金村剛弘の死の真相がヤバすぎる!?関東連合最強と噂の金村剛弘のプロフィール

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関東連合最強とも言われたアウトロー・金村剛弘さんは、悲惨な死を遂げました。

その元凶となった西新宿事件の真相とは一体?

金村さんの死と関係する六本木事件や、金村さんの年齢・身長などのプロフィール、そして筋トレで鍛え上げたという肉体など、金村剛弘さんについて徹底解説します。

金村剛弘の死の衝撃の真相とは?

暴走族・半グレ集団である関東連合と強い繋がりを持っていた金村武弘さんは、関東連合壊滅のきっかけになったとも言われる事件で死亡しています。

その事件と死の真相について解説します。

金村剛弘が死亡した西新宿事件とは?

西新宿事件とは、2008年3月16日に西新宿の路地で韓国食材輸入会社の社員・金村剛弘さんが金属バットで執拗に殴打され、死亡した事件です。

金村さんは病院に搬送されるも、5日後の3月21日に脳挫傷により亡くなりました。

警察はこの事件を半グレ集団の抗争と見ているものの、犯人の特定には至らず未だに犯人は捕まっていません。

西新宿事件の発端と言われる事件は何?

西新宿事件の発端になったと言われている、金村剛弘さんが関係するトラブルが事件の2日前に起こっています。

2008年3月14日、金村さんは関東連合のメンバーと東京都港区のちゃんこ鍋屋で食事をしていました。

その場には反関東連合勢力・打越スペクターの参謀格Tが所属している山口組秋良連合会の組員数人が偶然居合わせており、些細な口論から険悪な雰囲気に。

店外に出た両者ですが、関東連合側に立った金村剛弘さんが秋良連合会のリーダー格を素手で倒し、秋良連合会は全員その場から退散しました。

もともと関東連合と対立していたグループの一員を金村さんが暴力で倒したこのトラブルが、西新宿事件の発端になったと言われています。

金村剛弘集団暴行で殺された?

西新宿事件の前日、3月15日に金村剛弘さんは関東連合のトップ(当時)・見立真一さんの誕生パーティに参加しており、日付が変わった翌16日の午前4時頃にパーティーはお開きとなりました。

そして自宅付近の西新宿の路地に入ったところを犯人に襲われたものと見られています。

近隣住民の中には「殺せ!逃がすな!」という怒声や、「助けてください!ごめんなさい!」などの悲鳴を聞いた者もおり、異様な雰囲気が感じ取れたようです。

目撃者によると、犯人は目出し帽をかぶった十数人の男たちで逃げる金村さんを追い回しながら、金属バットで滅多打ちにするなど集団暴行に及んだ後、近くに停車していた数台の車で逃走したといいます。

金村剛弘は即死状態で発見された?

金村さんは病院に搬送された時点で全身血まみれで、既に意識はなかったそうです。

頭部は特に金属バットで殴打されており、発見時には頭部から脳がはみ出していたほどだったとも言われています。

病院に搬送された時点ではまだ息はあったものの、5日後の3月21日に脳挫傷により亡くなりました。

即死ではなかったものの、脳へのダメージは命に直結することから、深刻な状態であったことがうかがえます。

首謀者は反関東連合の木村兄弟?

西新宿事件の犯人は特定されていませんが、金村さんと親交のあった関東連合は反関東連合・新宿ジャックスを取り仕切っていた木村泰一郎さんと木村孔次郎さんの木村兄弟が首謀者であるとにらんでいたようです。

兄・木村泰一郎さんは喧嘩が強く、豪胆な性格で、弟・孔次郎さんは腕っぷしもさることながら知略にも長けており、兄弟そろってカリスマ性を持っていたといわれています。

西新宿事件の2日前のちゃんこ鍋屋での騒動直後に、木村孔次郎さんが関東連合幹部の石元太一さんへ殴り込みをかけています。

石元太一さんはこれに対し、金村さんに電話で宣戦布告したことが西新宿事件につながったとも言われています。

後述する六本木事件の数週間前、木村孔次郎さんは同じく関東連合に敵対し、以前は友好関係にあったはずの山口組秋良連合のメンバーと路上でいさかいになっているのを多くの人に目撃されています。

目撃者によると、秋良連合側が「おい孔次郎!お前ヤバいよなぁ、人を殺して逃げてるからよー!」という罵りに対して、木村孔次郎さんは気まずそうに黙ったままだったそうです。

その話を聞いた関係者の多くが「木村兄弟と友好的だった秋良連合の人間が言うくらいだから、やはり木村孔次郎が金村を殺したのではないだろうか」と思ったという話もあります。

六本木事件の本当のターゲットは誰?

金村さんの死を受けて親交のあった関東連合は復讐を誓い、首謀者と思われる木村孔次郎さんを金村さんと同じ目に遭わせるため捜索しますが、孔次郎さんはその知略ゆえかうまく身を隠していたようです。

そして起きたのが六本木クラブ襲撃事件(六本木事件)です。

六本木事件とは、2012年9月2日、関東連合のメンバーが木村孔次郎さんを殺害すべく六本木にあるクラブ「フラワー」を金属バットで襲撃し、飲食店経営者・藤本亮介さんが殺害された事件です。

被害者の藤本さんは飲食店など手広く経営していたため、当初は関東連合とトラブルがあったとの憶測も立ちましたが、逮捕された関東連合の一員が「トラブルも接点もなかった」と否定しています。

藤本さんと孔次郎さんは外見的特徴が似ており「フラワー」の店員の一人が来店していた藤本さんを木村孔次郎さんと誤認し、関東連合の石元太一さんへと電話連絡したことがこの事件の原因であったことが、後に判明しました。

六本木事件で逮捕された人物は18名にのぼり、関東連合の幹部も軒並み逮捕されたことで関東連合は瓦解。

このことから木村孔次郎さんは関東連合を解散させた伝説的なアウトローとして名を馳せることになりました。

六本木事件の首謀者は獄中の石元太一ではない?

石元太一受刑者は六本木事件の翌年の2013年1月10日に逮捕され、現在も服役しています。

検察は石元受刑者が六本木事件の計画に関わり、実行犯にも加わっていたとして追求しましたが、石元受刑者はこれに対して真っ向から否定し冤罪を主張

「フラワー」の店員からの連絡を受けて、関東連合のトップ・見立真一容疑者に「木村孔次郎がいる」と伝えたことと、襲撃直前まで見立らと行動を共にしていたことは認めているものの事件の計画や参加は否認しています。

襲撃直前に「自分は顔が知られているので勘弁してほしい」と見立容疑者に頼んだところ「帰っていい」と言われ、そのまま別れたという主張をしています。

関東連合で最強と恐れられていた金村剛弘とは?

喧嘩最強・関東連合最強とも言われていた金村剛弘さんはどんな人だったのでしょうか。

本名や身長・年齢などのプロフィールと、ベンチプレスの筋トレで鍛えたという驚異の肉体について紹介します。

金村剛弘のプロフィールは?

金村剛弘(かねむらたかひろ)さんは、1975年12月20日生まれで、死亡時の年齢は32歳でした。

東京都新宿区西新宿の出身で、高校中退後は父親の経営する韓国食材の輸入・卸売りをする「一力物産」という会社に勤めていました。

暴力団に所属はしていなかったものの、関東連合などの半グレ集団と親交があり、その敵対組織とも親交を持つという、こういった集団の中では絶妙なバランスが必要とされる立場にあったようです。

金村剛弘は韓国人?

金村剛弘という名前は通名で、本名を金 剛弘(キム ガンホン)といい、在日韓国人でした。

通っていた高校も東京朝鮮高等学校で、勤務していた父親の会社も韓国食材を扱っていたことから、特に隠したりはしていなかったように思えます。

金村剛弘は身長が低かった?

写真中央の白いシャツの男性が金村さんです。

金村剛弘さんは身長が低かったと言われ、160cmくらいだったとも140cm台の超低身長だったとも言われています。

この写真を見ると、周囲の男性より頭一つ分背が低いことから、身長は150cm前後だったのではないかと推測されます。

鍛え抜かれた肉体の持ち主だった?

推定150cm前後という意外な身長とは裏腹に、筋トレで鍛え上げられた屈強な肉体の持ち主でした。

普段からスポーツジムに通い、ベンチプレスなどの強度な筋トレを行っていたようです。

筋肉の中でもボディービルダーのような筋肉はスポーツや喧嘩の強さには関係しないと言われてはいますが、それでもこれだけ屈強な金村さんが一方的に暴行を受けて亡くなったことに衝撃を受けた人も少なくなかったようです。

また、金村さんが必要以上に筋トレをしたのは「グラップラー刃牙」などの格闘漫画が好きだったという理由のほかに、身長が低いことで相手に舐められないためという見方もあるようです。

余談ですが、ベンチプレスの目標としてよく挙げられるベンチプレス100kgは、日常的にジムに通ってベンチプレスのトレーニングを行っている人であれば2~3人に1人は可能というデータがあります。

金村さんの肉体を見ると、100kgは軽々こなしていたかもしれません。

金村剛弘と関東連合の面倒見(ケツ持ち)?

時期は不明ですが、金村さんは暴走族・狂乱恋命に所属した後に関東連合の面倒見(ケツ持ち)になったようです。

暴力団に所属はしていなかったようですが、関東最大の半グレ集団・関東連合の面倒見役として大きな影響力を持っていたと言われています。

山口組系暴力団「弘道会」の構成員だった?

金村さんは山口組系暴力団「弘道会」の構成員として薬物の取り仕切りに関与していたとの噂もあります。

暴力団や半グレ集団と深い関わりがあったのは確かなようですが、幹部でもない限り外部の人間が末端の構成員を把握するのは難しく真偽は不明です。

また、山口組系の複数の組織によって設立された政治団体「國土創成」の初代総本部長に金村剛弘という名前が確認できます。

この人物が金村さんであるかも不明で、外部の人間が確認する術はないようでした。

どこにでもある名前ではないものの、偶然同じ界隈に同姓同名の人物がいたとも考えられなくはないように思えます。

金村剛弘の交友関係は芸能人が多かった?

金村剛弘さんの交友関係は広く、芸能人も多かったと言われています。

金村さんと交友関係にあったと噂されている芸能人を5人紹介します。

岡沢高宏

岡沢高宏さんはファッションモデルであり、金村剛弘さんとは小学校5年生の頃からの友人です。

いじめられていた岡沢さんを金村さんが助けたことで仲良くなり、金村さんを「兄貴」と慕うようになったそうです。

後に岡沢さんと金村さんは共に不良グループ・新宿ジャックスを結成し、暴走族グループ・狂乱恋命に所属するときも一緒など、付き合いの長い友人だったことが窺えます。

金村さんの交友関係の中でも最も親しかった岡沢さんは、事件直後に妻の広末涼子さんと距離を置くようになり、これが離婚につながったとも言われています。

広末涼子

広末涼子さんは、「広末ブーム」と呼ばれるほど一世を風靡した女優で、前述の岡沢高宏さんは広末さんの1人目の夫としても有名です。

広末さんは結婚する以前、金村さんの自宅に通う姿が何度も目撃されるなど、金村剛弘さんの愛人だったという説があるようです。

また、金村さんの舎弟の金子賢さんとも交際歴があったり、真偽は不明ですが薬物に手を染めているなどの噂もあります。

高岡蒼佑

高岡蒼佑さんは俳優として活躍しています。

高岡さんは自身のブログで金村さんの誕生日を祝うなど、金村さんとの親交も見てとれます。

何かを感じたのか、西新宿事件の直後は姿をくらましていたという情報もあります。

宮崎あおい

宮崎あおいさんは有名な女優で、高岡蒼佑さんの元妻でもあります。

宮崎あおいさんと高岡蒼佑さんは西新宿事件の前年、2007年に結婚していることから、宮崎あおいさんも金村さんと面識があったのではとささやかれています。

西山繭子

西山繭子さんは女優・作家で同じく作家の伊集院静さんの娘でもあります。

西新宿事件当時、金村さんと交際していたといわれています。

広末さんも同時期に金村さんと交際していたとの噂がありますが、どちらも真相は不明です。

金村剛弘の死の真相についてのまとめ

金村剛弘さんが死亡した西新宿事件の真相や、年齢などのプロフィール、親交があったとされる芸能人についてまとめました。

関東連合などの関係者は西新宿事件の首謀者の目星をつけているようですが、公式には犯人は特定されておらず謎に包まれている部分も多い事件です。

金村剛弘さんのご冥福をお祈りします。