東日本大震災で亡くなったor被害を受けた有名人47選|あの人も被害者?

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2011年3月11日に起きた東日本大震災では巨大地震と津波の発生で大きな被害が出ました。

関連死・行方不明者は2万人以上にも上り、人数は増え続けています。

そんな東日本大震災では、多くの尊い命が犠牲となり、誰もが知るような有名人や偉大な方々も被害を受けています。

今回は東日本大震災で被害を受けた・亡くなった有名人について紹介していきます。

あれから13年…東日本大震災で亡くなったと噂の有名人3選

2011年3月11日に起きた東日本大震災。

東日の本各地で非常に大きな揺れを観測し、東北地方を中心に12都道府県でたくさんの命が失われました。

多数の有名人も被災しています。

東日本大震災で亡くなったと噂されている3人を紹介します。

その①猫ひろし(タレント)

お笑いタレントでありながら、マラソン選手としても活動している猫ひろしさん。

東日本大震災から約2週間後の2011年3月28日、Twitter上で猫ひろしさんの死亡説が流れました。

これはデマであり、猫ひろしさんは現在も存命です。

なぜ死亡説が流れてしまったのかというと、警視庁が同姓同名の「根子裕誌」さん(宮城県警南三陸署の巡査部長)が亡くなったことを公表したためです。

この発表により「タレントの猫ひろしさんが亡くなった!」と勘違いする人が続出してしまったのです。

震災後の混乱の中で情報も錯綜していたため仕方のないことかもしれません。

現在猫ひろしさんはカンボジアに国籍を移し、マラソンのカンボジア代表として励んでいます。

「ねこひろし」さんの命を奪った東日本大震災の記憶を風化させないためにも、猫ひろしさんには活躍し続けて欲しいものです。

その②佐野正文(元ラグビー選手)

秋田県北浦町出身の元ラグビー選手である佐野正文さんは東日本大震災で亡くなった有名人の1人です。

双子の弟、佐野直文さんとともに秋田工業高校時代に兄弟で活躍し、全国高等学校ラグビーフットボール大会で高校日本一に輝いています。

卒業後は新日鉄釜石に入社し、ラグビー部の副キャプテンを務めました。

日本選手権でフォワードとして貢献し、釜石ラグビーの全国制覇7連覇の基礎を築いています。

引退後も社員として勤続し、釜石ラグビー協会会長などを務めていました。

2011年3月11日、東日本大震災による津波に飲まれ亡くなっています。

日本のラグビーの発展に携わった佐野正文さんの訃報に、ショックを隠しきれない声が上がっていました。

その③佐藤恵利子(サッカー選手)

宮城県亘理町出身の佐藤恵利子さんは1998年から2007年までルネサンス熊本FCでサッカー選手として活躍していました。

佐藤恵利子さんはキャプテンを務めるなど中心選手として活躍し、2006年にはリーグ通算100試合出場を達成しています。

2007年に引退後は地元である宮城県に戻りフットサルチームに参加していました。

震災当日、佐藤恵利子さんは仕事から帰宅途中だったそうです。

佐藤恵利子さんは愛犬が心配だったために避難せず家に戻ってしまい、自宅で津波に飲まれてしまったと見られています。

佐藤恵利子さんが所属していたチームのある熊本では「佐藤恵利子選手を偲ぶ会」が催されました。

また2011年9月17日には日本テレビ系列「天才!志村どうぶつ園」で愛犬が取り上げられています。

佐藤恵利子さんが心配していた愛犬は無事だったんですね。

悲しみを乗り越えて…東日本大震災で家族を亡くした有名人3選

東日本大震災では自らの命は助かったものの、大切な家族を失った有名人がいます。

  • 佐々木朗希選手
  • 生島ヒロシさん
  • マギー審司さん

大切な家族を大津波で亡くし、悲しみを乗り越えてきた方たちです。

東日本大震災で家族をなくした有名人の3人についてまとめました。

その①佐々木朗希(野球選手)

千葉ロッテマリーンズ所属の佐々木朗希選手は岩手県陸前高田市出身です。

東日本大震災で父と祖父母を津波で亡くしました。

2001年生まれの佐々木朗希選手が9歳のときの出来事です。

実家も津波の影響で流されたため、小学4年生の時に母の親戚を頼って大船渡市移り住むことになりました。

震災前に兄の影響で野球を始めており、父や兄とともに練習に励んでいたと言います。

佐々木朗希選手は大船渡市に移り住んでからも野球を続け、県立大船渡高校の野球部に入りました。

高校2年時には当時の最速タイとなる時速157㌔をマークし、ネットやメディアで話題となりました。

2020年にプロ入りを果たし、2022年には日本プロ野球史上最年少で完全試合達成するなどの活躍を見せています。

「令和の怪物」と称される佐々木朗希選手は父と祖父母を亡くした悲しみを乗り越えてがんばってきたんですね。

2023年のWBCでは東日本大震災が発生した3月11日の対チェコ戦で先発マウンドを託されています。

地元の人たちにとって佐々木朗希選手は復興の希望であり、特別な思いでエールを送ったことでしょう。

今後の佐々木朗希選手の活躍に期待したいですね。

その②生島ヒロシ(アナウンサー)

元TBSアナウンサーであり現在はタレントとして活躍中の生島ヒロシさんは宮城県気仙沼市出身です。

東日本大震災では妹である喜代美さんを亡くしました。

地震が発生した時、生島ヒロシさんは仙台で講演会を行っていました。

各所の道路が被害を受けている中、生島ヒロシさんはタクシー5台を乗り継ぎ使い仙台から約15時間をかけて東京の自宅に帰ったそうです。

福島県郡山市を通っている時、生島ヒロシさんはタクシーのカーナビで気仙沼市の食堂の近くで火災が起こっていることを知りました。

生島ヒロシさんの実家は気仙沼市で食堂を営んでおり、生島ヒロシさんの妹夫婦が住んでいました。

火災が起こったのはその食堂のすぐ近くで、ただただ妹たちの無事を祈っていたそうです。

しかし、妹夫妻は津波に飲まれ亡くなってしまいました。

妹の喜代美さんの遺体は5月に発見されましたが、生島ヒロシさんにとっては義弟にあたる喜代美さんの夫は2023年5月現在まだ発見されていません。

妹夫婦は2月に85歳で亡くなった生島ヒロシさんの母の納骨式を行うため、遺骨と位牌を携えて3月12日に上京する予定でした。

遺骨や位牌も津波の被害に遭い流失してしまったのです。

生島ヒロシさんは「東日本大震災を風化させてはならない」「復興の歩みを止めてはならない」という思いから復興支援活動を続けています。

現在でも東日本大震災有名人の1人としてテレビやラジオで活躍しています。

その③マギー審司(マジシャン)

マジシャンタレントのマギー審司さんは宮城県気仙沼市出身です。

東日本大震災有名人では祖母がタンスに挟まれた状態で亡くなっており、叔母は津波にさらわれて亡くなりました。

地震発生時から被災地の様子を心配し「とにかく生きて下さい」とエールを贈り続けていたマギー審司さん。

2011年3月15日、自信のブログで祖母が亡くなったことを報告しました。

そして

本当は声を出して泣きたいけど、もっと辛く厳しい被災地で頑張ってる皆さんの事を考えると泣けない

と自らの悲しみを押し殺しながら今も苦しい状況にある被災者たちを気遣いました。

マギー審司さんの気丈な姿勢に多くの人が心を打たれたことでしょう。

震災以来、マギー審司さんは今でもチャリティボウリング大会や演芸ライブを継続しています。

募金活動を行う中で、回を重ねるごとに「まだやっているの?」ろいう空気を感じることもあるそうです。

復興はまだ道半ばであり、現在も家族が見つかっていなかったり故郷に戻れない人がいることを忘れてはいけません。

震災の記憶を風化させないためにも、マギー審司さんにはこれからも活動を続けていってほしいですね。

東日本大震災で被害を受けた有名人とは?

ここからは東日本大震災で実際に被害を受けた有名人を紹介します。

東日本大震災での被害は福島県での被害が最も多かったようですね。

県別での被災した有名人を紹介しますので、よろしければご覧ください。

岩手県で被災した有名人

まず始めに岩手県で被災した有名人を紹介しましょう。

岩手県での震災関連死の人数は470人にのぼると言われています。

  • 加藤宏暉:大槌町長(享年69)
  • 下川原孝:陸上競技選手(享年104)
  • 佐野正文:元ラグビー選手(享年63)
  • 山下文男:元日本共産党中央委員会文化部長
    震災から9か月後の2011年12月に転院先にて死去(当時87歳)
  • 黄川田徹:民主党衆議院議員(当時57歳)
  • 照井翠:俳人(当時48歳)
  • スコット・ファーディー:ラグビーオーストラリア代表(当時26歳)
  • 土村芳:女優(当時20歳)
  • 久慈暁子:モデル、元・フジテレビアナウンサー(当時16歳)
  • 小川千奈:ウェザーニューズ所属気象キャスター(当時11歳)
  • 佐々木朗希:千葉ロッテマリーンズ投手(当時9歳)

津波被害の研究を行っていた山下文男さんは明治三陸地震や昭和三陸地震を受け、以下の教訓を提唱。

「互いに助け合おうとしての共倒れ」「津波のスピードと引き潮の猛威を無視した逃げ遅れ」「一度は逃げたのに物慾のために家に戻ってしまう」

しかし、東日本大震災でも同じ悲劇が繰り返されたと嘆いています。

宮城県で被災した有名人

続いて宮城県で被災した有名人を紹介します。

宮城県での震災関連死の人数は931人にのぼると言われているようです。

  • 佐藤恵利子:サッカー選手(享年31)
  • 土井喜美夫:元石巻市長(享年67)
  • さとう宗幸:シンガーソングライター(当時62歳)
  • 伊集院静:作家(当時61歳)
  • クミコ:シャンソン歌手(当時56歳)
  • 俵万智:歌人(当時48歳)
  • 瀬名秀明:作家(当時43歳)
  • 手倉森誠:サッカー選手(当時43歳)
  • 大口玲子:詩人(当時41歳)
  • サンドウィッチマン:お笑いコンビ(当時36歳)
  • 平野啓一郎:作家(当時35歳)
  • マルキーニョス:ブラジル人プロサッカー選手(当時34歳)
  • 近藤修司:プロレスラー(当時33歳)
  • 鈴木みのる:プロレスラー(当時42歳)
  • 木原文人:リングアナウンサー(当時44歳)
  • 神林大介:プロレスのレフェリー(当時31歳)
  • MONKEY MAJIK:ロックバンド(当時30歳代)
  • Rake:シンガーソングライター(年齢不詳)
  • 仙名彩世:女優(当時22歳、宝塚歌劇団花組)
  • 羽生結弦:フィギュアスケート選手(当時16歳、東北高校1年)
  • Dorothy Little Happy:アイドルグループ(当時10歳代)
  • 岩田華怜:AKB48のメンバー(当時12歳)
  • 佐藤七海:AKB48チーム8の岩手県代表メンバー(当時11歳)
  • 佐々木莉佳子アイドルグループ・アンジュルム(旧・スマイレージ)のメンバー(当時9歳)

フィギュアスケートの羽生結弦選手も16歳の時に被災したことで知られています。

羽生選手は練習中に被災し、スケート靴を履いたまま外へ逃げたようです。

福島県で被災した有名人

続いて福島県で被災した有名人を紹介します。

福島県での震災関連死の人数は最も多い2335人にのぼると言われているようです。

  • 和合亮:高校国語教師、詩人(当時43歳)
  • GReeeeN:ボーカルグループ(当時30歳前後)
  • 今井正人:陸上競技選手(当時26歳)
  • 栞菜智世:女優、歌手(当時17歳)
  • 舞木香純:AKB48チーム8の福島県代表メンバー(当時13歳)
  • 優希美青:女優(当時11歳)

GReeeeNのHIDEは、震災死亡者の身元特定作業(検視)に参加したことでも知られています。

その後、東日本大震災復興プロジェクト「Green boys Project』」を実施しました。

被災した有名人はその後の活動に被災の経験が活きている

今回は東日本大震災で亡くなった有名人や家族を亡くした有名人を紹介しました。

未曾有の大震災から10年余り、復興は進んでいますが大切な人を亡くなった心の傷は癒えることはありません。

それでも皆、前を向きながら懸命に生きています。

震災の記憶が風化しないことを祈るとともに、教訓を活かし防災対策などの危機管理を徹底したいと思います。