皆さんは『カニバリズム』という言葉を聞いたことがありますか?
映画『ハンニバル』や『羊たちの沈黙』でもカニバリズムの存在を知った方も多いでしょう。
改めて紹介すると、カニバリズムとは、人肉を食べるという風習、行為です。
実はカニバリズムであることが発覚した人物は過去に多く存在し、その人物のほとんどがその衝動から犯罪を犯しています。
今回は、普通の人にはない感覚であるカニバリズムの目的や日本、海外にいるカニバリズムとされる有名人を16人紹介します。
カニバリズムで有名な日本人8選!現在生きている有名人はいる?
驚くべきことかもしれませんが、日本でもカニバリズムは確認されているんです。
そのほとんどが事件を起こしたことで発覚した人で、現在も服役している人もいます。
ここからは、カニバリズムで有名な日本人を8人紹介していきます。
事件の概要も簡単に紹介するので、ここからは閲覧注意です!
カニバリズムで有名な日本人①佐川一政
1人目は、日本人留学生『佐川一政(さがわ いっせい)』です。
佐川一政が起こした事件は『パリ人肉事件』と呼ばれ、日本人が起こしたカニバリズム事件の中でも特に有名です。
当時32歳だった佐川一政はパリの大学院に留学をしていた際に知り合った同じく留学生だったオランダ人のルネさんを銃で殺害します。
その後、死体と性行為を行い、死体を食べたようです。
殺害の2日後に残った死体をスーツケースに詰めて森の池に捨てようとしていたところを目撃され、逃げましたが目撃者の通報から2日後に逮捕されました。
後に佐川一政は、日本滞在時にドイツ人女性をカニバリズムの目的で襲っていたという余罪もわかりました。
裁判では犯行を認めたものの、心神喪失による不起訴で無罪が告げられました。
フランスの精神科病院に入院した1年後に帰国し、東京の病院で過ごします。
東京の病院では「彼にカニバリズムの性癖はなくフランスの警察に対する虚偽であった」と診断されました。
そのため、病院や日本の警察は改めて佐川一政の刑事責任を問いますが、フランスで1度不起訴になっていることから裁判をすることはできませんでした。
佐川一政(さがわ いっせい)はその後生活保護を受けたり実弟の介護を受けながら暮らし、2022年11月24日に73歳で亡くなっています。
カニバリズムで有名な日本人②宮崎勤
2人目は『宮崎勤』です。
宮崎勤が起こした事件は、『東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件』もカニバリズムで有名な事件です。
4人の小さい女の子を誘拐、殺害した後にわいせつ行為をしたといういわゆるシリアルキラーです。
姉妹にわいせつ行為をしようとしたところを父親に見られてしまい取り押さえられ、事情聴取で一連の幼女誘拐殺人を認め、供述通りに遺体が発見されたことで逮捕となりました。
当時、宮崎勤の部屋には窓と壁が覆いつくされるほどのビデオテープがあり、そのビデオテープの数は約6000本も!
その内容がアニメ作品や幼稚園の入園案内パンフレットや女性が写っているテニスクラブのパンフレットなどとロリコン気質なものが多く、当時、マスコミによるオタクバッシングがされました。
逮捕後、2度の精神鑑定を行いましたが、責任能力あるとし死刑判決を受け2008年に死刑が執行されています。
しかし、一連の供述があいまいであることから、本当の動機は現在もわかっていません。
カニバリズムで有名な日本人③手首ラーメン事件の関係者
1978年に兵庫と岡山の山中からバラバラ遺体が発見されました。
死体の刺青から暴力団員とわかりましたが、手首だけが発見されず、当時このニュースが報道されたときにはトラウマを世間に植え付けたといいます。
その後、別の殺人事件で逮捕されていた暴力団員とその子分たちが殺害したことがわかりました。
後に、指紋から身元が判明するのを恐れた犯人たちが手首を持ち去り、処分に困ったため経営していたラーメン屋で出汁をとるのに使ったと供述しています。
「このラーメン食べた人いるの!?」と心配な声が上がりそうですが、「チャルメラは吹かず客にもネタが無いという理由で断った」と供述しているようで「手首ラーメンは、その他の状況から売られなかった」として提供していないようです。
本当かどうかはわかりませんが…。
カニバリズムで有名な日本人④馬場勝太郎
4人目は『馬場勝太郎』です。
馬場勝太郎は、1905~1907年にかけて『肝取り勝太郎事件』を起こした人物で、3人の女性の腹を切り、内臓を盗んで売るという事件でした。
さらに被害者女性の0歳の息子を殺害し、首を母親の腹に入れるというサイコパスな行動も行っています。
女性を襲うも失敗して顔を見られ、それが馬場勝太郎であることがわかり、翌日に逮捕されました。
彼は薬にする肝を売っていたことが動機のようで、責任能力ありとされ1907年に死刑判決を受けました。
1908年6月に死刑が執行されています。
カニバリズムで有名な日本人⑤増淵倉吉
5人目は『増淵倉吉』です。
増淵倉吉は、1932年に起こった『首なし娘事件』の犯人です。
増淵倉吉の妻が講師を務めていた名古屋の裁縫教室に通う吉田ます江は、彼の妻が入院した際によく見舞いに訪れていました。
自然と増淵倉吉とも仲が良くなり、その後恋仲(不倫)に発展します。
妻が他界した後、東京に引っ越す増淵倉吉の荷造りを手伝う吉田ます江の姿が目撃されていることから親密な仲であることがわかりました。
東京に引っ越すも仕事がうまくいかず、増淵倉吉は一度名古屋に戻り宿泊していた旅館に吉田ます江を呼びます。
数日間2人は愛し合いましたが、その後彼女は首を絞められ死亡しました。
その後、遺体を解剖し、愛知県犬山市内の木曽川に死体を遺棄し、2月11日に発見されます。
首も損傷が酷く、頭皮が剥ぎ取られ目がえぐり取られて下顎が激しく損傷されており、触ると肉が崩れるような状態だったそうです。
愛した女性と一体化したいと考えた増淵倉吉は、彼女の頭皮をまとい、下着を身に着けて首を吊り自殺していました。
部屋から見つかった財布の中からは彼女の眼球が発見され、彼女の体の一部は見つからなかった為、食べてしまったと考えられています。
カニバリズムで有名な日本人⑥立花芳夫
6人目が『立花芳夫』です。
立花芳夫が1945年に起こした事件が『小笠原事件』です。
日本陸海軍の幹部がアメリカの空軍部隊8名を処刑し、5名の人肉を食べました。
立花芳夫の依頼でさらに1名のアメリカ兵を処刑し、手足や内臓を食べ、「これはうまい。お代わりだ」と、おかわりまで要求します。
その後、裁判にかけられた際には「人肉は戦意高揚のために食した」という動機を語っていました。
1946年5月から9月にかけて三段階に渡る審判が行われた結果、絞首刑が決定し、1947年に刑が執行されました。
軍人が行ったとして、当時はかなりのショッキングなニュースとして話題になりました。
カニバリズムで有名な日本人⑦江藤まつ
7人目は『江藤まつ』です。
江藤まつは、1945年に起こった『群馬連れ子殺人事件』の犯人です。
江藤まつには、夫の連れ子が4人・妻の連れ子が1人・互いの実子が2人いました。
夫は働かず、妻の江藤まつの食料管理は無計画でかなり貧しい生活でだったそうです。
夫の連れ子3名は奉公に出ていましたが、次女だけは知的障害があり学校へも行くことができず働くこともできませんでした。
そんな状態がしばらくして食料が尽き、家族が飢えを訴え始めました。
そんな中、夫の連れ子である次女はみるみるうちに衰弱していき、その様子を見た江藤まつは彼女を殺害して食べようと考えます。
他の子どもたちや夫を外出するように進め、自宅内で首を20分間かけて絞め、次女を殺害したのち鋸と包丁で、遺体から頭部と四肢を切断解体します。
その後、鍋で煮込んで「ヤギの肉だ」と偽り家族に食べさせました。
しかし、夫だけは何かに気づいたのか1口も食べることはなかったそうです。
頭部や足首は、家族が寝静まった深夜に、江藤まつが庭に埋めました。
事件が発覚したのちに江藤まつは逮捕され、心神耗弱が認められた後、15年の実刑が決まりました。
15年の懲役を経て出所した後、寺に引き取られて余生を送り、2017年時点で江藤まつの死亡が確認されていますが、原因は明かされていません。
カニバリズムで有名な日本人⑧加藤信嘉
8人目は『加藤信嘉』です。
加藤信嘉は、1959年に起こった『17歳若妻バラバラ殺人・陰部 乳房食事件』の犯人です。
当時、愛知で食堂を経営していた加藤信嘉のところへ、以前集団就職で訪れた17歳の女性が再度訪問してきます。
結婚していた女性は離婚の危機に直面し、職探しのために以前訪れた加藤信嘉の食堂へやってきたようでした。
加藤信嘉は彼女を襲うことを計画し、こっそり睡眠薬を与えました。
しかし倉庫へ移動したものの彼女は眠っておらず、激しく抵抗され、殺害してしまいます。
加藤信嘉は少女の死体に美しさを感じ、彼女を捨てることが惜しいと思い、ドライアイスを詰め腐敗を遅らせ、夜になると彼女のところへ行き、死体にわいせつ行為を行いました。
その後、乳房や陰部を切り取って食べ、矢作川へ遺体をバラバラにして捨てます。
死体が発見され、加藤信嘉は逮捕されました。
この他にも加藤信嘉の周辺では3人の女性が行方不明となっており、余罪も疑われたのですが、今回の事件以外は未解決となっています。
今回の事件のみで無期懲役の判決となりました。
その後の加藤信嘉の動向はわかりませんでした。
しかし、事件から70年近いことから、刑務所の中で死亡したのではないかと言われています。
世界の有名なカニバリスト10選!現在ドラマ化している人物もいる?
世界には、有名なカニバリストが多くいます。
今回は10人のカニバリズムで知られる海外の有名人の事件や実話を紹介します。
先ほど同様、事件の概要も簡単に紹介するので、ここからは閲覧注意です!
世界の有名なカニバリスト①マイケル・ロックフェラー事件
マイケル・ロックフェラーはアメリカの大富豪の御曹司で、民俗学者でした。
ハーバード大学で民族学を専攻し、ニューギニア・イリアンジャヤの部族に興味を持ちました。
1961年にマイケルは学者仲間と研究の一貫でインドネシアへ行きます。
そこでボートが転覆し、仲間を残して泳いで助けを呼びに行ったまま行方不明となりました。
警察の公式発表では溺死とされています。
しかしジャーナリストの調査では、マイケルは『現地の部族により殺害・解体され食べられた』と考えられています。
その後2019年4月に『人喰い ロックフェラー失踪事件』として本も出版されています。
また2007年にはこの事件をモチーフにしたオリジナルビデオ『実録・リアル食人族』を制作しています。
未解決事件のようですが、この近辺にはカニバリストの民族もいるようなので食べられてしまったという可能性は高いと思います。
世界の有名なカニバリスト②ソニー・ビーン一族
スコットランドに15世紀存在したのが『ソニー・ビーン』です。
男は働くのが嫌いで、性悪な女アグネスと出会い人目に付きにくい洞窟で生活をしていました。
生活をしていくため、旅人を襲っては殺害した後に洞窟へ運び、金品を奪い取っていました。
始めは、金品を取るだけだったようなのですが、それだけでは生活が続かないため、食料として殺害した人の肉を食べていたようです。
その後、2人は子供を8人産み、子供たちも近親相姦を繰り返し50人近くとなる一族となりました。
一族は、主に人肉を食べ、普通の食料を口にすることのほうが少なかったようです。
25年間にもわたってその凶行は繰り返され、具体的な被害者の人数もわかっていません。
ある日、一族は馬に乗った夫婦を襲いますが、夫は馬に乗って逃亡します。
走る馬に付いていけなかったことや後から大人数の集団が来ていたため、追うことを断念しました。
その後、その夫が役所に駆け込んだことから一族の犯行は世に知れ渡りました。
事態を重く見た国王が多くの兵を使って一族を探し、最終的に猟犬が彼ら一族を発見します。
その後、裁判は行われず処刑となりました。
男はオノで両腕と両足を切り落とされ失血死するまで放置され、女にその様子を見届けさせ、火あぶりにしたと言われています。
世界の有名なカニバリスト③ロイド・バグトン
2019年にフィリピンで起きた猟奇殺人の犯人『ロイド・バグトン』も有名ですね。
21歳の彼は女性に対してストーカー行為を行い、墓地の近くで鉄の棒で滅多打ちにして殺害します。
その後、首を切断して持ち帰り、脳みそを取り出して米の上に乗せ『脳みそどんぶり』にして食べました。
近所からの通報で彼は逮捕され、家の近くからは女性の頭蓋骨が見つかっています。
ロイドは、犯行動機に対し「被害者女性が英語で話したことにムカついた」と供述しています。
護送車で運ばれる彼は、「トイレにいきたい」と言います。
手錠をかけられたまま護衛の銃を取り、その拍子に護衛から銃で撃たれ死亡しました。