【2024最新】吉本新喜劇で亡くなった人一覧15選!死因まとめ!

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笑いあり、涙ありのそして人情もある吉本新喜劇

ドタバタ中心のとんちんかんな軽演劇な仕上がりも魅力のひとつですね。

長い歴史を刻んでいますから、すでに鬼籍に入った人も少なくありません。

そこで今回は吉本新喜劇で亡くなった人の中で主力メンバーだった15人を紹介します。

【2024最新】吉本新喜劇で亡くなった人一覧!

これから紹介する人たちは、吉本新喜劇でも大御所といわれた芸人さん揃いですが、その人生の道のりはどんなものだったのでしょうか?

亡くなった人①桑原和男

おばあちゃん役でおなじみの桑原和男さんは、吉本新喜劇でも最古参のメンバーでレジェンドといわれていました。

男性芸人でおばあさんをやらせたら「ばってん荒川さん」と双璧をなすと評判の芸人さんでした。

2023年8月10日、老衰のため87歳で亡くなりました。

亡くなった人②中山美保

中山美保さんは、吉本新喜劇のマドンナとして活躍しました。

デビュー当初は美貌女優でしたが、後年は女学生や母親役が多く、特にセーラー服姿はインパクトがありました。

2017年2月7日に肺血種による呼吸困難のため78歳で亡くなっています。

「亡くなった人③竹本浩三

厳密にいえば、竹本浩三さんは芸人さんではなく、脚本家・演出家といった裏方の道を歩んだ人です。

吉本新喜劇の基礎を築いた人物で吉本興業の顧問も歴任します。

2022年に2月18日に89歳で亡くなりますが、死因は不明です。

亡くなった人④花紀京

花紀京さんは、とぼけた芸風で親しまれ、「岡八郎さん」と並んで吉本新喜劇の二大巨頭と呼ばれていました。

お父様が漫才師の「横山エンタツさん」、義理のお姉さまが「中山美保さん」という毛並みのよさもあります。

2001年には「ダウンタウン」らとのユニット「Re・japan」でNHK紅白歌合戦に初出場しましたが、2002年8月に脳腫瘍に罹患します。

2015年8月15日に肺炎のため78歳で亡くなりました。

亡くなった人⑤木村進

木村進さんは、多様なボケにツッコミもできて、その上二枚目を売りにするという異色のキャラで、弱冠23歳で吉本新喜劇の座長に抜擢されます。

しかし、1998年に脳内出血で一命は取り留め、左半身に重い障害が残りますが、1999年盟友の「間寛平さん」の公演に電動車いすに乗ってゲスト出演を果たします。

2019年5月19日に腎不全のため68歳で亡くなりました。

亡くなった人⑥山田スミ子

山田スミ子さんといえば、「あかんて言うてんのが、分からへんのか~!」、「あかん言うてますのに、どないやねんな~!」のキレ芸で一世を風靡しました。

吉本新喜劇を退団後は拠点を東京に移し、「家政婦は見た!」にレギュラー出演します。

また、「やすきよ笑って日曜日」では「横山やすしさん」の妻役として出演し、持ち前のツッコミ芸で圧倒します。

2019年2月12日に直腸がんのため73歳で亡くなりました。

亡くなった人⑦井上竜夫

井上竜夫さんは、「竜じい」の愛称で知られる名脇役で「おじゃましまんにゃわ」のフレーズでおなじみでした。

役柄はおじいちゃん役が多かったですが、時にはお偉いさん役や悪役もこなし、多彩な一面を見せました。

2016年10月5日に高度肺気腫のため亡くなりました。

亡くなった人⑧船場太郎

船場太郎さんは、バンドマンの出身ですが、その後に吉本新喜劇の座員になります。

「せん・ばたろうです」、「クワ~クワ~クワ~」のキャグで大受けしますが、1991年に大阪市議会議員選挙に出馬し当選、6期24年務め、2019年に旭日小綬章を受けました。

2020年11月27日に亡くなりましたが、死因は不明です。

亡くなった人⑨島木譲二

島木譲二さんは、もともとプロボクサーでしたが、身体のケガから引退を余儀なくされます。

その後に「間寛平さん」の紹介で吉本新喜劇にてデビューします。

肉体派芸を売りとして、ときには危険なパフォーマンスを行うなどしていました。

2016年12月16日に脳溢血のため亡くなりました。

亡くなった人⑩室谷信雄

室谷信雄さんは、若くして頭髪が薄かったことをネタにしたタマネギのギャグや「ごちゃごちゃ言うとったら、しゃーきまっそー!よ、ワ~レ~」の叫び声で人気を博します。

ところが1984年11月に咽頭がんを発症し声帯を切除することになり、声を失った室谷信雄さんは芸能界を引退します。

2018年12月5日に72歳で亡くなっていますが、死因は不明です。

亡くなった人⑪チャーリー浜

チャーリー浜さんといえば、「…じゃあ~りませんか」のフレーズで一世を風靡し、1991年の新語・流行語大賞を受賞するなど、吉本新喜劇を超えて全国的な人気者になりました。

チャーリー浜さんの活躍が、吉本興業の東京進出に大きく貢献し、吉本新喜劇が東京をはじめ全国で取り上げられるなどブームの火付け役になり、チャーリー浜さんは吉本興業でも重要視されます。

晩年は2020年に体調を崩し、2021年4月18日に呼吸不全および誤嚥性肺炎のため78歳で亡くなっています。

亡くなった人⑫原哲男

原哲男さんといえば、四角い顔に黒い丸ぶちメガネ、ヒゲがトレードマークでその風貌から「カバ」の愛称で親しまれ、それを逆手にとった「誰がカバやねん!」や「死なん程度に殺したる」のギャグで笑いをとりました。

しかし、1990年に吉本新喜劇を脱退し、その後は俳優として「部長刑事シリーズ」などのドラマ出演をして幅広い活躍をします。

2013年1月13日に肝がんのため78歳で亡くなっています。

亡くなった人⑬寿一実

寿一実さんは、吉本新喜劇の座員でありながら、九州のローカルタレントとしても活躍していました。

スキンヘッドの風貌を活かし、数多くの「ハゲネタ」を披露、1989年に一度は引退しますが、吉本興業の九州進出に伴い、「福岡よしもと」で九州新喜劇の座長を務めることになりました。

2023年5月5日に亡くなりましたが、死因は不明です。

亡くなった人⑭財津一郎

「もっともっとタケモット~」や「ピアノを売ってチョーダィ!」のCMでおなじみの財津一郎さんですが、吉本新喜劇出身だったのは意外でしたね。

財津一郎さんは、1962年に吉本興業に入っており活躍、「ヒッジョーにキビシ~ッ!」や「~してチョーダィ!」で評判になりました。

1969年には吉本興業を退社して、拠点を東京へ移して俳優として映画やテレビドラマで活躍します。

晩年は、タケモトピアノのCMのみになり、2023年10月14日に慢性心不全のため89歳で亡くなっています。

亡くなった人⑮高石太

高石太さんは、新劇青猫座、劇団喜劇の座員を経て、1975年に吉本新喜劇の座員となった、いわゆる外様のひとりです。

投げられた勢いで腹から滑り、服をめくって太鼓腹をさすりながら「熱う~!熱う~!」と叫ぶギャグで一世を風靡しました。

2008年には、北海道札幌市に移住して市民劇団「教文13丁目笑劇一座」に所属して、喜劇ワークショップやボランティア活動をしていましたが、2020年1月31日に虚血性心疾患のため71歳で亡くなっています。

吉本新喜劇で亡くなった喜劇人を悼む

いかがでしたか。吉本新喜劇で亡くなった15人を紹介しました。

人生いろいろ、この世の去り方も人それぞれです。

芸人さんという職業の性質でしょうか、順風満帆な人生の終わり方をしていない人が多いのも特徴ではないでしょうか。