1997年に起こった台湾史上最悪の誘拐事件とされる白暁燕(パイ・シャオイェン)さんが誘拐された事件。
白暁燕さんは「巨人の星」など多数の人気漫画原作を手掛けた梶原一騎氏の娘であることから、日本でも話題となりました。
白暁燕事件の残虐すぎる概要をまとめました。
梶原一騎の娘白暁燕(パイシャオイェン)誘拐殺人事件とは?
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— EOS@楽天好き (@naotaro0126) July 17, 2019
梶原一騎氏の娘である白暁燕さんが誘拐・殺害されるという事件が起きたのは1997年のこと。
梶原一騎氏は「巨人の星」や「あしたのジョー」など有名な漫画作品の原作者として知られています。
切断した小指を送りつけるなどの残虐行為が行われ、現地台湾だけでなく日本でも注目された事件です。
台湾史上最も残虐?パイ・ピンピン事件とは?
白暁燕さんは台湾で人気の歌手・女優白冰冰(パイ・ピンピン)と日本の漫画原作者、梶原一騎氏との間に生まれました。
白冰冰さんは白暁燕さんが生まれる前に梶原一騎氏と別れ、帰国しています。
有名人である母親とともにテレビ出演する機会が多く、誘拐事件の標的になってしまいました。
この事件は梶原一騎の娘事件のほかパイピンピン事件とも呼ばれています。
台湾史上最悪の誘拐事件とされているこの事件は、白暁燕さんを含めた5人が死亡し10人が負傷しています。
身代金目的で誘拐された?
事件が起こったのは1997年4月14日のこと。
台北市にある私立醒吾高級中学に通っていた白暁燕さんは、通学途中に犯行グループに連れ去られてしまいます。
犯人グループは全員黄色いゴムのバンドで頭と顔を覆っていて、身元が分からないようにしていたそうです。
車でアジトに戻ると、 犯人グループは白暁燕さんを縛った状態で片方の胸を露出させ写真を撮りました。
そして白暁燕さんの小指を切断し、白暁燕さんの胸が露出した写真3枚とともに身代金を要求するメモを用意しました。
それらを亀山郷にある霊園管理室の近くに置くと、母親の白冰冰さんに電話をかけ身代金を要求しました。
娘を誘拐した。嘘だと思うのであれば指定の場所に行け。
指示通り白冰冰さんが霊園管理室へ向かうと、犯人グループからのメッセージが残されていました。
要求された身代金は500万ドル。
日本円でおよそ5億という大金ですが有名女優の白冰冰さんであれば、用意できなくないだろうと考えたのでしょうか。
身代金受け渡しに失敗?
母親の白冰冰さんは指示通り500万ドルを用意し、交渉に応じることにしました。
通報を受けた地元警察は「0414特別案件」として特別な捜査体制を敷きました。
身代金受け渡し時に逮捕出来るように準備を進めていると、犯人グループから身代金の受け渡しを4月18日と4月19日にすると白冰冰さんに連絡が入りました。
4月18日と19日の交渉で取引場所は台北市、台北県(現・新北市)もしくは桃園県と決まりましたが、犯人グループは身代金を受け取りに来ることはありませんでした。
身代金の受け渡しは失敗に終わってしまいます。
失敗はマスコミのせい?
犯人グループはなぜ身代金の受け渡し場所に現れなかったのでしょうか。
その理由はマスコミによる過剰な報道のせいと言われています。
有名女優の娘の誘拐とあって、台湾中が注目していたこの事件。
連日メディアでは報道合戦が繰り広げられ、身代金受け渡し現場ではヘリコプターを飛ばして実況中継を試みるメディアもあったんだとか。
犯人側も危険を犯してまで身代金を受け取りに現れなかったのは当然でしょう。
注目の事件とはいえ、ここまで報道が過熱してしまうのは問題です。
一部のメディアでは遺体の写真を公開するというとんでもない報道もなされています。
台湾国内でもマスコミの興味本位の報道が惨殺を引き起こしたと避難され、大規模な抗議行動が起こりました。
遺体を遺棄し犯人逃亡?
当初の身代金受け渡し予定から数日後、新たに4月23日に身代金受け渡しが決定します。
このときも現場にカメラマンが集結してしまい、身代金の受け渡しは再び失敗に終わります。
この時点で白暁燕さんは既に死亡していたことが検死の結果から判明しています。
犯人グループは身代金の受け渡しを早期に諦め、取引をする気はなかったのでしょう。
最初の身代金の受け取りに失敗した犯人グループは、腹いせに白暁燕さんに激しい暴行を加えたうえ強姦し、殺害してしまいます。
4月28日、白暁燕さんの死体は台北県泰山郷(現・新北市泰山区)で発見されました。
遺棄された遺体を発見した近隣住民によると「豚の死骸があるのかと思った」そうです。
いかにひどい暴行を受けたのかを伺わせる証言ですね。
激しい暴行を受けた遺体の状況とは?
白暁燕さんの死因は頭部と腹部の殴打による出血過多および内臓破裂だったことがわかっています。
腹部には500ccの出血が確認されているそうです。
両手両足の爪はすべて剥がされ、髪の毛はほとんどむしり取られていていました。
切断した小指の根元には針金が巻かれていました。
首にはナイロンコードが巻かれ、首を絞められた痕がありましたが、その時にはすでに白暁燕さんは絶命していたと見られています。
陰部の損傷も認められました。
ベテランの検視官も「こんなに惨い遺体を見たことがない」と言うほど、残忍な殺され方でした。
なんの罪もない16歳の少女になぜこれほど激しい暴行を行うなんていったい犯人はどのような人物だったのでしょうか。
梶原一騎の娘白暁燕(パイ・シャオイェン)16年の生涯!?写真も紹介!
オールジャンルのオージャン : 【閲覧注意】女子高生コンクリ事件よりもひどい殺人事件ってあるんだな 白暁燕誘拐事件って知ってるか? http://t.co/CR2H4OiSdm #2chmatome pic.twitter.com/CjILXCoCny
— オールジャンルのオージャン (@ogenre) March 4, 2015
梶原一騎の娘白暁燕さんはわずか16年という短い生涯を残忍な犯人グループの手で終えることになりました。
この誘拐事件が注目を集めたのは、被害者となった白暁燕さんの両親がどちらも有名な人物だったためです。
白暁燕さんの生い立ちや両親についてまとめました。
生い立ちは?
白暁燕さんは1980年、台湾で人気歌手・女優の白冰冰さんの一人娘として生まれました。
父親は日本の漫画原作者・梶原一騎氏です。
梶原一騎氏には前妻との間に2人の娘と3人の息子がおり、白暁燕さんにとっては異母兄弟です。
父親が日本人の白暁燕さんは日系人ということになり、不利益が生じる可能性もあると考えた白冰冰さんは、ハーフであることを隠し台湾人として育てることにしました。
有名人の梶原一騎の娘ではなく、ひとりの台湾人の娘として育てていくために普通の学校に通わせ、SP等もつけていませんでした。
成長するにしたがって、白暁燕さんは白冰冰さんとともにテレビ出演する機会が増えましたが、そのときもSPはつけていませんでした。
もしつけていたら、残虐な事件に巻き込まれることもなかったのかもしれません。
父親は梶原一騎
白暁燕さんの父親は梶原一騎氏です。
梶原一騎氏の名前を知らなくても、生み出された作品名を聞けば知らない人はほとんどいないでしょう。
代表作は世代に関係なく知られる有名なものばかりです。
「巨人の星」「あしたのジョー」(高森朝雄名義)、「タイガーマスク」といったスポ根漫画は梶原一騎氏がジャンルとして確立させたと言っても過言ではありません。
数々の人気作を手掛けた売れっ子原作者ではありますが、梶原一騎氏はプライベートでは破天荒なタイプだったようで逮捕歴もありました。
1983年には編集者への暴行容疑や恐喝罪などで逮捕されました。
覚せい剤取締法違反で逮捕されたこともあります。
2か月後に保釈されましたが、保釈当日に豪華な食事をし壊死性劇症臓炎で危篤状態になったことも。
このとき梶原一騎氏が食べたのはステーキと鰻だと言われています。
勾留中に出される食事はおそらく質素なものだったでしょう。
外に出た開放感からごちそうを食べたくなる気持ちもわかりますが、死にかけるほどの暴飲暴食をするのは考えにくいこと。
梶原一騎氏の苛烈な人柄が窺えます。
梶原一騎氏は1987年、年明けに体調不良で入院しそのまま1月21日に亡くなっています。
50歳の若さでした。
パイピンピン事件が起きたのは1997年ですから、梶原一騎氏は娘の誘拐事件を知ることはありませんでした。
梶原一騎の作品
梶原一騎氏は漫画原作者だけでなく小説家、映画プロデューサーとしても活躍し、たくさんの作品を生み出してきました。
原作を手掛けた主な作品は以下の通りです。
- 1966年:巨人の星
- 1967年:夕やけ番長
- 1967年:柔道一直線
- 1968年:あしたのジョー (高森朝雄名義)
- 1968年:タイガーマスク
- 1969年:キックの鬼
- 1970年:赤き血のイレブン
- 1971年:侍ジャイアンツ
- 1971年:空手バカ一代
- 1973年:愛と誠
- 1980年プロレススーパースター列伝
原作を務めた作品はほとんどテレビアニメ化しており、「巨人の星」「タイガーマスク」、「あしたのジョー」などは社会現象になるほどの人気でした。
梶原一騎氏が生み出したスポ根漫画の礎は少女漫画の世界にも影響を与え「アタックNo.1」が人気を博しました。
母親は有名歌手白冰冰(パイ・ピンピン)
日本では梶原一騎の娘として知られている白曉燕さん。
彼女の母親は台湾出身で現在も活躍している歌手・白冰冰さんです。
貧しい家庭に生まれ育った白冰冰さんは18歳の時に台北で開かれた歌唱大会で優勝し、芸能界に足を踏み入れます。
1975年には歌と演技を学ぶため日本に渡り、白曉燕さんの父となる梶原一騎氏と出会いました。
幼少期に台湾へ?
1980年、白冰冰さんは娘となる白暁燕を産みました。
翌年には梶原一騎氏によるDVを理由に離婚しています。
白暁燕さんは日本では梶原一騎の娘として名前が知られていますが、日本に住んだことはありません。
産まれる前に母親の白冰冰さんが母国台湾へ帰国しているからです。
梶原一騎さんと白冰冰さんが出会ったのは、白冰冰さんが歌唱や演技の勉強のため来日していたときです。
結婚しすぐに白暁燕さんを身ごもりますが、梶原一騎氏はアルコール依存症でありDVもおこなっていたそうです。
身の危険を感じた白冰冰さんが台湾へ帰国した為、白曉燕さんは父親と対面することはなく、台湾で台湾人として生活することになりました。
母と共にテレビ出演も?
成長するにつれ、母親に似て可愛らしい少女に育っていった白暁燕さん。
芸能活動をしていたわけではありませんが、女優・白冰冰の娘として一緒にテレビ出演することが増えていきました。
そこで犯行グループに目をつけられてしまったのでしょう。
パイピンピン事件犯人のその後は?
身代金を用意したものの、残念ながら犠牲となってしまった白暁燕さん。
その後の警察の捜査によって犯人が構えたアジトが特定されました。
警察がアジトを襲撃したところ、そこには犯人グループの7人がいました。
パイピンピン事件のその後を紹介します。
警察の襲撃を逃れ主犯格3人が逃亡?
事件から数日後、警察は犯人グループのアジトを突き止めることに成功しました。
犯人グループ7名のうち4人は逮捕することができましたが、主犯格の3人は取り逃がしてしまいます。
主犯格は林春生、陳進興、高天民の3人でした。
警察が犯人を逃してしまったために、この後新たな事件に繋がってしまいました。
逃亡中にも身代金誘拐?
3人を捕まえようと大掛かりな捜査が展開されました。
このとき白暁燕さんの遺体はまだ発見されておらず、人質はまだ生きていると信じられていました。
警察は一縷の望みにかけ、人質となっている白曉燕さんの解放や主犯格の3人の自主を訴えるために4月26日・27日に白冰冰や犯人の身内らをテレビに出演させました。
この時も各メディアが過剰反応してしまい、メディアの車が白冰冰さんの自宅玄関を破壊するトラブルが起きています。
林春生らは、そんな中で新たな身代金誘拐事件を起こしています。
大胆にも台北議員を誘拐し、家族から身代金500万ドルを強奪したのです。
さらに金属会社の経営者も誘拐し、身代金の受け取りに成功しました。
パイピンピン事件から約4ヶ月後の8月19日、主犯格3人は警察官に発見されます。
警察は自首や投降を促すのではなく見つけ次第射殺するようにとの命令を下していました。
銃を所持していた主犯格と警察官との間で銃撃戦が繰り広げられました。
林春生は6発の銃弾を受けました。
最終的には自殺により命を絶つことを選択して、事件の真相の口を閉ざします。
この銃撃戦でふたりの警察官が殉職しました。
逃亡中にも残虐殺人事件?
銃撃戦を生き延びた主犯格の残りふたりは、さらなる事件を起こしました。
高天民、陳進興の2人は逃走を続けるなかで 顔を変えるために整形外科に押し入りました。
医師と看護師に強制的に整形をさせ、警察の目を誤魔化そうとしたのです。
手術後、犯人たちは医師夫妻と看護師に手錠をかけ抵抗できない状態にし、3人の頭を銃で打ち抜きました。
看護師の女性は殺害前に強姦されていました。
主犯格最後の一人陳進興の末路は?
顔を変えてなおも逃走を続けていた犯人たち。
11月17日、石牌路で警察官から包囲された高天民は、自身の拳銃で頭を撃ち自殺しました。
最後の1人となった陳進興は11月18日に南アフリカ大使館で5人を人質に取り、立てこもり事件を起こします。
人質5人の中には弁護士がいました。
この弁護士が「必ず弁護するから投降してほしい」と説得したことにより、陳進興は逮捕されることになりました。
逃亡することに疲れていたのかもしれません。
1998年1月22日、陳進興は5件の誘拐・殺人・強盗に対し死刑5回、別の暴行事件などで懲役刑合計59年9カ月を言い渡されました。
1999年10月6日、陳進興への死刑が執行されています。
事件後の白冰冰(パイ・ピンピン)は?
愛するひとり娘を失ってしまった白冰冰さんは現在も台湾で歌手・女優を続けています。
事白暁燕さんは、事件の後どのように生活してきたのでしょうか。
母親の現在について探っていきます。
社会活動家として活動?
遺族にとって、犯人が正しく裁かれることは切なる願いです。
主犯格の陳進興には実刑が下されましたが、主犯格3人を匿っていたとされる陳進興の義弟・張志輝は無罪となりました。
白冰冰さんにとっては信じがたい出来事でした。
世界的には死刑の廃止が進んでいますが、白冰冰さんは芸能活動を続ける傍ら、死刑廃止に反対する立場で活動をしています。
白暁燕文教基金会が設立されました。
社会安全・道徳教育・誘拐被害者の心身のケアに関する法律の制定や死刑廃止制度案に反対する活動は、事件の発生した4月14日に合わせて毎年行われています。
死刑は人権にも違反しており人道的ではないという考え方もありますが、娘を殺された母親にとって「死をって償ってほしい!」と思うのは当然でしょう。
残虐な事件が起きないよう、抑止力として死刑は必要だという考え方もあります。
白冰冰さんの活動が功を奏したのかどうかはわかりませんが、2016年の台湾週報によると台湾人の88%近くが死刑廃止に反対だといいます。
死刑廃止は治安を悪化させ、犯罪者が罪に対する恐れがなくなることが予想されるためです。
本の出版も?
白冰冰さんはパイピンピン事件について、手記を出版しています。
大切に大事に育ててきた一人娘を失う悲しみは想像するだけで胸が苦しくなります。
「燕よ、空へ―慟哭を乗り越えて」というタイトルには、なんとか前を向こうという白冰冰さんの覚悟が込められているのでしょう。
この本は、日本国内でも大きな反響を呼びました。
一人娘を失い悲しみに暮れていた白冰冰さんは、また子供を持ちたいと人工授精による妊娠にも10回以上チャレンジしたんだとか。
残念ながら出産に至ることはなく、最後はドクターストップがかかり再び子供を持つ夢は絶たれてしまいました。
SNSで白冰冰さんは
今は平和に暮らしていても、娘の苦しみを思うとたまらない悲しみが襲ってくる
と思いを明かしています。
それでも前を向いて、白冰冰さんは現在も歌手・女優として台湾で活動しています。
芸能活動で忙しくなることで悲しむ時間を作らなくて済むようにしているのかもしれません。
梶原一騎の娘白暁燕(パイ・シャオイン)が殺された残虐事件とは?その生い立ちも・まとめ
梶原一騎の娘である白暁燕さんの誘拐事件についてまとめました。
主犯格のうち2人は自殺を遂げており、残った陳進興も一貫して他の2人に無理強いをされていたと主張しており、結局事件の動機や真相は不明なままです。
なぜいたいけなひとりの少女の命が奪われなければならなかったのでしょうか。
あまりにもひどい事件です。
白暁燕さんの冥福を祈ります。