2014年に韓国で起きたセウォル号沈没事件。
大型旅客船が沈み、修学旅行生を含む300人以上の犠牲者を出した、韓国史上最悪とも言える海難事故となりました。
この痛ましい事故の中で、乗客として乗っていた修学旅行生徒は生き延び救出されています。
数百名以上もの犠牲者が出た沈没事件で大混乱だった中、なぜ生徒は生き残ることができたのでしょうか?
今回は、セウォル号沈没事件で生き残った生徒たちの生死を分けた行動や事件の概要をまとめました。
韓国史上最悪の海難事故!セウォル号事件はなぜ起こった?
セウォル号沈没事故は2014年4月16日に起こりました。
修学旅行生を含む乗員・乗客合わせて476人を乗せた大型旅客船が転覆・沈没した事故です。
韓国史上最悪の被害を出した海難事故はどのように起こったのでしょうか。
この事件の経緯をまとめました。
事故ではなく「事件」と言い表される理由についてもご紹介します。
セウォル号事件とは?乗客7割が死亡?
2014年4月16日、清海鎮(チョンヘジン)海運が運航する大型旅客船セウォル(世越)号は韓国の仁川(インチョン)港から済州(チェジュ)島に向かっていました。
前日午後9時頃、濃霧の影響で定刻の午後6時半から約2時間遅れでの出発でしたが、途中までは順調に航海していました。
午前8時49分頃、全羅南道珍島郡の観梅島(クァンメド)沖合でセウォル号は突然右に旋回し、船体が45度まで傾き始めます。
3分後にはさらに旋回が進み、船体は横倒しになってしまいました。
乗っていた生徒の話によると、「ドン」という音が聞こえ船が傾いたそうです。
船が90度傾き船体側面から一気に海水が流れ込み、為すすべもなくセウォル号は沈没しました。
セウォル号の乗客の中には一般の乗客108人の他、修学旅行中の檀園(タヌォン)高等学校の2年生235人と教員14人、乗務員は29人が乗っていました。
加えて、車両150台も積まれていたことがわかっています。
事故により起きた被害は以下のとおりです。
- 476人の乗員乗客のうち、299人が死亡
- 行方不明者5人
- 探索作業員の死者8人(韓国海軍兵1人、民間ダイバー2人、消防隊員5人)
生き残った乗員・乗客は172人でした。
犠牲者の合計は312人で、乗員乗客の7割が犠牲となっています。
韓国では2013年まで、10代の死亡原因第1位は自殺でした。
この事故により多数の高校生が亡くなったため、2014年の10代死亡原因第1位は運輸事故となっています。
セウォル号事件が発生した原因は?
セウォル号が転覆事故を起こした時、現場周辺は水深27〜50メートルで目立った暗礁はありませんでした。
波の高さは約1メートルと事故につながるような自然条件ではなかったことが大韓民国海洋調査院の調べでわかっています。
安全に航行できるはずの船が転覆してしまったのは何故なのでしょう。
事故の原因をまとめました。
船体の故障?
2014年2月に実施されていた特別安全点検において、セウォル号は5ヶ所に不具合があると指摘されていました。
しかし、修理や再点検が行われた記録は残っていません。
事故前から操舵機の電源接続に不良があり、当時の船長は運営会社に対して修理申告書を出していました。
その後修理をした事実はありません。
異常を把握していたにも関わらず、無理な運航を続けたことが事故に繋がってしまったのではないかと言われています。
不具合のひとつには二重水密扉の作動不良がありました。
二重水密扉が正常に作動していれば、船が沈没しても空気を残したエアポケット空間を作ることができ、より生存者が望めるはずでした。
船を不適切に改造していた?
セウォル号はもともと1994年に日本で建造された船です。
鹿児島と沖縄を結ぶ「フェリーなみのうえ」として運行されていました。
その後2012年10月1日に引退した後、東京の商社を通じて韓国の清海鎮海運に売却されます。
売却された際に、不適切な船体改造が行われました。
最上階部分船体後方に客室を増設したり、船首右舷側の貨物用ランプウェイ(船内に車両が直接乗降できるように設けられた架橋構造の斜路)を取り外すといった内容です。
改造により船体の重心が高くなってしまいました。
さらに定員数は804人から921人に、総トン数は6,586トン6,825トンに増えています。
改造により車両180台、20フィートコンテナ152個を積載可能な大型船舶になったセウォル号を、運営会社は「韓国最大のクルーズ船」と幅広く宣伝しました。
検査制度に不備があった?
改造により船体のバランスを取るのが難しくなったことが転覆の一因であると有識者は見ています。
改造は韓国船級協会の規定違反ではなく、合法的なものでした。
改造を行ったのは2010年に参入したばかりの小規模な会社で、セウォル号のように大きな船体の改造を行った実績はありませんでした。
改造後、韓国船級協会による傾斜度検査などはなく、船が安全に運航できる状態であるのかどうかのチェックはされませんでした。
もし検査制度が法的に整っていれば、事故は防げた可能性も高いのです。
荷物を過積載していた?
セウォル号は客室を増改築した結果、重心が51センチ上がっていたことがわかっています。
船体改造により復原力(傾いた船体を正常の位置に戻そうとする力)は大幅に低下しており、非常に不安定な状態でした。
しかしセウォル号は積載できる重量の倍以上の貨物を載せていたのです。
セウォル号が復原性を確保する為には、改造前よりも積載量を1448トン減らし、バラスト水(大型の船舶が航行時に船体のバランスを取るために船底に貯蓄する重し用の水)を1324トン増やさなければいけませんでした。
しかし、運営会社である清海鎮海運はより多くの利益を得るために過積載をしていたことがわかっています。
安全基準よりも多く車両を載せるため、車の固縛装置を無断で増設し、車両196台分多く改造していたことも判明しました。
セウォル号の改造後の安全が確保される貨物量の上限は987トン(うち車両は150台)でしたが実際には過積載状態であったことが確認されています。
セウォル号の積み荷は以下の内容で、その合計は合計3608トンでした。き
- 大型トレーラー3台
- 車両180台
- 大型鉄製タンク3基
- 鉄筋などの貨物
上限の3.6倍の過積載状態でる一方、バラスト水は基準の4分の1しか入れられていませんでした。
セウォル号の復原力を保つにはバラスト水が約2000トン必要でしたが、事故当時は約580トンしかなかったというのです。
セウォル号が非常に不安定な状態で出港したのかがわかります。
会社側が危険性を考慮せず、利益追求に走った結果の惨事と言えるでしょう。
三等航海士の経験不足?
船体の不備だけではなく、乗組員の質の低さも事故につながる原因となりました。
事故当時セウォル号を操船していた三等航海士は新人で、この航路で操船を行うのは初めてでした。
沈没事故の起こった孟骨水道は、潮流の速い危険海域で操舵が難しい海域です。
本来は一等航海士が担当しなければならないような場所でした。
しかしセウォル号は濃霧により出港時間が予定より遅れていたことから、シフトがずれてしまい、入社4ヶ月の未熟な三等航海士が操船することになったのです。
船体が傾き始めた際に、経験のある人物が舵を握って正しい操船をしていれば沈没を免れることもできたかもしれません。
この三等航海士は操舵角度を誤りセウォル号を沈没させ、さらに救護活動をせずに脱出した疑いで起訴されています。
被害が大きくなったのは事故対応が最悪だった?
どんなに気をつけていても、時に事故は起きてしまうもの。
そんな時は適切に対処し、被害が出ないようにすることが大切です。
セウォル号では適切な事故対応がなされませんでした。
危機管理の甘さが韓国海難事故史上最悪の被害という結果をもたらしたのです。
セウォル号沈没後、イ・ジュンソク船長をはじめ、運航に直接関わった職員が殺人罪で起訴されました。
事故発生後、船長らは乗客を放置して真っ先に逃げ出し、乗客らを救助しませんでした。
さらに韓国海洋警察庁など、初動対応の不手際も重なった結果、299人もの乗員乗客が犠牲になりました。
これがセウォル号の沈没が単なる事故ではなく、事件と言われる所以です。
船長や乗組員の職場放棄
セウォル号の傾きが大きくなり、沈没が免れない状態になったとき、操舵室にいたイ・ジュンソク船長や副船長をはじめとした乗組員は救助活動をせず、ただ救助が来るのを待っていたそうです。
さらに操船していた三等航海士は事故時に船室にいなかった船長に、全ての責任を押し付ける内容のメールを携帯電話で先輩に送信していました。
事故発生から56分後の午前9時46分、事故現場に到着した救助隊の船で真っ先に救助されたのはなんと船長でした。
自らの身分がバレないように、わざわざ制服のズボンを脱いでいたというから驚きです。
船長のほか、主要乗組員15人も救助を待つ乗客を置き去りにして全員が脱出しています。
職務を放棄し、乗客を助けることなく自分たちだけ助かろうという行動が、多くの尊い命を奪ったのです。
その場で待機との誤った船内放送
船体が傾き始めた後通常は船内放送で避難を呼びかけるべきところです。
しかしセウォル号では繰り返し「その場で待機するように」という内容の船内放送が流れました。
実は、セウォル号の甲板に設置されていた40以上の救命いかだはほぼすべてが使えない状態であり、乗組員はその事実を把握していたのです。
乗客が救命いかだで脱出を図ると救命いかだの不備が露呈してしまうため、船長らはわざと待機指示を出していたのです。
救助にやってきた海洋警察官によると、甲板からカプセル型の救命いかだを海に落とそうとしたが、固定器具がさび付いていて外すことができなかったといいます。
うまく外せたものもうまく開かない状態で、とても人を乗せられる状態ではありませんでした。
事故が起きる2ヶ月前に実施された安全検査では、セウォル号の救命設備は「良好」と判定されていたことがわかっています。
これにより、検査機関がセウォル号の運航会社と癒着していて、手抜き検査を実施していた疑いが持たれています。
通報を受けた海洋警察の対応の悪さ
セウォル号の乗組員だけでなく、事故の救助に当たった韓国海洋警察にも非難が殺到しました。
初期対応から救助の様子に至るまで、数え切れないくらい不適切な対応が続いていたのです。
不適切な対応は以下のとおりです。
- 第1通報者の高校生に緯度と経度を聞きだそうとして時間をロス
- 救助用クレーンの出発が12時間遅れた
- 現地に対策本部が設置されたのは数日後
- 現場の作業員は200人以下、ヘリコプターの出動は2機、軍艦と警備艇は各2隻、ボートは6隻(当局は作業員が555人、ヘリは121機、船は69隻と虚偽の報告をしていた)
- 効率的な指揮系統がなく、海洋警察と民間ダイバーとの連携が取れていなかった
- 初動対応が不十分だったという指摘に対し、海洋警察幹部が「海洋警察に何の問題があるのだ。80人救助したのだから大したものではないか」と発言。
さらに、韓国海洋警察が船内へ救助へ向かわず、船外に出てきた人だけを救助していたこともわかっています。
船内に取り残された多くの人は、外に出ようと必死に窓ガラスを叩いていましたが、海洋警察は窓を割るなどの作業を試みていません。
沈没した船室からは救命胴衣を着けた女子生徒48人が見つかっています。
船を見捨てた乗組員を先に受け入れ救助したために「海洋警察は生徒を見殺しにした」と批判される結果となりました。
日本の支援を断っていた?
事故の一報を受け、日本政府は韓国側へ支援を申し入れていました。
韓国から支援要請があればすぐ対応するようにという指示が当時の安倍総理から出されていました。
海上保安庁の特殊救難隊や機動救難士が救助に向かうことも可能でしたが、韓国側はこの支援を断ったといいます。
他国の船は海難事故の救援活動に関わることで、現場周辺やそこに向かうまでの海で様々な情報を得ることに繋がります。
また、セウォル号の目的地であった済州島は海軍の基地を建設中で、軍事拠点の島でもありました。
日本の船が近づくことは避けたいという軍事的な理由から、支援を断ったのではないかと考えられますが、実際の理由は不明です。
セウォル号で助かった生徒はなぜ生き残った?どうやって生存したか調査!
多くの犠牲を出したセウォル号事件。
生存した生徒はどのようにして助かったのでしょうか。
生死を分けたのはどのような行動だったのかをまとめました。
生死を分けたものは場所?
生死を分けたポイントのひとつとして、船体の右側にいたのかどうかといことが挙げられます。
セウォル号は沈没する際、左側に傾きました。
45度に傾いた状態はほとんど滑り台のようなもので、右側に移動することは難しいです。
傾きが50度になると、壁をよじ登るのと同じ状態で移動は不可能になります。
海水が流れ込んでくる船体の左側から右側へ避難しようとしても、身動きが取れなくなってしまった人が犠牲となってしまったのです。
指示を無視した生徒が助かった?
事故後、救助に駆け付けた船舶の乗組員によると、船が45度も傾いていてどう考えても危険な状態であったにも関わらず、セウォル号から逃げ出そうとする人はほとんどいなかったそうです。
救助された乗客が撮影していた動画によると、事故当時、高校生たちが宿泊していた4階の客室内に静かにとどまっている様子が写されていました。
救助された乗客のひとりによると、船体が45度に傾いたときに船内放送で動かないでじっとしているように、という指示が流れました。
そこから救命胴衣をつけるように指示があるまでさらに30分ほどの時間があったそうです。
その間、セウォル号に乗っていた修学旅行中の高校生の多くは、それほど深刻には事態を受け止めておらず記念写真を撮る人までいました。
避難を呼びかけるものではなく、その場での待機を求める内容の船内放送であったため「大丈夫だ」という安心感があったのでしょうか。
その結果、放送に従い、避難をすることなくじっと待機していた高校生たちは逃げ遅れてしまいます。
一方、指示を無視した高校生は無事に救出されました。
韓国社会は年功序列を重んじる風潮が強く、目上の人や権威のある人には従うもの、という考え方が一般的です。
高校生の多くは、船長の指示には従うべきものと考え、逃げるチャンスを失ってしまったのでしょう。
助かった乗客の多くは、船内放送が聞こえない場所にいたり、指示を無視したために救助されました。
中には規則に反して甲板でタバコを吸っていたおかげで助かった高校生もいました。
乗客の多くが大人であったり、自分の判断で行動することができていれば、もっと多くの命が助かっていたかもしれません。
避難指示がすぐに出ていたら全員助かった?
セウォル号事件の裁判では専門家による「退船命令さえ出ていたら短時間で全員脱出できた」という証言がありました。
パク・ヒョンジュ嘉泉大学超高層防災融合研究所所長はシミュレーションの結果、476名全員は5分ほどで脱出可能であると結論づけたのです。
シミュレーションによると、事故直後にセウォル号が左舷に30度傾いた状態から全ての避難経路を利用し、左舷3階のデッキに脱出していれば全員が助かるという計算でした。
また、パク所長は、船員が出て来る前に海洋警察が船内に入り避難指示していたら全員助かったはずだということも話しています。
韓国人は泳げない人が多い?
危険を感じた際に、指示を無視して海に飛び込んでいれば助かった人も多かったはずです。
しかし、実は韓国人は泳げない人が多く、海に飛び込むという考えがなかったのではないかと言われています。
日本では小中学校で必ず水泳の指導がありますが、韓国では学校で水泳の授業をすることはほとんどないそうです。
さらに、習い事でも水泳をしている人はほとんどいません。
日本では人気の習い事のひとつにスイミングスクールがありますが、韓国では塾など学習系の習い事が人気なんだそうです。
泳ぐことができない人にとっては、指示に従い船内にとどまることが安全だと感じたのでしょう。
乗組員側が避難指示を出さなかったのは、救助いかだが使い物にならないことを知っており、全員が救助船に乗れない事をわかっていたからです。
韓国人の多くは泳げないため、乗組員たちも救助船を待つしか手立てはなかったのです。
先に乗客を避難させてしまうと乗組員たちが救助船に乗れなくなってしまうという自己中心的な考え方が原因で避難指示がなかったのでした。
船長が日本人なら助けられた?
日本でも修学旅行中の小学生を乗せた旅客船が沈没するという事故がありました。
この時、62人いた乗客は全員が救助され犠牲者はひとりもいませんでした。
韓国のコミュニティサイト「ドク」では、このニュースに対して
全員救助かぁ。良かったと思うと同時に、羨ましくもある。
セウォル号の船長が日本人だったら全員助かっていたかもしれない。
船長が正気というだけで、これだけの人命が助かるんだね。
などのコメントが寄せられています。
日本人の船長は船が漂流物に当たった後、速やかに対応し避難指示を出していました。
セウォル号事件のその後!韓国社会に与えた影響とは?
セウォル号事件は韓国社会に大きな影響を与えました。
安全基準の不備や警察の不手際が浮き彫りになり、朴槿恵(パク・クネ)大統領が退陣へと追いやられました。
ずさんな検査体制や利益重視の無理な運航など、起こるべくして起こった事故といえるセウォル号事件。
韓国メディアからは「三流国家」「韓国社会にはごまんといるセウォル号船長」など自虐報道も出ました。
セウォル号事件のその後についてまとめます。
前大統領の朴槿恵(パク・クネ)による虚偽の報告
事故の発生後、任鐘哲(イム・ジョンソク)大統領秘書室長は記者会見にて、こう切り出しています。
「朴槿恵(パク・クネ)政府によるセウォル号関連文書の改ざん疑惑について申し上げる」
なんと、セウォル号沈没に際して発生した犠牲の責任を避けるために、報告を受けた時刻や回数を改ざんしていたというのです。
韓国の検察によって捜査された結果、文書の改ざんは実際に行われていた事も明らかになっています。
当初はリアルタイムで11回にわたる書面報告を受けていた、という主張をしていたものの、朴前大統領は午後と夕方のたった2回、チョン・ホソン秘書官から状況報告書を受け取ったようです。
韓国社会の体質がそもそもの原因?
朝鮮日報では、セウォル号事件が起きた一端に、韓国社会の体質があると報道しています。
韓国社会には「生き残りたければ他人を押しのけてでも前に出るべきだ」という考え方が浸透しています。
家庭・学校・職場などの場で、競争と勝利が強調され、清き失敗よりも汚い成功をモデルにしてきた結果が、職務を全うすることよりも我先に逃げようとする乗組員を生み出してしまったというのです。
検査の不備や利益を追求し無理な改造を行ったのも、このような利己的な考え方が韓国社会に浸透しているからなのかもしれません。
韓国社会では「弱者を先に」「遅くなっても一緒に」という社会倫理や道徳は教科書に載っていても、実生活で優先すべきものではありません。
乗客をおいて逃げた機関室の船員は、怪我をしていた同僚である調理室の船員も放置して脱出したそうです。
助け合ったり困っている人に手を差し伸べようという考え方よりも、他人を犠牲にしてでも自分を守るという考え方が、事故の被害を大きくしてしまったのです。
パンツで一番に逃げ出した船長は現在?
セウォル号の船長は現在、韓国国内の刑務所に服役中です。
乗客を置き去りにし、ズボンを脱いでパンツ姿で逃げ出した船長は、当初調べに対し「乗客に脱出命令を出した」と弁明していました。
船長には不作為による殺人、殺人未遂、特定犯罪加重処罰法違犯、業務上過失船舶埋没、水難救護違反、船員法違反の容疑がかけられました。
韓国の最高裁判所は船長に対して殺人罪を適用し、無期懲役という判決を出しています。
裁判長は
乗客の安全に対して無関心な態度を貫き、乗客が脱出できる可能性がなくなっていく状況をただ傍観していたことが分かる。被告の行為は、乗客を積極的に水に落として溺死させるのと同じだ。
と指摘しています。
韓国の最高裁が救助を行わなかったという「不作為」で殺人罪を認めるのは初めてのことでした。
セウォル号事件で助かった生徒の今は?何人助かった
セウォル号事件では、自力で脱出して助かった生徒が75人いました。
生存した高校生たちはトラウマを抱えながらも、消防、警察、看護などの道へ進んでいる人が多いそうです。
事故の体験を通して、人を助ける職業を選択する生徒が増えたのかもしれません。
事件から数年が経ちますが、事件の起こった4月頃になると、当時を思い出して心理的に不安定になったり体調を崩す人も多いそうです。
心の傷は簡単には癒えませんが、それぞれが生き残った命を大事にしようと必死に生きています。
梨泰院ハロウィーン事故で再度注目される政府の対応
韓国・ソウルの繁華街・梨泰院では2022年10月29日に多くの人が転倒し死傷者が出るという事故が起きました。
この群衆雪崩事故では150人が死亡し、76人が負傷しています。
犠牲者の殆どはハロウィーンイベントに訪れていた若者でした。
梨泰院ハロウィーン事故は世界中から注目を浴び、アメリカのワシントン・ポストやウォール・ストリート・ジャーナル、CNNテレビ、イギリスのBBCテレビなどがトップで伝えました。
ウォール・ストリート・ジャーナルでは「2014年に304人が犠牲となったセウォル号沈没事故以降、韓国で最も大きな人的被害を出した事故」と報道しています。
梨泰院ハロウィーン事故でもセウォル号事件の時と同じように政府や警察への批判が高まっています。
事故当時、通報があったにも関わらず警察は即座に対応しませんでした。
警察官が到着したのは「人が圧死しそうだ」という通報を受けてから5時間後だったといいます。
韓国では「人を押して前に進む」が日常的であり、韓国の通勤・退勤ラッシュではごく当たり前の行動だといいます。
事故現場が坂道だったことや、はみ出した違法建築が道を狭めて通行人を密集させてしまいました。
事前に安全管理のために点検や確認を行い、警察官を配置し誘導を行っていればこれほどの被害は出なかったでしょう。
事故への対応や事故後にその経験を活かす、という考え方が韓国社会に足りないのかもしれません。
梨泰院ハロウィーン事故も人災であるとして、尹錫悦(ユン・ソギョル)大統領の退陣が求められています。
事故を風化させない!セウォル号事件が映画化
セウォル号事件を題材にした映画が2019年に制作されています。
息子をセウォル号の沈没事故で亡くしてしまった夫婦のフィクション映画です。
「君の誕生日」というタイトルは、亡くしてしまった息子の誕生日を指します。
メガホンをとったイ・ジョンオン監督は、事故の翌年の2015年に亡くなった子供たちの「誕生日会」を開くボランティアに参加していました。
そこで遺族や犠牲者の友人たちの話を聞き、映画を企画することになりました。
映画ではセウォル号事件の遺族が懸命に生きる姿が描かれています。
映画には事件の教訓を忘れずにいてほしい、事件を風化させないでほしいというメッセージが込められているのではないでしょうか。
セウォル号の事故で生徒・乗客はどうやったら助かっていた?
セウォル号沈没事件が世界的に認知されるほどの大事件となったのは、今日までの技術の進歩によって大型客船の沈没事故発生率が非常に低くなったから、という側面もあります。
しかし、それでも事故が起こる確率は完全にゼロとはならず、ひとたび発生すれば本事件のように数百名もの犠牲者が出てしまいます。
では、セウォル号の事故が発生した時、どうすれば乗客や生徒は助かっていたのでしょうか?
事件後10年経過している現在までに、幾度も議論がされています。
部屋に待機せず、外に出ていれば助かった?
乗客や学生たちは「アナウンスに従って部屋に待機せず、外に出ていれば助かったのではないか」という声が少なからず上がっています。
沈んでいく船の浮力はどんどんなくなっていくため、密室となる部屋にいるよりは外に居た方が助かる確率が高まりますし、救助隊にも発見されやすいです。
実際、指示に従わずに外に出ていた生徒は無事救助されましたし、待機命令を無視して海に飛び込んだ人すらいたほどです。
対して、指示に従って部屋に残った人たちは助からず、映像の中には「逃げたくてもドアが開かない」と言っていた男性がいるなど、絶望的な状況であったことが分かります。
仮に救命胴衣を着ていたとしても、中に閉じ込められてしまっては着ている意味がないため、海難事故に遭遇した場合は「早めに外に出る」というのが自分の命を助けるポイントになるのでしょう。
大型客船の沈没事故から生き残るためのアドバイス
先述した通り、技術の進歩によって大型客船が沈没するような大事件が起こる確率は、現在では非常に低くなっています。
それでも万が一の事態が発生した時のため、日本防災教育訓練センターが「大型客船の沈没事故から生き延びる確率を上げるためのアドバイス」を解説しています。
今回のセウォル号のように、出向した後で沈没してしまいそうな場合の手段が、細かく解説されています。
更に詳しく内容を知りたい方は、以下のリンクからチェックしてみてください。
【韓国史上最悪】セウォル号の海難事故で生存した生徒はなぜ助かった?まとめ
セウォル号事件の概要をまとめました。
ずさんな安全管理や検査の不備、警察の対応などが沈没事故の原因となっています。
また、韓国社会の以下のような考え方が被害を大きくしてしまったこともわかっています。
- 生き残りたければ他人を押しのけてでも前に出るべきだという考え方→我先に避難する乗組員を生んだ
- 年長者には従うべきという考え→危険が迫っていても非難しようとしない乗客を生み出してしまった
ルールや命令に従うことは大切ですが、時には自分で考えて行動することも大切です。
事故の教訓を活かし法整備を進める一方、ひとりひとりの危機意識も変えて行かなければいけません。