1900年頃に、ある美女が母親の手によって25年間ものあいだ監禁されていたという信じられない事件が発覚しました。
その名は「ブランシュ・モニエ監禁事件」。
かつてフランスで絶世の美女と呼ばれたブランシェ・モニエが、なぜ長い間閉じ込められていたのでしょうか。
また、事件の結末と救出されたブランシェ・モニエのその後はどうなったのでしょうか?
ブランシュ・モニエの監禁事件とは?

引用元:Wikipedia
「ブランシェ・モニエ監禁事件」は、被害者ブランシェ・モニエの名から取られています。
ブランシュ・モニエは窓もない真っ暗な屋根裏部屋で、ネズミやゴキブリが這いまわる劣悪な環境下で25年もの長い間暮らしていました。
事件から1世紀以上が経つ現代においても、「ブランシェ・モニエ監禁事件」を超える悲惨な監禁事件は他に無いと言えるでしょう。
ブランシュ・モニエの生い立ちや監禁までの悲劇をまとめました。
ブランシュ・モニエは貴族の家系として生まれる
ブランシュ・モニエは19世紀半ばにフランスで生まれました。
兄・マルセルとの2人兄妹で、生家は生家は貴族の家系であり、パリの社交界でも評判の美人だったそうです。
ブランシュ・モニエに求婚する男性は後を絶たず、母親は裕福な家柄の男性との結婚を強く望んでいました。
ブランシュ・モニエが監禁された理由とは?
ブランシュ・モニエは25歳のとき、1人の男性と出会い結婚を決意します。
相手は、年上の貧しい弁護士でした。
しかし、母ルイーズに結婚のことを告げると、貧しさと年上であることなどを理由に猛反対をしました。
ブランシュ・モニエが貧しい男性と結婚することで、母親たちが将来的に裕福な暮らしができなくなることや、家柄に影響が出るなど、当時の思想や政治などの時代背景も理由の1つと考えられています。
母ルイーズに結婚を反対されたブランシュ・モニエでしたが、それでも男性との結婚を諦めず、結婚の決意を固めていました。
母親の意見を受け入れずに結婚をしようとする彼女が結婚を諦めるまで、屋根裏に閉じ込めることを考え、とうとう母ルイーズは実行したのでした。
母親によって屋根裏部屋に監禁
結婚を諦めさせるためにブランシュ・モニエは屋根裏部屋に閉じ込められてしまいました。
母ルイーズは窓を塞ぎ、ドアには南京錠をかけ、飢餓状態を強いました。
しかし、25歳にもなる大人の女性が急にいなくなれば周囲の人たちも不審に思ってしまいます。
そのため、母ルイーズと兄マルセルは、周囲の人たちに「娘は亡くなった」と説明し、悲しむふりを見せていました。
25年間の監禁生活に
周囲の人はブランシュ・モニエは亡くなったと信じ、時間と共に記憶や興味が薄くなっていき、次第にその存在を忘れられていくことになったのでした。
屋根裏に閉じ込められて、周囲には亡くなったと説明されたブランシュ・モニエは、その後25年間の監禁生活をすることになります。
結果として、彼女が50歳になるまで続いたのです。
弁護士事務所への手紙で監禁が発覚
ブランシュ・モニエの監禁生活は突如として幕を降ろすことになります。
ある日、パリの弁護士事務所に匿名の手紙が届き、その手紙には彼女が25年も劣悪な環境で監禁されていることが書かれていました。
警察もその手紙に半信半疑でしたが、念のため捜査をしたところ、鍵のかけられた屋根裏部屋からブランシュ・モニエが発見されたのです。
監禁されていた部屋は大量の埃が舞い、吐き気を覚えるほどの汚れた毛布があり、床には排泄物や残飯が積もっていて、ゴキブリやネズミが走り回るような環境でした。
彼女はやせ細り、体重は25キロほどしか無い骨と皮状態だったといいます。
精神病院で亡くなるまでまともに話せず
保護されたブランシュ・モニエでしたが、25年の監禁生活は心身に大きな影響を与えていました。
監禁生活中にまともな食事を与えられていなかったため飢餓状態であり、暗闇で過ごしていたことから、太陽光に怯える様子も見せたそうです。
保護された後は病院に運ばれ、その後10年以上は生きることができましたが、精神病院で亡くなるまでまともに会話をすることはできないままでした。
母ルイーズはブランシュ救出から15日後に他界
ブランシュ・モニエを監禁していた母ルイーズと兄マルセルはその後逮捕されました。
しかし、逮捕からわずか15日後に母ルイーズは、刑務所内で心臓発作を起こして亡くなってしまったのです。
父親も25年の監禁生活中に亡くなっているため、監禁の真実を知るのは兄のマルセルだけとなってしまいました。
衝撃の暴露!ブランシュ・モニエ事件の知られざる真相とは?
兄のマルセルも母ルイーズの共犯として逮捕されました。
そして、兄マルセルはその後に裁判を受けることになります。
その裁判で、兄マルセルから驚きの証言が多く飛び出すこととなったのです。
ブランシュは監禁前から精神に問題を抱えていた?
兄マルセルや証人のメイドの証言によると、ブランシュ・モニエは内気で自分に自信が持てない性格で、母ルイーズとの親子関係もうまくいっておらず、10代の頃から拒食症になっていたそうです。
そのため、監禁前からもともと精神疾患があったと主張しました。
また、ブランシュ・モニエは不治の病にかかっていて、部屋で隔離生活をしていたと証言したとも言われています。
しかし、彼女は監禁される前は賢く、気立ての良いお嬢さんとして評判でした。
証言がどこまで事実であるかはわかりませんが、ブランシュ・モニエが拒食症を度々繰り返していたことは事実だったと言われています。
ブランシュは監禁されていなかった?
兄マルセルの証言ではブランシュ・モニエは監禁されていたのではなく、隔離生活をしていたことになります。
その主張して、ブランシュ・モニエを全く動けない状態にしていないことや、家に監禁をしていたことから助けが必要であれば周囲に知らせることも可能であったなどを挙げたそうです。
もし、この話が本当であれば、ブランシュ・モニエは監禁されていたのではなく、自らの意思で部屋に留まっていたことになります。
しかし、ブランシュ・モニエが保護されたとき、全裸の状態で、部屋には排泄物が散らかっていました。
証言では、ブランシュ・モニエは露出症と糞便愛好症であり、その劣悪な環境も自ら作ったものと証言しました。
ブランシュ・モニエが保護されたときには実際に糞便愛好症であったと言われています。
ただし、これらは25年の監禁生活中に発症した可能性も考えられ、他にも統合失調症や神経性食欲不振などにもなっていたとも言われています。
母ルイーズの突然の死は毒物での自殺?
母ルイーズは逮捕されて15日後に心臓発作で亡くなっています。
そのタイミングから「病死ではなく、毒物による自殺では?」と噂されていますが、事実はわかってません。
また、母ルイーズは亡くなる前に、ブランシュ・モニエに対する罪を告白し、彼女への謝罪の言葉を口にもしたと言われています。
兄マルセルは控訴し無罪に
兄マルセルの裁判は15カ月の実刑判決となりました。
しかし、この結果を不服に思った兄マルセルは控訴しました。
そこでブランシュ・モニエにもともと精神疾患があることや監禁していなかったなどと証言しました。
また、母ルイーズは亡くなっていましたが、罪を認めていたこともあり、兄マルセルは無罪となったのでした。
ブランシュとマルセルは同じ年に他界
保護されたブランシュ・モニエは1913年に亡くなりました。
また、同じ年に裁判で無罪となった兄マルセルも亡くなっています。
偶然だとは思われますが、同じ年に他界されていることに不思議な因縁を感じる人も多いようです。
ブランシュ・モニエ事件発覚のきっかけの手紙の送り主の謎とは?
ブランシュ・モニエの監禁が発覚したのは匿名の手紙がきっかけでした。
その手紙の送り主は誰だったのかわかっていません。
そのため、母や兄、裁判で証言をしたメイドやその関係者など、いろいろな噂があります。
兄マルセルが遺産相続のために書いた?
事件発覚の手紙の送り主についてはいろいろな噂があり、兄マルセルが手紙の送り主ではないかと言われることもあります。
母ルイーズが高齢になったことで、兄マルセルは母ルイーズが亡くなった後は自分がブランシュ・モニエの面倒を見ることになってしまいます。
また、罪が発覚してしまうので、母ルイーズが亡くなってから彼女を解放したり、病院に連れて行ったりすることもできません。
場合によっては、母ルイーズの罪まで自分が被る可能性もありました。
そのため、兄マルセルは母ルイーズが亡くなる前に、一旦事件を発覚させて、裁判で無罪を勝ち取るという方法を行ったと噂されています。
兄マルセルは弁護士であったこともあり、「この噂が事実ではないか?」と予想している人は多いようです。
また、母ルイーズがブランシュ・モニエがいなくなった理由を亡くなったのではなく、海外で生活していると周囲に嘘をついていたと言われることがあります。
ブランシュ・モニエが生きていることになれば、母ルイーズが亡くなったときに、遺産相続の関係で彼女のいる場所や状況が調べられ、監禁が判明してしまいます。
そのため、母が亡くなる前に罪を発覚させるために兄マルセルが手紙を書いたと考える人もいるようです。
ブランシュ事件は小説化された!?
ブランシュ・モニエの監禁事件は世間に大きな衝撃を与えました。
謎のままとなっている部分も多く、いろいろな憶測もあり、多くの人の興味を引きつける事件にもなりました。
そのため、小説の題材にもなり、1930年に作家アンドレ・ジッドによって「La Séquestrée de Poitiers」というタイトルで小説化されました。
主人公の名前はブランシュ・モニエではなく、メラニー・バスティアンと変更されている以外は事件の内容をそのまま小説にしたものとなっています。
ただし、この作品は日本語に翻訳はされていないようです。
7話完結のラジオドラマ化も
ブランシュ事件は映画監督のフランソワ・トリフォーによって7話完結のラジオドラマにもなっています。
映画監督フランソワ・トリフォーの代表作には「大人は判ってくれない」「アメリカの夜」などがあり、スティーヴン・スピルバーグ監督作品の「未知との遭遇」では科学者役で出演もされてます。
ブランシュ・モニエ事件は謎が残ったまま
ブランシュ・モニエは25年もの監禁生活を送りました。
事件はブランシュ・モニエさんの保護によって解決していますが、時代がまだ1900年頃のことであり、当時の科学や捜査技術などに限界もあることから、その真相には謎の部分も多いです。
ブランシュ・モニエ事件のような信じられないような内容の事件が再発しないことを願うばかりです。