近年稀に見る悲惨な事件「北九州監禁殺人事件」にて犯人である松永太が被害者達を監禁し、同時にマインドコントロールをかけた後に殺害したとされあまりの悪質な手口に世間が震撼しました。
その後裁判にて判決後、しばらくして松永太の息子が地上波の番組に出演し自身の苦悩について語ったことで再度事件が注目され、話題となっています。
また関係性がある人物としてタレントの千原ジュニアさんが挙げられ、二人の間に何かあるのではないかと噂され疑われているようですね。
気になる凶悪犯罪に手を染めた松永太ですが、現在はどのような生活をしているのでしょうか?
本記事は史上最悪のマインドコントロール事件、北九州監禁殺害事件の犯人である松永太とその息子の気になる現状、そして千原ジュニアとの関係性について調査していきます。
北九州監禁殺害事件の犯人「松永太」の生い立ちとは?
北九州監禁殺害事件は犯行の残虐性はもちろん、犯人の松永の人間性があまりにもサイコパスすぎることで有名です。
気になる松永の生い立ちですが特殊な家庭環境に生まれた訳ではなく、商売を営む両親のもとで裕福な生活を送り何不自由なく育ちました。
また幼い頃は成績も良く優等生として過ごし、中学時代は持ち前のリーダーシップを発揮し生徒会役員を務めるなど一目置かれた存在だったようです。
ところが成長するに連れ徐々にサイコパスな一面が見え隠れし、内縁の妻であり共犯者の緒方に酷い仕打ちを平然とやってのけ、エスカレートすることで事件へとつながって行きます。
また複数の女性と関係を持ちあまりにも歪んだ関係性であったことが事件後明らかとなりました。
何故普通の家庭で育ったのにも関わらず凶悪犯罪者となってしまったのでしょうか?
北九州監禁殺害事件の内容と松永太の生い立ちについて触れて行きます。
北九州監禁殺害事件の概要
北九州監禁殺害事件は2002年3月6日に福岡県北九州市小倉北区で発覚した、犯罪史上稀に見る残虐な監禁・大量殺人事件です。
犯行は松永太と内縁の妻の緒方純子二人でよって起こされ合計7人が死亡しました。
犯行の手口をざっくり説明すると以下のような流れです。
まず犯人の二人が被害者に接触し弱みを握り、次に監禁し数々の拷問と虐待を行う。
それと同時に様々な名目で多額の金を要求し、拷問と共にマインドコントロール下に置いていく。
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マインドコントロールによって被害者同士が互いに不信感を抱くように仕向けていき、さらに被害者同士で拷問をさせることで犯人に絶対服従をするようにさせる。
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最終的に犯人が被害者たちを誘導して互いを殺させ、死体処理を行わせる。
つまり犯人は全く手を汚さずに言葉巧みに誘導するだけで、実際は洗脳された被害者たちが互いに殺しあったのです。
実は悪質で残虐性がある事件にも関わらず、報道規制がかけられたようで知名度はそこまで高くはありません。
当時は地元の報道機関を中心に報じられていましたが、後に報道機関が自主規制をしたことで全国で報道されるまでには至りませんでした。
北九州監禁殺害事件の発覚までの経緯
北九州監禁殺害事件は被害者である当時17歳の少女Aによって発覚しました。
Aは事件現場のマンションから逃げ出し、近所に住む祖父母の元へ「お父さんが殺された。私もずっと監禁されていた」と助けを求めました。
その際祖父がAの右足の親指の爪が剥がれていたことに違和感を感じ尋ねると、「自分で爪を剥げと言われたので剥がした」とAは平然とした様子で説明しました。
その異様な様子に動揺した祖父はすぐに警察署に向かい、取り調べの際にAは捜査員に対して「とにかく部屋を見て欲しい」と訴えかけました。
後に家宅捜査を行ったところ、そこで見た光景は“殺人部屋”の痕跡そのものでした。
部屋のあまりの惨状に捜査員全員が愕然し、当時の状況について捜査員は以下のように語っています。
北九州監禁殺害事件の経緯①少女Aの父親の殺害
もう少し詳しく事件について追っていきましょう。
事件の経緯を説明すると、
詐欺と脅迫の容疑で1992年7月に指名手配をされて逃亡生活を続けていた松永と緒方は、マンションを仲介してくれたAの父親である男性Bをカモにしようと目をつけた。
松永は一流メーカーの優秀なエンジニアを偽名で演じ、投資話をBに持ちかけた。
その際に松永はBの弱みを握り退職させ、Bは当時8歳の娘Aを連れて2人と強制的に共同生活をするようになってしまう。
ところが同居した途端、松永と緒方はBに対して難癖をつけては様々な方法で虐待を加え暴力を振るい、またその虐待はAにも行われた。
2人は松永にマインドコントロールをかけられ、特にBは口止め料・慰謝料などの様々な目的で多額の金を要求されるようになる。
激しい虐待を受け続けたBは衰弱し、同居から約1年後1996年2月に閉じ込められた浴室内で11歳になったAの目の前で死亡した。
松永は緒方とAに遺体をバラバラに解体させるよう指示し、浴室で作業させた。
※Aは発覚の原因となった少女A、Bは少女Aの父親として記述しています。
このように犯人は被害者に接触し弱みを握ることで強制的に同居させ、監禁しやすい状況を作り、自分のテリトリーに持ち込むことで犯行がばれにくいように計画しました。
これだけでも十分悪質な犯罪ですが、ここからさらに松永のサイコパス具合が本領発揮されていきます。
犯行後松永が次の標的としてなんと共犯者の緒方の親族に目をつけたのです。
実は父親Bを殺害する前に松永はBの知人の妻を結婚詐欺にかけ、同様の手口で金を搾取し拷問を与えていました。
ところがBが死亡してしまい知人の妻が逃亡してしまいます。
金ヅルだったBと知人の妻がいなくなると、今度は緒方の母親からの送金で生活するようになりますが、金額が1500万円を超えた頃にぱたりと送金が止まってしまいます。
どうやら送金のしすぎで母親の貯蓄が尽きてしまったのです。
その後緒方は松方に資金調達を命じられ、内緒で湯布院で働き始めました。
一方松永は何故か緒方が逃げ出したと勘違いし逆上したことで、緒方の親族が巻き込まれていってしまうのです…。
北九州監禁殺害事件の経緯②緒方の親族の殺害
松永は緒方を連れ戻そうと、緒方の家族に嘘を付かせて呼び出しました。
その際家族に対し緒方が死体を解体したことに加えて「女性を海に突き落とした」などと誇張して伝えます。
元々由緒ある名家であった緒方家は世間体を気にするあまり逆らえず、松永は“緒方を時効成立まで逃走させる口止め料”として最終的に合計4000万以上の金額を騙し取りました。
それだけに留まらず松永は緒方の家族を監禁し結果的に殺させます。
緒方の親族の殺害までの経緯を説明すると、
また妹の夫Fも協力させられ結果的に妹夫婦の息子Gと娘Hを合わせた9人で強制的に同居し監禁されてしまう。松永は監禁生活において家族に対し緒方の犯行の罪悪感を味わってもらうがために、Bの遺体を処理した台所の配管の取り替えなどをさせ独自の制裁ルールと共に家族全員を洗脳していった。また家族一人一人にランク付けをすると、互いに敵対心が生まれるように仕向け不信感を抱かせ、ランク上位の物が下位の者に対して拷問の一つである電気ショックを与えられるようにした。
このランク付けにより各自ランクが下がらないように松永に絶対服従するようになり、家族を裏切り電気ショックを与えることに抵抗感が無くなっていく。日常的に拷問が行われるようになったある日、父親の殺害を皮切りに緒方一家は次々と殺害されていく。
それぞれの殺害の手口を簡潔にまとめると父親D:Dの言動に腹を立てた松永が緒方にDを拷問するように指示し、緒方の拷問の末に亡くなった(1997年12月)母親C:夫の遺体を自ら処理したショックと異常な環境に耐えきれなくなり発狂。その後浴室に閉じ込められ緒方の妹夫婦に殺害される(1998年1月)妹E:母親と同様精神が耐えきれずに発狂し、その後夫のFが電気コードで首を絞め、娘のGちゃんが足を押さえて殺害(1998年2月)妹の夫F:日々の拷問により衰弱したFを松永が浴室に閉じ込める。その後眠気防止剤と500mlのビールを飲ませたところ1時間後に死亡(1998年4月)息子G:復讐を恐れた松永が緒方に殺害を指示。娘のHに殺害を承諾された後に緒方とHが電気コードで首を絞め、Aが足を押さえて殺害。(1998年5月)娘H:度重なる電気ショックによって衰弱したHを松永が誘導し自ら電気コードを首に巻かせた。その後緒方とAが巻きつけたコードを絞めて殺害(1998年6月)監禁された緒方の家族が全員殺害された後、約4年経った2002年に少女Aにより事件が発覚。
2005年に福岡地方裁判所で行われた1審判決で犯人2人に死刑が言い渡された。
※緒方の母親をC、父親をD、妹をE、妹の夫をF、妹夫婦の子供をG・Hと記述しています。
ここまで北九州監禁殺害事件について事件の流れがわかりましたね。
以上のように松永は、監禁・マインドコントロール・拷問を行い、約2年間で少女Aの父親Bをはじめとした計7人を自らの手は一切汚さずに殺害しました。
また松永は遺体の解体や処分の方法について細かく指示しており、証拠を残さないように工夫していたようです。
この件に関して松永は以下のようにコメントしています。
松永太の小中学時代
ここからは凶悪犯罪者となった松永太の生い立ちについて紹介します。
松永太は1961年4月に福岡県北九州市で長男として誕生しました。
7歳の頃に父親が実家の家業である布団販売業を継ぐために柳川市に転居します。
その後地元の小学校に入学、松永は優等生そのもので学級委員長を務めていました。
また成績表はほとんど勉強していないのにも関わらずオール5で、持ち前の抜群の記憶力を発揮し天才としての頭角を現していました。
中学時代も成績は優秀で、生徒会役員や男子バレー部のキャプテンを務めるなどリーダーシップを発揮して行きます。
また話術の上手さはこの頃から健在のようで、1年生の時に参加した校内の弁論大会で優勝し才能を発揮させました。
ところが優等生として生活していた一方で、自分より弱い立場の人間を近くに置いて影で悪事を働く一面もあったようです。
周囲に威圧感を与えて接することで、拒否権を奪い様々な悪いことを影で指示していたようです。
この一面により教師からの評判はあまり良くはなく、さらに中学時代は担任の家庭訪問を拒否し一度も両親と合わせなかったようでした。
松永太の高校生時代と卒業後
高校時代は後に共犯者となる緒方純子と同じ高校に進学しましたが、当時は顔見知り程度の関係で特に交流はなかったようです。
松永は2年生の時に生徒会の風紀委員長として活躍していました。
しかし家出した女子中学生を自宅に泊めたことが原因で不純異性交遊がバレてしまい、退学処分を下されます。
その後他校の男子校に編入し、編入先の高校でも風紀委員を担当します。
松永は高校卒業後、大学に進学はせずに福岡市内の菓子店に就職するものの、わずか10日で退職。
両親の仕事を手伝うようになり、後に商売の権利を譲ってもらっていたようです。
実は驚くことに1980年1月に結婚し翌年には子供を授かっていました。
卒業後連絡取り合わなかった松永と緒方ですが、その後1982年に再会し後に不倫関係に陥ります。
松永太は会社を設立
1981年に松永は柳川市内の自宅を本店とする「有限会社ワールド」を設立、後に1986年には有限会社から株式会社化しました。
両親から受け継いだ事業を大胆に改革していき、会社は徐々に軌道に乗っていくかと思われました。
しかし実態はひどすぎるものでほとんど悪徳会社だったようです。
例えば粗悪品の布団セットを高額で売りつける悪徳商法で儲けたり、労働環境が劣悪でほとんど軟禁状態で働かせたりしました。
さらに松永は従業員に対し仕事でミスをした際に罰金を課するという独自のルールを設け、また事件でも使った電気ショックを与えるなどをして恐怖を植え付けていきました。
しかし耐えきれなくなった従業員の多くが逃亡し、倒産してしまいました。
また会社が倒産するまでの最終的な売上は約1億8000万円以上に上ったようです。
松永太の女性関係がやばすぎる?
先述した通り1982年に緒方と不倫関係なった松永ですが、実は子供が生まれた時には既に複数の愛人が存在していました。
緒方と再会した頃には約10人以上の愛人が存在し、緒方もそのうちの1人でした。
ここまで愛人を増やせたのは松永の独自の手口に秘密がありました。
元々松永はとりあえず手当たり次第という考えで、その中で何人か掛かればいいとしていました。
親しくなるまでは紳士的に振る舞い信頼を得ようとするのですが、ある程度の関係性になると今度は女性の過去を蒸し返して罵るなどをして徐々に女性の自信を奪っていきます。
そして度重なるモラハラにより「私がいけないんだ」と極限にまで自己肯定感を下げさせることでコントロールしていくのです。
従業員を洗脳し会社を経営していた松永ですが、独自のマインドコントロールは特に愛人に向けて発揮されたようですね。
また嫁も例外ではなく既に緒方と不倫関係であることはバレていましたが、日常的にDVを加えていたことで反抗できないようにしていたようです。
その後1992年に耐えきれなくなった嫁は長男を連れて警察に相談しシェルターに避難、当然松永は怒り狂い居場所を見つけようとしましたが失敗してしまいます。
結果的に松永は2ヶ月後に嫁の離婚調停の申し立てを渋々承諾しました。
千原ジュニアが驚愕!松永太の話術が天才的すぎる?
犯行があまりにも苛く、犯罪史上最もサイコパスなのではないかと言われる松永太。
あまりに非道な犯人だったので、後に行われる裁判ではきっと傍聴席からは非難が殺到するかと当時は予想されていたでしょう。
しかし千原ジュニアさんによると傍聴席からなんと笑い声が聞こえてきたとか。
凶悪殺人犯の裁判なのにも関わらず異様な光景だったようで、どうやら松永のトーク力が凄まじく漫才をしているかのように思えたのだそうです。
ただ一部の人からは千原ジュニアさんが松永の話術について触れたことから「もしかして2人には関係性があるのでは!?」とあらぬ疑いをかけられてしまいました。
ここからは千原ジュニアさんを唸らせた松永太の話術と犯行の核となったマインドコントロール手法について触れていきます。
千原ジュニアと松永太の関係は?
結論から言いますと千原ジュニアさんと松永太の2人の間には一切関係性がありません。
どうやら千原ジュニアさんが『やりすぎコージー』や『おしゃべりオジさんとヤバイ女』で番組内にて松永の話術について話していたので疑われたようですね。
原因の発端となった『やりすぎコージー』では番組内でカンニング竹山さんが北九州殺害監禁事件を“史上最悪のマインドコントロール事件”として紹介しました。
その際に千原ジュニアさんがこの事件を扱った書籍『消された一家-北九州・連続殺人事件(著:豊田正義)』を読んだこと、尚且つ実際に松永の裁判を傍聴したことをコメントしました。
また千原ジュニアさんは凶悪殺人犯にも関わらず傍聴席がウケていたことから後述する松永のトーク力に驚いたようです。
部屋に入ってまず感じたのは、明らかに人間の血の臭いだった。
部屋の片隅には消臭剤が大量に積まれていて、あらゆるドアに南京錠がかけてあった。
窓には全てつっかえ棒が釘打ちされていて、何もかも異様な光景だった