日本の小説家として世界的にも有名な三島由紀夫さん。
小説家としても知名度は抜群です。
亡くなって50年以上経っても色褪せない人物ですが、三島由紀夫さんの最後は無惨と言われています。
小説家としての知名度はあっても事件を起こしたことについて知らない方は多いのではないでしょうか!
胴体と三島由紀夫さんの首がバラバラなって死亡したと言われています。
有名な小説家に関する事件について興味のある方は多いでしょう。
ここでは胴体と三島由紀夫さんの首がバラバラになって死亡した事件について詳しく解説します。
三島由紀夫の胴体と首がバラバラに!?三島事件の詳細と遺体のその後は?
胴体と三島由紀夫さんの首がバラバラになったと言われています。
言葉だけで聞くとグロさも感じますが、なぜそのようなことに巻き込まれたのでしょうか。
ここでは胴体と三島由紀夫さん首がバラバラになった理由と遺体のその後についても解説します!
三島由紀夫の胴体と首がバラバラになった三島事件とは?
三島由紀夫は小説家として知られていますが、三島事件を起こしています。
胴体と三島由紀夫さんの首がバラバラになったと言われています。
三島事件は1970年に憲法9条の破棄のためにクーデターを起こした事件として語り継がれています。
凄惨な事件として大きな話題を呼びました!
事件経緯①三島由紀夫が仲間と市ヶ谷駐屯地を訪問
胴体と三島由紀夫の首がバラバラになった三島事件の経緯1つ目が三島由紀夫さんが仲間と市ヶ谷駐屯地を訪問したことが挙げられます。
三島由紀夫さんが訪問するのはあらかじめ予約をしていたそうで、総監室までスムーズに進めました。
三島由紀夫はは楯の会のメンバー4名と一緒に総監室に入ることになります。
表彰する為に連れてきたと嘘をついて総監と相対しました。
事件経緯②三島由紀夫らが総監を人質に立てこもる
胴体と三島由紀夫の首がバラバラになった三島事件の経緯2つ目が三島由紀夫が総監を人質に立てこもりました。
日本刀を総監に披露した三島由紀夫さん、それが合図となり同席したメンバーが総監を縛り上げました。
口を塞ぎ、猿ぐつわを噛ませて瞬時に短刀を突きつけました。
あまりのことに総監は最初冗談ではないかと困惑したようです。
事件経緯③助けに入った自衛官が負傷
胴体と三島由紀夫の首がバラバラになった三島事件の経緯3つ目が助けに入った自衛官が負傷したことです。
異変に気づいた自衛官は三島由紀夫さんメンバーとの乱闘が始まります。
総監の安全を考えての乱闘だったようですが、最終的に自衛隊員8人が負傷することになりました!
事件経緯④三島由紀夫が演説を開始
胴体と三島由紀夫の首がバラバラになった三島事件の経緯4つ目が三島由紀夫さんが演説を開始したことです。
三島由紀夫さんは総監を人質にとって自衛官を集めさせました。
バルコニーで三島由紀夫さんは自衛官に向かって拳を振り上げて演説を始めました。
その内容は日本を守るための本義に立ち返れという内容だったようです。
アメリカの軍隊になること、憲法を変えるなという内容でした。
マイクや拡張機を使わずに雄叫びのみで自身の思いを伝えた三島由紀夫さん、野次や罵詈雑言が多く全て聞き取れない状態だったようですね。
事件経緯⑤演説後に三島由紀夫は自決
胴体と三島由紀夫の首がバラバラになった三島事件の経緯5つ目が演説後に三島由紀夫さんは自決しました。
三島由紀夫さんは演説後に自身の声が響かなかったことを寂しく笑い、左脇腹に短刀を突き立てました。
切腹作法の真一文字で自らの腹を割いて自決しました!
その後でメンバーによって胴体と三島由紀夫の首を切断しました。
事件経緯⑥三島由紀夫に続いて森田必勝も自決
胴体と三島由紀夫の首がバラバラになった三島事件の経緯6つ目が三島由紀夫さんに続いて森田必勝さんも自決をしました。
三島由紀夫さんが自決した後、森田必勝さんも上着を脱いで、自ら切腹したようです。
仲間の介錯もあり、一太刀で三島由紀夫さんの遺体に隣り合う形で自決しました。
三島由紀夫が自決した理由は?最後の言葉も!
三島由紀夫さんが自決した理由は分かっていないようです。
三島由紀夫さんに限らず芸術家は完全主義や矛盾した側面などの偏りが強い傾向にあると言われています。
三島由紀夫さんは自決に至るプロセスに演説を組み入れたのではないかと言われてます。
三島由紀夫さんは究極の美を追求していることから若いうちに死ぬことで、年老いた三島由紀夫が残らないのではないかという考えだったのではないかと言われています。
実際に三島由紀夫さんが最後の言葉は演説を終えて切腹前にメンバーである古賀さんに時計を渡して言った「これをお前にやるよ」だったようです。
あまりに悲しい最後の言葉というのが分かりますよね!
三島由紀夫の首は胴体からなかなか取れなかった!?
胴体と三島由紀夫の首はなかなか取れなかったと言われています。
自らの腹を割いた三島由紀夫さんでしたが、仲間の介錯が上手くいかなかったようで、二太刀で頸部を振り下ろしましたが切断できなかったようです。
三太刀で介錯が成功して胴体と三島由紀夫さんの首が取れたと言われています。
三島由紀夫と森田必勝の首と胴体のその後は?
森田必勝さんと胴体と三島由紀夫さんの首はそれぞれビニール袋に入れられたようです。
胴体は柩に収められて牛込署内に安置されることになりました。
その後に検診が行われて頸部割創による離断が死因という結果になりました。
三島由紀夫が事件を起こした理由は?事件を起こしたメンバーはどうなった?
胴体と三島由紀夫さんの首が切断という凄惨な事件が起きましたが、なぜそのような事件を起こしたのでしょうか。
三島由紀夫は有名な作家として知名度は抜群でした。
ここでは三島事件を起こした理由とそのメンバーのその後についても解説します。
三島事件を起こした小説家・三島由紀夫
三島事件を起こした三島由紀夫さんは小説家として現代でも抜群の知名度を誇っています。
ノーベル文学賞にもなるほど、海外でも広く認められた作家と言えるでしょう。
作家だけでなく政治についても明るく、晩年は自衛隊に体験入学し楯の会を結成しています。
ペンネーム 三島 由紀夫
本名 平岡 公威
生年月日 1925年1月14日
デビュー作 『酸模すかんぽう――秋彦の幼き思ひ出』
三島由紀夫が事件を起こした理由は?
三島由紀夫さんが起こした三島事件、起こした理由については詳しくは分かっていません。
三島由紀夫さんは最後の打ち合わせで「このままでは日本として立ち上がることができない』と語っていたようです。
戦後の憲法改正などによって日本を変えないといけない使命のようなものがあったのかもしれませんね。
三島事件を起こしたメンバーのその後は?
三島事件を起こしたメンバーは三島由紀夫さんを含めて5名でした。
自決したのは三島由紀夫さんと森田必勝さんでした。
メンバーとして参加した小川正洋さんはメンバーにも三島事件関して口を割らなかったようです。
残ったメンバー小川正洋さん、小賀正義さんと古賀浩靖は暴力行為や傷害など6つの罪で書類送検されることになりました。
三島由紀夫が結成した楯の会はどうなった?
三島由紀夫さんが結成した楯の会は最後には解散になったと言われています。
楯の会を継続するかどうかの論争はあったとようです。
最後は三島由紀夫さん自身の遺言に従って意思を尊重する形で解散になりました!
日本を変える為に立ち上がった三島由紀夫!凄惨ながらも切ない三島事件
三島由紀夫さんは作家として現在でも知っている方は多いのではないでしょうか。
作家としても人気だった三島由紀夫さんは三島事件という凄惨な事件を引き起こします。
自衛隊の総監を人質に取り、日本を変えるための檄文を伝えて、のちに自ら自決をしました。
三島事件の最後は仲間たちの介錯によって、胴体と三島由紀夫さんの首はバラバラになったと言われています。
三島事件を起こしてから三島由紀夫さんが結成した楯の会は、解散になりましたが最後の言葉を含めて戦後の日本に大きな影響を与えたことは間違いないと言えるでしょう!