古田順子の人生を奪った「女子高生コンクリート事件」の真実とは?事件をテーマにした書籍や映画も紹介

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1988年から1989年の間に起きた「女子高生コンクリート詰め殺人事件」をご存じでしょうか。

当時少年だった男たちに、少女の古田順子さんが拉致監禁された事件ですが、非常に残忍で凶悪な少年犯罪として社会に大きな衝撃を与えました。

また昭和最後の凶悪犯罪とも言われています。

古田順子は昭和最後の凶悪犯罪「女子高生コンクリート詰め事件」の被害者

40日間の監禁、暴行の果てに17歳の若さで殺された「女子高生コンクリート詰め事件」ですが、被害者の古田順子さんとはどんな方だったのでしょうか。
なぜこんなことになってしまったのでしょう。

古田順子の生い立ち

古田順子さんは3人兄弟の真ん中として生まれ、事件当時17歳でした。

男の子の間に育ったこともあり、とても活発で明るく周囲からの評判も良い子でした。

身長165cmでモデル並みのスタイルの良さをしており、とても可愛らしい方です。
学校の成績も良く、真面目で学校もほとんど休まず通っていました。
事件当時高校3年生で、卒業後は家電量販店に就職が決まっていたそうです。

古田順子が巻き込まれた「女子高生コンクリート詰め事件」の概要

たまたま通りかかった女子高生の古田順子さんを拉致し、40日間に渡って監禁し、強姦、暴力、そして死亡させた事件

相手は暴力団などの名前を出し、古田さんを脅し、ことあるごとに複数人で暴力などを繰り返します。それは殴るだけでに留まらず、オイルをかけて火をつけたり、真冬の夜中に半裸でベランダにだしたりなど、目を覆いたくなるようなことが続きます。

古田さんは、そのあまりの辛さに「もう殺して」と懇願したそうですが、暴力はさらにエスカレートしていきます。

そして最後には何をされても反応しないくらいに衰弱し殺されてしまいます。少年たちは死体を隠すため、ドラム缶に遺体とコンクリートを詰め遺棄します

古田順子さんは失明や妊娠させられた?残虐すぎる被害内容とは?

わいせつ略取誘拐、監禁、強姦、暴行、殺人、死体遺棄とされたこの事件。
あまりに惨いその残虐すぎる被害内容とはそのようなものだったのでしょうか。

暴力や強姦を繰り返され、司法解剖の結果で少女は妊娠していたことが発覚します。しかし、子宮が引き裂かれていたり、身体の損傷が激しすぎて、子供を産める状態ではなかったとのことです。

またろうそくに火をつけ、少女の顔をロウで覆いつくし、両まぶたに上に火のついた短くなったろうそくを立てるなどにして面白がったそうです。

このころには少女はほとんど反応を示すことなく、されるがままになっていました。

加害者のプロフィールや事件の判決は?週刊文春が実名報道!

事件の加害者の少年たちはどんな人物なのでしょうか。
当時未成年ということから、少年法で実名が伏せられていましたが、週刊文集が「野獣に人権はない」として実名報道に踏み出しています

少年A(宮野裕史)

宮野裕史は1970年4月30日生まれ。事件のリーダー的存在で事件当時18歳でした。

中学時代は柔道の軽量級の選手で、高校に進学しますが、部活内のいじめや体罰が原因で退学しています。
その後タイル工として働き、暴力団員とつるむようになります。

宮野の父親は証券会社に勤務し、母親は音大を卒業しピアノ講師をしていたが、不仲で家庭内別居状態だったそうです。

半グレ集団を立ち上げ、地元で女性を狙ったひったくりや強姦事件などを繰り返し起こしており、そんななか今回の事件が起きます。

そして懲役20年の判決をうけ、千葉刑務所に服役し2009年に出所します。養子縁組をして名前を横山祐史に変えています。

事件の判決時、両親は家を売り払い5000万円の慰謝料を被害者家族に支払いました。

少年B(小倉譲)

 

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小倉譲は1971年5月11日生まれ、事件のサブリーダー的存在です。事件当時は17歳でした。

両親が別居したため、姉と一緒に母に育てられ、家庭環境はあまり恵まれてませんでした。私立高校に入学しますが暴力事件を起こし退学処分となります。

性格は真面目で部活を一生懸命していましたが、ケガで続けられなくなるとそれが原因でだんだんと非行の道へ進んでいきます。

母親は子供を養うため、水商売をして働き、父親は離婚はしてないものの愛人と暮らしていたそうです。

被害女性を最初に連れ去ったのはこの小倉譲です。宮野裕史とともにこの事件の犯行に及んでいます。

そして懲役5年以上10年以下の不定期刑が下されます。

1999年に出所後、養子縁組で神作に苗字を変えています。

少年C(湊伸治)

湊伸治は1972年12月16日生まれで、事件当時16歳です。

都内で唯一の化学専門工業学校に進学する優等生だったが、宮野裕史と小倉譲と親しくなったことで、この事件の片棒を担ぐこととなります。

両親は共産党員で、父親は共産党系診療所の事務局長をしていて、母親は主任看護婦をしといました。裕福な家庭ですが、厳しい父親からは家庭内のルールを破るとよく暴力を振られていました。母親は口出しできなかったようです。

被害者を監禁した場所は、湊伸治の自宅の部屋でした。

そして懲役5年から9年以下の不定期刑が下されます。

事件後、湊伸治の母親は「息子の人生を狂わせた」と古田さんを逆恨みし、両親への謝罪もなく、被害者のお墓を破壊しています。

少年D(渡邊恭史)

渡邊恭史は1971年12月18日生まれで、事件当時17歳です。

5歳の時に親両親が離婚をし、母親と姉と暮らします。離れて暮らしていた父親とは頻繁に会っていたようですが、交通事故で死んでしまいます。

そして中学生時代にはひどい体罰を受け、人を信用できなくなってしまったそうです。内気な性格で、中学卒業後は定時制高校に入学しますが、すぐに登校拒否をし退学します。

その後、中学の同級生だった宮野裕史らとつるむようになり、犯行に加わります。
しかも姉は少年Aである宮野祐史と交際していたようです。

渡邊は最初は事件に積極的に関わっていませんでしたが、最後に死亡する原因となった暴行を与えてます。

判決は小倉譲、湊伸治と同じ5年から7年の不定期刑が下りますが、その後渡邊恭史だけが上告し懲役3年以上4年以下の不定期刑となっています。

少年院では陰湿ないじめにあっていたそうで出所後、精神病をわずらっているという情報もあります。

古田順子が被害者の「女子高生コンクリート詰め事件」のその後

昭和最後の凶悪事件とされた「女子高生コンクリート詰め事件」のその後、さまざまなことが噂されました。
なかには芸能人がかかわっていたとの噂もありました。

事件後の被害者は家族はどうなったのでしょうか。

古田順子の「女子高生コンクリート詰め事件」に関わったと噂された芸能人

この「女子高生コンクリート詰め事件」に関わったのではないかと噂されている芸能人がいます。
その芸能人が、スマイリーキクチさんと、飯島愛さんです。

どのように関わっていたのでしょうか。真相のほどを確かめたいと思います。

事件に関わったと噂された芸能人①スマイリーキクチ

お笑いタレントのスマイリーキクチさんは1999年の春頃から、「女子高生コンクリート詰め事件」に関与した犯人であると、匿名掲示板などで中傷されるようになります。

スマイリーキクチ中傷被害事件というのがあり、これはスマイリーキクチさんが「女子高生コンクリート詰め事件」の実行犯であるなどの、事実とは異なる誹謗、中傷を長期にわたって受けた事件とされています。

しかもそれによってブログが炎上し、それを書き込んだ者たちを一斉摘発した、日本では初めてとなる事件です。

「女子高生コンクリート詰め事件」の犯人が未成年だったため、実名が伏せられ、ネット上で”犯人を仕立て上げたい者”によって犯人にあげられてしまいます

「出身地が事件現場の足立区」「犯人と同世代」「10代の時にグレていた」これらに当てはまったのがスマイリーキクチさんだったというわけです。

しかし実際は事件現場は自分の生まれ育った地域からは離れていて、グレていたというのも、事務所がスマイリーキクチさんを売り出すための謳い文句であったとされるのです。

さらに「キクチはこの事件のことをネタにした」というデマの書き込みがあり、それをネット上で拡散されます。

そのことで「キクチは事件に関与してるのに、反省もせず堂々とテレビに出てる」などと言われのない中傷を受ることとなります。

事件に関わったと噂された芸能人②飯島愛

 

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数々のバラエティ番組などに出演し人気タレントだった飯島愛さん。ある日突然芸能界を引退し、その後自宅で死亡しているのが発見されます。

芸能界引退の理由が、「女子高生コンクリート詰め事件」に関与していて身の危険を感じたためと噂されています。

実はこの事件の加害者と交際していたとのうわさがあるのです。

飯島愛さんは高校1年生の頃、八潮で彼氏と同棲しており、主犯格の宮野祐史も八潮に住んでいたためです。
「女子高生コンクリート詰め事件」の記事の中に、”Aら少年の3人と1人の女がきて、被害女性にマジックでひげを書いた”という一文があり、この女というのが飯島愛さんだとうわさされました。

このことがきっかけで脅され、芸能界引退に追い込まれたというわけです。

そして飯島愛さんがホステスをしていた時の親友が、この事件に関わっていると暴露するのです。しかし2人はいつも言い争いをしており、相手女性も過激な発言が多く、その真偽のほどは分かっていません。

またこの事件について、テレビで取り上げたときも目が泳いでいたということも、うわさを助長させています。

飯島愛さんが引退したのが2007年で、宮野祐史は2008年に出所します。出てきてまた脅されたり、暴露される前に引退したのではないかといわているのです。

どれもうわさで信ぴょう性も低いですが、実際のところはどうだったのか、今となっては確かめるすべもありません。

古田順子の両親が自殺したという噂も

 

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事件後、娘を惨殺されたショックから精神的に病んでしまって、自殺したという噂が流れました。

実際、身元確認のため、熟練された捜査関係者ですら目を背けてしまうほどの状態だった娘さんと対面しています。
しかし、自殺したなどの確かな情報はなく、あまりの酷さにそのような噂が流れてしまったのでしょう。

事件当時の公判で、「この手で犯人を殺してやりたい、その気持ちは変わらない」といった父親の証言が読み上げられており、そのショックの大きさが分かります。

家は一軒家だったそうですが、事件後もそこへ住み続けるのは辛かったのか、売り払いどこかへ転居しています。
そのため現在のことは分かっていません。

遺族はデマに苦しめられる

少年法という壁で、加害者たちは実名は伏せられていました。しかし、被害者の古田さんは亡くなっていることもあり、名前などの個人情報が公表されます。

その中で新聞各紙は彼女が元から少年たちと仲間だった、というようなニュアンスで報じました

そのせいで「古田さんは不良少女で少年たちと顔見知りだった」というように拡散されていくことになります。
一部のメディアもこれを取り上げ、被害者である古田さんにも責任がある、加害者少年たちは、家庭環境に問題があり、そのせいで非行に走ってしまったと、かばうような報道をされました。

被害者の古田順子さんには何の落ち度もなく、極めて悪質なデマと、報道の仕方に疑問を感じます。

こうした人々の興味を煽るためだけになされた当時の報道は、現在でも強く批判されています。

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