いじめや拷問とは少し違いますが日生学園では致命傷ではない限り病気になっても病院には連れて行ってもらえません。
また発熱しても先生が体温計で体温を測り38度を超えていないと休むことさえ許されません。
たとえ38度を超えていても病院には行けず市販薬だけ支給されます。
自らの根性で治すことしかできません。
⑤:素手でトイレ掃除を行う
日生学園のスパルタエピソードで代表的なのが『素手でトイレ掃除』ではないでしょうか。
生徒たちは大声で頭を激しく振りながら素手で便器に手を入れ汚れをとっています。
こびりついた汚れは爪を使って取り綺麗にしないといけません。
「便器は心の鏡」という教えがあり便器が汚れていると心も汚れていると考えています。
⑥:偏差値40以下からスパルタで叩きあげられた?
日生学園の偏差値は40以下でした。
偏差値は低いですが日生学園は不良や問題児を多く受け入れているので仕方がないことです。
しかし入学時は学力が低い生徒も日生学園に入学すると学力向上します。
全寮制で自由時間がなく空き時間は全て自習時間にあてられます。
テスト期間に入ると消灯後も自習することが許させています。
また日生学園は上級生が勉強を率先して下級生に教えます。
理由は下級生の成績が上がらないのは上級生の責任だという文化があったからです。
⑦:机の範囲から出てはならない
日生学園は机の範囲から足を出すことは許されません。
出ていることが見つかるとひどいお叱りを受けてしまいます。
また授業の合間には休み時間をもうけているのですがトイレ以外で席を立つことは許されていません。
当然のように私語は禁止されていて次の授業の準備をして静かに姿勢を正して待っていることしかできません。
⑧:入学から3日で声が枯れる?
日生学園に入学後すぐに校歌・応援歌・寮歌など10曲を3日以内に丸暗記しないといけません。
また歌を歌う際は大声で大きく腕を振りながら歌わないといけません。
そして歌以外の心行や先輩や教師に対しての返事で大声を張り上げないといけないので新入生は3日もあれば声が枯れてしまいます。
⑨:下着の色まで決まられている
日生学園の制服は2種類ありました。
一つは普段の学校生活で使用する制服です。
薄いブルーのワイシャツで短ランのような短いブレザーでした。
二つ目は帰郷用の制服
帰郷用の制服はブレザーの丈が普通になったものです。
女子生徒の制服は両方スカートではなくズボンとなっていました。
日生学園は制服以外にも厳しい決まりがありました。
靴や靴下は学校指定のものを着用しないといけません。
ここまでは普通の学校でもありますが日生学園では下着まで決まりがあります。
『下着は無地の白色のみ』と指定されています。
また男子生徒の髪型は年中五厘の坊主頭と決まっています。
⑩:買い物は許可制
日生学園では生徒のお金の所持は許されていません。
なので文房具や学校生活で必要なものを購入する際は購買部を通して必要なものを書きます。
それを朝担任に提出して許可が降りれば買うことができました。
⑪:雨具すら許されない!
理由は定かではありませんが日生学園では傘などの雨具を使用することは一切禁止されていました。
当然に所持も禁止されていたため豪雨や台風など関係なくずぶ濡れになりながらも学校に登校しないといけませんでした。
⑫:教師へのスパルタは更に厳しい!
日生学園では住み込みの先生を教師と呼び通勤してくる先生を講師と呼んでいました。
教師の先生は生徒が起きる早朝4時よりも1時間早い早朝3時に起床し生徒が来る前に体育館で心行をおこなっています。
教師は生徒の鏡にならないといけないので遅刻したり気合いが入っていないと判断されると教頭から生徒より厳しい罰を与えられます。
しかし教師の先生は個室が与えられており勤務時間外の飲酒や喫煙は認められていました。
⑬:カンニングは教師公認!?
テスト期間になると消灯後も自習が許されていました。
しかしこの自習はカンニングするための慣習的なものでした。
教師がテストで出題される問題を事前に生徒に教えていました。
答えまでは教えていませんでしたが生徒たちは同級生や上級生などと協力し答えを導き出しテストに挑んでいました。
そのため赤点を取る生徒が出るはずもなく平均点は以上に高かったそうです。
なぜ教師が生徒にカンニングとも言える行為をさせていた理由は生徒の点数が悪いと教師が教頭などから酷い体罰を受けるからです。
⑭:帰郷は「下界」呼ばれていた
日生学園第二高等学校は山奥にあったためテレビや新聞ラジオなどを聴けない生徒たちは世間から隔離されていたため世間を「山の下の世界」という意味も込めて「下界」と言っていました。
冬休みと春休みは20日程度休みがあり夏休みは世間より短い3週間程度です。
普段は全然自由がありませんが長期休暇のときは宿題や課題は全くありません。
⑮:刑務所さながらの密輸が横行?
お菓子などの嗜好品や雑誌などの持ち込みは許されていませんでした。
しかし育ち盛りの高校生ですのでもちろん寮で出されるご飯だけではお腹も空きます。
また甘いものやお菓子も食べたいでしょう。
なので親にお願いして仕送りの品で枕などお願いしてその中に忍びこませて密輸していました。
日生学園第二高等学校は現在どうなっている?
ここまでスパルタ教育時代の日生学園を紹介していました。
次に現在の日生学園について紹介します。
学校名も変わりスパルタ教育は廃止されていると噂されています。
過去にひどい歴史のある学園はどのように変わったのでしょうか。
青山高等学校に改称される
引用:青山高等学校
ダウンタウンの浜田さんが在籍していたことで知られている日生学園第二高等学校は2015年に現在の「青山高等学校」という校名に変更されています。
日生学園第二高等学校時代は不良や問題児を受け入れていましたが現在は不登校や引きこもりの生徒を多く受け入れているそうです。
系列学校も立てられる
日生学園には系列校が3校あります。
それぞれ校名を変更して現在も存在します。
①1966年に開校した「日生学園第一高等学校」で現在は「桜丘高等学校」に校名変更しています。
②先ほど紹介しましたが1980年に開校した「日生学園第二高等学校」で現在は「青山高等学校」に校名変更しています。
③1983年に開校した「日生学園第三高等学校」で現在は「自由が丘高等学校」に校名変更しています。
また1982年には日生学園附属中学校(現在は桜丘中学校)と付属幼稚園(現在は休園中)が開校されていました。
偏差値はあまり変わらない?
現在の青山高等学校の偏差値は40前後と言われています。
昔の日生学園第二高等学校時代は不良少年を受け入れていたので偏差値が低いのは仕方がありません。
現在の青山高等学校も不登校や引きこもりの生徒を受け入れ入学させています。
なので中学校時代に勉強が追いついていない生徒が多くいるので受け入れやすくするために偏差値を低く設定しているのでしょう。
スパルタ校から進学校へ
偏差値は高くありませんが現在の日生学園は学業にしっかり取り組める環境を作りと大学に進学できる取り組みをおこなっています。
全寮制教育を取り入れ学業に集中できる環境を生徒に提供しています。
もちろん昔のようなスパルタ指導は存在していません。
青山高等学校の生徒の中には国立大学に進学する生徒や早稲田大学・明治大学などの有名私立大学に進学する生徒も現在は輩出しています。
現在は休校している?
元日生学園第三高等学校の自由ケ丘高校は生徒数減少により2021年(令和3年)度以降の新入生募集を停止しました。
在校生については希望を調査した上で日生学園が運営する系列の高校へ転入しています。
カルト宗教もびっくり!?出身芸能人が語る日生学園のスパルタ
次に日生学園出身芸能人が語るスパルタエピソードを紹介します。
想像を絶するスパルタ教育の数々とエピソードがありました。
カルト宗教もびっくりです。
実際の高校の様子
まず初めに上記の動画を視聴することをおすすめします。
スパルタ教育時代の日生学園の日常をリアルに感じることができます。
文字では伝わらない迫力や熱気が感じられると筆者は思います。
今田耕司が語る体験談
引用:世界は数字で出来ている
今田耕司さんは日生学園中退ですが、驚愕のエピソードの数々を持ちます。
過去に語られた内容を4つ紹介します。
エピソード①
全校集会などで校長先生が話しているときに校長先生の目線からサッと目線をそらすと校長先生が壇上から目線をそらした生徒に指をさします。
指をさされた生徒は両脇からきた先生に頬をペチペチされるので一瞬たりとも気が抜けないと語っています。
エピソード②
全寮制なので月に一回だけ親と会える面会日があります。
面会場所は学校が山奥にあるのでその山の敷地内なら親と自由な時間が与えられていました。
その時に親にお願いして持ってきてもらったケーキなどを山の木の影などに隠れて食べていたそうです。
エピソード③
今田さんは1年生のときに脱走を試みています。
帰省から帰ってくる際に「脱走時の電車賃を捻出するために数千円をパンツの玉の裏に小さく折り畳んで持ち込んだ」と語っています。
脱走時は一度下見をしてあった一回のトイレの窓から学校を出たそうです。
学校から一番近い駅から電車に乗ると学校に通報されてしますので何個か先の駅から電車に乗らなくてはいけませんでした。
そのためには山を一つ越えないといけなかったのですが最終的には二つの山を超えて駅についたと話しています。
エピソード④
脱走が成功して実家までたどり着いた今田さんでしたが学校側から電話がありました。
内容は「退学するのであれば手続きがあるので一度学校に来てほしい」という内容でした。
退学手続きをするために母親と学校に戻った今田さんでしたが先生が母親に向かって「これからこの子が学校を続けるって言うまで僕はこの子を殴ります」と言い放ち今田さんを殴ったそうです。
5・6発殴られたところで「続けます」と今田さんは言ってしまいました。
脱走は成功したのですが最終的には学園生活を続けなくてはいけなくなりました。
しかし結局は冬休みの帰省をきっかけに退学しています。
ダウンタウン浜田が語る体験談
引用:世界は数字で出来ている
副学寮長までをも務めたダウンタウン浜田さんは、入学当初から苦労の連続でした。
厳しすぎる学校生活に、逃げ出そうとしたこともあったのだとか…。
3つのエピソードを紹介します。
エピソード①
日生学園は上下関係がすごく厳しい学校です。
浜田さんは「みんなが寝静まってから先輩にトイレに呼んでいただき『こういうところがアカンぞ』とお叱りをうけお腹を蹴られた」と語っています。
エピソード②
浜田さんも一度脱走の経験があります。
高校一年生のときに脱走を成功させて浜田さんは現在の相方である松本さんに電話して「お金を持って迎えに来てくれ」と電話で助けを求めたそうです。
そして「鶴橋駅」まで迎えに来てくれて松本さんとうどん屋でご飯を食べました。
松本さんは「熱々のうどんを浜田はひとすすりで食べてしまった」と話しています。
エピソード③
ある番組で女性芸人の光浦靖子さんから質問で「思春期の男の子なのに女の子に対する気持ちはどこに持っていってるんですか」と質問がありました。
それに対して浜田さんは「帰省から帰ってきたときになんとか隠し持って入る」と明かしています。
また「当時は畑中葉子が裸になった写真を切り取って寮の洗面台の鏡の裏に全員が隠していて夜中になっていくとみんながヤっていましたと」と話しています。
日生学園のやばいスパルタ教育の実態と現在についてのまとめ
今回は日生学園のやばいスパルタの実態と現在について詳しく見てきました。
また実際に日生学園に在籍していた有名芸能人のエピソードもまとめてきました。
今の世の中では到底考えられないスパルタ教育の数々とそれが原因で起こったであろう事件がありました。
しかし日生学園は校名を変更してスパルタ教育を廃止し現在も存在しています。
不登校や引きこもりの生徒を多く受け入れ大学に進学させている素晴らしい学園に生まれ変わっています。