1997年、映画監督の伊丹十三さんが死亡しました。
「マルサの女」に代表される、当時の日本の社会問題を鋭く切り取った作風で国内外から高く評価されていた中、突然の訃報でした。
伊丹さんの死因は自殺と発表されましたが、これに対しては当初から疑問視する声が多数あがっています。
伊丹十三さんの死因が自殺ではないと言われる理由について詳しく解説します。
伊丹十三の死因は自殺ではない理由5選!何歳で亡くなった?
伊丹十三さんは64歳という年齢でこの世を去りました。
その時の内容は自殺との発表でしたが伊丹十三さんの死因は自殺ではないという声は、事件直後から根強くあります。
創価学会や医療廃棄物問題が絡んでいるとの噂もありますが、真相は一体?
死因が自殺ではないとされる理由を説明します。
理由①不倫疑惑を笑い飛ばしていたから?
写真週刊誌FLASHで不倫疑惑を報じられた伊丹さんですが、死の直前にFLASHの記者から不倫疑惑について問われた際にこう答えています。
「妻に聞いてみればいいよ」「(不倫疑惑は)いつものことだから」と笑いながら軽くあしらい、その様子がFLASHの誌面に掲載されました。
妻の宮本信子さんはスポーツ紙の取材に対して、「そんな事(疑惑疑惑)で自殺する人ではない」と言っています。
同様に伊丹さんをよく知る映画監督の大島渚さんや落語家の立川談志さんらも、「不倫報道ぐらいのことで、あいつは自殺しない」と語り、不倫疑惑に思い悩んで自殺したという警察の見解に異議を唱えています。
理由②遺書がワープロだったから?
伊丹さんは電車内の吊り広告などを手掛けるデザイナーとして働いていた時期があり、映画監督になった後も自著をはじめとする本の装丁、ポスター、楽屋暖簾など、多岐に渡ってその手腕を活かしていました。
中でもレタリングには定評があり、映画監督の山本嘉次郎さんには「伊丹十三さんの明朝体は、日本一である。いや世界一である」と言わしめる程だったと言います。
伊丹さん自身もそのことに自負と誇りを持っており、遺書にワープロを使うとは考えにくいと複数人から指摘されています。
理由③医療廃棄問題を突き止めたから?
伊丹さんは死の直前まで医療廃棄物問題の取材に取り組んでいました。
医療廃棄物とは、医療行為に際して排出されるゴミのことで、感染症などの汚染源になる危険性があるため、本来であれば手間と費用をかけて適切に処理する必要があります。
伊丹さんは取材で、医療廃棄物処理の負担を軽減しようと、医療関係者が空き地などに違法投棄していることを突き止め、真相を追っていたと言われています。
また、この件に関して「薬害エイズ事件」並みのスキャンダルを掴んでいたという話もあり、これらを表沙汰にされたくない関係者によって自殺に見せかけ殺害されたという説もあります。
この医療廃棄物問題への伊丹さんの取材の様子は、伊丹さんの死後にNHKで放送されています。
理由④創価学会と暴力団の映画を企画していたから?
伊丹さんが映画化を進めていたものの中に、創価学会と暴力団の繋がりについて描く作品があったと言われています。
この暴力団は「ミンボーの女」の公開直後に伊丹さんを襲撃した後藤組であるとされ、後藤組がこの映画を快く思っていなかったことは容易に想像がつきます。
アメリカ人ジャーナリストのジェイク・エーデルスタインさんが後藤組の関係者に取材していく中で、関係者の一人が「後藤組の組長が5人ほどの組員を連れて伊丹さんに拳銃を突きつけ、屋上から飛び降りさせた」と口を滑らせたという証言もあります。
また、後藤組の組長が自著の中で伊丹さんの死への関与をほのめかしている部分があるという話もあるようです。
理由⑤自殺の前にヘネシーボトルを大量に摂取していたから?
検死の結果、伊丹さんは死亡する直前に大量のアルコールを摂取していたことが分かっています。
検出されたのはアルコール度数の高いヘネシーボトルで、同時に食事は取らず、アルコールだけを大量に飲んでいたことが明らかになりました。
このことから、何者かに無理矢理アルコールを飲まされ、昏睡状態になったところをマンションの屋上から突き落とされたのではないか、という説が浮上しました。
自殺直前の飲酒は、恐怖心を和らげる目的や、人生最期に酒を楽しむため、睡眠薬などの薬を用いる場合はアルコールで薬の効き目を強くするためなど、珍しいことではありません。
しかし、アルコール度数の高い酒をすきっ腹の状態で大量摂取するのは容易ではなく、昏睡する程飲んでしまうと投身自殺といった自殺方法は実行できなくなってしまいます。
これらのことから、伊丹さんが自らの意思で飲んだという見方に否定的な意見が挙がっています。
伊丹十三の死因の真相とは?
伊丹さんが殺害されたことを示す明確な証拠や証言はなく、伊丹十三さんの死因が自殺なのか他殺なのか、真相は依然、不明のままです。
事件直後から今日に至るまで、自殺ではないとする声は多数ありますが、真相が明らかになる日は来るのでしょうか。
伊丹さんは次作の構想をいくつも進めていたらしく、もし生きていれば映画史に名を残すような名作がまだまだ生まれていたかもしれません。
伊丹十三の死因は自殺で遺書は暗号?暴漢に襲われていた?
伊丹十三さんは、国税局査察部(通称マルサ) に勤務する女性査察官と脱税者との戦いを描いた代表作「マルサの女」に象徴されるような、当時の日本の社会問題に関わる作品を多数、世に送り出しました。
いわば「世の中の裏側を暴く」作品作りを続けていた伊丹さんは、しばしば嫌がらせや暴行を受けていたと言われています。
伊丹十三は”ミンボーの女”で暴漢に襲われる?
1992年に公開された「ミンボーの女」は、ヤクザの脅しに対して、民事介入暴力(民暴=ミンボー)を専門とする弁護士と共に、一般市民が知識と勇気でもって立ち向かう様を描きました。
公開の2か月前に「暴力団対策法」が施行されたばかりということもあり、大ヒットを記録。
しかし、この映画は、それまでヤクザ映画においてヤクザをヒーロー扱いしてきた日本映画界とヤクザに対して一石を投じるものでありました。
映画の公開から1週間後の5月22日の夜に、伊丹十三さんは自宅付近で刃物を持った5人組に襲撃され、重傷を負いました。
病院に搬送される際に、駆け付けたマスコミからの「大丈夫ですか?」という問いに、声は出せなかったものの、ピースサインで答えるという豪胆さを見せつけました。
手術後には妻の宮本信子さんを通して、以下のような声明文を発表。
「私はくじけない。映画で自由をつらぬく。これからも社会派映画を作っていきます」
警察は山口組系暴力団、後藤組の構成員による犯行であることを突き止め、5人は逮捕されました。
伊丹十三が不倫、SM報道で突然の自殺?
当初、伊丹さんの死は残された遺書の内容から、写真週刊誌「FLASH」で不倫疑惑やSMクラブ通い疑惑が取り沙汰されたことに対する抗議の投身自殺か、とも推測されました。
事実、伊丹さんの死の2日後のFLASH誌面には、26歳のOL・A子さんと一緒に伊丹プロダクションの事務所に出入りしている写真と共に、A子さんと不倫援助交際、さらにSMクラブ通い疑惑といった内容の記事が掲載されました。
A子さんについて詳細な情報は少なく、26歳のOLでSMクラブに勤務していたということしか分かっていません。
普通の会社にOLとして勤めながら、副業でSMクラブの仕事をしていたとも考えられます。
この疑惑に対して伊丹さんは、「今度の作品にOLの話が出てくるので、その生活ぶりを取材するのに会っているだけ」とコメントしています。
伊丹十三の死因は自殺と警察が断定した理由は?
伊丹十三さんの遺体は、伊丹プロダクションの事務所がある東京都港区麻布台のマンションの下で見つかり、マンションの屋上から飛び降りたものと見られています。
事務所からはワープロで打った遺書と思われる文書も見つかりました。
「身をもって潔白を証明します。なんにもなかったというのはこれ以外の方法では立証できないのです。」
さらに室内に争った形跡もなかったことから、警察は伊丹さんは自殺したものと断定しました。
伊丹十三の遺書は妻に向けた暗号だった?
伊丹十三さんの遺書と思われる文書には、妻・宮本信子さんへ向けた暗号が仕込まれており、解読すると「俺は殺される」という内容になるらしい…という話があります。
詳しく調べましたが、暗号の詳細や話の出所は実に曖昧で、憶測の域を出ない噂話のようです。
伊丹十三の嫁は女優の宮本信子で息子も俳優?
伊丹十三さんのお嫁さんは宮本信子さんで息子は俳優との噂もあります。
ここでは伊丹十三さんのプロフィールや嫁・息子について徹底調査しました!
伊丹十三は多数の顔を持ち映画監督デビューは50歳過ぎ?
伊丹十三さんは映画監督である父・伊丹万作のもとに、京都市右京区に生まれました。
万作さんは知性派の監督として知られ、風刺や諧謔を作品に取り込むなど、これまでの立ち回りが主体の時代劇とは一線を画す映画で新時代を切り開きました。
映画監督の他に脚本家、俳優、エッセイスト、挿絵画家としても活躍しています。
そんな父の才能を受け継ぐかのように、十三さんも商業デザイナー、イラストレーター、ドキュメンタリー映像作家、俳優、エッセイストなどの経歴を経て、51歳で映画「お葬式」で映画監督としてのデビューを飾ります。
映画「お葬式」は高い評価を受け、日本アカデミー賞、芸術選奨新人賞を始めとする30以上の賞を受賞する華々しいデビュー作となりました。
その後も「タンポポ」「マルサの女」「マルタイの女」などヒット作を連発し、「伊丹映画」というブランドを確立するに至ります。
伊丹十三の嫁は女優の宮本信子?
26歳のときに知己の紹介で、日本映画界の巨匠である川喜多長政・川喜多かしこ両名の娘の川喜多和子さんを嫁娶します。
嫁・和子さんと自主短編作品「ゴムデッポウ」を制作するなどしますが、ドラマ「あしたの家族」で共演した女優の宮本信子さんと不倫交際に発展し、和子さんと協議離婚。
3年後に宮本信子さんと再婚し、子供を2人もうけました。
信子さんは数々の伊丹映画で主演を務めるなど、公私ともに良いパートナーとして伊丹さんに寄り添いました。
伊丹十三の息子も俳優?
嫁・宮本信子さんとの間には長男の池内万作、次男の池内万平の二人の息子がいます。
長男の池内万作さんは俳優として映画、ドラマ、舞台などで活躍しています。
ちなみに「万作」という名前は十三さんの父の筆名・万作から付けられたそうです。
次男の池内万平さんも俳優として活動していた時期がありますが、現在は引退して一般人として暮らしているようです。
伊丹十三と星野源の関係とは?故郷の松山に建つ伊丹十三記念館
伊丹十三さんが幼少期を過ごした愛媛県松山市には伊丹十三記念館が建てられました。
伊丹さんの多岐に渡る活動の紹介や、小学生の時に描いた絵をはじめとする生い立ちに関して、そして音楽愛好家や料理通などのプライベートな一面など、伊丹さんらしい実に多彩な展示の数々を見ることができます。
常設展の他に、「おじさんのススメ シェアの達人・伊丹十三から若い人たちへ」や「ビックリ人間 伊丹十三の吸収術」といった興味深い企画展も見どころの一つです。
館内のカフェではシャンパンやビールなどの伊丹さんが愛飲していた飲み物や、フランスチョコレートを用いたオリジナルケーキや、お土産として人気の十三饅頭などを取り揃えています。
店内には映画「タンポポ」で伊丹さん自身が描いた登場人物のデッサンが飾ってあります。
館長であり妻でもある宮本信子さんは、「私が作りたい伊丹十三記念館」と、こう述べています。
ある昼下がり。
中庭の草の上に寝転んでいる。腹這いになっている人がいる。
どうやら本を読んでいるようだ。そばにシャンパンのグラス。
近づいてみると、ナント、「伊丹十三!」
そして、「やぁ!いらっしゃい!」少しニヤリと笑って言った。
続けて、彼はまた、言う。
「楽しんでいって! 結構面白い所だよ。ここは。
記念館としては旨くいったネ。僕も気に入ってるんだよ。
まぁ…ごゆっくり…いやぁ…(頭を掻く)よかったら、また、来てネ!」
公私ともに良いパートナーであった信子さんだからこそ作ることのできた、飾らない伊丹さん自身を感じることのできる記念館ということが伝わってきます。
松山を訪れた際には、伊丹十三記念館に立ち寄ってみてはいかがでしょうか。
伊丹十三の死因の真相とは?
映画監督・伊丹十三さんの死因と自殺ではないと言われている根拠、事件の真相について解説しました。
マンションの屋上から飛び降りたことは事実ですが、遺書とされる文書には疑問点が残ります。
伊丹十三さんに哀悼の意を捧げるとともに、映画史に名を遺した伊丹作品に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。