【2023最新】恩寵園事件のおぞましい内容と犯人の現在を徹底調査!

未分類

千葉県船橋市にある児童養護施設「恩寵園」で起きた児童虐待事件についてご存じでしょうか?

「恩寵園」は人気アニメ「ひぐらしのなく頃に」のモデルになったとも言われています。

そこで起きた現実にあったとは信じたくないような虐待の数々、その後結末に至るまでの流れや現状などをここでは詳しくご紹介していきます。

恩寵園事件の詳細

恩寵園事件とは、千葉県船橋市にある児童養護施設”恩寵園”で行われていた児童虐待事件です。

1995年に匿名の告発があったことで事件が明らかになりました。

恩寵園で長年虐待が行われる

園長の大濱浩とその息子である大濱晶による日常的な虐待が約20年にわたり行われていたようです。

しかし、子ども達は恩寵園を追い出されたら行く場所がない状況だったため、虐待もしょうがないものとして諦めて耐えるしかなかったそうです。

さらに、虐待されていることを誰かに口外したら、「もっとひどい仕打ちを受けることになるかもしれない」「最悪殺されてしまうのではないか」という恐怖で誰も口に出せなかったのです

匿名で恩寵園の虐待を通報する電話が

はじめて事件が動いたのは1995年の事です。

匿名で「恩寵園で虐待が行われている」との通報があり、これにより千葉県の児童相談所が調査を行いました。

ここで虐待の事実が認められたのですが、恩寵園への指導という形のみだったため、その後も同様に虐待が続くことになります。

当時、恩寵園の理事長をしていた田中衛は園長の大濱浩の実兄にあたり、組織の上層部はすべて血縁関係にある同族経営でした。

職員が一斉退職し子供達が逃亡する

そうした状況に耐えかねて、子ども達を守ろうとしていた職員たちが抗議をするために一斉に一時退職をします。

こうすることで行政側が事件を重く見てくれるだろうと考えたようです。

さらに、自分たちを守ってくれた職員が退職してしまったことから、13人の子ども達が恩寵園からの脱走を図ります。

千葉県の最悪の対応が浮き彫りに

こうした逃げだした子ども達は千葉県の4か所の児童相談所へ逃げ込みます。

そして虐待の事実を話し、園長の大濱浩を辞任させようと動きますが千葉県の児童相談所は何も動きませんでした。

ただ大濱浩が「もう虐待はしない」との口約束をしただけで、千葉県側は脱走した子どもと一時退職していた職員をすべて恩寵園に戻したのです。

結果として恩寵園では地獄の日々が再度訪れ、実態として虐待はなくなりませんでした。

そうした状況から子ども達は自ら「子ども自治会」をつくって千葉県庁に手紙を書くなど働きかけを積極的に行いました。

しかし、こうした切実な訴えも決して届くことはなく、返事の手紙には「健康に気を付けて」と見当違いの一言が添えてあったそうです。

ここで千葉県側のあまりにもずさんだ対応が浮き彫りになります。

息子と主任保母以外が一斉退職する

そして1996年10月に決定的事件が起きることになります。

ある1人の子どもが過度のストレスで壁を叩いて「ここにいたくない」と叫んだところ、大濱浩は「壁を壊す気か」と激怒し、その子どもの顔面を思いっきり殴ったのです。

これには周りにいた職員も声を上げますが、大濱浩は「殴ってない」としらを切りました。

そしてなんと園長側であった主任保母も「暴れていてたまたま手が当たっただけ」と大濱浩をかばったのです。

これに耐え兼ね大濱浩の息子と主任保母以外の職員は再度一時退職をして、事件をどうにか解決するべく本格的に動き出します。

虐待をしていた犯人は?

虐待をしていた犯人は4人でした。

主犯となっていたのは園長である大濱浩と、その息子の大濱晶です。

さらに、大濱浩の妻の大濱陽子と主任保母の林ルリ子は、大濱浩らの暴力を黙認し自分たちは言葉で子ども達を痛みつけていたようです。

「ひぐらしのなく頃に」のモデルに?

「ひぐらしのなく頃に」という作品で登場する「空の家」という孤児院があります。

この孤児院で起きた虐待の数々がこの恩寵園事件を彷彿させるものであることから作品の設定モデルになったと言われています。

恩寵園事件で行われた虐待とは?

恩寵園では日常的に虐待が行われていました。

中には本当にあったとは信じられない非人道的なものもあり、約20年という長きにわたって多くの子ども達を傷つけていたのです。

ここではそんな虐待の数々を1つずつみていきます。

手に持っているティッシュに火をつける

子ども達がなにか悪さをしたときに、それを指導する方法として火のついたライターを近づけて恐怖を与えていたようです。

大人が子ども達を指導する立場であることは間違いないですが、実際に火を使うという方法は異常としか言えません。

男子園児の性器にハサミをあて出血させる

じゃれあっていた男の子3人を叱り、保母室でズボンを脱がせて、はさみで性器を切りつけ出血させたこともあったようです。

悲痛な叫び声が響きわたり、実際に気を失った子もいたとのことです。

話を聞くだけでも悲惨な子ども達の叫び声が聞こえてくるような残酷な虐待の1つです。

鶏の死骸と一緒に寝させられる

ある日、鶏を飛ばせようと高所から落として死なせてしまった子どもがいたそうです。

その子どもに対してタオルでくるんだ鶏の死骸と一緒に寝ろと命じ、枕元に置いて寝かせたのです。

悪いことをした子どもに対しての指導の仕方に大濱浩らの異常性を感じます。

朝鮮人の園児をなじる

恩寵園で生活していた子どもの中に、日本名を使って朝鮮人であることを隠していた子どもがいたそうです。

その子どもに対して何度も朝鮮人であることをなじり、何度も泣かせていたようです。

園児を乾燥機に入れ回す

子どもが悪さをすると乾燥機部屋に連れていかれ、そのまま乾燥機に入れて回されていたようです。

虐待を超えた拷問のような卑劣な行為も時には行われていたことがわかります。

恩寵園事件の判決と園長の大濱浩達の現在は?

数々の虐待が行われた恩寵園事件ですが、事件は結末はどうなったのでしょうか?

判決が出て事件が収束に至るまでの経緯と、事件後の状況についてまとめていきます。

1:地域住民の力で訴訟するが敗訴

職員や子ども達の訴えだけでは千葉県側は全く動いてくれませんでした。

そんな時に動いてくれたのが地域住民です。

署名を集めたり、弁護士会に声をかけて恩寵園の実態を世間に伝えようとしますが、なかなか要望は通りません。

そして1997年に最後の手段として「恩寵園の子どもたちを支える会」を発足させ訴訟を起こします。

しかし残念ながら敗訴でした。

虐待の事実は認められたようですが、大濱浩を辞めさせるという真の目的は叶いませんでした。

2:園長とその息子は有罪になるが…

1999年「恩寵園の子どもたちを支える会」が大濱浩とその息子らを刑事告訴しました。

そこで捜査が行われたのですが、暴行は3年、傷害は7年で時効となってしまうことからすべての虐待を立件することはできませんでした。

大濱浩は傷害罪1件、息子の大濱晶も強制わいせつ罪の1件のみの立件となっています。

そして最終的には、大濱浩が懲役8ヶ月、大濱晶が懲役4年実刑判決が出されました。

これまで子どもに対して与えてきた苦痛を考えると軽い判決のように思えます。

3:園長の現在は?

園長はすでに出所していますが現在何をしているかなど詳しい行方はわかっていません。

恩寵園は2000年に全理事が交代し、現在も児童養護施設施設として存続しています。

恩寵園で育った人の壮絶な体験談

当時恩寵園にいた被害者の1人である小島さんという方がYouTubeで虐待の実態や事件について赤裸々に語ってくれています。

小島さんは2歳の頃に恩寵園に預けられ、18歳で卒業するまで恩寵園で育てられました。

園長の大濱浩について

小島さんが言うには、大濱浩の父親が戦争孤児たちを集め、寺子屋のようなものを作ったのが恩寵園のきっかけとなっていたそうです。

しかし大濱浩は自分(本当の息子)がいるのになぜ得体のしれない戦争孤児たちを可愛がるのか?と疑問を持っていました。

そのため自分が大人になったらそういう奴ら(子ども達)に仕返ししてやるという強い気持ちがあっったらしいのです。

大濱浩の妻について

大濱浩の妻もかなり悪知恵が働く人だったと小島さんは語ります。

恩寵園は児童保護施設ということもあり、お菓子や洋服、お金を寄付してくれる人が一定数いました。

しかしそうした寄付はすべて家族の懐にしまい、子ども達にまでいきわたることは決してなかったそうです。

大濱浩の息子について

大濱浩の息子である大濱晶は大学の同級生と夜中に恩寵園へ忍び入り、女の子にいたずらをしていたそうです。

寝ている女の子に対する卑劣な行為などから強制わいせつ罪という判決が出ました。

恩寵園の生活

恩寵園で生活を経験した小沢さんは刑務所のようなタイムスケジュールだったと語ります。

YouTubeで小島さんが語っていた一日のスケジュールがこちらになります。

5:30 起床

6:00 マラソン

7:00 朝食

7:30~15:00 学校

16:00 掃除

17:30 風呂

18:00 夕食

19:00 自由時間

20:30 就寝

自由時間でも「テレビを見た記憶がない」と語っているほど制限された生活だったようです。

事件の終焉について

こうした厳しい生活から逃げ出す子どもたちが警察に保護されたことで事件の終焉へ結びつきます。

「あんなところに戻ったら殺されてしまう」という子どもたちの切実な訴えが児童相談所、警察を動かしたそうです。

裁判にまで発展しそこで実刑判決が出ましたが、子どもたちへの示談金は数十万程度でちゃんとした謝罪も特になかったそうです。

大濱浩園長の時代について

子ども達はちゃんとした教育を受けられていなかったため、将来をどうすればいいかわからない子が多かったそうです。

そのため恩寵園を出た後も親に引き取ってもらえず途方にくれる人や、犯罪に手を染めてしまう人までもいたと語っています。

また十分な食事なども供給されなかったことから、近くに飲食店で食い逃げをしたり、万引きをしたこともある語り、そうしないと生きていけなかった壮絶な時代であったことがわかります。

【2023最新】恩寵園事件のおぞましい内容と犯人の現在を徹底調査!のまとめ

今回は児童虐待事件である「恩寵園事件」の全貌を詳しく見ていきました。

  • 恩寵園では約20年にわたって児童虐待が日常的に行われていた。
  • 現在犯人は消息不明、恩寵園は体制を変え児童保護施設として存続している。
  • 「ひぐらしのなく頃に」に登場する孤児院「空の家」での虐待の数々から恩寵園事件がモデルになったと言われている。

この事件を通して、対策を怠っていた千葉県や児童相談所など数々の組織のずさんだ対応も浮き彫りになりました。

今後決してこんな悲惨な事件が起きないことを心から願うばかりです。