今ほど動画投稿が主流じゃなかった2000代前半に1本のある動画が投稿され、話題となりました。
その動画には3人の若者が映り楽しそうにホームビデオを撮っているかのように思えましたが、動画が進むすれありえない状況が映しだされていったのです。
「ウクライナ21」と呼ばれる動画は当時瞬く間に拡散され、世界を震撼させました。
また動画を見たユーザー達は曰く「絶対に見ないほうがいい」とされる内容のようで、どうやら犯罪史上凶悪な事件として名を残すある事件とも関係している様子。
今回は世界中を衝撃を与えた「ウクライナ21」について動画の内容や事件の真相について話していきます。
ウクライナ21の衝撃の内容と動画の見方とは?
「ウクライナ21」の動画は2008年末に突如として動画共有サイトに現れました。
この動画はかなり衝撃的な内容で、若者達が楽しそうにしている様子とその周りの異様な状況とのそぐわなさが狂気的です。
動画には血まみれになった遺体や血飛沫がついた凶器がモザイク無しで映りこみ不穏な様子が伺えます。
当時この動画を見た多くのユーザーにトラウマを植え付け中には嘔吐が止まらないなどの悪影響を及ぼしており、心身に多大なダメージを与えたようです。
ただいくら恐ろしい内容とは言え怖いもの見たさで動画を視聴してみたくなった人も中にはいるのではないでしょうか?
ここからはウクライナ21について詳しい内容と動画の視聴方法を紹介していきますね。
ウクライナ21とは?
ウクライナ21とはウクライナのドニプロペトロウシク州在住の若者3人が男性を拷問した後に殺害する様子が録画された動画のことです。
数字の21は動画を撮影した若者達によって殺害された被害者の数を表しています。
この動画は元々「3guys1hammer」というタイトルで2008年末に容疑者のPCから何らかの原因で流出し世界中を震撼させました。
また容疑者達は元々この動画の殺害動画を複数所持しており数点流出したようですが、殺害の一部始終が記録されているのはウクライナ21の動画だけの模様です。
さらに恐ろしいことにこれらの動画はスナッフフィルム(殺害動画)としてダークウェブや闇サイトなどで販売予定でした。
ウクライナ21の動画をみるには?
「ウクライナ21」の動画を見るには”ウクライナ21 動画”で検索するとカルロ·グローチェというサイトがヒットしそのサイトで視聴可能です。
ただし少し怪しいサイトなのでPCウイルス感染の可能性などがあり、あまりおすすめはしません。
”ウクライナ21 動画”で検索すると他にYouTubeのページがヒットするので、どうしても動画を観たい方はそちらをオススメします。
検索ワードは「ウクライナ21」より「3guys1hammer」で検索した方がヒットしやすいです。
ただ、動画の内容は相当エグく不快感が強いので、グロ・ゴア耐性がない方は興味本位で見るのは辞めておいたほうがいいでしょう。
例え平気な人でも観た後には必ず後悔する内容です。
この動画はなぜ流出した?



実は動画が流出した原因は定かではなく、犯人達は元々PCや窃盗した携帯電話に殺人の動画や動物を虐殺した写真など保存していました。
しかし裁判の際に証拠としてあげられ、法廷で流された事をきっかけに動画の存在が明らかになりました。
流出した時には犯人達はすでに逮捕されていたことから他の何者かがネットに流したと言われています。
「ウクライナ21」は検索してはいけない?
ネットで話題になった「検索してはいけない言葉」では数多くのグロテスクな内容の物があります。
ただ「ウクライナ21」はその中でもトップクラスに衝撃的な内容になっています。
動画を視聴すると後悔と精神的ショックを受けるので絶対に検索しないで下さい。
ウクライナ21の真相は?



ではここから衝撃の「ウクライナ21」と呼ばれる凶悪事件の真相についてお話ししていきましょう。
2007年にウクライナのドニプロペトロウシク洲で19歳の少年達3人によって連続殺人事件が引き起こされました。
この事件は2007年6月に3人の少年達によって33歳の女性が鈍器で何度も殴られ虐殺された事から始まり、その直後に地方検察局近くの公園のベンチで発見された33歳の男性もまた頭部を鈍器で殴られ殺されていました。
その後1ヶ月も経たないうちに路上で2人殺害され、数日後には3人の遺体が発見された模様です。
犯人の少年達は犯行を重ねるごとに大胆になっていき、白昼堂々と殺人を繰り返しその様子をビデオカメラに収めていました。
犯行初期から約1ヶ月後の2007年7月23日に容疑者達は逮捕されました。
事件発覚のキーとなった携帯電話
事件が発覚したきっかけは犯行を行った際に被害者の携帯電話だけが盗まれていて、そこに目を付けた警察官が携帯電話が転売されてないか捜査した様子。
その盗まれた携帯電話から数々の殺人動画が見つかり少年達の逮捕へと結びついたようです。
またウクライナがこの事件を「ドニプロペトロウシクの狂人」として報道し、それが世界的に広まったことでこの事件は国際的に連続殺人事件「ドニプロペトロウシク・マニアックス」と呼ばれるようになりました。
「ウクライナ21」の犯人は?
では世界中に狂人として名を残した若者3人ですが、一体どんな人物だったのでしょうか?
犯行に及んだのは19歳の少年たちで何と快楽目的で被害者達を次々と殺害していった模様。
事件の発端は主犯格のイゴール・シュプルンヤクが友人のヴィクトル・サエンコとクサンドル・ハンザの2人を勧誘し焚きつけたことから始まりました。
犯行の際は実行犯と撮影班とに別れて行ったようで、これが後に判決に大きな影響を与えたようです。
全員世界的に報道されたため素顔が割れており、サイコパス殺人鬼として名を知らしめました。
ここからは各容疑者についてそれぞれ詳しく説明していきます。
犯人①イゴール・シュプルンヤク
シュプルンヤクは連続殺人事件の主犯格で被害者21人全員の殺害に関与しています。
元々犯罪傾向があり高校を卒業後は親からもらった車を改装し、タクシー風に加工したことで「無免許タクシー」を運行し稼いていた様子。
当事件の張本人でもあり、ドニプロペトロウシクの狂人達の中でも最も凶悪な存在として知られています。
犯人②ヴィクトル・サエンコ
(画像左がヴィクトル・サエンコ)
サエンコは連続殺人事件の実行犯兼撮影班で被害者合計18人の殺害に関与しています。
元々彼は気弱な少年だったようで、ハンザとは幼い頃から仲がよく親友同士でした。
しかしシュプルンヤクと出会ったことで徐々に素行が悪くなり、学生時代から問題行為を行なっていた模様です。
高校卒業後一旦は職につくものの、再びにシュプルンヤク誘われて犯罪に手を染め始め当事件に至りました。
犯人③クサンドル・ハンザ
連続殺人事件の撮影係で被害者達し暴力を振るったものの、殺害には一切関与していません。
ハンザはサエンコと同様に気弱で親友関係でしたが、シュプルンヤクに出会ったことにより運命が狂わされていきます。
高校卒業後は職を転々としていたようで、サエンコ同様シュプルンヤクに勧誘され犯行に及びました。
また彼が殺害に関与していないのは血液恐怖症だったためと言われています。
ウクライナ21の犯人の生い立ちは?



シュプルンヤクを覗き元々は普通の少年だった容疑者達ですが、一体何が彼らを連続殺人鬼に変えてしまったのでしょうか?
元々サエンコとハンザはそれぞれ弁護士の父親と検察官の父親の元に生まれ、裕福な家庭で育ちました。
幼い頃から親友同士だった2人ですが、お互い内向的で気が弱かったために周りからのイジメにいつも怯えていた模様。
そんな2人が小学3年の時に転校してきたシュプルンヤクと出会い、3人で行動するようになります。
ただあまり2人にとってはいい影響を与えなかったようで、元々成績優秀だった2人はシュプルンヤクとつるむ内にみるみる成績が低下してしまいます。
それと共に問題行為を起こすようになり次第に素行が悪くなり不良となっていったのです。
連続殺人前の問題行動とは?
当事件の前から様々な問題行動を行なっていた3人のドニプロペトロウシクの狂人達。
有名なエピソードの1つだと3人は着け髭を着けヨーロッパ圏ではタブーとされる「ナチ式の敬礼」のポーズ真似て遊ぶなど、社会的に危険な行為をしていたようです。
また元々シュプルンヤクは2人の身長を伸ばす目的で紐で吊るすなど少々荒っぽい子供だったようですが、中学に上がる頃から徐々に彼の狂気が見え隠れし始めます。
そして動物虐待や窃盗を繰り返し小さい犯罪を繰り返す内に、だんだんとエスタレートし殺人へと発展していきました。
動物虐待
3人は道端の野良犬や野良猫を木に逆さに吊って内臓を引きずり出すなどの虐待を加え、さらにこの頃から虐待する様子を携帯電話で撮影していました。
虐待に関しては当時中学生の頃にシュプルンヤクがそれぞれの弱点となる恐怖症を克服しようとしたことがきっかけの模様。
2人に動物虐待を提案し自分たちも弱いものいじめをしようと持ちかけたようです。
窃盗
当時シュプルンヤクは車を使った強盗や窃盗を画策し、またもつるんでいる2人と実行しようとします。
その後勧誘された2人は断れず、結果的に合計15件もの数に上る強盗に及びました。