1900年頃に嘘のような事件が起こりました。
その名は「ブランシュ・モニエ監禁事件」。
この事件は25年間にも渡って娘を監禁し続けたものでした。
なぜ、このような事件が起こってしまったのでしょうか?
また、その事件の結末はどうなったのでしょうか?
ブランシュ・モニエの監禁事件とは?
ブランシュ・モニエとは25年もの間、監禁されていた事件の被害者女性の名前です。
ブランシュ・モニエさんは、なぜ25年も監禁されることになったのでしょうか?
ブランシュ・モニエは貴族の家系として生まれる
ブランシュ・モニエさんは19世紀半ばにフランスで生まれ、家は良い家柄であり、世間で評判の美人だったそうです。
しかし、その良い家柄と、彼女が美人であったことが事件のきっかけとなってしまいました。
母親よって屋根裏部屋に監禁
ブランシュ・モニエさんは25年も監禁されることになってしまいます。
その犯人は美人な彼女につきまとうストーカーや彼女の家のお金を狙った誘拐犯などではなく、母親のルイーズ・モニエです。
母ルイーズは窓を塞ぎ、ドアには南京錠をかけた家の屋根裏部屋にブランシュ・モニエさんを閉じ込めていました。
ブランシュ・モニエga監禁された理由とは?
ブランシュ・モニエさんは25歳のとき、1人の男性と出会って、結婚を決意します。
しかし、結婚のことを母告げると、男性は弁護士ではあったものの貧しいことや、年上であったことなどを理由に反対をしました。
また、ブランシュ・モニエさんが貧しい男性と結婚することで裕福な暮らしができなくなることや、家柄に影響が出るなど、当時の思想や政治などの時代背景も理由の1つと考えられています。
母ルイーズに結婚を反対されたブランシュ・モニエさんでしたが、それでも男性との結婚を諦めず、結婚の決意を固めていました。
そのため、自分の意見を受け入れずに結婚をしようとする彼女が結婚を諦めるまで屋根裏に閉じ込めることを考え、実行したのでした。
母親はブランシュが亡くなったと説明
結婚を諦めさせるためにブランシュ・モニエさんは屋根裏部屋に閉じ込められてしまいました。
しかし、25歳にもなる大人の女性が急にいなくなれば周囲の人たちも不審に思ってしまいます。
そのため、母ルイーズは周囲の人たちに「娘は亡くなった」と説明し、悲しむふりを見せていました。
周囲の人はブランシュ・モニエさんは亡くなったと信じ、時間と共に記憶や興味が薄くなっていき、次第にその存在を忘れられいくことになったのでした。
25年間の監禁生活に
屋根裏に閉じ込められて、周囲には亡くなったと説明されたブランシュ・モニエさんは、その後25年間の監禁生活をすることになります。
屋根裏のドアには鍵がかけられて外に出ることはできず、窓は塞がれて真っ暗な状況で、水と食事もまともに与えてもらえなかったようです。
そのような過酷な監禁生活は彼女が50歳になるまで続きます。
弁護士事務所への手紙で監禁が発覚
ブランシュ・モニエさんの監禁生活は突如として幕を降ろすことになります。
ある日、パリの弁護士事務所に匿名の手紙が届き、その手紙には彼女が25年も劣悪な環境で監禁されていることが書かれていました。
警察もその手紙に半信半疑でしたが、念のため捜査をしたところ、鍵のかけられた屋根裏部屋からブランシュ・モニエさんが発見されたのでした。
監禁されていた部屋は大量の埃が舞い、吐き気を覚えるほどの汚れた毛布があり、床には排泄物や残飯が積もっていて、ゴキブリやネズミが走り回るような環境だったそうです。
精神病院で亡くなるまでまともに話せず
保護されたブランシュ・モニエさんでした、25年の監禁生活は心身に大きな影響を与えていました。
監禁生活中にまともな食事を与えてもらえていなかったため、飢餓状態であり、発見時には体重が25キロほどしかなかったと言われています。
また、暗闇で過ごしていたことから、太陽光に怯える様子も見せたそうです。
保護された後は病院に運ばれ、その後10年以上は生きることができましたが、精神病院で亡くなるまでまともに会話をすることはできないままでした。
母ルイーズはブランシュ救出から15日後に他界
ブランシュ・モニエさんを監禁していた母ルイーズは逮捕されます。
しかし、逮捕からわずか15日後に刑務所内で心臓発作を起こして亡くなってしまったそうです。
また、父親も25年の監禁生活中に亡くなっているので、監禁の真実をするのは兄のマルセルだけとなってしまいました。
衝撃の暴露!ブランシュ・モニエ事件の知られざる真相とは?
兄のマルセルも母ルイーズの共犯として逮捕されました。
そして、兄マルセルはその後に裁判を受けることになります。
その裁判で、兄マルセルから驚きの証言がいろいろと飛び出すこととなったのです。
ブランシュは監禁前から精神に問題を抱えていた?
兄マルセルや証人のメイドの証言によると、ブランシュ・モニエさんは内気で自分に自信が持てない性格をしていて、母ルイーズとの親子関係もうまくいっておらず、10代の頃から拒食症になっていたそうです。
そのため、監禁前からもともと精神疾患があったと主張しました。
また、ブランシュ・モニエさんは不治の病にかかっていて、部屋で隔離生活をしていたと証言したとも言われています。
しかし、彼女は監禁される前は賢くて、気立ての良いお嬢さんとして評判でした。
証言がどこまで事実であるかはわかりませんが、ブランシュ・モニエさんが拒食症を度々繰り返していたことは事実だったと言われています。
ブランシュは監禁さていなかった?
兄マルセルの証言ではブランシュ・モニエさんは監禁されていたのではなく、隔離生活をしていたことになります。
その主張して、ブランシュ・モニエさんを全く動けない状態にしていないことや、家に監禁をしていたことから助けが必要であれば周囲に知らせることも可能であったなどを挙げたそうです。
もし、この話が本当であれば、ブランシュ・モニエさんは監禁されていたのではなく、自らの意思で部屋に留まっていたことになります。
しかし、ブランシュ・モニエさんが保護されたとき、全裸の状態で、部屋には排泄物が散らかっていました。
証言では、ブランシュ・モニエさんは露出症と糞便愛好症であり、その劣悪な環境も自ら作ったものだったそうです。
ブランシュ・モニエさんが保護されたときには実際に糞便愛好症であったと言われています。
ただし、これらは25年の監禁生活中に発症した可能性も考えられ、他にも統合失調症や神経性食欲不振などにもなっていたとも言われています。
母ルイーズの突然の死は毒物での自殺?
母ルイーズは逮捕されて15日後に心臓発作で亡くなっています。
そのタイミングから「病死ではなく、毒物による自殺では?」と噂されていますが、事実はわかりません。
また、母ルイーズは亡くなる前に、ブランシュ・モニエさんに対する罪を告白し、彼女への謝罪の言葉を口にもしたと言われています。
兄マルセルは控訴し無罪に
兄マルセルの裁判は15カ月の実刑判決となりました。
しかし、この結果を不服に思った兄マルセルは控訴しました。
そこでブランシュ・モニエさんにもともと精神疾患があることや監禁していなかったなどと証言しました。
また、母ルイーズは亡くなっていましたが、罪を認めていたこともあり、兄マルセルは無罪となったのでした。
ブランシュとマルセルは同じ年に他界
保護されたブランシュ・モニエさんは1913年に亡くなられたそうです。
また、同じ年に裁判で無罪となった兄マルセルも亡くなられています。
偶然だとは思われますが、同じ年に他界されていることに不思議な因縁を感じる人もいるようです。
ブランシュ・モニエ事件発覚のきっかけの手紙の送り主の謎とは?
ブランシュ・モニエさんの監禁が発覚したのは匿名の手紙がきっかけでした。
その手紙の送り主は誰だったのかわかっていません。
そのため、母や兄、裁判で証言をしたメイドやその関係者など、いろいろな噂があります。
兄マルセルが遺産相続のために書いた?
事件発覚の手紙の送り主についてはいろいろな噂があり、兄マルセルが手紙の送り主ではないかと言われることもあります。
母ルイーズが高齢になったことで、兄マルセルは母ルイーズが亡くなった後は自分がブランシュ・モニエさんの面倒を見ることになってしまいます。
また、罪が発覚してしまうので、母ルイーズが亡くなってから彼女を解放したり、病院に連れて行ったりすることもできません。
場合によっては、母ルイーズの罪まで自分が被る可能性もありました。
そのため、兄マルセルは母ルイーズが亡くなる前に、一旦事件を発覚させて、裁判で無罪を勝ち取るという方法を行ったと噂されています。
兄マルセルは弁護士であったこともあり、「この噂が事実ではないか?」と予想している人は多いようです。
また、母ルイーズがブランシュ・モニエさんがいなくなった理由を亡くなったのではなく、海外で生活していると周囲に嘘をついていたと言われることがあります。
ブランシュ・モニエさんが生きていることになれば、母ルイーズが亡くなったときに、遺産相続の関係で彼女のいる場所や状況が調べられ、監禁が判明してしまいます。
そのため、母が亡くなる前に罪を発覚させるために兄マルクスが手紙を書いたと考える人もいるようです。
ブランシュ事件は小説化された!?
ブランシュ・モニエさんの監禁事件は世間に大きな衝撃を与えました。
また、謎のままとなっている部分も多く、いろいろな噂もあり、多くの人の興味を引きつける事件にもなりました。
そのため、小説の題材にもなり、1930年に作家アンドレ・ジッドによって「La Séquestrée de Poitiers」というタイトルで小説化されました。
主人公の名前はブランシュ・モニエさんではなく、メラニー・バスティアンと変更されている以外は事件の内容をそのまま小説にしたものとなっています。
ただし、この作品は日本語に翻訳はされていないようです。
7話完結のラジオドラマ化も
ブランシュ事件は映画監督のフランソワ・トリフォーによって7話完結のラジオドラマにもなっています。
映画監督フランソワ・トリフォーの代表作には「大人は判ってくれない」「アメリカの夜」などがあり、スティーヴン・スピルバーグ監督作品の「未知との遭遇」では科学者役で出演もされてます。
ブランシュ・モニエ事件は謎が残ったまま
ブランシュ・モニエさんは25年もの監禁生活を送りました。
事件はブランシュ・モニエさんの保護によって解決していますが、時代がまだ1900年頃のことであり、当時の科学や捜査技術などに限界もあることから、その真相には謎の部分も多いです。
ブランシュ・モニエ事件のような信じられないような内容の事件が再発しないことを願うばかりです。