【死ぬ直前の写真あり】マッスル北村の死因は餓死でなく急性心不全!?

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1980年ごろから2000年にかけて活躍したボディービルダー、マッスル北村をご存知でしょうか?

没後20年を過ぎた今も、「伝説のボディービルダー」として語り継がれるマッスル北村には、数々の名言や伝説が残されています。

餓死とも言われている死因と、死ぬ直前の写真とはどのようなものなのでしょうか?

驚愕のエピソードとともに、彼の生きざまを一緒に見ていきましょう!

マッスル北村の死因は他殺の可能性も?

マッスル北村は、39歳という若さで死亡しています。

本名:北村 克己(きたむら かつみ)
職業:ボディービルダー、タレント
出身:東京都練馬区
身長:173cm
体重:115kg
誕生日:1960年10月6日
死没:2000年8月3日(享年39歳)

父親は彫刻家で、妹が2人おり、4人家族の長男として育ちます。

幼少期は内気でおとなしく、小学生のころは手芸が得意で、同級生の破れたズボンを縫ったりもしていたそうです。

鍛えることに目覚めたのは小学6年生の頃で、中学に入ってからは周囲の理解や想像を超えるようなトレーニングを始め、どんどんストイックな生活へと変化していくのでした。

マッスル北村の死因が餓死とされたのは体脂肪率が0%だったから?

マッスル北村の死亡時の体脂肪率は3%だったそうです。

一般男性の3分の1よりも低く、ボクサーをも下回る体脂肪率はまさに驚異的ですね。

一般的に健康とされる日本人男性の体脂肪率:10~19%
ボクサーの計量時の体脂肪率:5~8%

限りなく体脂肪率0%に近付いた肉体でしたが、死亡時に通常の棺桶では入り切らず、特注サイズの棺桶が用意されたという逸話もあります。

マッスル北村の死因は急性心不全?

2000年初夏、ボディビルの世界戦に参加を決めたマッスル北村は、脂肪を落とすために20kgの極端な減量を行います。

結果、異常な低血糖状態となり、急性心不全を引き起こしたのが直接の死因のようです。

死ぬ直前に群馬で行われたステージで「限界に挑戦して素晴らしい肉体を築きたい」と話していたといいますが、身体が先に本当に限界を迎えてしまったのでしょう。

極限まで脂肪を削ぎ落とした彼の最期は、まさに餓死に近いものだったとも言えますね。

マッスル北村が死亡した原因にインスリン疑惑も?

かねてよりボディビル界において、インスリンの乱用が問題となっていました。

ボディビルダーとインスリンの乱用

インスリンには血糖値を低下させるだけでなく、同化作用があり、筋肉の増加を促進するからである。
インスリンの過剰摂取は低血糖症を引き起こし、そこから発作、昏睡、神経学的な脳の損傷、そして死につながる。
インスリンは規制された薬物ではなく、容易に入手できる。

引用元:weblio辞書

トップクラスのボディビルダーの中には、インスリンを自己注射する人もいるというほどです。

マッスル北村はドーピング検査に引っかかったこともあるため疑われる可能性が高いのでしょう。

更に、死因が急性心不全であったことからも過剰摂取への疑惑が強まったようです。

実際にインスリンを使用していたか真相は不明とはいえ、あれだけの筋肉を作るにはドーピングだけでは不可能なのは間違いないでしょうね。

マッスル北村の死因は食事も影響?ササミシェイクとは?

マッスル北村は、驚愕の食生活を送っていました。

「あごが疲れて量が食べられないから」と考案した「ササミシェイク」は、冷凍ササミを加熱せずにミキサーにかけて作ったシェイクで、一気に飲み干していたといいます。

味はもとより、食中毒にならないのかも心配になりますね…。

そのほか、タンパク質を主とした食生活ですが、一般の人では考えられない量を摂取しています。

  • 全卵20~30個
  • 牛乳2~3リットル
  • サバの缶詰3缶
  • プロテイン粉末300グラム
  • 消化吸収のための消化剤も大量摂取

これらを1日のノルマとし睡眠時間を削って食べ続けていたそうで、もはやストイックの域を超え健康的な生活とは程遠かったと言えるでしょう。

マッスル北村のトレーニングが過酷すぎる?マシンを壊した?

マッスル北村は、漫画『あしたのジョー』に影響され、大学浪人中にボクシングをやっていました。

ボクシングのトレーニング時に、パンチ力が強すぎてパンチングマシーンを2台も壊してしまったそうです。

そのほかジムでは、マシンの重量では足りずロープで数10キロのダンベルをくくりつけて行っていたようで、通常のトレーニングでは満足できなかったのでしょう。

マッスル北村の死ぬ直前を妹が激白?最後の写真はゲッソリ?

兄の異変に気付いたのは妹の善美さんで、ブログで当時の状況を語っています。

8月3日のあの日、たまたま兄に用事があり何度か電話をしたのですが、つながらず、まあ、トレーニングに行っているか寝ているか犬の散歩にでも行っているのだろうとさほど気にしなかったのですが、自宅のほうに兄宛の荷物が届き、それを届けに行ってはじめて、兄が部屋で倒れているのがわかりました。

でも、そのときでもまさか兄が帰らぬ人になるとは夢にも思いませんでした。またいつものように意識が戻り、「いや~参ったなぁまた倒れちゃったよ」と苦笑しながら言う兄の姿を想像していました。
救急隊員が兄を病院に運ぼうとしたとき、心肺停止状態になり病院に搬送された後も懸命の蘇生をしていただいたのですが、残念ながら兄は戻ってきませんでした。

発見時は台所で倒れており、テーブルには知り合いのおばあさんの病気について調べた紙が整理して置かれていたそうで、マッスル北村の優しさが滲み出たエピソードの1つと言えるでしょう。

なお、善美さんは現在マッスル企画の代表として、兄の残したものを世間に伝える活動をしています。

マッスル北村は死ぬ前にも餓死寸前で搬送される?

マッスル北村は亡くなる数日前にも倒れ、救急車で搬送されています。

どうやら、トレーニングのし過ぎで摂取カロリーより消費カロリーが上回ってしまったのが倒れた原因のようです。

その時は処置が早かったため助かっていますが、これまでも過度な体重制限と食事管理で命の危機にさらされる経験が珍しくなかったのでしょう。

死ぬ前の最後の仕事では、病院で点滴を受けていたのを引きちぎって仕事に向かったというとんでもないエピソードもあります。

マッスル北村は死ぬ直前に飴ひとつも食べなかった?

病院に搬送されていたのもあり、せめて倒れないようにと妹の善美さんが「めまいがしたら飴をなめて」と懇願するも、マッスル北村は飴すらも拒否します。

「飴なんかでカロリーを取るぐらいなら、自然の食べ物でカロリーを摂りたいんだよ。」と断ったというのです。

家族のアドバイスやドクターストップを聞かなかった結果死に至るとは、なんともやり切れませんね。

マッスル北村が死ぬ前の最後の写真とは?

2000年7月31日、マッスル北村が亡くなる3日前の写真と言われているのがこちらです。

頬の肉が落ちゲッソリとしていて、巨大な肉体とのアンバランスさが目立ちますね…。

どこか死相も見えてしまいそうなほど生気が感じられず、減量に対して相当追い込んでいたのがうかがえます。

撮影時の動画もあり、2:40~ラストまでが残された最後の姿となります。

マッスル北村の伝説や名言6選!自分に厳しく人に優しい?

マッスル北村には、数々の伝説や名言があります。

睡眠時間も1日2~5時間のみで、起きている間はトレーニングと大量のたんぱく質の摂取に充てたという噂もあります。

自分に厳しく人には優しかったという、マッスル北村のエピソードと名言を6つ厳選してみました!

マッスル北村は東大合格?医者になりたかった?

マッスル北村は、進学校である東京学芸大学教育学部附属高等学校を卒業後、二浪して東京大学理科II類に合格し入学しています。

現役時代には防衛医科大学と早稲田大学は合格していたそうなので、頭脳明晰であったのがわかります。

しかし、ボディビルにのめり込んだことで理科II類を中退し、家族から猛反対に遭います。

その後は「人の役に立ちたいから医者になろう」と思い立ち、今度は東京医科歯科大学医学部に入学し直しています。

結果、またしてもボディビルを優先し医学部も中退してしまいますが、気持ち1つで難易度の高い大学に入れるとは相当な頭脳の持ち主だったのでしょう。

伝説①100kmマラソンをして2日で14kg減量?

1985年アジア選手権への出場前に過酷な減量をしたエピソードがあります。

出場が決まったのが大会4日前であり、直前にコンテスト出場もしていたため身体が疲弊しきっていました。

「この状態で出ても結果は知れているので、少し好きな物を食べて筋肉に張りを持たせよう」と考え食べ始めたところ、わずか2日で14キロ増量してしまったのです。

そこでなんと、電車を乗り継いで山奥まで行き、山から自宅までの100kmマラソンに挑戦します。

途中で足の爪がはがれ、シューズの中が血で溢れるほどの苦痛を伴いながらも走り抜き、とうとう14kgの減量に成功し、ライトヘビー級のタイトルを手にしたのでした。

伝説②自転車に16時間乗り続けた?

マッスル北村が中学2年生のころ、都内練馬区の自宅から奥多摩までの片道約200キロのサイクリングに挑戦しています。

16時間ぶっ続けでペダルをこぎ続け、帰りの道中で意識を失い発見され、奥多摩の病院で目が覚めたそうです。

アップダウンの険しい道にもかかわらず「到着まで休憩しない」という自己ルールを課して臨んだというのですから、無謀にも思える計画ですよね。

マッスル北村はのちに「この経験から肉体・精神の限界を極めたいと心に決めた」と話しており、中学生とは思えない鋼のメンタルの持ち主だったと言えるでしょう。

名言③天と地の隔たり

名言の1つに、「1,000回をこなしたときよりも、1,001回のこの1回に意味がある」という言葉があります。

1千回と1千1回とでは天と地の隔たりがあった。
まさに最後の1回は全身全霊の限界力を振り絞った一発。
その前の1千回はこの1回のためのお膳立てに過ぎない。
最後の一発はその前の1千回に勝るとも劣らない価値がある。

引用元:ウェブ石碑

追い込まれた状況でなお一歩を踏み出す勇気が大事で、何にも代えがたい価値があるということでしょう。

設定した目標よりも更に高みを目指そうとする、マッスル北村のストイックさと心意気が感じられる言葉ですね。

名言④心が真に欲する戦い

少年期のサイクリングといい、負けや失敗を恐れない心を表す名言もあります。

負けや失敗を恐れず自分の心が真に欲する闘いに黙って挑みたい。

引用元:ウェブ石碑

誰に命令されるでもなく、ただ自身と向き合い続けた結果が、あの鍛錬された肉体だったのでしょう。

名言➄万人を勇気づける心の医者に

医学部への入学経験もあるマッスル北村は、自らの生きざまを見せることで人々を勇気づけたいと考えていました。

僕はボディビルを通じて万人を勇気づける心の医者になりたい

引用元:名言大学

タレント活動やメディア出演も積極的に行っていたのも、より沢山の人たちに勇気を与えられる、と考えてのことだったのかもしれませんね。

名言⑥人は己に嘘をつけぬゆえ

自分に嘘は付けない、すべては自己責任であることを説いた一言がこちらです。

人は己に嘘をつけぬ心ゆえに自ら裁かれるものである。
外部からの制裁は無用である。

引用元:ウェブ石碑

失敗や挫折、常軌を逸したトレーニングへの非難の声もあったマッスル北村ならではの言葉ともいえるでしょう。

自分さえ信じていれば周りの批判は気にする必要は無い、と勇気づけられる一言でもあります。

マッスル北村の死因は過剰なトレーニングによる心不全!今も伝説や名言が語り継がれている!

いかがでしたでしょうか。

過酷な食事とトレーニング生活が原因で命を落としたマッスル北村は、まさにボディビルに肉体と生涯を捧げた人生でした。

マッスル北村の伝説や名言は、これからも多くの人に勇気を与えることでしょう!