【残虐すぎる】集団リンチ殺人・東尋坊事件とは?酷すぎる監禁と暴行の内容

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世界から見ると治安が良いと言われる日本ですが、それでも凶悪な事件はたびたび起こっています。

2019年に起こった東尋坊事件もそのうちの1件で、そのあまりにも残酷な内容は世間に衝撃を与えました。

中には、話を聞いただけでも気分が悪くなってしまう人もいるようです。

では、その東尋坊事件とは、一体どのような事件だったのでしょうか?

東尋坊事件の経緯とは?

東尋坊事件は2019年に起こった事件で、その残酷さで世間に衝撃を与えました。

では、その東尋坊事件はどのような事件だったのでしょうか?

まずは、事件の経緯を確認してみましょう。

(※近年では忘れられる権利が重要視されています。そのため、本記事では被害者と加害者の名前は伏せ、事件の内容が主体となっています。)

友人とのトラブル

被害者は主犯格の犯人Aとは、もともと知り合いで行動も共にしていました。

しかし、少年Aがトラブルに遭って相手から暴行を受けた際に、被害者が助けなかったことをきっかけに2人の間にわだかまりができました。

また、その後に被害者は暴力団関係者とトラブルになり、そのトラブルに少年Aも巻き込まれます。

これらのことが積み重なり、少年Aは被害者に対して怒りの感情を持つようになりました。

最初の暴行

暴力団関係者とトラブルがあった翌日、被害者は少年Aと少年B、少年Bと交際していた女性Aの3人でカラオケに行きます。

これまでの怒りがあり、少年Aはスパーリングと称して被害者への暴行が始まります。

また、暴力団関係者とトラブルには女性Gも巻き込まれていました。

そのことを知った少年Bも被害者の暴行に加わります。

暴行は場所を変えながら長期に渡って続き、少年C・少年D・少年E・少年Fと時間と共に暴行を加える人数が増えていきました。

最終的に被害者は4日間も暴行を受けることになります。

病院での受診

少年Aが交際していた女性Bから暴行をやめるように言われたことで、被害者への暴行は終わります。

その後、被害者が病院に行くと、これまでの暴行で肋骨を骨折していました。

このとき、犯人グループから怪我の原因を口止めされていたので、被害者は病院や警察に助けを求めることができませんでした。

暴行再開のきっかけ

被害者への暴行はひとまず収まります。

しかし、後日に被害者がトラブルになっている暴力団関係者と電話でやりとりした際に、少年Aの情報を与えてしまいます。

このことに少年Aは怒り、少年B・少年D・少年E・少年Fの5人で、再び被害者への暴行が始まりました。

暴行を続けるうちに人の目を心配した犯人グループは、場所を移動します。

その移動中に少年C・少年Fも合流し、移動後も暴行は続きました。

最終的に犯人グループらは被害者を自殺させようとして、河にかけられた橋に移動します。

このとき、被害者は橋からの飛び降りを拒否したことで、少年Aの家に戻ることになりました。

警察への通報

家に戻ってからは少年A・少年D・少年Eからの暴行が続きました。

数時間後、少年C・B少年C・少年Fが再び合流します。

また、このとき犯人グループで唯一の成人(当時39歳)であった男性Aも暴行に加わります。

他にも少年Aの知人が呼ばれていました。

その知人は被害者の状況を見て、警察に通報します。

通報を受けて犯人グループらのもとに警察が駆けつけましたが、被害者は車に乗せられていてました。

そのため、警察は被害者を見つけられませんでした。

事件発覚への焦り

被害者は見つかりませんでしたが、警察が来たことで犯人グループは事件発覚を恐れて焦り始めます。

ひとまず被害者を少年Bの家に移動させることになり、そこでも被害者は暴行を受けました。

また、被害者の今後をどうするかも議論されました。

しかし、結論は出ず、同じ場所に留まることを危険と判断した犯人グループは再び被害者を連れて移動します。

移動しながら話し合った結果、犯人グループは被害者を東尋坊から自殺に見せかけて殺害する決断をしました。

東尋坊に移動

東尋坊に連れてこられた被害者は、犯人グループから自ら崖から飛び降りるように迫られます。

長期の暴行によって肉体と精神が限界状態であった被害者は、抵抗の意思を見せずに崖から飛び降りたそうです。

被害者は崖下で頭を強打して、脳挫滅によって命を落としました。

事件の結末

被害者を見つけられなかった警察は、その後も犯人グループを追っていました。

犯行後の犯人グループはサービスエリアで警察に見つかり、監禁容疑で少年A~少年Fと男性Aの7人は逮捕されます。

また、被害者の遺体は翌日の早朝に海で浮かんでいるところを発見されます。

その後、犯人グループは裁判で少年らはそれぞれ懲役6年~19年男性Aは懲役10年の実刑判決を受けました。

ただし、この判決を不服として男性Aは控訴しました。

事件後の被害者の状態は?

被害者は長期に渡って暴行を受け続けました。

そのため、遺体は悲惨な状態だったと言われています。

では、被害者は最終的にどのような状態だったのでしょうか?

被害者の葬式

被害者は長期に渡って暴行を受け続けました。

そのため、顔の原型を留めていなかったと言われています。

あまりにも酷い状態であったことから、葬式では最後のお別れのときも友人たちに被害者の顔は見せなかったそうです。

被害者が受けた暴行

被害者の遺体は、顔の原型を留めておらず、体にも複数の外傷が見られ、酷い状態だったそうです。

犯人グループの取り調べによって、被害者に対して行われてきたその残酷な暴行の内容が明らかになりました。

  • 火のついたタバコを鼻に入れる
  • ハンマーで指を砕く
  • ハンマーで歯を抜く
  • 電動ドライバーを口内で作動させる
  • 車で足を轢く
  • 背中や手を焼く

これらが殴る・蹴るなどの暴力に加えて行われていたと言われています。

事件が報道されると、その悲惨さから世間には大きな衝撃が与えられました。

なぜ暴行はエスカレートしたのか?

被害者への暴行が始まったきっかけは、少年Aとのトラブルです。

しかし、最終的に暴行の理由は少年Aの怒りとは関係なくなり、トラブルとは無関係の人間まで暴行に加わるようになりました。

また、暴力はエスカレートして、ハンマーや火を使うなどの拷問のレベルにまで達しています。

最終的に被害者は顔も体もボロボロにされてしまいました。

このような暴力のエスカレートが進んだ理由として、犯人グループに集団心理が働いたと考える人もいるようです。

「みんながやっているから自分もやらないといけない」「自分だけ抜けると空気を読めない人と思われる」などと思ったことで、暴行を止めるきっかけを失ったと考えられています

また、「自分にはもっと酷いことができる」と、競争心を持ったことで暴行がエスカレートしたとも考えられているようです。

東尋坊事件の内容は悲惨すぎた

東尋坊事件は長期に渡って、監禁と暴行を受けた被害者が自殺に見せかけて殺害された事件です。

暴行を受け続けた被害者の顔は原型を留めていなかったと言われてます。

そのあまりにも悲惨すぎる内容は、世間に大きな衝撃を与えました。

少年犯罪を防止する取り組みはいろいろと行われていますが、その全てを防ぐことは難しいでしょう。

しかし、それらの取り組みによって、東尋坊事件のような凶悪事件が1件でも多く減ることを望むばかりです。

また、日本では他にもいろいろな凶悪事件が起こっています。

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