2005年4月25日の兵庫県尼崎市で死者107名、負傷者は戦後最大級の562名の犠牲者を出した戦後最悪といわれる列車事故『JR福知山線脱線事故』が発生しました。
JR福知山線脱線事故は運転士の操作ミスが直接的な原因で、ブレーキ操作の遅れが原因とする最終報告書を事故調査委員会が公表しました。
本事件で脱線した当該車両について、2024年7月、JR西日本は車両の保存用施設の建設を進めているものの、一般公開する意向はないという発表をしています。
希望する遺族の訪問や社員教育などについては活用の意向を示したものの、一般向け公開については遺族の間で意見が分かれていた中で、JR西日本が公開しないという方針を遺族へ伝えたようです。
この戦後最悪とも言われている列車事故『JR福知山線脱線事故』ですが、事故を起こした運転士の彼女は実は後追い自殺をしていたとネット上で騒がれています。
今回は福知山線脱線事故を起こした運転士とその彼女の噂について、ご紹介していきます。
ネットで噂!福知山線脱線事故の運転士の彼女が後追い自殺していた?
福知山線脱線事故を起こした運転士は高見隆二郎さん(当時23歳)には、結婚を前提に交際をしている彼女がいたという噂があります。
その彼女がネット上では、最愛の彼氏を失ったショックと世間からのバッシングなどが原因で自殺をしたという説がありますが、事実なのでしょうか。
福知山線脱線事故の概要とその噂の真相をまとめました。
平成最大の列車事故とは?福知山線脱線事故の原因
福知山線脱線事故は午前9時18分ごろJR福知山線の塚口ー尼崎間で、快速電車が制限時速70キロの現場カーブを116キロで進入、脱線し、マンションに衝突した事故です。
1両目は線路脇のマンションの駐車場に突っ込む形で停車し、乗客106人と運転士が死亡、562人が重軽傷を負う事故となりました。
生存者の話では、顔が半分に裂けている人や目玉が片方飛び出して潰れている人、頭の皮がめくれ上がっている人等ほとんどの乗客が即死状態だったと言います。
事故後、過密ダイヤや速度超過を防ぐ自動列車停止装置=ATSの整備の遅れなどが問題となりJR西日本の安全対策が問われ、2007年には事故調査委員会が『事故は運転士のブレーキ操作の遅れが原因』とする最終報告書を公表しました。
事故をめぐっては、歴代4人の社長が業務上過失致死傷罪で起訴されましたが、裁判でいずれも無罪が確定し、多くの犠牲を生んだ鉄道事故の刑事責任を幹部が負うことはありませんでした。
この事故の発生には、以降の調査で様々な原因が絡んでいたことが明らかになっています。
原因①:70メートル以上のオーバーラン
この事故が発生するよりも前の出来事ですが、運転士「高見隆二郎」氏は伊丹駅にて停車位置のオーバーランを起こしていました。
本来電車が停止するよりも前の位置で停まることをオーバーランと言いますが、高見氏は72メートルと大幅にずれた位置に停車したのです。
停車するはずの伊丹駅で減速しなかったのが原因らしいことが分かっており、この時点で相当焦っていることが分かります。
原因②:日頃のストレス
高見氏は電車の運転士をする中で、日ごろからストレスが蓄積していたことも後に明らかになっています。
先述した伊丹駅だけではなく、過去に2度オーバーランを起こしていたことが分かっており、当時JR西日本から「日勤教育」として懲罰的な研修を受けさせられていました。
高見氏はこの研修を都合3度受けさせられており、「社訓を丸写しするばかりで意味が分からない」「給料がカットされて本当に嫌だ」と知人に漏らしていたそうです。
原因③:クビになるかもしれないプレッシャー
先述の日勤教育の中で、高見氏は「次にミスしたら乗務員をやめる」という決意書を書かされたことが分かっています。
これまでのオーバーランのミスによって、運転士の業務そのものがクビになるかもしれないという恐怖とプレッシャーがあったのでしょう。
そして、先述した伊丹駅での72メートルものオーバーランが発生。「これを報告されれば乗務員としてクビになってしまう…」という不安に駆られた状態だったのです。
原因④:制限速度を46キロオーバー
伊丹駅でのオーバーランによって、運転には1分20秒の遅れが発生していました。
遅れを取り戻すために、高見氏は制限速度を46キロもオーバーした状態で走行していたことが後に明らかになっています。
本来は70キロほどで走行するはずが、事件当時の最大速度は時速126キロ。あまりにも危険な速度で走っていたのです。
そして、戸塚駅と尼崎駅の途中の大きなカーブで原則しきれず、116キロという超過スピードのまま脱線してしまいました。
事故を引き起こした運転士「高見隆二郎」について
福知山線脱線事故で、事故車両を運転していた運転士の名前は「高見 隆二郎」さん(享年23)です。
大阪府東部に住んでおり、家族構成は建設関連の仕事をする父と専業主婦の母に兄、姉、弟の6人家族で暮らしていました。
地元の中学、府立高校を卒業し、卒業後すぐにJR西日本に入社しています。
入社後の勤務態度は真面目で、運転士の試験では好成績を収めていたようです。
しかし、運転士として採用された後で2度のミスを犯してしまい、訓告(厳重注意)を受けていたとも報じられています。
高見隆二郎さんも、福知山線脱線事故では即死だったとされています。
「高見隆二郎」はどんな人物?学生時代の評判は?
高見隆二郎さんは、家族による話では昔から新幹線の運転士になることが夢だったようです。
学生時代は真面目で、中学校ではバスケットボール部に所属し部活の練習は一度も休まない生徒でした。
友人からの情報では、超が付くほどの真面目で頭もよかったそうです。
経済的な事情で大学には進学しなかったそうですが、努力を積み重ねて高校卒業後はJRに入社しました。
念願の運転士として勤務する事となりましたが、福知山線脱線事故は運転士になってわずか11ヶ月で引き起こした事故だったのです。
運転士(高見隆二郎)の死因について解説
運転士、高見隆二郎さんの死因は事故発生時の腹部強打による圧死とされています。
福知山線脱線事故の発生直後、運転士である高見さんの情報はほとんど報道されておらず、死因が何であったのかについてもすぐには判明しませんでした。
報道されなければ、一般の人は詳しい内情を知ることができないため「もしかしたら高見さんは奇跡的に生還できたのではないか?」という噂もあったほどです。
しかし、高見さんの遺体は事故後に見つかっており、太ももと腰が壁と運転台に挟まれた状態で発見され、圧死と判明しました。
噂はデマだった?運転士の彼女が後追い自殺の真相!
事故が起きた後、ネットでは「高見 隆二郎」の情報が色々と調べられるようになりました。
結婚を前提に交際していた彼女の情報もネットで挙がるようになり、次第に世間の目は彼女に集まりました。
世間からのバッシングは彼女に矛先が向き、その後5ch(2ch)には『車両事故死した運転手の彼女も半年ほどして自×してるね』『運転手の彼女が自×した?どうやって知った?』など、彼女が自殺をしたと書き込まれていました。
事故後に自殺してしまったと噂されましたがフェイクニュース・デマ・ガセであることが後々確認されています。
今はどんな生活を?運転士の彼女のその後の消息について
『JR福知山線脱線事故』を起こした運転士の彼女について、その後の消息はわかっていません。
今のところ、ネットで調べても情報はなく消息は不明となっています。
事件の事を吹っ切り、新たな生活を送っているのかもしれません。
衝撃!自殺していたのは事故被害者の彼女だった!
福知山線脱線事故を起こした運転士の彼女が自殺しているというのはデマの可能性もあることがわかりました。
しかし実は、事故の被害者であった男性の彼女が事故の翌年に自殺をしていたのです。
一人暮らしの部屋からは「すべてを返して」などと書かれたメモや遺書が見つかり、十一階の通路には綺麗にそろえた女性のサンダルがあったそうです。
恋人を事故で失ったその後・・・自殺の理由と真相
自殺した女性は荒川由起さん(当時32歳)です。
10代のころから13年間同居していた事故で犠牲になった男性とゴールデンウイークに婚姻届けを提出する予定だったそうです。
事故発生後は、由起さんはショックで体調を崩しながらも、男性ら犠牲者の乗車位置を探す遺族の活動に参加しました。
その一方で、事実上の婚姻関係にありながら事故を起こしたJR西日本には遺族として認めてもらえず、つらい思いを抱えていたといいます。
遺族が公開した遺書は次の通り。(原文のまま)
「由起は悔しくて悔しくてたまりません。
なおちゃんの命を奪い 二人の未来を奪い 私から全てを奪ったJRが 憎くて憎くてたまりません。
こんな事があっていいの いいわけがない
虫けらのようになおちゃんを殺して 私の全てを奪った
その戦いに負けるわけにはいかない
由起を地獄につき落としたJRと戦って下さい」
事故が原因で最愛の人を失った悲しみは想像を絶するものがあります。
多くの乗客が即死だったこともあり、本当に起きたこと自体が信じられない事故だったことでしょう。
JR西日本は体質が変わったのか?福知山線脱線事故後の対応は?
福知山線脱線事故を起こしたのは、運転士の高見隆二郎さん(当時23歳)ですが、事故の背景にはJR西日本の経営方針も要因の一つと言われています。
そもそも関西は阪急・阪神・近鉄・南海・京阪と言った私鉄の力が強いエリアで私鉄王国とも呼ばれる程です。
その中で他社よりも乗客を増やすために、当時のJR西日本はスピードアップによる時間短縮や運行ダイヤの充実で差別化を図り私鉄に打ち勝とうとしました。
私鉄との競合を制するという当時の経営方針が結果的に安全対策を怠ることになり、福知山線脱線事故を招く要因の1つと言われています。
乗務員の締め付ける日勤教育
事故後に報道された管理問題の中で一番に上がるのは、乗務員に対する日勤教育です。
日勤教育とは目標や乗務員が守らないといけないルールを守らなかった時に課せられた懲罰の事で、実態としては業務には関係のないことを課せられるものでした。
報道で取り上げられた日勤教育の事例では、経営理念の書き写しや就業規則(罰とは関係のない部分)の書き写しを1日中させられたり、作文やレポートの作成があります。
日勤教育と呼ばれていますが、実態は『大人のイジメ』のようなもので、高見隆二郎さんも事故前に日勤教育を受けていて、友人には「日勤教育が辛い」と漏らすほど追い詰められていたようです。
福知山線脱線事故後の経営方針は変わったか?
福知山線脱線事故から、JR西日本は事故の背景とされた過密ダイヤを全面的に改正するなど、安全な鉄道を目指して全社を挙げて取り組んでいるそうです。
しかし、脱線事故後も事故やトラブルが相次いでおり、伯備線で3人の作業員が列車にひかれて死亡したり、舞鶴線では同じようなニアミスが発生したりとトラブルが絶えません。
どちらも見張りが列車の来る方向の反対側にいたという初歩的なミスが原因で、なぜ単純なミスが繰り返されています。
事故後もなかなか改善が進まないJR西日本の安全対策を厳しく問われています。
JR西日本の無謀な運航ダイヤ
当時の運航ダイヤがどれほど無謀なものなのか、任天堂64「電車でGo」と言うソフトで大阪~神戸間を走行するシナリオがありました。
シナリオでは快速電車で大阪を出て次の塚本駅を定時通過するためには常に加速し続けないといけないという恐ろしい設定です。
塚本駅を通過する時には125キロぐらい出ていますが、現実でもこのぐらい飛ばさないと定時通過できないのです。
※YouTubeでその動画がありました。
福知山線脱線事故の遺族(両親)と生存者の現在は?
痛ましい事故となってしまった福知山線脱線事故ですが、亡くなった高見運転士の遺族や生存した方たちは、この事故を今も胸に抱えながら生きています。
最後に、遺族両親と生存者それぞれの現在について調べましたのでご紹介します。
福知山線脱線事故の遺族(両親)の現在
高見隆二郎さんの両親は、およそ60代程度であると予測されています。
事故が発生したのは20年前(2025年時点)で、高見さんの父親は事故発生の2005年12月に取材を受けています。この時、関係者によれば年齢は40代くらいであったという話があります。
また、高見運転士は当時23歳であったため、母親についても40歳だと17歳ごろに出産した計算になるため若すぎますから、40代以上であることは間違いないでしょう。
また、事件後から5年経過した2010年、両親は大阪市の労働基準監督署に対して、脱線事故の労災認定を申請していたことが明らかになりました。
同年8月9日に労災と認定され、高見運転士もまたJR西日本の懲罰的な教育や安全対策の怠慢さによる犠牲者であるという両親の意を汲んだ部分もあったのでしょう。
福知山線脱線事故の生存者の現在
106名の乗客が亡くなった福知山線脱線事故において奇跡的に生還した人物が、当時大学生の林浩輝さんです。
「最後の生存者」として生還した林さんですが、発生から22時間後、両足を切断し一命をとりとめました。
失ったものはあまりにも大きい中で、広告代理店への入社、そして日本生命の子会社「ニッセイ・ニュークリエーション」にて管理職として勤務しています。
社会人としてだけではなく、車いすの日本一を決める「天皇杯」にも出場するなど、生きることを諦めない力強さを感じさせますね。
福知山線脱線事故の運転士ではなく犠牲者の彼女が自殺していた
今回は、戦後最悪と言われる福知山線脱線事故を起こした運転士はどんな人物なのか・その彼女は事件後に後追い自殺をしていたのか、という噂を調査しました。
噂自体はデマという事が解っており、実際は事故で犠牲になった男性の恋人が自殺をしていました。
事件翌月には入籍する予定だった二人でしたが、福知山線の電車に乗ってしまったがために事故の犠牲になってしまったのです。
二度とこのような事故が起きない為にも事故を風化させず教訓にして忘れないようにしてほしいです。