施設やまゆり園殺傷事件とは?
ここで改めて事件の概要を振り返りましょう。
「相模原障害者施設殺傷事件」は通称、「やまゆり園事件」「津久井やまゆり園事件」とも呼ばれています。
この事件の発生は2016年7月26日午前2時ごろ、やまゆり園の東居住棟「はなホーム」の101号室から始まります。
元職員である植松聖(犯行当時26歳)はハンマーで窓を割り施設に侵入、その場にいた園の職員をナイフで脅し結束バンドで拘束します。
拘束したまま職員と共に入所者の前に行き、「こいつは喋れるのか?」と質問していき、職員が「喋れない」と答えた入所者を、次々とあらかじめ用意していた包丁やナイフで刺していったのです。
植松聖は犯行直後にTwitterを更新していた?
植松聖の凶行は、一部屋ずつ、およそ50分間に渡り続きます。
その後午前2時40分ごろに職員が通報・植松聖は逃走するも、犯行同日の午前3時ごろに神奈川県警津久井警察署に出頭します。
午前4時半ごろ殺人未遂および建造物侵入の疑いで逮捕され、次々と事件の詳細が明るみに出ます。
なんと犯行直後に植松聖は、自身のTwitterを更新しています(※現在アカウントは凍結されています)。
自撮り写真と共に「世界が平和になりますように。beautiful Japan!!!!!!」と投稿していたのですが、まるで自身が正義のヒーローだとでも思っていたのでしょうか。
45人殺傷は戦後最大の数で植松聖は死刑確定?
結果的に45人が殺傷されたこの事件ですが、うち19名が殺害されており、この人数は事件が起きた2016年7月当時において戦後最大の犠牲者数です。
痛ましい話ですが、事件後の2019年7月に「京アニ事件」により36名が死亡したことでこの記録は更新されてしまっています。
植松聖は緊急逮捕後、2020年3月31日、死刑判決が確定しています。
植松聖は謝罪で指を噛み切った?
2020年1月8日の初公判で、植松聖は奇行を起こします。
冒頭で起訴内容を認めたものの、その後「うゔゔゔゔ〜」と唸りながら口元を両手で抑えようと暴れ出したため、裁判は一時中断となります。
植松聖は口の中に指を突っ込み、小指を噛んでいたのです。
警備員が4人がかりで取り押さえたものの、その間も植松聖は唸り続け、植松聖が不在の状態で裁判は再開されたのですが、とうとう翌日に拘置所内で小指を噛みちぎったのです。
噛み切った理由を植松聖は「謝罪のため」と述べていますが、もしかしたらヤクザでのけじめを表す「小指を差し出す」行為を模倣したのではないでしょうか。
やまゆり園の事件はヘイトクライム?
やまゆり園事件は、障害者への偏った思想「ヘイトクライム」から引き起こされた事件だと言えます。
ヘイトクライム(英語hate crime、憎悪犯罪)とは、人種、民族、宗教、性的指向などに係る、特定の属性を持つ個人や集団に対する偏見や憎悪が元で引き起こされる、嫌がらせ、脅迫、暴行等の犯罪行為を指す。
引用元:Wikipedia
植松聖のヘイトの対象は障害者であり、自分が何者かもわからない彼らは不幸である・生きていても仕方がない、社会に迷惑をかけるだけなので殺してもよいという思考から、大量殺人に至ったのです。
なんて身勝手な思考回路でしょう。
植松聖は反省していない?事件後の手記や手紙とは?
事件から時間がたった今も、植松聖は反省していないと厳しく非難されています。
植松聖は事件後も重い所以外のある方を「心失者」という造語で呼んでおり、「障害者はいなくなるべき」「障害者は人間ではない」という考えを曲げていません。
植松聖は重度障害を抱えた方を「心失者」というくだらない造語で呼び、社会に不要な存在と断じて凶行に及んだが、死刑判決を受けた今も一切自説を曲げず、反省していない。
その反面、植松に真摯に向き合った様々な方が、ほとんど崇高とも言える認識に基づいてこれからの課題を語る。心から尊敬するが— 七尾旅人 (@tavito_net) March 24, 2020
裁判で植松聖からの謝罪の言葉は無し?
植松聖は裁判の場から一貫して、自らの罪に対し反省の言葉を口にしていません。
被告人質問として出廷した遺族の方や裁判を傍聴した方からも、落胆や悲観の声が上がりました。
「被告には法廷で『間違えたことをした』と言って欲しかったが、最後までかたくなに考えを変えなかった」
「被告の一挙手一投足から少しでも謝罪の気持ちや反省が見えればと思ってすべての裁判を傍聴しましたが、まったくそれが見られずとてもがっかりしています」
「『障害者は人ではない』という植松被告の主張に、裁判所は踏み込んで判断することを避けるしかなかったのではないか」
また、控訴を取り下げた理由についても、「この事件って面倒くさいじゃないですか。うん、この事件は面倒くさいなとつくづく思います」と他人事かのような発言をしているのです。
障害者のお子さんを持つ親にも手紙を送った?
植松聖は事件後に、数々の手記と手紙を書いています。
それは報道関係者のみならず自分を批判した相手にも発信していたようで、最首さんという重度の身体障害者をお子さんに持つ、統合失調症の予後の作業所の大家さんをしている方にも手紙を送っています。
国債(借金)を使い続け、生産能力の無い者を支援することはできませんが、どのような問題解決を考えていますか?
自分が糞尿を漏らし、ドロドロの飯を流され、ベット(ママ)に縛られる生活でも、周りに多大な迷惑をかけ続けても生きていたいと考えていますか?
人間として生きるためには、人間として死ぬ必要があります。
引用:文藝春秋digital
最首さんは事件当初より新聞記者から取材を受けており、「この事件は他人事じゃない」「(植松聖を)八つ裂きにしてやりたい」とコメントしていたため手紙が送られてきたのだろう、と推測しています。
植松聖にとって障害者への徹底した差別思想は恐らく変わることが無いのでしょう。
【最新】植松聖は死刑確定後も彫り師修行中?4月には再審請求も?
植松聖の刺青への執着は大学時代から強いものがありましたが、彼自身の絵の才能と相まって、服役してからも獄中でイラストを描いています。
植松聖被告から送られてきた手紙やイラスト
引用元:神奈川新聞 カナロコ
植松聖被告から送られてきたイラスト。彼の目に映った「心失者」を表現したといい、周囲に飛び散っているものは「薬」という
引用元:神奈川新聞 カナロコ
神奈川新聞社に向けて時折送ってくるようですが、現在も自身の体に彫ることを諦めていないのでしょうか。
上手いながらも不気味さと彼の異常性を感じさせるイラストですね。
植松聖の絵がすごい?彫り師として修行経験も!
植松聖はやまゆり園で勤務していた2015年6月頃にある有名彫り師に突如弟子入りし、彫り師を目指していたこともあったようです。
しかし、「施設の障害者を殺したい」など危険な発言が目立つようになり、違法薬物の使用も疑われたため、2015年末ごろに彫り師によって破門されています。
植松聖に”万引き家族”等で有名な是枝監督が面会してた?
万引き家族で有名な映画監督・是枝裕和さんが、植松聖に面会していたということが、2022年6月にNHKで放映された番組にて明らかになります。
ちょうど映画ベイビー・ブローカーが話題となっている最中で、こう述べています。
最新作のその映画で命との向きあい方を描いた是枝監督が、そのテーマに取り組むことになった経緯を尋ねられてこう話したのだ。
「相模原事件の被告に会いに行って話したことも大きかったですね。生きるに値しない命があるのか。何か前提が崩れてきている気がします」
「いろんなものが効率で考えられるようになった。役に立つか立たないかが命の基準に関しても適用されるようになっている気がして、それに抗いたいという思いもありました」
引用元:Yahoo!JAPANニュース
人の生きざまや複雑な人間模様について表現するために、面会には是枝監督なりの意図があったのかもしれませんね。
植松聖が死刑確定から2年後に再審請求?
2020年3月31日の死刑判決確定後、2022年4月1日に植松聖が再審の請求・裁判のやり直しを求めていることが発覚します。
死刑の求刑時には弁護人の控訴を植松聖自身が取り下げた経緯もあるというのに、なぜ今更?と思う方も多いでしょう。
再審請求した理由については、「植松聖は外部の人間と会いたがっている」「自分の主張をしたがっている」といった憶測が飛び交いますが、真意は不明です。
2022年12月現在、再審開始決定の可否についてはまだ情報は無く、続報待ちとなります。
【やまゆり園事件】植松聖が指を噛み切って謝罪?45人殺傷は戦後最大?まとめ
やまゆり園事件について植松聖の生い立ちや行動と共に見ていきましたが、いかがでしたでしょうか。
独りよがりで異常思考を持つ植松聖が引き起こした凶行は、多大なる犠牲と世間に大きな衝撃を与えました。
やまゆり園事件は再審請求されたことで裁判の決着がまだ見えない状況ですので、今後の植松聖の言動と裁判の行方にも注目されます。
植松聖からの謝罪の言葉を聞ける日は果たして来るのでしょうか。