池田小学校事件の結末…犯人と被害者の今は?逃げた教師はどうなった?

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みなさんは池田小学校事件をご存知でしょうか?

実はこの事件は、日本犯罪史上でも類を見ないほどの残酷な無差別大量殺人事件なのです。

一体どんな事件だったのか、解説したいと思います。

池田小学校事件とは20年前に起こった悲惨な事件

池田小学校事件は今から約20年前の2001年6月8日に起こりました。

犯人は単独犯で、名前は「宅間守」です。

時刻は10時5分ごろで、小学校はちょうど二時限目の授業が終わって休憩時間でした。

犯人の宅間守が起こした無差別殺傷事件で児童8名が死亡

この事件の被害者は23名で、内8名が死亡しています。

死亡した8名全員が児童でした。

多くの人間が被害に遭う凄惨な事件となったこの事件ですが、宅間守は特定の誰かを狙ったわけではなく、そこにいた児童を無差別に刺したり切り付けたりしました。

次に宅間が取った行動を詳しく説明します。

たった10分間の出来事、教室は血の海に…

犯行は10時5分ごろから25分ごろまでの10分間に行われました。

宅間は学校の東門から侵入すると、南校舎に向かい、1階の二年生の教室で5名の児童を突き刺しました。

その後二年生の西の教室に移動し3名の児童を刺し、さらに西側の廊下と校舎出入り口付近で5人の児童を襲います。

東側に移動すると教室と廊下で4名の児童を襲い、駆けつけた南教室の担任の男性教師と格闘になり、男性教員も刺します。

さらに宅間は空き教室をとばして一年生の教室に侵入し、4名の生徒を襲いました。

教師2名に取り押さえられ警察へ引き渡し…23名の犠牲者が

宅間は駆けつけた副校長と男性教師と格闘になり、男性教師の顔を切り付けます。

しかし、手を押さえつけられると宅間はおとなしくなり、男性教員と副校長によって取り押さえられました。

取り押さえられた際に宅間は「あーしんど」と呟いたそうです。

こうして宅間は警察に引き渡されました。

トイレに隠れ難を逃れた児童も

事件が起こったのが休憩時間中だったこともあって、トイレ休憩に行っている児童もいました。

ある児童はトイレから出ようとしたときに、教師から「トイレから出るな!鍵をかけて中に入ってろ!」と言う声を聞き、トイレに隠れて難を逃れたそうです。

一歩間違えば被害に遭っていたかもしれないので、まさに危機一髪で、運が良かったという感じですね。

各界から追悼が…中には宇多田ヒカルの追悼ソングも

この凄惨な事件には各界から追悼がありました。

事件の二日後に開催されたFIFAコンフェデレーションズカップの日本対フランス戦で黙祷がおこなわれました。

また歌手の宇多田ヒカルさんは池田小学校事件を追悼する曲『FINAL DISTANCE』を作曲しました。

これは池田小事件で亡くなった女子児童・山下玲奈ちゃんが宇多田ヒカルに憧れていたことがきっかけのようです。

池田小学校事件発生時逃げた教師は本当にいたのか、岩崎真希の謎

池田小学校事件で宅間が二年生の西教室に侵入したとき、実は教室に教師がいました。

名前は「岩崎真希」、二年生西教室の担任をしていた教師でした。

岩崎さんは事件の生存者ですが世間からバッシングを受けていまいます。

彼女は襲われる生徒を前に何もできず、一人逃げた教師という汚名を着せられてしまったのです。

襲われる生徒よりも通報を優先

岩崎さんは宅間が二年生の教室を襲撃したとき、教室にいました。

しかし、どういうわけか岩崎さんは生徒が襲われている教室を後にし、警察に通報するために職員室へと向かったのです。

逃げる際になぜ宅間に襲われなかったのかは不明ですが、とにかく岩崎さんは襲われる生徒を放置して通報に向かったのです。

岩崎さん自身もパニック状態だったので、児童を非難させるといった判断ができなかったのかもしれません。

通報するのに時間がかかりすぎではと批判が集まる

岩崎さんが警察に通報したのは、事件が始まってから約七分後のことだったそうです。

教室から職員室までの距離がどのくらいかは分かっていませんが、「いくらなんでも時間がかかりすぎ」という批判が多かったようです。

そのため通報するというのは言い訳で、実際は犯人が怖くて逃げただけではないかと言われています。

「逃げた教師」のレッテルに耐えられず精神を病んでいる?

岩崎真希さんはこの凄惨な事件の後、教師を退職しています。

また事件の半年後に

「本当に申し訳なくて、悔やんでも悔やみきれません」
「教師なのに子供達を守ってあげられず、子供達・遺族・保護者の方には本当に申し訳ないことをしました。なんとお詫びすればよいか、言葉が見つかりません。」

と胸中を語っています。

現在どうしているのかは不明ですが、この事件が彼女に精神的ダメージを与えたことは間違いないでしょう。

池田小学校事件の犯人は死刑実行済み!ありえない発言と問題行動の数々

宅間守は当然裁判で死刑となりました。

裁判の初公判では反省しているような素振りをみせたり、精神病を装ったりしていたものの、警察に演技を指摘されると、それ以降は一転して遺族に対して謝罪の言葉や反省などは見られなくなりました

犯人・宅間守について説明していこうと思います。

2004年9月早期死刑執行

宅間守は死刑確定からわずか一年足らずで死刑執行となりました。

確定から一年未満での死刑執行は異例の早さで、戦後の混乱期を除くと史上最速の死刑執行だったようです。

なるべく早く死刑が執行されるのを宅間自身も望んでいました。

反省の色なし…最後の言葉がひどすぎる

宅間は法廷内でさまざまな暴言を吐いており、遺族への配慮は全くありませんでした。

小学校を襲った理由を聞かれて、

「世の中に不条理さをわからせたかった」
「世の中勉強だけちゃうぞ、と一撃与えたかった」
「事件を起こした後でも全く満足していない」
といった発言をしています。
また死刑執行が確定したあとの最後の言葉は
「(殺害した児童たち)ありがとう、あの世でもまた子供たちを襲う」
だったそうです。

幼少期から繰り返された問題行動

宅間は幼少期から問題行動が多かったようです。

小学校から中学校にかけて、自分より弱い者を徹底的にいじめ、自らを『宅間守様』と呼ばせていたようです。

また事件後に鑑定医に語った話によると、「好きだった女の子の弁当に精液をかけたことがある」そうです。

家庭内暴力も行っていたようで、母親に頻繁に暴力を振るっていたようです。

獄中結婚を含む5度の結婚歴

宅間は生涯で5度の結婚をしており、最後の5度目の結婚は獄中結婚でした。

1〜4度目の結婚相手とは、いずれも宅間の家庭内暴力や強姦事件を起こしたことを理由に離婚しています。

宅間は数度強姦事件を起こしており、いずれも精神病を偽って、罪から逃れていました

5人目の妻は死刑廃止運動家の女性で、文通をするうちに仲が深まったようです。

犯人宅間守の家族とは

宅間の父親はとても厳しい人だったようで、家族に対して暴力を振るっていたようです。

母親は宅間に愛情が持てなかったらしく、宅間が中学受験をする際に「お前なんて生まれなければよかった」と暴言を吐いていたそうで、晩年は心を病み、2016年に死亡しました。

また兄は弟の問題行動に精神を病み、仕事の失敗も重なって、40代前半で手首を切って自殺したようです。

池田小学校事件被害者の今…20年たった今何を思うのか

事件の傷はきっと今も癒えることなく残っていることでしょう。

凄惨な池田小事件ですが、生存者の方は現在どうしているのでしょうか

生き残った人々について調べてみました。

生き残った当時のクラスメイトは今

事件は生き残った人々、その保護者、教師たちの心に暗い影を落とすこととなりました。

生き残った児童の中には『フラッシュバック』や『PTSD』、生き残ったことに罪悪感を持ってしまう『サバイバーズギルト』などの症状が出たそうです。

目の前で友達が死んだり、見知らぬ男にいきなり襲われる経験をしたのですから、当然でしょう。

今でも悲しみが続く被害者遺族

我が子を亡くした遺族の悲しみが消えることはありません

娘の優希さんを失った本郷由美子さんは今でも優希さんの死を考えると押しつぶされそうになることがあるとのこと。

しかし、すこしでも前を向いて生きていこうと決め、学童クラブで働くことを決めたそうです。

本郷由美子さんのインタビューはこちらから。

守れた命があったのではと苦しむ教師

事件のことで後悔の念を持っている教師は岩崎真希さんだけではありません。

当時池田小学校に勤めていた先生たちは今でも後悔の念を抱えています。

救える命があったかもしれないという想いは消えることなく残り続けるでしょう。

事件を風化させず安全対策を講じていくしかない

この事件をきっかけに全国の学校の防犯意識が高まるようになりました。

校門等の出入り口はしっかりと施錠し、部外者の立ち入りは原則禁止となりました。

また児童たちも防犯ブザーを常備するようになり、安全対策に気を使っています。

事件を忘れることなく、教訓として安全対策を講じていくしかないのです。

池田小学校事件を忘れてはいけない!

池田小学校事件は犯罪史に例のないほどの大量殺人事件でした。

20年の時が流れても未だに傷が癒えることはありません

私たちにできることは事件を風化させずに、後世に伝えていき、より良い安全対策を講じることだけでしょう。