西鉄バスジャック事件で逃げた人のその後(現在)がヤバい?犯人はすでに釈放済み?

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23年前に17歳の少年が起こした 「西鉄バスジャック事件」 をご存知でしょうか。

当時はテレビの生中継にSAT出動と、大変大きなニュースとなったため、未だ覚えていらっしゃる方も多いのではないでしょうか。

今回は、この死傷者が出た悲惨な事件の中で、自力で逃げた人々について調査しました。

命からがら決死の脱走を図ったにも関わらず、その後彼らを待っていたのは世間からの厳しい目。

逃げた人々のその後について、是非最後までご覧ください!

西鉄バスジャック事件で逃げた人は?

今から23年前に発生し、世間を震撼させた 「西鉄バスジャック事件」。

死傷者も出てしまったこの事件ですが、幸いにも犯人がいるバスから逃げ出すことができた人もいました。

テレビでも生中継され大きな注目を浴びる中、人質が逃げた後、犯人はどのような行動を取ったのでしょうか。

逃げた人々と、その後の出来事についてご紹介していきたいと思います。

西鉄バスジャック事件とは?

2000年5月3日、当時17歳だった少年Aが、九州のバス会社である 「西鉄バス」 が運行している高速バスを乗っ取り、死者1名、負傷者2名を出した事件です。

当時、乗っ取られたバスの様子はテレビ中継され、世間に人々は事件の行く末を見守っていました。

この事件がここまで大きな話題となったのは、事件の前年である1999年に創設された、ネット掲示板 「2ちゃんねる (現5ちゃんねる」 上に、少年Aが “ネオむぎ茶” というハンドルネームで犯行予告を書き込んでいたことも要因。

まだ 「ネット掲示板」 というものの存在が世間一般に認知されていなかった中、皮肉にもこの一件で一気に知名度を上げました。

このことから、西鉄バスジャック事件は 「ネオむぎ茶事件」 とも呼ばれています。

西鉄バスジャック事件で逃げた人は3人

バスジャック発生から少年Aの逮捕まで、実に15時間半にも及ぶ長時間の緊張状態が続いたこの事件。

最終的に、乗っ取られている間に逃げ出すことができたのは3人の人質の人々でした。

しかし、犯人から逃げ出せてホッとしたのもつかの間、今度は世間からのバッシングが待っていました。

3人それぞれが逃げた時の状況を見てみましょう。

逃げた人①トイレ休憩の時に逃げた40代女性

この女性は、乗客からの要望で取ることとなった 「トイレ休憩」 中、トイレに行くフリをして、そのまま逃げ出しました。

そしてこの40代の女性が逃げたことによって、事件が明るみに出ることになったのです。

逃げた人②窓から飛び降りた30代女性

バスが乗っ取られてから3時間程度が経過した時、走行中のバスの窓から高速道路に飛び降りて逃げた女性です。

高速道路に、しかも走行中のバスの窓から飛び降りるというのはかなり勇気が必要だったのではないかと思いますが、女性も自らの命を守るのに必死だったに違いありません。

この女性が保護されたことによって、警察は “すでに負傷者が出ている” ということを把握しました。

逃げた人③52歳の男性

3人目のこの男性も、窓から飛び降りて逃げることに成功した方です。

山口県・下松市のサービスエリア付近、バスが減速したタイミングで外に飛び出し警察によって保護。

また、この時点ではすでにマスコミ報道が始まっていました。

西鉄バスジャック事件に逃げた人には大バッシング

逃げた3人に対し、「助かってよかった!」 という声が多くあがるのかと思いきや、世間の反応は正反対ともいえる大変厳しいものでした。

というのも、少年Aは、乗客に 「逃げたら連帯責任 (誰かが逃げれば残っている誰かが傷つく)」 と伝えており、結果的にこの3人が逃げたことによって “見せしめ” として死傷者が出てしまったため。

「逃げなければ他の人が傷つく (命を落とす) ことはなかった」 という批判ですが、これは当時バスの中に乗っていなかったから言えることではないでしょうか。

乗客は常に命の危険にさらされており、想像を絶する恐怖の中にいたはずで、人質の人たちの行動についての正解は、誰にも分からないことではないかと思います。

西鉄バスジャック事件で逃げた30代と40代の女性について

命からがら逃げ出した3人の人質の人々。

少年Aは最初に乗客に伝えていた通り、逃げた人の代わりに見せしめとして別の人質に危害を加えるという凶行に及んでいます。

ここでは、その時の状況についてもご紹介していきたいと思います。

すべては事件を起こした少年Aが責められるべきではありますが、代わりに被害に遭われた方々の受けた心身の傷は、決して癒えることはないのではないでしょうか。

トイレ休憩で逃げた40代女性

事件発生当時、バスには内部の異常事態を外部に知らせるという方法や仕組みがなく、バスジャックされているということを犯人に知られずに通報する手立てがありませんでした。

乗っ取られたバスを運転していた乗務員の方は、この時なんとか外部に異常事態を知らせようと、ハザードランプを点灯させたり、パッシングをしたりしていましたが、なかなか気づいてもらえず。

最終的にこのトイレ休憩中に逃げた女性が非常電話から警察に通報したことによって、警察は 「バスジャックが発生している」 ということを把握できたのです。

連帯責任で別の女性が切りつけられ後遺症が

この女性が逃げたことにより、少年Aは女性を牛刀で全身10箇所以上を切りつけ、重症を負わせました。

その女性というのは 「山口由美子さん」 という方で、現在でも彼女の左頬にはこの時に犯人から傷つけられた、消えない傷が残り続けています。

山口さんはこのような被害に遭ったにも関わらず、犯人を許し、少年Aのような人を生まないよう、不登校や引きこもりのためのサークルを立ち上げ、活動を続けられています。

窓から飛び降りた30代女性

乗っ取られたバスが九州自動車道から中国自動車道に入ったころ、バスはすでに事件を把握していた警察の高速道路交通警察隊により追尾されていました。

そして、山口県・小郡インターチェンジ付近でバスから高速道路に飛び降りて負傷していた30代女性を発見し、救出。

女性は、走行中のバスから飛び降りたことで右足の骨折という怪我を負っていましたが、彼女の証言によって、バスに乗っている人の中に負傷者がいるということが分かりました。

別の女性の首を刺す

更に人質が逃げたことにより、少年Aは山口さんとは別の女性に危害を加えます。

この女性は 「塚本達子さん」 という方で、見せしめに少年Aから首を切りつけられました。

彼女は18歳の時から佐賀県にある小学校で教員をしていた元教師であり、47歳で退職してからは、佐賀市内に 「幼児室」 を開設していた方。

事件当時69歳で、最初に切りつけられたこのタイミングでは、まだ塚本達子さんは存命でした。

子供の教育のために尽力してきた方が、(当時) 少年が起こした事件の犠牲になるという、なんともやるせない結果となったのです。

バスから飛び降りた52歳の男性

最後に逃げることに成功した、逃げた人の中で唯一の男性。

生きるために必死だったということは容易に想像がつきますが、事件後、この男性に対するバッシングは、他に逃げた2人と比べても非常に大きなものとなりました。

ここでは、なぜこの男性が世間からここまで大きく批判されたのかも併せて、ご紹介していきます。

男性が逃げ出すところはテレビで中継されていた?

先にも書いた通り、この男性が逃げ出す頃には既にテレビでの中継が始まっていたため、中継を観ていた全国の人が、男性が逃げる瞬間を目撃しています。

男性は、山口県・下松サービスエリア付近で、警察車両に行く先を阻まれて減速したタイミングでバスから身を乗り出し、警察に救出されました。

警察が突入して人質を救出するまでに逃げられた人はこの男性が最後でしたが、犯人逮捕後に人質の状況が色々と判明し、この男性への批判が殺到することになったのです。

男性は妻をバスの中に残していた?

事件発生当時、男性は奥様と一緒に高速バスに乗っていました。

男性1人が逃げて保護されたということは、奥様はこの時まだバスの中にいたということになり、この 「奥様を残して1人で逃げた」 ということが大きな批判へと繋がったのです。

また、他2名の女性については、「警察への通報」 「被害状況の証言」 をしたという行動がありましたが、男性が逃げた時点では既に事件は公となっていました。

このため、「ただ自分だけ逃げた」 という印象を世間に持たれてしまったのかもしれません。

男性が逃げた報復として女性が死亡

そして、2番目に逃げた、女性が窓から逃げた時に首を切りつけられた塚本達子さんが、更に被害にあうことになりました。

なぜ少年Aが2度に渡って塚本達子さんを襲ったのかは定かではありませんが、結果として、塚本達子さんは失血死、この事件唯一の死亡者となってしまったのです。

塚本達子さんにはお子さんがいらっしゃいますが、自分の母が、高速バスに乗ったことによって命を落とすとは全く予期しなかったに違いありません。

犯人である少年Aは、バスに乗っていた人々だけではなく、その家族にも大きな傷を残したといえるのではないでしょうか。

男性に対する激しいバッシング

犯人逮捕後、事件の詳細が明らかになるにつれ、男性への批判は強まっていきました。

このバスジャック事件がゴールデンウィーク中に起きたものであり、今でも同じ時期になると思い出す人もいることから、SNS上でも未だこの男性への批判が投稿されています。

このように、特に再現ドラマなどが放送される度に、今でも逃げた人に対する批判は再燃し続けているのです。

事件後の夫婦は?

この事件がきっかけとなり、残念ながら事件後ご夫婦は離婚されています。

奥様は事件後に取材に応じており、その際、亡くなった塚本達子さんの息子さんに対し、涙ながらに 「自分の夫が逃げたばっかりに、あなたのお母さんを死なせてしまった」 と謝罪していたそう。

また、結果的に自分を置いて逃げた夫に対し 「責めはしないが、これからの一生を一緒に過ごす気にはどうしてもなれない」 とも。

男性の決断にも、奥様の決断にも、当人にしか分からない感情があり、お二人共被害者で、この件の加害者は少年Aただ1人であることを忘れてはならないと感じます。

事件で亡くなった塚本達子さんについては、加害者の両親から、塚本達子さんの旦那様が病気で亡くなる前にまとまった賠償金が支払われており、その後は残された兄弟3人に対して月1~2万程度が振り込まれ続けているそうです。

男性は合気道の師範であった?

いつのころからか、「逃げた男性は、合気道の師範だった」 というウワサがネット上で流れるようになりました。

しかし、これはただのウワサで、事実ではありません。

2ちゃんねる (現5ちゃんねる) 上でそのようにウワサされ、様々な合気道の流派まで憶測されるほどでした。

結論として、男性は普通の会社員だったようなのですが、ただ高速バスに乗っていただけなのに事件に巻き込まれ、やっと逃げ出したと思ったら離婚にバッシング。

男性にとっては、事件後も長い間精神的苦痛を受け続けていたに違いありません。

西鉄バスジャック事件の犯人やほかの乗客は?

ここまでは、自らの力でバスから逃げた人々についてご紹介しました。

では、こんな事件を起こした犯人・少年Aは逮捕後どうなったのでしょうか。

また、この逃げた3人や被害にあった人以外の人質はどうだったのでしょうか。

併せて調査しましたので、見てみましょう。

西鉄バスジャック事件の犯人の現在は?

事件を起こした当時17歳だった少年A。

逮捕後の2000年10月、佐賀家庭裁判所にて、「解離性障害・行動障害の症状がある」 として、京都医療少年院への送致が決定しました。

その約5年後となる2006年1月にはこの医療少年院を仮退院、同年3月には本退院しています。

2023年の今年40歳になるであろう少年Aですが、その後の消息は分かっていません。

少年Aの両親は、退職し家を売り払って賠償金を払い続けていますが、本人は精神障害を克服し、普通に生活しているのでしょうか。

少年Aに関する続報が全く出ていないため知る由もないですが、少なくとも自分が傷つけた人々に対する謝罪の気持ちを持っていると思いたいですよね。

西鉄バスジャック事件で寝ていた人は?

人質の中には、高速バスの長距離移動ということで、寝ていた人もいました。

当時30代だった高取千佳さんは、事件が起こっていたことに気づかず、そのまま寝続けていたといいます。

そして、寝ていることを知らなかったのか、少年Aに 「あなたふてくされていますね」 と因縁をつけられ、いきなり首の後ろ側と手首を何度も切りつけられたのです。

高取さんは、幸いにも命を落とさず生還されましたが、その後どうなったのか、現在どうされているのかなどはわかりません。

ただ、寝ていたら突然切りつけられるとは相当な恐怖で、その後心身共に大きなダメージを負われたであろうことは想像に難くありません。

西鉄バスジャック事件の6歳の女の子は?

当時、6歳という年齢の女の子もバスに乗っていました。

優香ちゃんという女の子ですが、2023年現在29歳になっている年齢です。

優香ちゃんのその後についても情報がありませんが、起きたことについては記憶していてもおかしくない年齢ですよね。

更に、少年Aは、事件当時男性陣は後方に座らせ、優香ちゃんを含めた女性陣は前方に座らせており、優香ちゃんも “壁” にされていたようです。

現在もまだ29歳と年齢的に若いですが、PTSDなどの精神的な後遺症に悩まされていないことを願うばかりです。

西鉄バスジャック事件で逃げた人はその後も悲惨な目にあっていた

今回は、2000年に当時まだ17歳という少年が起こした凄惨な事件 「西鉄バスジャック事件」 を調査しました。

この事件をキッカケに、緊急連絡体制が整備されるなど、結果的に社会へ大きな影響を及ぼしました。

被害者であるはずの逃げた人々に対する批判は未だ無くなっていませんが、当事者にならないと分からない恐怖というのは間違いなくあるのではないでしょうか。

逃げた人、傷ついた人、警察の突入によって保護された人々など、関わったすべての人が平穏に生活できていることを心から願います。