【ロリータアイドル】花咲まゆの現在が衝撃的?ヌード写真も公表しているとの噂とは?

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覚えている方もいらっしゃるかもしれません。

昭和のロリータアイドルとして衝撃的な作品を表に出した花咲まゆさん。

レズビアン活動家して、作家、写真家として数々の女性や純真さをフォーカスに納め、清岡純子が追い求め続けたロリータアイドルの存在とは?
花咲まゆさんの功績、結婚はしている?
彼女と同時期に昭和を彩ってきたロリータアイドル達とは?

を調査しました。

花咲まゆは昭和を代表するロリータアイドル!

昭和は後半56年、1981年7月にデビュー。別名義では沢井由実として活動していた彼女、花咲まゆ。

グラビアでロリータアイドルとして活動していた彼女ですが当時の年齢は13歳。

今ではとても考えられませんが、写真家 清岡純子の作品としてグラビアデビューした写真はヌードでした。

当時は本屋さんに普通に置いてあり、その過激さも相まって文字通り昭和を代表するロリータアイドルとして世間を賑わせました。

写真家の清岡純子が絶賛した花咲まゆとは?

日本のレズビアン活動の先駆者とも言われる写真家 清岡純子は当時のことをこう答えている。

いちばん思い出深いモデルである

ずっと少女を撮り続けているけど、これ以上の傑作はいまだに撮れない

Wikipediaより

その後も数々の少女を取り続けてきた清岡純子ですが、とても難儀されていたようです。

デビュー作「潮風の少女」で大ヒット!

1981年7月、沢井由実の名義で出した「白薔薇園 PART-2」がロリータアイドルとしての処女作であり、1981年10月「舞う少女 清岡純子の少女写真術」で名前は入らなかったもののサンプル写真として掲載。

のちに改名をし、1982年2月に花咲まゆとしてデビューを飾った作品が「潮風の少女」となります。

こちらは清岡純子の聖少女シリーズ第5作目として刊行されました。

※刊行日は諸説あります。

清岡純子が手がけた「聖少女」シリーズで最も売れた作品に!

すでに「白薔薇園 PART-2」で話題になっていた花咲まゆ初のソロでの写真集となりますが

イメージチェンジがあり、当時のファンからすると複雑な心境もあったそうです。

同時に潮風の少女は、ソロとしての彼女の存在感がそれらを吹き飛ばしてしまう程のインパクトを持ち、最後には清岡純子の聖少女シリーズで最も売れた作品となりました。

余談ですが同年1982年3月に、堀ちえみが出したシングルも「潮風の少女」でした。

「私は「まゆ」13歳」も大ヒットを記録!

¥1982年9月に刊行された「私は「まゆ」13歳」ですが、前述の「潮風の少女」の廉価版、花咲まゆ写真集の集大成となっている内容のようです。当時の本屋さんの話だと増刷数は11回はされたのではないかと言われるほど。

驚きを隠せないくらいセンセーショナルな内容となっていますが、昭和当時の一般書店では普通に平積みにされて店頭に置かれていたようです。

今なお伝説と言うほどに語り継がれる彼女は、昭和を代表するロリータアイドルと言って相違ないでしょう。

花咲まゆの現在は?結婚して子供もいる?

90年代以降はメディアの露出もなく、87年に清岡純子がたんぽぽの花というところから発売したVHS「わたしは「まゆ」思い出の夏」を最後にフェードアウトしてしまいました。

そんな彼女の現在ですがどのように過ごされているのでしょう。

花咲まゆは現在54歳に

1981年7月に「白薔薇園 PART-2」でデビューした頃は13歳でしたので、現在の年齢は56歳になります。

花咲まゆの活動期間は1〜2年と短いものでした。面影は残っていらっしゃるかと思いますが、ファンの方でもすれ違っていても気づくのは難しいかもしれませんね。

花咲まゆは結婚している?

残念ながら現在ご結婚されているか、お子さんがいらっしゃるかどうかの情報はありませんでした。

花咲まゆは当時で絶大な人気を得るほど可愛らしい方でしたので、現在も当時はしていなかったメイクをしたりと、また違った魅力を漂わせていると思われますので世の男性たちが放っておくのも難しいのではないかと予想できますね。

花咲まゆの裸体雑誌や写真集は発行禁止処分に

1999年に「児童売春、児童ポルノに係る行為等の処罰及び児童の保護等に関する法律」(18歳に満たない者)により花咲まゆ及び該当する書籍等は全て廃刊、絶版とされました。

法改正の前までは、ヘア(陰毛)はダメとされ、生えていなければ法には触れていないとされそのまま通ってしまうほど、法律の穴が大きな頃でした。

現在ではまるでその逆のようなものになっています。

花咲まゆ作品を手がけた清岡純子とは?

子爵である清岡長言は菅原道真の子孫であり、母親も子爵家である唐橋家の出でこちらも遡ると菅原家を祖とする名家の三女です。

潮風の少女を出す前は新日本新聞社、キネマ画報社、新歌舞伎座に勤めその後はフリーで活躍。

日蓮女優という官能小説では作家クラブ賞を受賞していて

作家やカメラマンの他に清岡純子はレズビアン活動の先駆者としても知られています。

清岡純子は花咲まゆ以外にも浅沼由香里岡本理絵といったロリータアイドルも手がけていますね。

今では廃刊となって入手はできませんが浅沼由香里、岡本理恵は共に「フレッシュ•プチ•トマト」シリーズに出演しています。

清岡純子さんは91年(平成3年)の10月にこの世を去られました。

清岡純子は少女ヌード作品で有名な写真家

清岡純子のレズビアンという内面と少女ヌードを撮ることが関係しているのは想像の難しいところではありません。

一説には、清岡純子は自身の少女時代の影を追い求めているといった声も上がっています。

その影が形を成して現れたのが花咲まゆだったのでしょう。

清岡純子の作品一覧

・女と女 レズビアンの世界

・レスビアンラブ入門 心に愛を唇に乳房を

・セルフ・ラブ おんなとおんなの聖書

・聖少女シリーズ 1〜6(潮風の少女)

・白薔薇園 PART1〜5

・日蓮女優

他にも舞台女優で知られる大地真央さんの宝塚時代の舞台写真集などを手がけています。(画像左上が清岡純子作のブリリアント•トップスター 大地真央です)

人気のプチトマトシリーズも手がける

「フレッシュ•プチ•トマト」や「プチ•トマト」シリーズは今では廃刊、絶版となっており閲覧•入手共にできなくなっています。

1982年から亡くなる1年前の1990年までおよそ60を超える月刊号全てを清岡純子が手がけてきました。

花咲まゆのプロフィールまとめ!

当時は法規制も今とは違っており、現代の日本ではびっくりするようなことが起きていました。

しかしそれは昭和の頃を象徴する大きな社会現象の1つとして在り、現代のアイドル像ができ上がる理由となった種とも言えるかもしれません。

今は花咲まゆさんもたんぽぽから綿毛になり、新しい場所で穏やかに花を咲かせていると思います。