京都のウトロ地区の出身の芸能人は誰!?危険な理由を調査!

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「ウトロ地区」は京都府宇治市に所在する、在日朝鮮・韓国人の集団居住地域の通称です。

危険な地域だと噂されるウトロ地区ですが、現在はどうなっているのでしょうか。

ウトロ地区の歴史を、怖いとされる理由や出身だと言われている芸能人とともに紹介していきます。

ウトロ地区は怖い?危険な理由4選!

ウトロ地区と検索すると、続く検索予測候補に「怖い」「闇」といった言葉が出るように、どこか危険なイメージを持たれる方が多いのではないでしょうか。

あるいは、地元で「あそこに行ってはいけないよ」と言われ育った方もいらっしゃるでしょう。

何が危険なのか、大きく4つの理由を紹介していきます。

ウトロ地区の場所は?

ウトロ地区は、京都府宇治市伊勢田町51番地に所在する地区のことを指します。

なお、北海道オホーツク海側の斜里町にも「ウトロ地区」がありますが、こちらはアイヌ語が語源であり、京都のウトロ地区とは全く関係がありません。

ウトロ地区は在日韓国・朝鮮人の集住地域?

ウトロ地区は日本政府が推進した、1942年の京都飛行場の建設工事に集められた在日朝鮮人労働者たちの飯場跡に形成された集落です。

鉱山・土木・建築工事などの現場近くに設けられた、労働者の宿泊所。

引用元:goo辞書

過酷な労働を伴いましたが、やがて米軍による爆撃と日本の第二次世界大戦の敗戦により工事が中断されると、その場に使い捨てのように放置されます。

終戦後、多くの朝鮮人労働者は母国に帰りましたが、帰国を拒否した朝鮮人労働者が不法占拠という形でこの土地に住み続け、現在に至ります。

ウトロ地区の歴史が壮絶?!

ウトロ地区は戦争に起因して作り上げられた地域ですが、現在に至るまで様々な困難に直面しています。

長い間上下水道などの生活インフラが整備されず、大雨が降ると深刻な水害に悩まされ、また生活用水も地下水をくみ上げる劣悪な衛生環境の中で生活が営まれてきました

他にも地上げ問題や国際問題にも発展したウトロ地区ですが、これまでどのような歴史を辿ってきたのでしょうか。

【1942年】飛行場建設事業で韓国・朝鮮人が労働

1942年2月の戦時下、京都飛行場と併設の飛行機工場の建設工事が正式決定し、約2000名が駆り出されることとなります。

そのうちの半数を超す、1300名もの人数が朝鮮人労働者でした。

当時の朝鮮人労働者と家族らのために1943年に建てられた宿泊設備の集まりが、現在のウトロ地区の前身となります。

【1945年】終戦後立ち退きを拒否、集落を作成

第二次世界大戦の終戦は、朝鮮人労働者にとって日本からの植民地支配の解放であると同時に、日本において失業者となる瞬間でもありました。

立ち退きを迫られ多くの朝鮮人が祖国に帰る中、帰国せず日本に住むことを選んだ一部の労働者たちが合流しウトロ地区が形成されていきます。

日本に住み続けた理由としては、

  • 朝鮮戦争と日本の植民地支配により、朝鮮半島が南北ともに社会的にも政治的にも混乱していた
  • 朝鮮までの船の運賃が高額で帰るお金が無かった
  • 祖国の家族らを失い行くあてが無かった、日本で家族を形成していた

といった様々な事情があったようです。

その後は土建の日雇いや廃品回収など「生きるためなら何でもしながら」生活し、ほか地域で差別され困窮した朝鮮人らも移住し始めます。

ウトロ地区は、同胞ら被差別住民のセーフティネットとしての役割も果たしていたのでしょう。

【1987年】ウトロ地区の全土地を3億円で売却、転売?

1987年、ウトロの人々が知らない間に地上げ事件が起きていたことが発覚します。

地上げという言葉がよく知られるようになったのは、1986年12月~1991年2月ごろまでのバブル景気のときです。
地上げの本来の意味は、土地を買い集めることです。たとえば、住宅用地として分譲する目的で、まとまった土地の所有者と交渉を行い、買い取ることなどをいいます。

引用元:リビンマッチ

もともとは旧軍需会社の継承企業「日産車体」の土地だったのがいつの間にか「西日本殖産」へ転売され、事情を知らない住民にとってはまさに寝耳に水だったことでしょう。

のちに明るみとなった背景です。

  1. 当時80世帯・380人が住んでいたウトロの2万1000平方メートルの土地が、日産車体から「ウトロ自治会長」を名乗る平山という男に3億円で売却される
  2. 売却から2カ月後、平山が自ら役員を務める西日本殖産に4億4500万円で転売される
  3. 西日本殖産が立ち退き通知書を持ち、解体と強制撤去のために重機とトラックが押し寄せる

ウトロ地区住民たちは徹底抗議するもらちが明かず、日本人支援者とともに「地上げ反対!ウトロを守る会」が発足したのでした。

【2000年】ウトロ地区の住人が退去する事が法的に確定?!

「ウトロ訴訟」として住民は争うも、2000年6月大阪高裁は本裁判で住民への敗訴判決を下しました。

つまり、土地所有者の所有権が司法の場で再確認され、ウトロ地区への住民の立ち退きの強制執行が法的に可能となってしまったのです。

しかし敗訴後も行く当てのない住民らは、宇治市と京都府を相手に「ウトロ町づくり計画」を提案したリ、国連の「国連社会権規約委員会」に訴えたりと、行政介入と国際的な問題提起を始めます。

【2007年】韓国政府がウトロ地区の半分を購入?

ウトロ地区の問題が韓国社会でも大きな関心を持つようになり、「ウトロ国際対策会議」が発足・韓国政府に支援を求め募金運動を行い、韓国内で5億ウォン(約6千万円)以上が寄せられました。

そして韓国政府の支援からなる財団法人「ウトロ一般財団」が設立され、ウトロ地区の東半分を約5億円で購入します。

韓国政府の支援金が為替の変動で目減りしたために結果的には土地購入面積が減少したものの、ようやくウトロ地区の展望に明るい兆しが見えたことでしょう。

【2016年】市営住宅が設立される

2014年に国土交通省・京都府・宇治市の3者より、ウトロ地区内に公営団地を建設して住民を集約する方針を決めました。

2016年よりウトロ市営住宅第1期工事建設が開始され、2018年には市営住宅の1期棟が完成、40世帯分の入居も随時始まり、周辺のインフラ整備もされていきます。

市営住宅の建設と並行し、下水道や排水施設、道路などの整備も進んでいる。

引用元:朝日新聞DIGITAL

土地の劣悪さと高齢化が進むウトロ地区において、市営住宅に入居出来ることに安堵する住民も多かったことでしょうね。

危険な理由①朝鮮・韓国人が不法占拠

確かに、戦後からウトロ地区混乱期の不法占拠時は、日本人にとっては治安が悪く危険な時期もあったのは確実と言えるでしょう。

日本人から差別や迫害を直に受けていた朝鮮人からは敵であるとみなされた可能性が高いためです。

またウトロ地区に限ったことではなく、生活困窮者が多い地域では強盗や空き巣など様々な犯罪が横行するのも事実ですので、危険なイメージが付きまとうのかもしれませんね。

危険な理由②スラム街

ウトロ地区は廃墟のような家屋も多く、あちこちに落書きがされ、一見するとスラム街のようで怖いというイメージを持たれる方が多いのではないでしょうか。

崩壊寸前のバラックも多く、令和の時代にこのような建物群がいまだ存在することに驚きを隠せません。

まるでホラー映画にでも出てきそうな雰囲気だと表現する方もいます。

危険な理由③生活保護受給者

ウトロ地区には生活保護受給者が多いという傾向もあります。

現在、生活保護を受けている世帯がウトロ地区全体の約20%となっており、割合としても非常に高い生活保護受給率と言えるでしょう。

治安が良くない地域と生活保護受給者の多さは比例すると考える方もいるために、怖い印象を抱く方も多いのかもしれません。

危険な理由④外国人

ウトロ地区には日本語を話せない住民がいるのも確かですので、言葉が通じず怖いと思う方も少なくないかもしれませんね。

看板にもハングル語と日本語が入り混じり、日本にいながらさながら海外に来たような感覚に襲われることでしょう。

とはいえ現在の住民は高齢者、あるいはウトロ地区形成時の在日二世・三世の世代がほとんどであるため、かつてのような危険度は低いと言えるでしょう。

京都ウトロ地区出身の芸能人はいる?

では、ウトロ地区出身の有名人はいるのでしょうか。

ウトロ地区出身が噂される芸能人として名前が挙がる一人に、安田美沙子さんがいます。

なぜそのような噂に発展したのでしょう。

安田美沙子は京都ウトロ地区出身?

安田美沙子さんの生まれは、母親の実家である北海道札幌市です。

その後、父親の仕事の都合により京都府北部の京丹後市で小学1年生までを過ごし、小学2年生からはウトロ地区のある宇治市に転居しています。

「宇治市に住んでいた」ことだけが噂の発端ではなく、どうやら「京都弁がわざとらしい」からが一番の理由のようです。

もちろん、宇治市育ち=ウトロ出身とは限りませんし、安田美沙子さんの生い立ちからも可能性はかなり低いと言えるでしょう。

野中広務も被差別部落出身?

自民党の元衆議院議員である野中広務さんは、京都府内の被差別部落出身者であり、出身を認めたうえで差別防止運動に努めていました。

2018年1月に亡くなっていますが、京都ウトロ地区の公営住宅の建設や、京都府知事と宇治市長への橋渡しとしてウトロ問題に取り組んだ一人でもあります。

【行ってみた】ウトロ地区の闇を暴く!ウトロ地区住人の方が危険に?

では、現在のウトロ地区はどのような状況なのでしょうか。

2021年にウトロ地区で起きた放火事件により、在日コリアンへのヘイトクライムが顕在化したこともあり、危険なのはむしろウトロ地区住民だとする声も上がっています。

ウトロ地区のストリートビューが未だに怖い?

皆さんは、ウトロ地区をストリートビューで見てみたことはあるでしょうか?

「ウトロ地区のストリートビューが怖い」と言う方もいますが、どうやらウトロ地区の一部にストリートビューが入れないことから闇深い憶測を生んでいるようです。

私道や狭い道はストリートビューは入れませんし、住民のプライバシー問題もあるため、映らないエリアがあってもおかしくはないでしょう。

ヘイトクライム?!宇治ウトロ地区放火事件

2021年8月30日、ウトロ地区内の空き家と倉庫計5棟が全焼、民家2棟が半焼する放火事件が発生します。

この火災での死傷者はいなかったものの、2022年4月に開館予定であった「ウトロ平和祈念館」で展示予定の生活用品や、住民運動等で使用した看板40枚も焼失しています。

犯人は事件当時22歳の無職、奈良県在住の有本匠吾という男で、事件の3ヶ月後に逮捕されました。

「韓国が嫌いだった」と供述し、放火事件は韓国人に対するヘイトクライムから起きたものとして注目を集めます。

韓国が嫌いだった。日本人に注目してほしかった」。

「多くの人が抱いていたであろう内なる不満や不快を、目に見える対象にぶつけやすい状況にすべく、日本人の大半が嫌悪もしくは迷惑視する韓国人の関連施設に対して事件を、放火を発生させた」

非現住建造物等放火の罪で起訴された男(22)は、そんな供述をしたという。
この事件が、民族蔑視に基づく「憎悪犯罪(ヘイトクライム)」として注目を集めている。

引用元:Yahoo!JAPANニュース

ウトロ地区住民のほうが危険に晒されている?

放火事件が起きたことで、ウトロ地区には、在日韓国・朝鮮人に対する偏見や嫌悪感を抱く特定の人々からのヘイトクライムがあることが表面化しました。

もはやウトロ地区を訪れる人よりも、ウトロ地区に居住する人々の方が危険に晒されている状況だと言えるでしょう。

実際に「ウトロ地区に行ってみた」と訪れるYouTuberやメディア関係者も多くいますが、危険な目に遭ったという話は出ていません

【ウトロを守る会】ウトロ地区に闇はない?!

ウトロ地区では月に1回、市民団体「ウトロを守る会」として茶話会が開かれています。

元々は地上げ問題に直面し「地上げ反対!ウトロを守る会」として発足した当団体。

現在はウトロ地区の住民のみならずNHKの記者や近隣の大学生が訪れており、映画上映や対話とともに歴史に触れ交流を深めることで、ウトロへの理解に向け動いているようです。

ウトロ平和祈念館が開館

2020年5月、ウトロ地区に「ウトロ平和祈念館」がオープンしました。

多くの人たちがウトロの歴史を通じて人権について考え、平和を願い発信する場にしてほしいという願いが込められています。

施設ができたことは夢のようだ――。
立ち退き問題や差別に直面した歴史を振り返り、住民らは開館を喜び合った。

「ウトロを守る会」で住民を支えてきた田川明子館長(77)=宇治市=が「ここを訪れて、人と出会ってください。戦争でできた町・ウトロから平和を発信したい」と呼びかけた。

引用元:朝日新聞DIGITAL

ウトロ地区の歴史を知らない世代に向けて発信していける場所として、今後発展していくことでしょう。

現在のウトロ地区は危険ではない!ウトロ地区を取り巻くヘイトクライムのほうが怖い!

治安が悪い・危険だとされてきたウトロ地区ですが、現在は高齢者が多く、静かに訪れるだけであれば何ら問題はありません。

現在はむしろウトロ地区への偏見や差別といった負の感情、ヘイトクライムのほうが恐ろしいと言えるでしょう。

まだ数多くの問題を抱えるウトロ地区ですが、どのような未来を歩んでいくのか興味深いですね。