桐生のぞみ(ぽん太のおかん)は自身の母親を殺害し、バラバラにした殺人犯です。
しかし、事件が明るみになるにつれ、教育虐待を受けていた桐生のぞみの生い立ちに同情する意見も多く聞かれるようになります。
彼女はなぜ自分の母親を殺害しなければならなかったのでしょうか。
また、父親との関係性はどうだったのでしょうか。
今回は、彼女が母親を殺さなければならなかった理由、そして桐生のぞみ(ぽん太のおかん)の現在も調べていきます。
桐生のぞみは母親殺害死体損壊遺棄事件の犯人
「ぽん太のおかん」こと桐生のぞみは母親のしのぶさんを殺害し、遺体をバラバラに切断し遺棄しました。
ネットでは、殺害後に桐生のぞみがTwitterにつぶやいたとされる
という言葉が話題となります。
彼女が母親を殺害した理由は、9回もの医学部受験を強いられた異常な教育虐待と過剰な干渉からだったといいます。
母親の異常なまでの娘への執着とは、どのようなものだったのでしょうか。
桐生のぞみの起こした母親殺害死体損壊遺棄事件の概要は?
2018年1月19日の夜、滋賀医科大学看護学科に通っていた桐生のぞみが母親が入眠した母親を包丁で首を切りつけ殺害しました。
母親は桐生のぞみにマッサージをさせており、眠ってしまった隙に桐生のぞみが首の左側を隠していた包丁で刺しました。
桐刺された母親が「痛い」と言った事に恐くなり、さらに1、2回首を刺してています。
母親殺害死体損壊遺棄事件、または滋賀医科大学生母親殺害事件とも呼ばれるこの事件。
殺害だけでなく、母親の遺体をバラバラに切断して遺棄したことからこう呼ばれています。
桐生のぞみが殺人と死体遺棄容疑で逮捕
桐生のぞみは殺害した母親の遺体に毛布をかけ、その日はそのまま眠りについきました。
その後、桐生のぞみは母親の遺体をノコギリを使ってバラバラに切断しています。
両手と両足は燃えるゴミとして出し、胴体部分は丸型ペールに入れて、滋賀県内にある旧野洲川の河川敷に運び遺棄しました。
遺体が発見されたのは同年3月で、滋賀県内で看護師をしていた桐生のぞみが逮捕されたのは6月のことでした。
桐生のぞみは殺害後に「ぽん太のおかん」としてTwitterを更新?
桐生のぞみは母親を殺した後、自身のX(旧Twitter)を更新していました。
アカウントは「ぽん太のおかん」で、飼い犬のアイコン画像とともに現在も見ることが出来ます。
恐らく、「ぽん太」が飼い犬の名前なのでしょう。
母は怪物のような存在で、「モンスターを倒した。これで一安心だ。」とやっと解放されたという気持ちを吐露しています。
モンスターを倒した。
これで一安心だ。— ぽん太のおかん (@okanofponta) January 19, 2018
SNSを更新した他、殺害後には遺体のそばで当時放送されていたドラマを視聴したこともわかっています。
桐生のぞみ(ぽん太のおかん)はいったいどのような心理状態だったのでしょうか。
桐生のぞみの生い立ちと母親の教育虐待の内容は?
ここで桐生のぞみとのプロフィールと経歴を紹介します。
- 名前:桐生のぞみ(きりゅう・のぞみ)
- 住所:滋賀県草津市笠山7
- 年齢:36歳(2024年でおそらく37歳)
- 職業:看護師
- 勤務先:滋賀医科大付属病院
- 学歴:滋賀医科大卒業
- X(Twitter)アカウント:ぽん太のおかん(@okanofponta)
桐生のぞみは滋賀県守山市出身です。
外科医を目指し医学部受験していますが、9年間不合格が続きました。
2014年、助産師になる事を条件に国立滋賀医科大学医学部看護学科を受験し、4月に入学します。
2017年、滋賀医科大附属病院に看護師として内定を得ますが、母親に強く反対されました。
2018年1月母親を殺害後、4月に滋賀医科大附属病院に看護師として就職しています。
桐生のぞみは自ら外科医になることを望んでいたわけではなく、学歴コンプレックスを持つ母親から国立大医学部に行くよう命じられていました。
成績が振るわず受験に失敗したことが受け入れられなかった母親は、桐生のぞみを無理やり9浪させています。
桐生のぞみの生い立ち①幼い頃に親が別居
桐生のぞみは母子家庭状態で育っています。
昼夜を問わずメンテナンス関係の仕事をしていた父親は、社員寮に泊まり込み、事件が起きるまで家に戻ることはありませんでした。
別居状態が続き、桐生のぞみは母親による異常な教育虐待と過剰な干渉にさらされ続けるのです。
別居状態の父親との関係はどうだったのでしょうか。
桐生のぞみのX(旧Twitter)と思われるアカウントがあるので見てみましょう。
本日誕生日の父に
おめでとうメールを送ったら
「メール有難う。
平昌五輪13個のメダルは立派です」
と謎視点の返事が来た(笑)— ぽん太のおかん (@okanofponta) February 25, 2018
父親とは連絡を取り合っていたようで、どうらや父親との関係性は悪くなかったようです。
桐生のぞみの生い立ち②母親の方針で医師を目指した
母親との2人きりの生活の中で、桐生のぞみは医者になることを熱望され、幼い時から勉強を強要されていました。
通信教材などを使って、度を超える量の勉強をさせられたようです。
自身も手塚治自虫の「ブラックジャック」にあこがれ、外科医を夢みて母親に言われるがまま必死に勉強していました。
中学、高校と進むにつれ成績は振るわず、医者になりたいという気持ちは薄れていきますが、母親はそれを許しませんでした。
母親が医者にこだわった理由は?
なぜ母親は桐生のぞみが医者になることをこだわっていたのでしょうか?
母親は自身の学歴が工業高校卒業ということを相当悔やんでいるようで、かなりの学歴コンプレックスがありました。
また、母親の実母に離婚歴があり、その相手が歯科医であったことも医者にこだわった理由の一つのようです。
桐生のぞみの生い立ち③医学部受験に9度失敗
母親は滋賀県民のエリートコース、公立の高校から国立大学へという考えのもと、桐生のぞみに勉強を厳しく指導していました。
進学した高校は「膳所(ぜぜ)高校」または「彦根東高校」あたりの進学校ではなかったかと言われています。
桐生のぞみは医学部を受験しますが、もはや本人には医者を志す気持ちはなく、努力は実りませんでした。
2005年に現役で受けた国立大の医学部保健学科の結果は不合格。
この時、母親は落ちた現実を受け入れられなかったのか、見栄を張るためか、親族には「医学部に合格した」と嘘をついたそうです。
そして桐生のぞみにも話を合わせるようにと強要したんだとか。
桐生のぞみは母親の求めに応じ、結果的に医学部受験を9度も行いました。
母から逃れるために3度の家出
母親は勉強に集中させるため、携帯電話を取り上げ、入浴も一緒にするなど、一切の自由時間を与えませんでした。
桐生のぞみは母親の過剰な束縛から逃れようと就職を考えたことがありました。
しかし未成年だったために母親の同意を得られず、就職は叶いませんでした。
3度も家出を試みたことも明らかになっています。
未成年のときは警察に連れ戻され、成人後は探偵を雇い連れ戻されたそうです。
桐生のぞみの生い立ち④看護師になることを強要され、滋賀医科大学へ
医学部受験が9年間に及び、桐生のぞみもいつの間にか20代後半。
さすがに母親も医学部は無理だと気づき、今度は助産師を目指すことを求めました。
誓約書まで書かせた上、滋賀医科大学の医学部看護学科への受験を許可したのです。
助産師になるにはまず看護師の資格を取ることが必要です。
こうして2014年の4月、桐生のぞみは医学部看護学科に入学を果たします。
桐生のぞみの生い立ち⑤助産師になれず叱咤された?
しばらくは落ち着いた環境でしたが、大学2年の終わりに再び状況が悪化します。
桐生のぞみが助産師課程への進級試験に不合格となっていまったため、母の束縛が再び強くなりました。
桐生のぞみ本人は手術室看護師を志望していたため助産師の勉強にも身が入らなかったのかも知れません。
大学4年生になると、桐生のぞみは滋賀医科大学附属病院から看護師採用の内定をもらいます。
母親はこれを認めず、内定を辞退することと助産師学校へと進学を求めました。
母親はこのときも無理やり誓約書を書かせています。
この頃、母親の許可を得ないでこっそりスマートフォンを所持していたことが見つかります。
母親は激怒、桐生のぞみを自宅の庭で土下座させ、スマートフォンを叩き壊しました。
その後、所有を許可していた桐生のぞみの携帯電話に「ウザい!死んでくれ!」と罵倒の言葉が並ぶショートメールが送られています。
2018年1月、母親の希望の通り助産師学校を受験しますが、桐生のぞみは不合格でした。
「看護師として就職したい」と再度母親に伝えたものの、母親は激怒するだけでした。
この時、「あんたが我を通して、私はまた不幸のどん底にたたき落とされた」と強く罵倒されたことで、殺害を決意したと言われています。
桐生のぞみの生い立ち⑥母親を殺害
母親を殺害する事を決意した後、桐生のぞみはインターネットで「刃物を使った自殺方法」「頸動脈を切って人を即死させる事ができるか」を調べました。
「いろいろと追い詰められてきたなあ。チャンスは何回もあったのに決め切れてなかったことが悔やまれるぞ」
「早く決めよう。怖じ気づくな。やっぱり明確で強い思いがないと無理だということがわかった。一応準備だけした」
メモ帳代わりに使っていたGメールの下書き機能にはこのようなメモが残っていたそうです。
そして2018年1月19日の深夜、犯行に及びました。
マッサージ中に母親が眠ってしまったのを確認し、寝室に隠していた包丁でめった刺しにしたのです。
遺体の損壊と破棄については、3月までの間に時間をかけて行っています。
犯行から2ヶ月後の3月に見つかった遺体は激しく腐敗しており、無数のトンビが群がっていました。
遺体の損傷が激しかったため遺体の身元が特定できず、捜査は難航しました。
桐生のぞみが母親を殺害したのは教育虐待が原因?
この事件が明るみになると、世間では教育虐待による殺人事件として注目をあつめました。
2016年に起きた名古屋教育虐待殺人事件を思い出した人も多いのではないでしょうか。
桐生のぞみの母親は、娘を支配し、過度な教育を行いました。
殺害後にSNSに投稿した言葉にあるように、母親の支配から逃れ安心を手に入れるためには殺害するしかなかったのでしょう。
桐生のぞみは本当に加害者なのでしょうか。
教育虐待の果に母親を手に掛けねばならなかった被害者という見かたもあるのかもしれません。
桐生のぞみの現在は服役中!?裁判の判決は?
2020年2月に始まった一審の裁判では、桐生のぞみは母の遺体を損壊し捨てたことは認めた一方、「母は自殺した」と殺害はかたくなに認めませんでした。
母親を殺さなければならなかった理由が誰にも理解されないと思っていたからです。
ここからは判決内容や桐生のぞみの現在を紹介していきます。
桐生のぞみは現在、刑務所で服役中
桐生のぞみは現在、36歳前後になっています。
判決が確定し服役中です。
どこの刑務所に収監されているのかは情報が公開されていないためわかりません。
刑が確定するまでの間、桐生のぞみは大阪拘置所に拘置されていました。
この時、母親と同年代の被告人たちと雑居房で過ごしていたそうです。
子供を持つ被告人と話す中で、桐生のぞみは「私の母親がどんな風に私を思っていたのかを考えるようになった」「母親の苦しみや焦燥をもう少しちゃんとわかればよかった」とも話していたんだとか。
判決までの間、反省や後悔の気持ちが芽生えていったようです。
どうして桐生のぞみは殺害を認めたの?
当初、母親は自殺であると話していた桐生のぞみですが、1審の裁判から控訴審では一転して母親の殺害を認めました。
1審の判決後、母親の教育虐待と過剰な干渉という異常な状態に同情の余地があると裁判長が認めたためと考えられます。
誰にも理解してもらえないと思っていた母親との異常な関係が裁判の場で認められたため、裁判で真相を話し罪と向き合うことを決意しました。
桐生のぞみに懲役10年の判決
桐生のぞみの裁判の判決は1審では懲役15年でした。
母親を殺害後、日常生活を送りながら犯行を隠蔽しようとしたことか1審では懲役15年が言い渡されました。
しかし控訴審では殺害などの自白により反省が認められ、大阪高裁では懲役10年の判決が下っています。
大幅減刑されたのは桐生のぞみが反省していることに加え、同情の余地があったためです。
裁判長の「罪と向き合い、社会復帰したら自分の選んだ人生を歩んでください」と裁判長の判決言い渡し後の説諭に、泣きながらうなずいていました。
桐生のぞみは母親の殺害を後悔している?
懲役10年の判決を受けたのぞみは「いい娘ではなかった。母の苦しみや焦燥を分かっていませんでした。自分のやったことを後悔しています」と話しました。
厳しいしつけに対しては「母から字がきたない、バカっぽいと言われ丁寧に書くことできれいな字が書けるようになりました」とも話していました。
事件に対しては「私自身が誰かに助けを求めるべきでした」と述べていました。
桐生のぞみは現在も服役している
桐生のぞみは母親をバラバラにして遺体を捨てるというショッキングな事件を起こしました。
ですが、そこには母親による長年にわたる異常な教育虐待や、過剰な干渉がその理由でした。
裁判長の「母に敷かれていたレールから外れ、自分の人生を歩んでください」という言葉を、桐生のぞみはどのように受け止めているのでしょうか。
事件を償い、新たなる人生が送れるよう祈っています。