【コンクリート事件】古田順子の遺体と真相がヤバい!?生理こずで妊娠していた?

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昭和に起きた最凶最悪の少年犯罪事件、それが1988年から1989年にかけて起きた「女子高生コンクリート詰め殺人事件」

被害者の古田順子さんが複数の少年たちに拉致監禁された事件で、その内容は非常に残忍で凶悪です。

少年犯罪として社会に大きな衝撃を与えた女子高生コンクリート詰め殺人事件の概要を紹介します。

古田順子の遺体がヤバい?40日の監禁で何度も妊娠!?

女子高生コンクリート詰め殺人事件の残虐性は、日本の犯罪史上トップクラスと言えるでしょう。

被害者の古田順子さんは40日間の監禁、暴行の果てに殺されてしまいました。

この事件の概要は猟奇的・グロテスクな表現を含んでいますので、心して読み進めてください。

古田順子が被害者の「女子高生コンクリート詰め事件」の概要

事件が起こったのは1988年11月25日の夜のこと。

少年2人は、ひったくりや若い女性を狙っての強姦を企み、埼玉県三郷市の路上を原付バイクでうろついていました。

そこにたまたま通りかかったのが、被害者となった古田順子さんです。

古田順子さんはアルバイトを終えて自転車に乗って自宅へ戻る途中でした。

拉致された現場は自宅からわずか5分という近さでした。

少年のひとりが古田順子さんの乗っていた自転車を蹴飛ばし転ばせた後、別の少年が「危ないから送っていく」と言葉巧みに信用させて近くの倉庫内に連れ込んでいます。

少年たとは態度を一変させ、暴力団などの名前を出すことで古田順子さんを脅し、タクシーで古田順子さんをホテルへ連れ込み強姦しました。

その後、たまり場である少年宅へと古田順子さんを連れ帰ったのですが、ほかの少年と相談してこのまま返さずに自宅自室へと監禁する事を決めます。

犯人たちは40日間に渡って古田順子さんを監禁し、強姦や暴力など残虐行為を続けます。

ただ殴るだけに留まらず、常軌を逸した暴力行為でした。

  • 陰毛を剃り、陰部にマッチの軸木を挿入して火をつける
  • 自慰行為を強要する
  • 性器や肛門に鉄棒、瓶等を挿入する
  • 20キロの鉄アレイを何度も体の上に落とす
  • 真冬のベランダに裸で叩き出して放置する
  • 油を太腿部に注ぎ、ライターで火を点ける
  • 顔面に蝋を垂らして顔一面を蝋で覆いつくし、両眼瞼に火のついたままのロウソクを立てる
  • 飲料パックにした尿をストローで飲ませる

以上のような人間の所業とは思えないことが実際に行われたのは信じがたいことですね。

古田順子さんはあまりの辛さに「もう殺して」と懇願したそうですが、少年たちは無視して暴行を続けました。

1989年1月4日、午前8時頃から10時頃までの約2時間にわたって休みなく暴行をうけた、古田順子さんは衰弱し亡くなりました。

古田順子さんが亡くなると、少年たちは遺体をどのように捨てるかを相談しはじめました。

ひとりが以前読んだ漫画の中に死体をコンクリート詰めにして遺棄するエピソードがあったことを思い出し、実行に移します。

近所に置いてあったごみ捨て用のドラム缶を盗み、セメントと遺体を運ぶためのトラックは少年ひとりの以前の勤め先から借り受けました。

少年たち4人は、古田順子さんの遺体を頭までコンクリート詰めにして、トラックで東京都江東区若洲の埋め立て地へ遺棄しています。

事件が発覚したのは、別の強姦事件で捕まって取り調べを受けた際、刑事の1人が「人を殺してはダメじゃないか」とカマをかけたところ、古田順子さんの件を自供し始めたためです。

被害者・古田順子は40日間監禁で何度も妊娠していた?

女子高生コンクリート詰め殺人事件の犯人として捕まったのは少年4人です。

しかし古田順子さんを強姦した人数は100人を超えると言われています。

逮捕後の取り調べで少年たちの同級生や知人、暴力関係者などが犯行に加わったことがわかっています。

少年だけでなく少女も、拷問のような暴行に加わったと言われています。

40日間の監禁期間で古田順子さんは400回以上強姦され、現場からはコンドームなどの避妊具はひとつも発見されていません。

性的暴行が続いた結果、古田順子さんの遺体には妊娠した形跡があったようで、生理はこなくなっていたと言われています。

しかし、激しい暴行により子宮が引き裂かれており、子供を産める状態ではありませんでした。

遺体で見つかった時の状態が悲惨すぎる?

古田順子さんの遺体が見つかったのは1989年3月29日のことです。

発見当時の古田順子さんの遺体は腐敗が進んでおり、古田順子さんの家族も身元を確認することはできませんでした。

遺体の指紋を照合することで身元確認が行われました。

ひどい暴行の果てに亡くなった古田順子さんの見つかった時の状態は、あまりにも悲惨なものでした。

40日間強いストレスを受けたことで、古田順子さんの脳は通常の2分の1のサイズにまで委縮していました。

コンクリート詰めにされていたため遺体は変色し、全身が真っ黒な状態で、体中ボロボロだったと言います。

  • 性器と肛門は完全に破壊され原型をとどめていなかった
  • 目、鼻、口の位置がはっきりとわからなくなっていた
  • 頬骨や顎骨が砕け散っていた
  • 栄養失調状態で、51キロあった体重は35キロまで減少していた

捜査員たちもあまりの惨さに直視できないほどでした。

加害者の親は生理用品を買いに行っていた?

加害少年たちのたまり場は、ひとりの少年の自宅(実家)でした。

驚くべきことですが、父親も母親も古田順子さんの存在を知っていたというのです。

母親は、古田順子さんのために生理用品を買いに行ったこともあるようです。

1988年12月の初め頃、古田順子さんを自宅に監禁していた時、父親は少年の自室から大きな音が聞こえたため「うるさいぞ」と注意しに行きました。

その時は部屋には入れてもらえなかったものの女性の声が聞こえたために「女の子が遊びに来ている」と思ったそうです。

12月末には、両親は古田順子さんにドアの外から「食事をあげるから出てきなさい」と声をかけ、少年や仲間たちとともに和室で夕食を摂りました。

その際に「家に帰りなさい」と促しました。

古田順子さんはこの時一度外に出しましたが、すぐに犯人が連れ戻しています。

この一件以来、暴行がエスカレートしていきます。

母親も少年に暴行を受け、それ以降、古田順子さんに関わることをやめてしまったんだとか。

加害者の両親が犯行に気付きつつ、家庭内暴力の恐ろしさから気付かないふりをしていたという点もこの事件の恐ろしい点です。

別名・「綾瀬コンクリート事件」と呼ばれている

「女子高生コンクリート事件」は別名「綾瀬コンクリート事件」と呼ばれています。

古田順子さんが監禁されていた場所がグループのたまり場だった東京都足立区綾瀬の加害少年宅だったためです。

犯行の行われた場所を整理すると

  • 拉致されたのは埼玉県三郷市
  • 監禁場所は東京都足立区綾瀬
  • 遺体遺棄場所は江東区若洲

となります。

古田順子の生い立ち

「女子高生コンクリート詰め殺人事件」の被害者である古田順子さんは、1971年1月18日生まれ。

埼玉県三郷市出身でで三人兄弟の真ん中に育ちました(兄と弟がいます)。

とても活発で明るい性格で男女問わず同級生から人気で、成績のよい真面目な生徒だったため教師からも評判がよかったそうです。

アルバイト先の店長曰く、「派手な服装はせずいたって真面目な子」だったようで、事件を受けて「なぜあんなにいい子がこんな事件に」という嘆きの声が多く挙がりました。

身長165cmでモデルのようにスタイルがよかったと言われており、古田順子さんの友人の話ではアイドルに憧れていたんだとか。

高校卒業後の進路もすでに決まっており、家電量販店への就職を内定させていた古田順子さん。

1989年4月2日には古田順子さんの葬儀がテレビで中継され、多くの関係者が訪れました。

テレビには人目も憚らず号泣する同級生の姿が映し出され、理不尽な凶行に多くの人が怒りを抱く事件となりました。

「コンクリート事件」のその後がヤバい!?両親が自殺したとの噂も?

昭和最後の凶悪事件とされた「女子高生コンクリート詰め事件」。

事件の衝撃は大きく、事実とは関係のない噂が流れたり、少女の実名・顔写真が報道される報道被害が発生するなど混乱が続きました。

古田順子さんの家族は根も葉もないもない噂やセカンドレイプ同然の記事に悩まされました。

中には芸能人がかかわっていたという噂もありました。

古田順子の両親が自殺したという噂も

事件後、娘を惨殺されたショックから古田順子さんの両親は精神的に病んでしまって自殺したという噂が流れました。

実際、身元確認のため、熟練された捜査関係者ですら目を背けてしまうほどの状態だった娘さんと対面しています。

ご両親がまともな精神状態にないであろうことは容易に想像できますね。

しかし、自殺したなどの確かな情報はなく事件のあまりの残酷さからそのような噂が流れてしまったのでしょう。

事件当時の公判で「この手で犯人を殺してやりたい、その気持ちは変わらない」といった父親の証言が読み上げられており、そのショックの大きさが分かります。

家は一軒家だったそうですが、事件後もそこへ住み続けるのは辛かったのか、売り払いどこかへ転居しています。

現在古田順子さんのご両親がどのように暮らしているのかは分かりません。

遺族はデマに苦しめられる

事件当時犯人たちは全員少年だったため、少年法という壁で、加害者たちは実名は伏せられていました。

しかし、被害者の古田順子さんは名前などの個人情報や顔写真が公表されました。

その中で新聞各紙は彼女が元から少年たちと仲間だった、というようなニュアンスで報じました。

そのせいで「古田さんは不良少女で少年たちと顔見知りだった」という情報が拡散されていくことになります。

マスコミの報道はあろうことか加害者をかばうような内容が多くありました。

  • 被害者である古田順子さんにも責任がある
  • 少女にも非がある、育て方にも問題があるため両親にも責任の一端はある
  • 加害者少年たちは家庭環境に問題があり、そのせいで非行に走ってしまった

被害者の古田順子さんには何の落ち度もありませんでした。

極めて悪質なデマであり報道の仕方に疑問を感じます。

こうした人々の興味を煽るためだけになされた当時の報道は、現在でも強く批判されています。

「コンクリート事件」加害者の事件の判決は?週刊文春が実名報道!

女子高生コンクリート事件を起こした加害少年たちはどんな人物だったのでしょうか。

加害少年の4名は、未成年であることから本来は少年法に守られて実名は伏せられていました。

しかし事件の悲惨さは社会的影響が大きく、裁判所も少年院送致などの少年法による対処はせず通常の刑事裁判で裁きを行っています。

これを受け、週刊文春は「彼らに少年法が必要か」「加害者の名前も公表せよ!」として実名報道に踏み出しています。

少年A(宮野裕史)

宮野裕史は1970年4月30日生まれ。

事件のリーダー的存在で事件当時18歳でした。

中学時代は柔道の軽量級の選手で、高校に進学しますが、部活内のいじめや体罰が原因で退学しています。

その後タイル工として働き、暴力団員とつるむようになりました。

宮野裕史の父親は証券会社に勤務し、母親は音大を卒業しピアノ講師をしていましたが、不仲で家庭内別居状態だったそうです。

宮野裕史は半グレ集団を立ち上げ、女性を狙ったひったくりや強姦事件などを繰り返し起こしていました。

女子高生コンクリート事件では懲役20年の判決をうけ、千葉刑務所に服役し2009年に出所しています。

養子縁組をして名前を横山祐史に変えています。

事件の判決時、両親は家を売り払い5000万円の慰謝料を被害者家族に支払いました。

少年B(小倉譲)

小倉譲は1971年5月11日生まれで、事件のサブリーダー的存在でした。

事件当時は17歳です。

両親が別居したため、姉と一緒に母に育てられ、家庭環境には恵まれませんでした。

私立高校に入学しますが暴力事件を起こし退学処分となります。

性格は真面目で部活に励んでいましたが、ケガをきっかけに部活を辞め、だんだんと非行の道へ進んでいきます。

母親は子供を養うため、水商売をして働き、父親は離婚はしてないものの愛人と暮らしていたんだとか。

被害女性を最初に連れ去ったのはこの小倉譲です。

そして懲役5年以上10年以下の不定期刑が下されます。

1999年に出所後、養子縁組で神作に苗字を変えています。

少年C(湊伸治)

湊伸治は1972年12月16日生まれで、事件当時16歳でした。

都内で唯一の化学専門工業学校に進学する優等生でしたが、宮野裕史と小倉譲と親しくなったことで、この事件の片棒を担ぐこととなります。

両親は共産党員で、父親は共産党系診療所の事務局長をしていて、母親は主任看護婦をしていました。

裕福な家庭ですが、厳しい父親からは家庭内のルールを破った際にたびたび暴力を振るわれていました。

母親は口出しできなかったようです。

被害者を監禁した場所は、湊伸治の自宅の部屋でした。

そして懲役5年から9年以下の不定期刑が下されます。

事件後、湊伸治の母親は「息子の人生を狂わせた」と古田順子さんを逆恨みし、両親への謝罪もなく、被害者のお墓を破壊しています。

少年D(渡邊恭史)

渡邊恭史は1971年12月18日生まれで、事件当時17歳でした。

5歳の時に親両親が離婚をし、母親と姉と暮らします。

離れて暮らしていた父親とは頻繁に会っていたようですが、交通事故で死んでしまいます。

そして中学生時代にはひどい体罰を受け、人を信用できなくなってしまったそうです。

内気な性格で、中学卒業後は定時制高校に入学しますが、すぐに退学してしまいました。

その後、中学の同級生だった宮野裕史らとつるむようになり、犯行に加わります。

しかも姉は少年Aである宮野祐史と交際していたようです。

渡邊恭史は当初、事件に積極的に関わっていませんでしたが、最後に死亡する原因となった暴行を与えてます。

判決は小倉譲、湊伸治と同じ5年から7年の不定期刑でしたが、その後渡邊恭史だけが上告し懲役3年以上4年以下の不定期刑となりました。

少年院では陰湿ないじめにあっていたそうで、出所後、精神病を患っているという情報もあります。

4人中3人が再犯していた?加害者4人の現在とは?

女子高生コンクリート事件」の発生から30年以上が経とうとしています。

逮捕された4人の元少年たちは服役を終えて、釈放されています。

残虐な事件を起こした犯人たちが社会に戻ってきたことは非情に恐ろしい現実ですね。

しかも、4人中3人は再犯で逮捕されています。

元少年たちの現在について調べました。

少年A(宮野裕史)

宮野裕史は2009年に出所後、車の名義関係でトラブルとなったことから詐欺で逮捕されました。

さらに2013年、振り込み詐欺のメンバーとして逮捕されています。

詐欺グループでは銀行で金を下ろす受け子(出し子)をしていました。

完全黙秘を続けたために組織全体の解明にはつながらず、不起訴処分で釈放されています。

2017年には現在の姿を週刊誌にスクープされており、キックボクシングジムに通い身体を鍛えているんだとか。

高級時計や外車を乗り回し、羽振りのいい生活をしているようだが、その資金はマルチ商法や詐欺行為などで不正に稼いだお金のようです。

少年B(小倉譲)

小倉譲は1998年8月に出所しますが、態度が改められることはなく、遺族へ慰謝料として払うべきお金を使ってセルシオや高級住宅を購入しています。

コンピュータ会社にアルバイトとして勤務しますが、事件のことが周囲に知られ辞職しました。

2002年には中国人と結婚し、中国に行こうとしますがうまく行かず離婚してしまいます。

そして暴力団関係者の事務所に出入りするようになります。

2004年には母親が経営するスナックで知り合いの男性を監禁し暴行したとして、「三郷市逮捕監禁致傷事件」を起こし懲役4年の実刑判決となっています。

その時に

「オレは人を殺している。10年間懲役を受けた。アレ(コンクリート事件)は楽しかった。アレの主犯は本当は俺だ」

と語ったんだとか。

反省の色がまったく見られない発言ですね。

2009年に2度目の出所をしていますがその後は消息不明です。

噂では大阪に潜伏している、結婚して子供がいるなどの情報がありますが真相は定かではありません。

現在はさらに名前を変え、まったく別の名前を名乗っているとされています。

少年C(湊伸治)

湊伸治の正確な出所時期は公表されていませんが、出所後は運送会社で働きながらムエタイをはじめ、プロデビューを果たしています。

しかし事件のことが周囲にバレたことに加え、実力があまり振るわずすぐに辞めてしまいました。

2006年頃ルーマニア国籍の女性と結婚し、娘がいるという噂がありましたが事実かどうかは不明です。

そして2018年8月19日、埼玉県川口市で殺人未遂で逮捕されます。

軽トラに乗る男性を警棒で殴り、刃物で男性の首を刺して重症を負わせたのです。

この事件が起きる数か月前、引っ越した先のアパートの隣人とトラブルを起こしていたとの情報もありました。

この時に判決は懲役1年6ヶ月、保護観察付き執行猶予3年でした。

前科を考えると少し軽く感じますが、前科の事件が当時少年だったことや20年以上前ということが考慮されたのでしょうか。

少年D(渡邊恭史)

渡邊恭史は主犯4人の中で唯一再犯歴がありません。

出所後はしばらく母親と暮らしていたそうですが、その後姉夫婦と一緒に暮らしているそうです。

姉は宮野祐史と付き合っていた過去もあり、引き合わせたことを負い目に感じているのかも知れません。

目の病気を患ってるようで現在は生活保護をうけながら生活しているようです。

いずれも4人中3人が再犯した結果となりましたが、どの事件の報道も実名報道のみで、「女子高生コンクリート詰め事件」の事や顔写真など触れないような報道がされており、少年法との関係が問題視されています。

事件は少年法の在り方に大きく影響を与えた

あまりに残虐な事件で世の中に衝撃を与えた「女子高生コンクリート詰め事件」は、その判決にも「軽すぎる」といった声があがり注目を集めました。

事件が発覚した当初から、加害者少年たちに対し世間は死刑や無期懲役などの厳罰を求ました。

しかし実際に刑期はかなり短いものでした。

量刑が軽くなった理由は「少年だから」です。

「女子高生コンクリート詰め事件」はその残虐性と加害者が少年だったこともあり、実名報道など少年法の在り方を考えるきっかけとなりました。

凶悪な事件を起こしても、少年法によって犯罪者たちは守られます。

少年法は罪を犯した少年に対して、処罰よりも更生を優先させることが目的ですが、再犯率をみても更生しているとは言い難いです。

凶悪犯罪に限っては成人も未成年も関係ないと考える人も多いでしょう。

古田順子の「コンクリート事件」をテーマが多数?

「女子高生コンクリート詰め事件」は今から30年以上も前の出来事ですが、多数の書籍や映画などで作品化されています。

ショッキングな内容に事件ではありますが、世の中から風化させないことも大切なのではないでしょうか。

書籍「十七歳、悪の履歴書」

2003年に渥美饒児により書き下ろされた「十七歳、悪の履歴書」はノンフィクション・ノベルです。

事件の経緯はもちろんですが、セリフや心情も描かれているリアルな作品となっています。

事件の経緯よりも、なぜ少年たちはこのような過ちを犯したのか、学校や家庭環境など社会全体に責任があるということに重きをおいている作品です。

映画「コンクリート」

映画「コンクリート」は2004年に公開されています。

主演は高岡蒼佑さんで、先に紹介した「十七歳、悪の履歴書」を原作とした映画です。

この映画の公開にあたっては、「映画化する意味があるのか」などさまざまな意見があり、上映の反対運動も起こっています。

そして上映からわずか1週間で公開中止となります。

なお大手レンタルチェーンにもこの映画のDVD等を置かないでほしいとの声も多数上がっていました。

実際にこの映画を見た人も、「何を伝えたいか分からない」などの声があげられています。

コンクリート事件・古田順子の遺体と真相がヤバい!?生理こずで妊娠?まとめ

昭和最後の凶悪犯罪と言われた「女子高生コンクリート詰め事件」。

まだ17歳という若さで未来を奪われた古田順子さんが可哀想でなりません。

また、報道被害や少年法により加害少年たちが守られたことを思うと、もっと被害者を守ることができなかったのか疑問に思います。

加害者たちが悔い改め、真っ当に生きることが一番の償いのはずです。

古田順子さんの冥福を祈るとともに、この痛ましい事件が問いかける課題にも向き合って行きたいと思います。