過去に日本一のスパルタ学校として名前を轟かせた「日生学園第二高等学校」。
ダウンタウンの浜田さんがもっとも有名な卒業生ですよね。
現代では想像もつかないスパルタ教育を行なっていた学校ですが、現在は進学校に生まれ変わっているそうです。
「今はむしろすごく良い学校になったらしい」との噂まである日生学園の現在と、卒業した有名人のエピソードを詳しくまとめました!
日生学園第二高等学校とは?
1980年に三重県津市に開校された全寮制の学校です。
日生学園第二高等学校以外に2校も日生学園は存在します。
日生学園第二高等学校よりも前の1966年に創立された日生学園第一高等学校と日生学園第二高等学校より後の1983年に創立された日生学園第三高等学校があります。
日生学園第二高等学校は春・夏の甲子園に出場した過去もあります。
軍隊式を取り入れたスパルタ高校!
日生学園学長は長田強さんで教育理念は『一流の人間を育てる』とされていました。
軍国主義を彷彿させる徹底した統制を以て私欲を捨て去り公に尽くすという考え方が浸透しているそうです。
上下関係は絶対で誰かがミスをすると連帯責任は当たり前です。
コンクリートの上で10時間正座などが普通でした。
初代学長は青田強
日生学園初代学長は青田強さんです。
「自己の全生命を懸けて創立した学園道場である」の思いで作り上げた日生学園ですが頻繁に傷害致死事件を起こし警察沙汰になっています。
1980年代には国会答弁で話題に上がるほど問題になっていました。
子どもへの脅し文句の定番に
スパルタ教育で名を轟かしていた日生学園は当時の東海・関西圏で親が悪いことをした子供を叱る際に「悪いことをしたら日生学園に入学させるぞ!」というのが定番になるほど有名でした。
実際に手に負えない子供を日生学園に入学させた家庭も数多く存在します。
日生学園第二高等学校の出身芸能人は?
ここまでは日生学園のスパルタエピソードなどを紹介してきました。
多くのスパルタエピソードがある学校ですが、現在も芸能界で活躍している卒業生の方がいます。
次に日生学園第二高等学校の出身芸能人を紹介します。
長谷川豊
1975/8/12(46)
元フリーアナウンサー
奈良県出身の元フジテレビアナウンサーで2013年にフリーアナウンサーに転向した長谷川豊さん。
主な出演番組は「情報プレゼンターとくダネ」「めざましテレビ」「上沼・高田のクギズケ!」などに出演していました。
長谷川さんは自らの意思で日生学園に入学しています。
高校時代は柔道部に所属し部活動に励んでいました。
高校時代に朗読の全国大会に出場し見事に優勝しています。
その経験がありアナウンサーに憧れを持ったそうです。
今田耕司
1966/3/13(56)
お笑いタレント
司会なども務める大阪市出身のお笑いタレント今田耕司さん。
主な出演番組は「開運!なんでも鑑定団」「炎の体育会TV」「ザ・ベストワン」などに出演しています。
今田さんは日生学園を中退しています。
今田さんが日生学園に入学することになったきっかけは中学3年生のときに万引きがバレたのがきっかけです。
自宅謹慎を余儀なくされていた今田さん。
教師から「日生学園にいかないとろくな大人にならない」と言われました。
また父親からは「日生学園に入学したら卒業するまでの3年間、毎日100円を貯金箱で貯金する」と言われ入学を決意します。
ちなみに今田さんは2回脱走しています。
浜田雅功
1963/5/11(59)
お笑いタレント
大人気お笑いコンビ『ダウンタウン』の浜田雅功さん。
日生学園出身芸能人を思い浮かべたときに一番初めに思い浮かぶ人は浜田さんです。
浜田さんが日生学園に入学することになった経緯は「札付きの悪ガキ」だったからです。
中学時代に友達と会う約束をしていたのにその友達が家にいなかったことに激怒し友達の家のドアをノコギリで切って破壊したというエピソードもあります。
そのような浜田さんをみかねた担任の先生が浜田さんの父親に『普通の高校では対応できない』と発言し父親に日生学園をすすめました
また刑務所のような学校に進学させることによって更生させようと考えたそうです。
鮫島秀旗
1973/7/22(49)
元プロ野球選手
大阪市出身で元プロ野球選手の鮫島秀旗さん。
実は日生学園はスパルタ教育がすごく目立っていますが野球部などは甲子園に二度も出場するなど強豪校でした。
鮫島さんは残念ながら甲子園出場の夢は叶いませんでしたが1991年のプロ野球ドラフト会議でヤクルトスワローズから6位指名を受けて入団しました。
1996年に一軍デビューしますが当時は日本を代表する捕手「古田敦也」さんが正捕手を勤めていたため一軍定着には至らず2004年に現役引退しています。
現在はヤクルトスワローズのブルペン捕手を勤めています。
赤松芳朋
1972/5/27(48)
ミュージシャン
ヴィジュアル系ロックバンドSOPHIA(ソフィア)のメンバーでドラムを担当している赤松芳朋さん。
赤松さんも日生学園出身ではありますが、あまりエピソードは語られていません。
赤松さんの在籍時は、校則があまり厳しくなかったのではないかと思われます。
海猫沢めろん
引用:日本経済新聞
1975/3/14(47)
小説家
キッズファイヤー・ドットコムなど多くの小説作品を執筆されている海猫沢めろんさん。
2017年に代表作の『キッズファイヤー・ドットコム』が第39回野間文芸新人賞候補にノミネートされ、翌年の2018年1月に同作で第59回熊日文学賞を受賞するなど実績のある作家です。
2019年からロックバンド「エリーツ」を結成して音楽活動を始めています。
しかし実は日生学園入学時は”漢字すら読めなかった”そうで、他の高校には行けず日生学園に入学することとなったといいます。
海猫沢めろんさんが通っていた頃のエピソードはすさまじく、
- 1部屋36人のタコ部屋状態
- 朝は5時半起床、起床3秒で自習机につかないと先輩にリンチされる
- 起きがけに3キロマラソン
- 便器を素手で掃除
- 家に帰れるのは2カ月に1回
といった体験談を語っていました。
日生学園第二高等学校では様々な事件が?
日生学園はあまりのスパルタ教育ゆえに数々の暴力事件や自殺者・事故死者などを出してきました。
問題は大きく取り上げられ国会議員も調査に乗り出しました。
日生学園は国勢調査・行政指導なども受けています。
自殺や不審死が多発していた
日生学園では数年に一回程度自殺が起こっていました。
自殺理由は明らかにされていませんが学園内では頻繁に先輩や教師からの暴力・リンチが発生していました。
これらが原因ではないにかと推測されます。
生徒の不審死
日生学園では不可解な死亡事件が過去に発生していました。
内容は夜中に生徒が食堂に忍び込み食堂の出入り口に設置されていたシャッターに首を挟まれ圧死してしまった事件です。
不可解な点は夜中の食堂はもちろん料理などはありません。
盗むとなると調味料などしかなくもし盗んだとしてもその調味料を使える環境など厳しい管理下にある学園内で使用することは不可能に近いでしょう。
また亡くなった生徒はヤンチャをするタイプではなく大人しい真面目な生徒でした。
表現は悪くなりますがどちらかと言えば「いじめられるタイプ」だったそうです。
他の生徒に命令されて犯行におよんだ結果不慮の事故にあってしまったのか最悪の場合殺されてしまったのかは現在も真相は闇の中です。
日生学園第二高等学校のやばいスパルタ内容15選!
ここまでは日生学園の事件・事故や有名出身者についてまとめてきました。
次に日生学園の想像も絶するスパルタ内容を15選紹介します。
もし現在でおこなうと大問題になるほどの内容が多く含まれています。
①:平日のスケジュールは?
日生学園は全寮制です。
なので起床時間が決まっていて水曜日と休日の日曜日以外は早朝の4時に起床です。
普通の高校では考えられないですよね。
心行
起床後は点呼がおこなわれ歯磨き・洗顔・着替えを済ませたら『心行』しんぎょうと言われる大声で足を大きく広げ一心不乱に床を磨く修行がおこなわれます。
心行は各部屋10分間・各階の廊下等を10分間おこなった後に全生徒が体育館に集まり約1時間もの時間をかけて心行をおこないます。
心行が終わると体育館内で点呼を取り再度寮に戻ったときにも点呼をとります。
朝食
心行が終わり寮の自室に戻ると即座に制服に着替えます。
着替えが終わると整列し食堂前まで集団登校します。
食堂前に集まると国旗と校旗掲揚をおこなった後に食堂に入り朝食をとります。
もちろんゆっくり食べることはできず素早く朝食を済ませます。
食事が終わると再度食堂前に集まり校歌斉唱をしたのちに朝ご飯は終了です。
再び心行
早朝の4時から活動をしているので授業は午前4時間・午後1時間の5時間制になっています。
授業が終わると登校時と同じように集合し集団下校で寮に帰ります。
寮に到着すると点呼があり点呼が終わると素早くジャージに着替えて朝と同様に心行をおこないます。
マラソン
2回目の心行が終わると約6Kmのマラソンが待っています。
マラソンが終わると帰寮し階ごとにお風呂に入ります。
お風呂の順番が来るまでは自由時間ではなく自習をしていなければいけません。
夕食
お風呂が終われば食堂前に集合し国旗と校旗の掲揚をおこなった後に夕食となります。
夕食を済ませると速やかに寮に戻り点呼があります。
点呼が終わると自由時間ではなく再び自習となります。
しかし日生学園の学校生活で唯一とも言える楽しみの間食が許されます。
アンパンと牛乳が支給されて食べることができます。
お菓子などの持ち込みが一切許されていないので間食で食べれる甘いアンパンは想像を絶する美味しさだったでしょう。
②:日曜日にも休息はない
世間では多くの人が休日になる日曜日ですが日生学園には関係がありません。
起床時間は朝の7時に起きることは許されますが点呼・歯磨き・洗顔が終わると心行がおこなわれます。
心行は一年中休むことが許されていません。
心行が終わると平日と変わらず食堂で朝食を済ませます。
日曜日に授業はないので朝食後は休日ということもあり自由時間だと思われますが自習をしなくてはいけません。
昼食は食堂に行かずパンが配られ寮内で済ませます。
昼食後は再び自習が始まります。
昼食後の自習時間内には15分程度の昼寝タイムがあり仮眠をとりリフレッシュできる時間があります。
もし昼寝タイムの15分を過ぎて寝ていると「誤睡」と言われ怒られてしまいます。
昼寝タイム後はもちろん夕食まで自習の時間になります。
夕食後も自習ですが平日と同じ間食は許されます。
日生学園は日曜日でも自由時間は存在しません。
③:軍隊のような上下関係
日生学園の寮は一部屋最大で48人収容できます。
1・2・3年生は混合で生活しています。
なので上下関係が常に付き纏い心休まる時間はありません。
1年生は人権など無視で奴隷のように上級生に服従しないといけませんでした。
3年生に対して口答えすることは『死』に値するため3年生の言うことは絶対に従わなくてはいけません。
日生学園は戦時中の軍隊並みにやばい上下関係の中で寮生活をおくらなくてはいけません。
④:いじめや拷問が多発!?
日生学園ないでは常にやばいいじめや拷問が多発していました。
いじめや拷問は生徒同士だけではなく教師からも当然のようにおこなわれていました。
肩パンや平手うちは当たり前で時にはパイプ椅子で殴られたりホッチキスの芯を刺されたりされていました。
拷問
拷問に値する行為も多発していました。
②寒い季節は水責め
③一晩中正座を命令される
上記のように致命傷にならない程度の拷問は日常茶飯事でした。
教頭先生
学園内でもトップクラスの権力者である教頭先生の怒りが爆発した際にベルトを引き抜き金属製のバックルを頭目掛けて叩きつけたそうです。
バックルが頭に当たり出血しているにも関わらずハンカチなどで押さえることも許されませんでした。