【最新画像】野茂英雄の妻・野茂紀久子は元チアリーダー?野茂英雄の現在と子供は何人か調査!

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メジャーリーグで2度のノーヒットノーランを達成し、素晴らしい成績を挙げた野茂英雄さんは、日本人メジャーリーガーのパイオニア的存在です。

力強いストレートや落差のあるフォークボールは対戦相手を圧倒し、日本とアメリカの両方で栄光を勝ち取りました

そんな野茂英雄さんの妻である野茂紀久子さんは、元チアリーダーだと言われています。

2人の馴れ初めや子供はいるのか、また激太りしたと噂の野茂英雄さんの引退後の現在についても徹底調査しました!

野茂英雄と野茂紀久子のプロフィール!経歴も紹介!

「野茂英雄」と言えば、野球を知らない人でも名前を知らない人はいないのではないか…というほど有名ですね。

野茂英雄さんのキャリアを支える重要な存在である妻、紀久子さんについても詳しく見ていきましょう。

野茂英雄のプロフィールと経歴

名前: 野茂 英雄 (のも ひでお)
生年月日: 1968年8月31日 56歳(2024年7月時点)
出身地: 大阪府大阪市港区
ポジション: 投手
身長/体重: 188cm / 99.8kg
投打: 右投右打

経歴:

  • 高校時代
    • 大阪府立成城工業高等学校に入学し、野球部で活躍。高校3年生時には全国高等学校野球選手権大会(甲子園)に出場。
  • 大学時代
    • 新日本製鐵堺硬式野球部に進み、社会人野球での実績を積む。1989年のアマチュア野球選手権で優勝し、その後プロ入りを果たす。
  • プロ入りとNPBでの活躍
    • 1990年、近鉄バファローズ(現:オリックス・バファローズ)にドラフト1位で入団。新人ながら、18勝8敗、防御率2.91の成績を残し、最優秀新人賞(新人王)を受賞。
    • 1990年から1994年までの5年間、通算78勝46敗、防御率3.15の成績を記録。
  • メジャーリーグ(MLB)での活躍
    • 1995年、ロサンゼルス・ドジャースと契約し、MLBに挑戦。日本人初のMLB挑戦となり、その独特な「トルネード投法」で一躍話題となる。
    • ドジャースでは1995年に13勝6敗、防御率2.54でナショナルリーグの新人王を受賞。
    • 1996年には自身初のノーヒットノーランを達成。
    • その後、ニューヨーク・メッツ、ミルウォーキー・ブルワーズ、デトロイト・タイガース、ボストン・レッドソックスなどでプレー。
    • メジャーリーグでは通算123勝109敗、防御率4.24を記録。
  • 引退後
    • 2008年に現役引退を表明。その後は、野球解説者や講演活動、野球指導などに携わる。

野茂紀久子のプロフィールと経歴

名前: 野茂 紀久子 (のも きくこ)
生年月日: 非公開
出身地: 非公開

経歴:

  • 家族
    • 野茂英雄さんと結婚し、家族として支え続けてきた。
    • 野茂英雄さんの渡米後も、家族として共に生活し、サポートを続けている
  • その他の活動
    • 公の場に出ることは少なく、詳細な経歴や活動についてはあまり知られていないが、家庭を支え続ける重要な役割を果たしている。

野茂英雄さんは、日本プロ野球とメジャーリーグで活躍した伝説的な投手として知られ、その独特なトルネード投法と数々の記録で多くのファンを魅了しました。

妻の紀久子さんは、彼の支えとなり、家庭を守り続けた重要な存在です。

野茂英雄の妻は野茂紀久子!元チアガールで当時の画像はある?

野茂英雄さんの妻は野茂紀久子(きくこ)さんという方で、1991年にご結婚されていて当時の画像はこちらです!

出逢ったのは野茂英雄さんがプロ野球選手になる前で、2年の交際を経てご結婚されたそうです。

一般の女性ですので、チアガールのお仕事をやられていた・野茂英雄さんよりは年上であるという情報しか出て来ませんでしたが、白黒の写真からでも美人であることが分かります。

妻・野茂紀久子との馴れ初めは?

野茂英雄さんと野茂紀久子さんとの馴れ初めは、野茂英雄さんが1987年~1989年に新日鉄堺に所属していた頃です。

ちなみに、野茂紀久子さんの出身については関西だと言われています。

野球のスタジアムで、対戦相手(パナソニックであるという説が濃厚)のチアガールとして活動していた紀久子さんに野茂英雄さんが一目惚れしたことがきっかけのようです。

野茂英雄さんからの熱烈なアプローチを受け、1989年頃より交際がスタート・その2年後に結婚という流れとなりました。

野茂英雄の子供は何人いる?

野茂英雄さんには息子さんが2人おり、長男が現在30歳前半、次男が20代後半~30歳前後のようです。

長男である野茂貴裕さんは、小学校から高校まで野球をしていたそうです。

大学では野球を辞めたそうですが、スポーツマネージメントを学び野球部のマネージャーをされていたようですね。

その後2015年から日本ハムの通訳に就任し、2018年に日本ハムの通訳を引退しているようですが、その後の情報は不明です。

日本語もスペイン語も流暢に話せるようです。

野茂英雄の現在も野球で大活躍中!仕事は4つも掛け持ち?

では、野茂英雄さんは現在どのような生活をしているのでしょうか。

現在の主な収入源は、サンディエゴ・パドレスのアドバイザーの仕事だと言われています。

パドレスは、日本での野球教室やトライアウトも積極的に行っており、そこでの中心的な人物として野茂さんは活躍されています。

また、日本のプロ野球チームの春季キャンプを訪れて、日本人選手の視察を行ったり、時には自身の持ち味である「トルネード投法」を若手選手に教えるなどといった一面も見られます。

野茂英雄さんといえば「トルネード投法」という独特のフォームから繰り出されるボールで、打者を次々に打ち取っていく姿は圧巻でしたね。

また、パドレスに所属している日本人メジャーリーガー・ダルビッシュ投手の投球フォームを確認するなど、現在でも現役選手からの信頼は熱いようです。

そのほか、現在は、野球のスキルや趣味を活かし様々なお仕事をされて忙しい日々を過ごしている様子が伝わっています。

そこで、ここからは野茂さんの現在の仕事について、1つずつ詳しく解説していきます。

仕事①NOMOベースボールクラブの代表理事

野茂英雄さんは現在、「NOMOベースボールクラブ」という社会人野球チームの代表理事をされています。

プロに入る前は社会人野球として活動していたの野茂さん。

社会人野球に対する思い入れが強かったのか、次々に廃部になっていく現状を危惧して設立を決めたようです。

廃部の理由は、バブル崩壊による企業の業績悪化のようで、様々な企業が廃部・休部していきました。

現役時代の2003年に設立し、活動資金は野茂英雄さんが大半を出資しているそうです。

2005年には、NOMOクラブに所属していた柳田殖生選手が、中日ドラゴンズにドラフト5巡目で指名を受け入団。

2003年の設立から現在にかけて、合計で5名のプロ野球選手を輩出しています。

さらに、所属選手のほとんどは城崎温泉にある旅館やホテルで従業員として働いているようです。

現在はNPO法人として活動しており、企業や個人の会費・寄付によって活動しているようです。

仕事②サンディエゴ・パドレスのアドバイザー

2016年からMLBの球団サンディエゴ・パドレスの球団編成部門のアドバイザーに就任しています。

サンディエゴ・パドレスといえばナ・リーグ西地区の球団で、日本人メージャーリーガーのダルビッシュ有選手が在籍している事でも有名です。

野茂英雄さんは過去にオリックスのテクニカルアドバイザーを勤めていた経験もあり、その手腕を買われての抜擢なのでしょうか。

2022年にはパドレスが見事地区優勝を果たし、野茂さんもシャンパンファイトに参加しました!

ダルビッシュ有さんと野茂さんの嬉しそうな表情が印象的ですね!

仕事③野球解説

2010年からは野球解説者としての活動も行っているようです。

活動の頻度としては年に1〜2回程度だそうで、今年の阪神対オリックス戦でも解説をされていました。

ですが野茂英雄さんは2010年の日本シリーズの解説中に寝てしまうという珍事件を起こしたようです。

同じく実況をされていた田尾氏には「寝てるのかと思いきや、意外にしっかり観ているんですね」と嫌味を言われていました。

仕事④カフェの経営

コーヒーが大好きだった野茂英雄さんは2017年に自身でオリジナル豆をプロデュース

京都に「PORTLAND ROASTING coffee」というカフェを開きました。

「PORTLAND ROASTING coffee」はアメリカにあるコーヒーロースターなのですが、野茂英雄さんが出資して日本で展開したそうです。

日本では京都にしか店舗がないようです。

2022年9月30日に閉店

6年間営業されていた「PORTLAND ROASTING coffee」ですが、コロナの影響もあり2020年9月30日に閉店してしまったようです。

現在は通販で自身でプロデュースしたコーヒ豆と野球関連のグッズを販売しています。

野茂英雄の現在の年収は年金を合わせると7000万円!?

現在の主な収入源はやはりサンディエゴ・パドレスのアドバイザーの仕事のようです。

MLBのアドバイザーの推定年間報酬は4000〜5000万円ほどだそうなので、おそらくそのあたりの金額はもらっているのでしょう。

その他にも解説者や、オリジナルコーヒー豆の収入があるので5000万円以上の収入が予想されます。

「NOMOベースボールクラブ」は非営利活動法人なので収入はゼロなのではと言われております。

年金が2000万円も貰える理由とは?

MLBには年金制度というものがあり、62歳から毎年その選手が死去するまで支払われます。

年金額はMLBの在籍年数によって異なりますが、10年在籍で満額の2000万円ほど支給されるそうです。

野茂英雄さんはメジャーに12年間在籍していたので満額の2000万円ほど受け取っているということになりますね。

野茂英雄の現在の住まいはアメリカ?家族は?

大阪府大阪市出身の野茂英雄さんですが、引退後の現在はどちらに住まわれているのでしょうか。

家族構成ついてもあまり知らない方が多いと思いますので、分かりやすくまとめてみたのでぜひご覧ください!

アメリカで暮らしてる可能性が高い

野茂英雄さんの現在の住まいについて調べてみましたが、確定の情報を得ることはできませんでした。

しかしサンディエゴ・パドレスでアドバイザーを務めていることからアメリカに住んでいる可能性が高いでしょう。

アメリカで生活し、日本での野球解説や「NOMOベースボールクラブ」の仕事が入った時は一時帰国しているのではないでしょうか。

現在の野茂英雄の体重は100キロ超えは本当?

現役時代の野茂英雄さんはガッチリとした体系でしたが、引き締まった印象でとても太っているようには見えませんでした。

しかし引退後の野茂英雄さんは、ポヨっとしたお腹が目立つようになり100kgを超えているのではないかと言われるようになったそうです。

2018年時点での体重は99.8kgと発表しています。

ですが誤差やタイミングを踏まえて100kgを超えていた時期があったと見て間違いなさそうですね。

現役時代と現在

こちらの画像は野茂英雄さんがMLBの球団ドジャースで活躍されていた頃のものです。

細く引き締まりながらもしっかりとした下半身でまさにアスリートの体型といえるでしょう。

こちらは2018年に行われた「名球会フェスティバル2018」というイベントでの野茂英雄さんの画像になります。

先程の画像と同一人物とは到底思えない体型ですね。

この体型でしっかりと「トルネード投法」で投げていたのがまた驚きです。

野茂英雄の過去のメジャーでの活躍がすごすぎる!?

野茂英雄さんは、日本のプロ野球からメジャーリーグに挑戦し、その活躍ぶりは現在も語り継がれています。

特に、1995年にロサンゼルス・ドジャースに入団した際、初年度から圧倒的なピッチング力を披露し、新人王にも輝きました。

そこで、野茂英雄さんの過去のメジャーでの偉業を解説しながら、彼が残した数々の記録と功績を紹介していきます。

近鉄バッファローズ時代の実績

野茂英雄さんは、1990年にドラフト1位で近鉄バファローズに入団しました。

1年目で投手四冠(最多勝・最優秀防御率・最多奪三振・最高勝率)を獲得し、MVP、新人王、ベストナイン、沢村賞を受賞しています!

2年目以降も順調に好成績を残し、1993年までは毎年最多勝、最多奪三振のタイトルを獲得するなど活躍を見せていました。

ところが、1994年7月に右肩を痛めて残りのシーズンを離脱してしまいます。

ちょうどその時期、1993年に新しく就任した鈴木啓示監督が、野茂さんの投球フォームに否定的であり、改造を要求していた頃でもあります。

また、当時では珍しかった代理人交渉制度を希望した野茂さんでしたが、球団からは肩を故障してシーズン後半を棒に振ったことを理由に拒否され、「君はもう近鉄の顔ではない」と告げられたと言われています。

球団や監督との確執が表面化し、1994年の球団との契約更改にて、追い出されるような形で近鉄を任意退団となります。

当時の新聞やマスコミ報道では野茂さんに対する批判が多かったため、日本での行き場所をなくした野茂さんは、メジャーリーグへの挑戦を決断しました。

野茂英雄のメジャー移籍後の実績は?

1994年に追い出されるような形で近鉄バファローズを退団した野茂英雄さんですが、1995年2月13日にロサンゼルス・ドジャースとマイナー契約を結びました。

野茂さんのメジャー挑戦は、日本野球界から冷やかな目を向けられていましたが、1年目からオールスターゲームに選出され、最終的に13勝6敗、リーグ最多の236奪三振の好成績を残しています。

また、ドジャースの7年ぶりの地区優勝に貢献し、日米で「NOMOマニア」という言葉が生まれる程の人気を集め、アジア人初の新人王にも選ばれました。

2年目となる1996年9月17日には、ノーヒット・ノーランを達成し、この月には自身二度目となる「ピッチャー・オブ・ザ・マンス」も獲得し、最終的にチーム最多の16勝を記録しています。

その後も他チームに移籍しながらメジャーリーグで活躍し、2001年のレッドソックス時代にもノーヒット・ノーランを達成しています。

引退までに123勝を挙げ、アリーグとナリーグの両リーグでノーヒットノーランの偉業(長いメジャーリーグの歴史で野茂投手以外3人しかいない)を達成した大投手です。

野茂英雄は現在野球界で活躍を続け、妻・野茂紀久子と幸せに暮らしている

今回は野茂英雄さんの妻・野茂紀久子さんについてと、引退後の活動や家族構成、収入などについてご紹介していきました。

野球選手は引退後に仕事がなくて大変などと聞きますが、野茂英雄さんは様々なお仕事をされていて収入面もかなり潤っているようですね。

引退して太ってしまったのは、野茂紀久子さんと充実した生活を送っている証ともいえるでしょう。

野茂英雄さんにはこれからの野球界のためにも更なる活躍を期待しています!