人民寺院の集団自決画像がヤバすぎる!?検索してはいけない理由とは?怖すぎ?

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1978年、カルト団体「人民寺院」の信者918人が命を落とすという事件が起きました。

驚くべきことに信者たちの集団自決によるものでした。

人民寺院はどのような団体で、何を目的に集団自決が行われたのでしょうか。

人民寺院の集団自決事件を徹底解剖します。

人民寺院は検索してはいけない?衝撃的な正体とは?!

人民寺院は「検索してはいけない言葉」のひとつです。

なぜなら集団自決画像が出回っているためです。

ネット上でも、その恐ろしさを感じたユーザーの声が多数見られます。

人民寺院とはどのような団体で、なぜ大量の犠牲者を出すに至ったのでしょうか。

人民寺院の集団自決事件について詳しく見ていきましょう。

人民寺院とは?

人民寺院はジム・ジョーンズが開いたカルト宗教です。

上の画像は人民寺院のマークです。

1955年、アメリカインディアナ州のインディアナポリスで創設されました。

社会主義キリスト教系の団体で、正式名称はピープルズ・テンプル・オヴ・ザ・ディサイプルス・オヴ・クライスト(英語: Peoples Temple of the Disciples of Christ)です。

ジョーンズはキリスト教と社会主義的な考え方を組み合わせ、人種平等を訴えました。

1950年代のアメリカは、第二次世界大戦後の好景気で変化の真っ只中です。

中流階級が台頭し、経済が大きく発展を遂げました。

ただそれは白人社会に限ったことで、アフリカ系アメリカ人は変わらず差別の対象であり、貧しい暮らしを強いられていました。

1865年の南北戦争が終結した際、奴隷制は廃止され「法の下の平等」が定められます。

しかし実際には、異人種間の結婚が禁止されたりジム・クロウ制度という人種分離制度がありました。


住む場所や学校、墓地といったあらゆる施設は白人用とアフリカ系アメリカ人用に分けられていました。

上のツイートの看板では、「白人」と「それ以外の人々」というように場所が分けられていることがわかります。

そんな社会的背景があり、ジョーンズは人種平等を唱えたのです。

人民寺院の歴史

人民寺院は共産主義の考えに魅了されていたジム・ジョーンズによって作られました。

ジョーンズはアイルランド系の移民の子で、貧しい生活を送っていました。

水道のない小屋で育ったと言われています。

少年時代から変わった子供だったようで、小動物や猫を自らの手で殺し、葬儀を挙げる姿も目撃され、周りからは「宗教や死に憑りつかれていた」と言われていました。

自分自身がアメリカ社会から疎外されてると感じたジョーンズは同じようにアメリカ社会で抑圧されているアフリカ系アメリカ人に共感を抱くようになります。

そんな背景から社会主義に興味を持ったジョーンズは、教会に潜入し、自らの思想を広めることを決めました。

心霊治療で資金集め

ジョーンズはメソジストの教区長の協力により、1952年に学生牧師としてソマーセット・サウスサイド・メソジスト教会に所属しました。

しかし、集会にアフリカ系アメリカ人達を参加させることを禁止され、不満を募らせます。

またこの時期にアメリカ全土で行われていた赤狩り(共産主義者の追放)についても強いストレスを感じる様になり、約2年で牧師を辞めています。

1954年、ジョーンズはインディアナポリスのレンタルスペースでコミュニティ・ユニティ・チャーチ(英語: Community Unity Church)という自身の教会を立ち上げました。

これは人民寺院の前身となる教会です。

人民寺院はツイートのように人々の不安につけ込み心霊治療を行いながら、少しずつ信者を増やして行きます。

1956年には教会となる建物を購入しました。

この教会はウィングス・オヴ・デリヴァランス(英語: Wings of Deliverance)と名付けられ、同年の終わりにピープルズ・テンプル・フル・ゴスペル・チャーチ(英語: Peoples Temple Full Gospel Church)と改名しました。

人民寺院は平等主義を強調しており、恵まれない人々の避難所を作ったり炊き出しを行い、アフリカ系アメリカ人の信者を多く集めます。

人民寺院信者に占めるアフリカ系アメリカ人の信者の割合は、50%近くまで上がったといいます。

その後しばらくすると、当時流行していたヒッピー精神や反戦活動に当てられたのか、ジョーンズは迷走を始めます。

カリフォルニアに移転し思想が過激化

「世界は間もなく核戦争で滅ぶ。無事で済むのは、カリフォルニア州ユカイアと、ブラジルのベロオリゾンテだけだ」

というお告げが下りたのをきっかけに、人民寺院はカリフォルニアに移転しました。

カリフォルニアに移ると、差別解消、人種融和、貧富の格差解消という崇高な思想や福祉活動(その実態はインチキな心霊治療)で支持を集め、広く存在が知られるようになりました。

人民寺院の布教用大型バスでアメリカ全土を駆け回ってさらに信者を獲得していきます。

順調に信者を増やして行く中で、ジョーンズの迷走はますます進んでしまいます。

ジョーンズはそれまで掲げていた聖書と決別し、独自のユートピア構想を説くようになりました。

1970年になると「寺院に全財産とこれからの人生を捧げること」「寺院の外は悪の世界であり、寺院の中にのみ救いがある」と教えを改めます。

このあたりで、信者たちは人民寺院に疑問をいだき始めます。

差別の撤廃を解きながら人民寺院の幹部はすべて白人でしたし、色狂いのジョーンズのためのハーレムも作られていました。

次第に人民寺院を去っていく者も増え、ジョーンズは焦ります。

ジョーンズは自治体やマスコミを過剰に敵視・警戒しており、興奮剤や精神安定剤を乱用していました。

精神的に不安定になり、海外に新天地を求めることになります。

ジョーンズタウンを構築

1973年、ジョーンズは熱狂的な信者1000人ほどを引き連れ、南アメリカ大陸のガイアナ共和国へと人民寺院の本拠地を移しました。

ガイアナ共和国が人民寺院の移転先として選ばれたのは、ガイアナ共和国が社会主義国家であり、南米で唯一英語が公用語であるためです。

人民寺院はガイアナ共和国こそ、教団のアフリカ系アメリカ人信者たちが平和に暮らせる楽園であるとみなしていました。

上の画像はジョーンズタウン入り口の様子です。

人民寺院が豊富な資金で買い取った土地は東京ドーム3個分の広さでした。

人民寺院の信者たちは、自分たちの手で土地を開拓し、ひとつの街を作り上げていきます。

「ジョーンズタウン」と呼ばれた街は、外界とは完全に隔絶していました。

これがジョーンズタウン内部の様子です。

簡素な小屋が並んでいます。

人民寺院の信者たちは、ラジオやテレビといった外部の情報に触れることが許されませんでした。

信者たちは楽園どころか、強制労働や性的搾取といった劣悪な環境に閉じ込められてしまったのです。

衝撃的?!教祖が目指していた目標とは?

ジョーンズが当初志していたのは差別解消、人種融和、貧富の格差解消という崇高な思想でした。

好景気に沸く白人至上主義のアメリカで、アフリカ系アメリカ人への差別や貧富の差をなくすことを目標に活動していましたが、いつしかジョーンズの目標は人民寺院を拡大することになっていきます。

思想が過激化するにつれ、財産と生活を教団にささげることや体をジョーンズに捧げることを教えの中に盛り込んでいきました。

「自分と信者の魂は別の惑星でひとつになり、永遠の幸福を手に入れる」という目標はジョーンズの独りよがりな思考そのものでした。

人民寺院の集団自決とかいうクッソ怖い事件がやばい?!

人民寺院の集団自決が起こったのは1978年11月18日のことです。

ガイアナ共和国のジョーンズタウンで人民寺院の信者900人以上が死亡し、さらに同日、アメリカ本土でも死者を出す結果になりました。

ジョーンズタウンでの惨劇は、2001年にアメリカ同時多発テロ事件が発生するまで、アメリカ国内で最多の被害者数を記録した事件でした。

人民寺院の集団自決事件は「ガイアナ人民寺院の悲劇」「クッソ怖い事件」として世界中を震え上がらせました。

町に閉じ込められた信者が自殺予行演習?!

前述の通り、人民寺院の信者たちは外界の情報から遮断された生活を送っていました。

人民寺院はジョーンズタウンは社会主義の楽園であり、邪悪な外界から信者を守るという名目で信者が外に出ることを絶対に許しませんでした。

ジョーンズは人民寺院の幹部を使い、脱出を企てる信者たちを牽制していました。

ときには偽の襲撃を行い、外が危険であることを教え込んだのです。

また、ジョーンズは信者たちにたびたび集団自殺の予行演習を行わせていました。

服毒の練習を行い、信者たちの感覚を麻痺させていたのです。

死は邪悪な世界から解放され、自由になるための手段であるとジョーンズは考えていました。

悪評高くなった人民寺院のした事とは?


人民寺院の悪評は、当初遠く離れたアメリカの人々には伝わりませんでした。

ジョーンズタウンの情報が外部に漏れることはほとんどなく、アメリカに残った支部ではこれまで通り福祉活動が続けられていたためです。

しかし数年も経つと、ジョーンズタウンがけっして楽園ではないことが世間に知れ渡ります。

元信者の告発や肉親を返してほしいと言う信者の家族による訴えが多くなり、アメリカ国民は人民寺院を軽蔑的な眼差しで見つめるようになりました。

人民寺院はこれ以上脱走者を出すまいと、厳しく取り締まるようになります。

脱走を試みた人はひどい暴行を受けました。

さらなる恐怖で人々をがんじがらめにしたのです。

視察に来た議員に悪事が露見

1978年、カリフォルニアの下院議員レオ・ライアンが報道記者団を引き連れてジョーンズタウンの視察に乗り出します。

悪評がアメリカ本土に届いたため、人民寺院の様子を見に行くことになったのです。

人民寺院の幹部たちはライアン議員の滞在中、悪行を隠すことに心血を注ぎました。

その甲斐あって当初ライアン議員は「合衆国で聞かされた元信者の言葉を鵜呑みにし、諸君らを誤解していたようだ」とジョーンズや人民寺院を高く評価していました。

しかし脱出を希望する信者に「出してくれ」というメモを渡され、ジョーンズタウンが異常な場所であることに気がつきます。

ライアン議員は自身の帰国に合わせて希望者を連れて帰りたいとジョーンズに頼みました。

ジョーンズはライアン議員とともに帰国する信者の中に密かにスパイを送り込みました。

チャーター機に乗り込んだ際、ジョーンズのスパイはライアンを含む視察団のメンバーを射殺してしまいます。

元信者11人も重傷を負いました。

この襲撃によりライアン議員と3人のジャーナリスト、1人の元信者が殺されました。

この襲撃は映像に残されており、撮影していたカメラマンは至近距離から頭部を撃ち抜かれて即死しています。

その後もカメラは回り続け、トラクターから降りた信者たちが襲撃する様子が映されています。

かなり衝撃な映像で、ネットユーザーからは怖すぎるという声が上がっています。

この事件により、ジョーンズタウンの実態が広くアメリカ全土に知れ渡ってしまいます。

人民寺院の集団自決の画像がヤバい?自殺理由とは?


視察団の抹殺に失敗したことで、ジョーンズタウンや人民寺院の存続が不可能な状況に陥ってしまいました。

後に退けなくなったジョーンズはその日のうちにかねてよりリハーサルを重ねていた集団自殺を実行に移すことにしました。

1978年11月18日夕方、ジョーンズはジョーンズタウンで集会を開き信者たちにシアン化合物を混ぜたぶどう味の飲み物を飲ませました。

シアン化合物はドラマや小説によく登場する青酸カリと同じ成分の劇薬です。

900人あまりの信者はシアン化合物を飲んだことで、一斉に死亡してしまいました。

長く閉鎖的な空間で過ごしていた信者たちは、疑問を持たずに劇薬を飲んでしまいました。

アメリカでは人民事件の集団自決から生まれたスラングがあるほどです。

ネットで人民寺院を検索すると、集団自決の画像が出てきます。

地面を覆い尽くすほどたくさんの遺体が横たわっている画像です。

信じられない数の遺体が出てくるので、閲覧注意です。

人民寺院集団自決事件により、ジョーンズタウンで暮らしていた信者のうち約9割に当たる914人が死亡しました。

そのうち267人は18歳以下の子供です。

自力で飲み物を飲めない赤ちゃんや子供には、大人の手でシアン化合物が注射されたといいます。

抵抗したり逃げだそうとした人もいましたが、射殺されたり無理やり注射を打たれました。

ジョーンズは信者達が次々と命を絶っていくのを見守った後、銃で自らの頭を撃って自殺しました。

ジョーンズは自らの理想が貫けないことを悟り、信者を巻き込んで死んだのです。

ガイアナ国防軍が駐在大使から要請を受け駆けつけたときにはすべてが終わっていました。

約900人の老若男女が折り重なって死んでいる映像は全世界に公開され、世界中の人々に衝撃を与えました。

人民寺院の衝撃の「死のテープ」の内容とは?生き残りはいる?

事件後、集団自決の音声を録音した「死のテープ」が発見されています。

テープ内容は人民寺院最後の集会で、ジョーンズが演説を続ける様子を収めたものです。

40分以上に渡る音源の中には「誇り高く威厳を保って死ね」などの言葉がありました。

動画サイトで実際の音声を聞くことが可能です。

多数の犠牲者を出した人民寺院事件ですが、集団自決から生き延びた人もいます。

こっそり脱出に成功した人や死んだふりをして助かった人がおり、彼らの証言により人民寺院の実態が明らかになったのです。

人民寺院の集団自決後も複数の事件が?!

人民寺院も集団自決事件の後も人民寺院は様々な事件を起こしています。

人民寺院の信者マイケル・プロークスはソビエト連邦共和党に人民寺院の財産を詰めたスーツケースを運ぶ命令を受けていました。

プロークスは集団自決事件の4ヶ月後に自殺しています。

また、人民寺院信者のパウラ・アダムスは、ガイアナのアメリカ合衆国大使ローレンス・ボニー・マンと結婚しますが1983年10月24日、ボニー・マンはアダムスと子供を射殺し、自らも命を絶ちました。

教団離反者の中には教団に残っていた家族を失った経験を持つ人も多く、仲間や家族を救い出せなかった苦悩に苛まれ続けました。

集団自決事件後、生き残りの信者の多くが精神を病み、自殺の道を選んでいます。

人民寺院の集団自決後も同様な事件が発生?!

人民寺院の集団自決事件は新宗教が破滅的なものであるという認識を人々に与えました。

集団自決事件により「カルト」という単語が世界的に知られるようになりました。

人民寺院のようなカリスマ的指導者が信者を導き犯罪行為を行う反社会的な教団は他にもあり、とくに信者の大量殺戮が行われたのは以下の教団です。

  • ブランチ・ダビディアン
  • 太陽寺院
  • オウム真理教
  • ヘヴンズ・ゲート
  • 神の十戒復古運動

神の十戒復古運動では最終的な死者は925人に上り、ガイアナ人民寺院の悲劇の死者を上回る被害となっています。

神の十戒復古運動

神の十戒復古運動(英語: the Movement for the Restoration of the Ten Commandments of God)とは、クレドニア・ムウェリンデ、ジョセフ・キブウェテーレらによってウガンダで創始されたキリスト教系新宗教です。

ローマ・カトリック教会から分派したもので、1980年代末期からキブウェテーレら5人の指導者によって運動が行われました。

神の十戒復古運動が起こった当時、ウガンダは政治的にも社会的にも混乱していました。

イディ・アミン元帥による独裁政治やAIDSパンデミックなどにより、国民は悲観的、宿命論的な価値観に支配されていきます。

既存のローマ・カトリック教会は勢力を失いつつありました。

そんな中で現れた神の十戒復古運動の目的は、モーセの十戒とイエス・キリストの説教への絶対的な服従でした。

黙示による終末から逃れるためには、これらの戒律を厳しく守っていく必要があると説いたのです。

2000年、神の十戒復古運動の信者の大半が大規模な火災や毒殺によって命を落としました。

事件を知った人々の脳裏にはすぐにガイアナ人民寺院の悲劇が思い浮かんだことでしょう。

神の十戒復古運動は集団自殺ではなく大量殺人事件?!

当初、神の神の十戒復古運動の信者大量死は人民寺院の事件と同じく集団自決と見られていました。

しかし実態は、教団幹部による大量殺戮であることがわかっています。

終末の日であるとされた2000年3月17日、教団はカヌングの教団本部で大規模な集会を開きました。

信者たちが集会に到着してから数分後、教団本部の建物が爆発しました。

この爆発火災で数十人の子供を含む530人の参加者全員が死亡したといいます。

建物の窓と扉は人々が逃げることが出来ないよう、予め板張りがなされていました。

ネットユーザーからも、神の十戒復古運動は恐ろしさいという声が上がっています。

信仰のために集団自決をしたジョーンズタウンの人々とは違い、こちらは突然命を奪われたわけですから、その凄惨さたるや。

爆発の数日前にはリーダーのひとりであるドミニク・カタリバーボによって、着火用の硫酸50リットルが購入されたことがわかっています。

ジョセフ・キブウェテーレ、ジョセフ・カサプラリ、ジョン・カマガラ、ドミニク・カタリバーボ、そしてクレドニア・ムウェリンデら5人のローダーは、火災の中で死亡したとされています。

警察による司法解剖の結果、信者たちは火災で亡くなったのではなく、毒により命を落としたことがわかっています。

爆発事件の数日後には、警察の捜索でウガンダ南部の様々な場所で数百にも上る遺体が発見されました。

  • カヌングの白人居住地:6体
  • ブフネイジの白人居住地:153体
  • ルガジのドミニク・カタリバーボの所有地:155体
  • ジョセフ・ニュムリンダの農場:81体

これらの遺体は爆発事件の3週間ほど前に毒殺もしくは刺殺されたものでした。

すべての遺体を合わせると925体となり、918人の被害を出したガイアナ人民寺院の悲劇を上回ります。

【ガイアナ人民寺院の悲劇】人民寺院が映画化!

人民寺院による集団自決事件は、過去に2回映画化されています。

  • 1980年:「ガイアナ人民寺院の悲劇」パナマ、スペイン、メキシコによる共同制作
  • 2013年:「サクラメント 死の楽園」アメリカ制作

さらに2021年には新たな映画制作の話も報道されました。

教祖であるジョーンズ役にオスカー俳優レオナルド・ディカプリオを起用した「ジム・ジョーンズ(原題:Jim Jones)」が制作される見通しです。

【画像あり】人民寺院の集団自決がやばい?生き残りはいるのか?事件の真相に迫る!まとめ

カルト教団の代名詞と言われる人民寺院についてまとめました。

人民寺院が検索してはいけない言葉と言われるのは、集団自決の画像や映像が出回っているためです。

視察に訪れていた議員を襲撃する瞬間の映像集団自決最中の音声が収録されている死のテープは、大きな衝撃を与える内容です。

人々が自ら毒を飲むとは信じ難いことです。

しかし、人種差別が横行し貧富の差が大きいアメリカの社会的背景から「楽園」という言葉に縋りたかった人を簡単には非難できません。

差別や貧困が亡くならない限り、カルト教団は現れ続けるのではないでしょうか。