2007年に日本の食の安全を揺るがす大事件が起きました。
それがミートホープの食品偽装事件です。
大きな騒動となったこの事件は一体どのようなことがあったのでしょうか?
また、現在のミートホープはどうなっているのでしょうか?
日本の食卓に激震!ミートホープの食品偽装事件とは?
ミートホープの食品偽装事件は大騒動となり、当時のテレビでは事件のニュースが連日報道されていました。
では、日本が壮絶したミートホープの食品偽装事件とは、一体どのような事件だったのでしょうか?
ミートホープとはどのような会社?
ミートホープは1976年に北海道の苫小牧市で創業した食品加工卸業者です。
創業後は順調に成長し、子会社を設立してグループ企業となったり、北海道で業界売上げ1位を獲得したりなどしました。
その取引先には日本生協連やJT、ミスタードーナツやイオン、22の都道府県の学校給食などがあり、ミートホープに関連する商品の流通量は非常に多かったです。
そのため、ミートホープの商品を口にしたことがある人も多く、食品偽装が発覚すると多くの人がその内容に驚くこととなりました。
事件の流れ1:赤羽喜六の退職
ミートホープの食品偽装が発覚するきっかけは、常務取締役を務めていた赤羽喜六さんの内部告発でした。
赤羽喜六さんは1995年にミートホープに入社し、それまでは野口観光株式会社で常務取締役を務めながら、苫小牧プリンスホテルと室蘭プリンスホテルの総支配人も務めていました。
赤羽喜六さんは自社が食品偽装をしていることを知り、匿名で保健所や学校給食センター、農林水産省などに告発をしましたが、何も調査は行われませんでした。
その後、赤羽喜六さんは2006年にミートホープを退社し、今度は元常務取締役であったことを明かしたうえで農林水産省やNHK、北海道新聞に告発をしました。
しかし、身元を明かしたうえでの告発であったにもかかわらず、なぜか何の対応をしてもらえませんでした。
事件の流れ2:食品偽装の立証
農林水産省やNHK、北海道新聞に対応されなかったことで、赤羽喜六さんは全国紙や民法テレビ局に告発をしました。
告発を受けた朝日新聞社がミートホープの冷凍牛肉コロッケを調べたところ、牛肉以外の肉が入っていることが判明します。
事件の流れ3:明かされる食品偽装の数々
朝日新聞の調査結果を皮切りに、次々とミートホープの食品偽装の実態が明かされていくこととなります。
その後の調査では、牛肉100%と表示された商品に豚や鶏の肉が入っていたり、豚の心臓やパンの切れ端やクズを混ぜてかさ増しをしていたことも判明します。
他にも、賞味期限切れの肉に血を混ぜて色味を良くしたり、旨味調味料を入れて味の調整を行っていたりなどして再出荷したり、傷んだ肉をクズ肉にして他の商品に少しずつ混ぜるなど、次々と食品偽装が明かされていきました。
事件の流れ4:事件発覚後の影響
ミートホープは北海道で業界売上げ1位を獲得するほど大きな企業だったため、食品偽装発覚後は各所で自主回収や状況確認などが行われ、その影響は非常に大きいものとなりました。
また、株式会社加ト吉(現テーブルマーク)の北海道工場では、工場長が廃棄予定の冷凍コロッケをミートホープに横流し、不正に利益を受け取っていたことも明らかにされました。
この事件によって、 株式会社加ト吉(現テーブルマーク)はその工場長を解任しています。
事件の流れ5:社長に実刑判決
食品偽装が明らかになったことで、ミートホープの田中稔元社長は逮捕され、不正競争防止法違反、詐欺罪で懲役4年の実刑判決と受けました。
田中稔元社長は控訴しなかったため、刑が確定して4年の服役生活を送ることになります。
田中稔の現在は?
判決は2008年なので、現在は刑期を終えて出所しています。
出所後は何をされているのかは情報がありません。
事件発覚で大荒れ!社長の息子たちは関与していた?
田中稔元社長には3人の息子がいて、それぞれミートホープやその子会社などに務めていました。
そのため、事件が発覚したことで、その息子たちにも注目が集まることとなりました。
長男の怒り!
田中稔元社長の息子で長男の田中等さんは、事件当時ミートホープの取締役と子会社のイートアップの社長を務めていました。
田中等さんは自社の不正行為に気がついていて、何度も田中稔元社長に不正行為をやめるように抗議をしていたそうです。
事件発覚後の記者会見にも出席されていました。
記者会見では記者からの質問に対して、明確な回答をしない不誠実な対応を見て、「社長、本当のことを言ってください」と怒りと父を諭す感情が入り混じったような強い口調で言い放ちます。
その言葉を聞いて田中稔元社長は食品偽装を認めることとなりました。
その後、イートアップはミートホープから独立し、2024年現在でも経営が続けられています。
罪を問われなかった次男
田中稔元社長の息子で次男の田中竜也さんは、事件当時ミートホープの監査役と子会社の株式会社バルスミートの社長を務めていました。
田中竜也さんが食品偽装に関わった証拠はなく、罪に問われることはありませんでした。
しかし、現場では質の低い肉を使うよう指示を出していたという報道はされていたようです。
専務だった三男
田中稔元社長の息子で三男の田中恵人さんは、事件当時ミートホープの専務取締役務めていました。
田中恵人さんは不正競争防止法違反、虚偽表示容疑で逮捕されています。
他にも、総工場長と塩見工場長が虚偽表示容疑で逮捕されました。
食の安全を揺るがす大事件を起こしたミートホープのその後
日本中が大騒ぎとなったミートホープの食品偽装事件ですが、事件発覚後の会社はどうなったのでしょうか?
今でも経営は続いているのでしょうか?
事件後の経営はどうなった?
ミートホープは事件発覚後、約6億7000万円の負債を抱え、自己破産申請をしています。
その翌年には倒産しました。
工場は売却され、本社も賃貸物件(売却可)として借主を募集されました。
有名なシンボルは売却?
本社にはシンボルとなっていた牛のモニュメントがありました。
牛のモニュメントは有名な物であったため、売却も検討されていたようです。
しかし、倒産の原因が食品偽装であることから、道義的な観点から撤去・処分されることになりました。
その際には、多くの報道陣が取材に訪れ、また赤羽喜六さんもその場に立ち会いました。
空き家となった本社の次の借主は?
本社は借主を募集しましたが、借り手は見つからなかったようです。
そのため、2008年10月に本社は取り壊しが行われ、その翌月には更地となりました。
事件発覚後、わずか1年ほどでミートホープは跡形も無くなってしまったのでした。
告発をした赤羽喜六の胸の内
ミートホープの不正行為を暴いた赤羽喜六さんをヒーローのように思う人もいますが、本人とっては苦しい思いをした事件となったそうです。
赤羽喜六さんは農林水産省やNHK、北海道新聞に告発しても相手にされず、事件発覚後はかつての取引先から「食品偽装と知っていて売っていたのか」と非難も浴びました。
また、会社を告発したことで、仲間であった多くの人が仕事と信用を失うことにもなりました。
事件を振り返って赤羽喜六さんは「失うものが大きい」「虚しいだけ」「(過去に戻れたとしたら)告発はしない」などと語られています。
告発者の生々しい苦悩が伝わる本
2010年に「告発は終わらない―ミートホープ事件の真相」という本が出版されました。
本の内容は赤羽喜六さんへのインタビューをまとめたものとなっています。
そこには行政に相手にさなかったことや周囲から浴びた非難など、告発者にしかわからない苦悩が生々しく綴られています。
そして2023年、赤羽喜六は虚血性心不全で亡くなりました。
食の安全が見直された大きな事件だった
ミートホープの食品偽装事件では、豚の心臓やパンの切れ端やクズを混ぜたかさ増しや賞味期限切れ商品の再出荷、産地偽装など、信じられないようなことが多く行われていました。
事件当時は大きくニュースで取り上げられ、世間に食の安全に対する重要性を再確認させられる機会となりました。
この事件を機に、2009年の消費者庁の発足にも繋がりましたが、今後はこのような事件が起こらないことを願うばかりです。