【2022最新】花咲まゆは現在結婚してる?清岡純子が絶賛したロリータアイドルとは?

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覚えている方もいらっしゃるかもしれません。昭和のロリータアイドルとして衝撃的な作品を表に出した彼女、花咲まゆさん。

レズビアン活動家して、作家、写真家として数々の女性や純真さをフォーカスに納め、清岡純子が追い求め続けたロリータアイドルの存在とは?

花咲まゆさんの功績、結婚はしている?彼女と同時期に昭和を彩ってきたロリータアイドル達とは?を調査してきました。

花咲まゆは昭和を代表するロリータアイドル!

昭和は後半56年、1981年7月にデビュー。別名義では沢井由実として活動していた彼女、花咲まゆ。

グラビアでロリータアイドルとして活動していた彼女ですが当時の年齢は13歳。

今ではとても考えられませんが、写真家 清岡純子の作品としてグラビアデビューした写真はヌードでした。

当時は本屋さんに普通に置いてあり、その過激さも相まって文字通り昭和を代表するロリータアイドルとして世間を賑わせました。

写真家の清岡純子が絶賛した花咲まゆとは?

日本のレズビアン活動の先駆者とも言われる写真家 清岡純子は当時のことをこう答えている。

いちばん思い出深いモデルである

ずっと少女を撮り続けているけど、これ以上の傑作はいまだに撮れない

Wikipediaより

その後も数々の少女を取り続けてきた清岡純子ですが、とても難儀されていたようです。

デビュー作「潮風の少女」で大ヒット!

1981年7月、沢井由実の名義で出した「白薔薇園 PART-2」がロリータアイドルとしての処女作であり、1981年10月「舞う少女 清岡純子の少女写真術」で名前は入らなかったもののサンプル写真として掲載。

のちに改名をし、1982年2月に花咲まゆとしてデビューを飾った作品が「潮風の少女」となります。

こちらは清岡純子の聖少女シリーズ第5作目として刊行されました。

※刊行日は諸説あります。

清岡純子が手がけた「聖少女」シリーズで最も売れた作品に!

すでに「白薔薇園 PART-2」で話題になっていた花咲まゆ初のソロでの写真集となりますが

イメージチェンジがあり、当時のファンからすると複雑な心境もあったそうです。

同時に潮風の少女は、ソロとしての彼女の存在感がそれらを吹き飛ばしてしまう程のインパクトを持ち、最後には清岡純子の聖少女シリーズで最も売れた作品となりました。

余談ですが同年1982年3月に、堀ちえみが出したシングルも「潮風の少女」でした。

「私は「まゆ」13歳」も大ヒットを記録!

1982年9月に刊行された「私は「まゆ」13歳」ですが、前述の「潮風の少女」の廉価版、花咲まゆ写真集の集大成となっている内容のようです。当時の本屋さんの話だと増刷数は11回はされたのではないかと言われるほど。

驚きを隠せないくらいセンセーショナルな内容となっていますが、昭和当時の一般書店では普通に平積みにされて店頭に置かれていたようです。

今なお伝説と言うほどに語り継がれる彼女は、昭和を代表するロリータアイドルと言って相違ないでしょう。

昭和のロリータアイドル5選!

ここでは花咲まゆの他に、昭和を代表するロリータアイドルを語るには外せない5人を選んで説明しています。

諏訪野しおりについては別で詳しく記事を書かせていただいているので、下記のリンクから飛んでいただけるとより一層お楽しみいただけます。

昭和のロリータアイドル①諏訪野しおり

1984年、英知出版から出された写真集「君はキラリ」で10万部の大ヒットを生んだロリータアイドルの1人、諏訪野しおり。

後述する早見裕香、織絵加南子も同年に英知出版から出されヒットを記録したことから「英知3部作」とも呼ばれています。

>>諏訪野しおりは現在2児の母?芸能界引退後の目撃情報!

昭和のロリータアイドル②早見裕香

「英知3部作」の1つ「不思議の国の少女」で話題となったロリータアイドル早見裕香。

スタイリストは「君はキラリ」でも担当の山田治男。人形作家の天野可淡。写真家は彩紋洋実です。

早見裕香本人の全身を石膏で作り、早見裕香のマネキン人形と共に撮られたこの写真集は

彩紋洋実の撮る独特な世界観で抜き取られこちらも人気だったそうです。

昭和のロリータアイドル③少女M(田中みお)

少女Mとして突如デビューした彼女は写真集3冊と出したビデオ2本で4億円近く稼いだそうです。

新聞などの未成年を表す少年Aから着想を得た彼女の叔母が(叔母はプロダクション経営)付けた名前です。(Mは未成年の頭文字M)

同じロリータアイドルの諏訪野しおりとは事務所が同じで、映画やテレビなどで共演することが多かったことが知られています。

昭和のロリータアイドル④西村理香

この中で唯一1990年代に活躍した西村理香は、タイ国の戸籍もないような村の出身でした。

母に逃げられ酒飲みの父がいる中、女郎屋に売られそうなところ写真家の力武靖に見出され彼女の叔母に

「毎月金を支払うから絶対に売らないでくれ」と交渉し叔母の下に置いてもらえることになったそうです。

清岡純子の写真が摘発され、日本でもロリータアイドルブームが低迷し日本人の起用が難しくなった頃、東南アジア人モデルを起用し始めました。

その第一人者でもある力武靖がタイのチェンマイに来ればロリータのヌードが撮れると聞きつけたところ出会ったというのがきっかけです。

昭和のロリータアイドル⑤織絵可南子

「英知3部作」の1つ「心のいろ」が代表作ではありますが、これ以降の活躍はありませんでした。

この時期のロリータアイドルには珍しくなく、一発屋として終わってしまうことも少なくなかったとされています。

花咲まゆの現在は?

90年代以降はメディアの露出もなく、87年に清岡純子がたんぽぽの花というところから発売したVHS「わたしは「まゆ」思い出の夏」を最後にフェードアウトしてしまいました。

そんな彼女の現在ですがどのように過ごされているのでしょう。

花咲まゆは現在54歳に

1981年7月に「白薔薇園 PART-2」でデビューした頃は13歳でしたので、現在の年齢は54歳になります。

花咲まゆの活動期間は1〜2年と短いものでした。面影は残っていらっしゃるかと思いますが、ファンの方でもすれ違っていても気づくのは難しいかもしれませんね。

花咲まゆは結婚している?

残念ながら現在ご結婚されているか、お子さんがいらっしゃるかどうかの情報はありませんでした。

花咲まゆは当時で絶大な人気を得るほど可愛らしい方でしたので、現在も当時はしていなかったメイクをしたりと、また違った魅力を漂わせていると思われますので世の男性たちが放っておくのも難しいのではないかと予想できますね。

花咲まゆの裸体雑誌や写真集は発行禁止処分に

1999年に「児童売春、児童ポルノに係る行為等の処罰及び児童の保護等に関する法律」(18歳に満たない者)により花咲まゆ及び該当する書籍等は全て廃刊、絶版とされました。

法改正の前までは、ヘア(陰毛)はダメとされ、生えていなければ法には触れていないとされそのまま通ってしまうほど、法律の穴が大きな頃でした。

現在ではまるでその逆のようなものになっています。

昭和当時の少女ヌードブーム

今では想像する方が難しいという声が大きく上がりそうなものですが、当時はそんなこともなく書店に平積みにされていたり、立ち読みができたり。

週刊誌にも今でいうグラビアの代わりに少女ヌードが掲載されていたそうです。

そんな当時の様子を調査してみました。

見たくても見れなかった為の苦肉の策

前述の通り「児童売春、児童ポルノに係る行為等の処罰及び児童の保護等に関する法律」(児ポ法)以前はヘアを写すのは禁止とされていました。

当時の日本では猥褻(わいせつ)に当たるものがヘアであったとされています。そこでヘアが写っていなければ猥褻ではないのか、ヘアの生えていない者であれば猥褻には当たらないのかという無茶苦茶な理屈で強引に通してしまったのがこの少女ヌードだったのです。

当時はヘアが無い状態では黒塗りもモザイクもされていなかったので、見れないものに代わるように少女ヌードに夢中になっていたそうです。

ドラえもんのしずかちゃんは当時の名残?

それと同時にマンガや週刊誌、アニメでもロリータブームは起きていました。

「プレイボーイ」「平凡パンチ」「スコラ」にも少女ヌードは掲載され、花咲まゆも抜粋ではありましたが「平凡パンチ」に掲載されていました。

アニメでも「アルプスの少女ハイジ」「うる星やつら」もロリータブームの影響があり、特に「機動戦士ガンダム」に出る女性の体つきの描き分けはとても丁寧で好評だったそうです。

アニメでの女性の変身シーンや破れていく洋服、お風呂シーンなど確かに今思うと多く描写されていましたが、そういったロリータブームの影響が大きくあったのかもしれません。

花咲まゆ作品を手がけた清岡純子とは?

子爵である清岡長言は菅原道真の子孫であり、母親も子爵家である唐橋家の出でこちらも遡ると菅原家を祖とする名家の三女です。

潮風の少女を出す前は新日本新聞社、キネマ画報社、新歌舞伎座に勤めその後はフリーで活躍。

日蓮女優という官能小説では作家クラブ賞を受賞していて

作家やカメラマンの他に清岡純子はレズビアン活動の先駆者としても知られています。

清岡純子は花咲まゆ以外にも浅沼由香里岡本理絵といったロリータアイドルも手がけていますね。

今では廃刊となって入手はできませんが浅沼由香里、岡本理恵は共に「フレッシュ•プチ•トマト」シリーズに出演しています。

清岡純子さんは91年(平成3年)の10月にこの世を去られました。

清岡純子は少女ヌード作品で有名な写真家

清岡純子のレズビアンという内面と少女ヌードを撮ることが関係しているのは想像の難しいところではありません。

一説には、清岡純子は自身の少女時代の影を追い求めているといった声も上がっています。

その影が形を成して現れたのが花咲まゆだったのでしょう。

清岡純子の作品一覧

・女と女 レズビアンの世界

・レスビアンラブ入門 心に愛を唇に乳房を

・セルフ・ラブ おんなとおんなの聖書

・聖少女シリーズ 1〜6(潮風の少女)

・白薔薇園 PART1〜5

・日蓮女優

他にも舞台女優で知られる大地真央さんの宝塚時代の舞台写真集などを手がけています。(画像左上が清岡純子作のブリリアント•トップスター 大地真央です)

人気のプチトマトシリーズも手がける

「フレッシュ•プチ•トマト」や「プチ•トマト」シリーズは今では廃刊、絶版となっており閲覧•入手共にできなくなっています。

1982年から亡くなる1年前の1990年までおよそ60を超える月刊号全てを清岡純子が手がけてきました。

昭和ロリータアイドルの象徴花咲まゆについて

当時は法規制も今とは違っており、現代の日本ではびっくりするようなことが起きていました。

しかしそれは昭和の頃を象徴する大きな社会現象の1つとして在り、現代のアイドル像ができ上がる理由となった種とも言えるかもしれません。

今は花咲まゆさんもたんぽぽから綿毛になり、新しい場所で穏やかに花を咲かせていると思います。