実際にあった「大阪二児置き去り死事件」を元に作られた映画、「子宮に沈める」をご存じでしょうか?
子供を洗濯機に入れる等の痛々しい描写や、発見時の悲惨な状態を綿密に表現した名作映画です。
児童虐待防止のためにリバイバル上映したことも、記憶に新しいですね。
そこで今回は、「子宮に沈める」の洗濯機のシーンは実話なのか、「大阪二児置き去り死事件」の発見時の状況等の詳細について、解説していきしょう。
映画「子宮に沈める」の洗濯機シーンの意味は?
児童虐待をテーマにした映画「子宮に沈める」。
「大阪二児置き去り事件」を基に作られたこともあり、予告編を見るだけでも、その不気味さや残虐さが伝わってきます。
映画「子宮に沈める」とは?
映画「子宮に沈める」は、2013年に公開された映画です。
監督の緒方貴臣は、「終わらない夏」や「体温」等の作品で有名ですね。
簡単なあらすじとしては、
- 彼氏ができた母親は、子供を家に放置し、餓死させる。
- 母親は帰宅すると、生き残って帰りを待っていた子供を殺害し、死体を洗濯機で洗った。
映画「子宮に沈める」の洗濯機シーンの意味は?
映画の終盤、母親は子供の死体を洗濯機で洗いますが、なぜこのようなことをしたのでしょうか?
その理由は、放置された死体にウジが湧いていたから、でしょう。
ウジが発生するほど放置された死体……考えるだけで恐ろしいですね。
その状態の子供を「洗濯機に入れよう」と考えた母親の異常さが分かります。
映画「子宮に沈める」のモデルになった大阪二児置き去り死事件の詳細は?
では、実際に起きた「大阪二児置き去り事件」はどのようなものだったのでしょうか?
そこには映画ではとても描写できない、恐ろしい事実がありました。
事件の経緯と発覚理由など、詳細について解明していきましょう。
大阪二児置き去り死事件の詳細は?
映画の基になった「大阪二児餓死事件」は、2010年に起こりました。
母親は2009年に、不倫や借金が原因で旦那と離婚。
お金もなく家族にも頼れない環境で、母親は育児に疲れ、ホストクラブにのめりこむようになりました。
やがて母親は、部屋のドアにテープを貼り付け、子供を放置した後に餓死させてしまったのです。
驚くべきことに、母親は職場の人間からの連絡で一度帰宅し、子供たちの遺体を発見したにも関わらず、警察や救急に連絡をしませんでした。
その後、「異臭がする」という通報を受けて、警察が突入したことで、今回の事件が判明しました。
大阪二児置き去り事件の発見時の様子がひどすぎる?
近隣住民の通報によって、警察が二児の遺体を発見した時点で、死後50日が経過していました。
母親は一度帰宅し、いくつかの食糧を置いた後、また交際相手のもとに向かいました。
それから、母親が帰宅したのは、実に一か月半以上経過した後のことでした。
そのため、遺体の一部は白骨化していたようです。
発見時の部屋は、空の冷蔵庫と、散乱したゴミのみ。
検死の結果から、子供は調味料や冷蔵庫の氷を舐めとり、残飯をあさり、亡くなった片方の子供の排せつ物を食べていた、と言われています。
子供たちは、懸命に生きようとしていたことが分かりますね。
大阪二児置き去り死事件で子供は洗濯機に入れられた?
結論から言うと、子供は洗濯機に入れられていません。
映画「子宮に沈める」では、子供を洗濯機に入れるという描写がありましたが、それはあくまで作中での演出だった可能性が高いです。
また、韓国で実際に起きた虐待事件では、子供を洗濯機に入れてスイッチをいれる、という行為が本当にあったそうです。
その事件では、子供を洗濯機に入れるだけでなく、
- 唐辛子を十本以上口に入れる
- 腹部を何十回も踏み、顔面を殴る
- 瀕死の状態で二日間放置し、死亡させる
などの、痛ましい虐待が行われていました。
その事件と「大阪二児置き去り事件」の内容が混同された結果、勘違いを生んだ可能性もありますね。
大阪二児置き去り死事件のその後は?母親は服役中?
事件発覚後、裁判の結果、母親は懲役9年が言い渡されました。
そのため、現在も服役中です。
裁判は最高裁まで続き、収容後には、判決に対し不満をもらす手紙を書いていたと言います。
その後、母親と子供たちが住んでいたマンションでは、今回のような虐待事件を防ぐため、互いに協力し合う体制を整え、交流会が行われるようになったそうです。
大阪二児置き去り事件を通して学ぶこと
いかがでしたでしょうか?
今回は、映画「子宮に沈める」の洗濯機のシーンの謎、そして基になった「大阪二児置き去り事件」の発見時の詳細についてまとめました。
今回分かったこととして、
・映画内の洗濯機のシーンは演出であった
・実際の事件では、母親は交際相手を優先し、子供を一か月半以上放置した
・その結果、子供は必死に生きようとしたが、餓死してしまった
ことが挙げられます。
今、私たちにできることは、新しい犠牲を生まないためにこの痛々しい事件を忘れないことなのかもしれません。