「神戸連続児童殺傷事件」は残虐な犯行手口や犯行声明文が大きな話題となり、連日ワイドショーを賑わせました。
さらに世間に大きな衝撃を与えたのは、猟奇殺人の実行犯として逮捕されたのは当時14歳の「少年A」だったためです。
41歳(2023年現在)になる少年Aは現在どのような暮らしをしているのでしょうか。
少年A・酒鬼薔薇聖斗の現在は釈放され普通に生活している?
1997年5月、日本中を震撼させた神戸連続児童殺傷事件。
犯人が犯行声明文で酒鬼薔薇聖斗(さかきばらせいと)を名乗ったことから酒鬼薔薇事件とも呼ばれています。
酒鬼薔薇を名乗った少年Aは、事件から25年余りが経った現在どのように暮らしているのでしょうか。
少年Aの現在やプロフィールを紹介します。
少年Aの現在①実名変更
女性セブンの取材によると、少年Aは医療少年院を退院後、改姓改名を行っています。
実名(とくに姓)を変更することは日本の戸籍上難しいことのようです。
しかし「姓を変更しないとその人の社会生活において著しい支障が出る」場合には、家庭裁判所に申し立てることで変更が可能なのだそう。
世間を大きく賑わせた事件の犯人として実名も公開されてしまっているため、今後の社会生活への影響を考えて実名を変更したのでしょう。
姓名ともに事件当時のものは一文字も使われておらず、まったく違った名前で生活しているようです。
少年Aの現在②結婚して子供がいる
ネット上では「少年Aは結婚し幸せな家庭を築いている」「子供もいるらしい」という噂が飛び交っているようです。
果たして、日本を震撼させた事件を起こした犯人と結婚する相手なんているのでしょうか?
当時はそのカリスマ性から酒鬼薔薇聖斗のファンクラブがあるという噂もあり、熱心なファンと結婚したという話もあるようです。
少年Aは今も結婚しておらず、子供もいないと考えられます。
少年Aの現在③東京都内に住んでいる
少年Aは社会復帰して東京に住んでいるのではという噂があります。
新潮社の記事によると少年Aが社会復帰している確率は95%にも上ると言われています。
ただ、医療少年院を出所した少年Aは、普通の暮らしを取り戻す事に大変な苦労をしたようです。
どこに行っても疑われ、雑誌の記者に追われる日々だった事から、ネットカフェや簡易宿泊所を転々とする毎日だった様子。
滞在していたという確かな情報があるのは、2011年頃から定住した静岡県浜松市、そして2015年頃に定住した東京都足立区です。
足立区で住んでいたのはUR花畑団地であると特定されています。
その後、転居してしまっているようで現在の詳しい居場所は不明です。
少年Aの現在④書籍「絶歌」を出版
少年Aは2015年に太田出版から「絶歌・神戸連続児童殺傷事件」を出版しました。
刊行当時、少年Aの年齢は32歳でした。
事件から18年を経た少年Aの手記として世間から再び注目を浴びた「絶歌」には、少年Aが社会に復帰して以後の流れや当時の思いが綴られていました。
実際に読んだ人の感想の感想は以下の通りです。
フィクションとしか思えない内容。サディスティックで不気味で理解が及ばない
自分に酔っているような雰囲気があり、遺族を思うといたたまれない
自分に対して客観的に向き合っているようで他人事、反省の色を感じない
「絶歌」を読んだ多くの人が自己陶酔のような内容について気味の悪さを感じたようです。
被害者遺族は出版中止と回収を求めましたが、太田出版は「少年犯罪の理解に役立つ」として出版を続けています。
印税は4,000万円以上?
「絶歌」は25万部を売り上げるヒットとなり、印税は4,000万以上と見られています。
気になるのは印税の行く方ですよね。
通常なら被害者遺族への救済や賠償に使われそうですが、印税は遺族へ支払われていないそうです。
その理由は、被害者遺族が拒否しているためです。
少年Aの現在⑤被害者家族を結婚式に招待した?
「絶歌」の中に「少年Aが被害者遺族に対し結婚式の招待状を送った」という文章があったとされています。
これはデマのようです。
「絶歌」の内容が自己中心的な内容だったため独り歩きした噂だと考えられます。
彼は人と親しくなることを警戒しています。親しくなると、その人に対して、自分が殺人者であることを隠すことに耐えられなくなるからです。女性にも同じ。好きにならないよう警戒していた。禁欲的な生活です。
引用:J-CASTニュース
「絶歌」の担当編集曰く、少年Aは人と親しくなることを警戒しているらしく、結婚することはありえないし関係者に招待状を送ることも想像できないとのことです。
少年Aの現在⑥記者に暴言を吐いた?
2016年、週刊文春に東京都内の住居を割り出されてしまった少年Aは、記者の直撃を受けたことがあったようです。
最初は記者をはぐらかしていた少年Aですが、突如豹変し記者に対して大声で凄み、逃げる記者を執拗に追いかけたと言われています。
「名刺も手紙もいらねえよ」「命がけで来てんだよな」
脅しとも取れる言葉を発し、異変を感じて逃げる記者を約10分間、執拗(しつよう)に走って追いかけてきた。記者は「(加害男性は)ポケットの中で何かを握る素振りを見せながら叫んでいた。更生できているのか疑問に感じた」と振り返る。
引用:産経新聞
この直撃を受けた数日後、ひっそりと転居をしてしまったという少年A。
その後の足取りは判明していません。
少年Aの現在⑦遺族に手紙を送り続けた
2005年頃から少年Aは被害者遺族に向けて、毎年命日に合わせて「謝罪の手紙」を送っていました。
しかし2015年の手記の出版に合わせて、手紙は届かなくなったと言います。
「絶歌」の中では「手紙は贖罪の気持ちだった」と語られていますが、出版に合わせたタイミングで手紙を書かなくなったのにはどのような意味があるのでしょう。
少年Aとしては贖罪を終えたということなのでしょうか。
「謝罪の手紙」とはいうものの、遺族にはその気持は伝わっていませんし、反省の色が見られません。
「絶歌」の出版で、気持ちを踏みにじられたと感じる被害者遺族がほとんどだったようです。
少年A・酒鬼薔薇聖斗のプロフィール(本名・顔写真など)
「好きな言葉、ゲーム。復讐。死体。死ね。殺す。注目。酒鬼薔薇聖斗。ハサミ。存在。ボク。人の痛み。二度殺す。嫌いな言葉、学校。先生。透明。義務教育。幼稚。踏む 」
【神戸連続児童殺傷事件(1997)】、東真一郎(酒鬼薔薇聖斗)pic.twitter.com/6wgcoXCRZ3
— ◆マジキチ犯罪者の名言◆ (@mazikiti_hanzai) April 30, 2022
この投稿の画像は、事件を起こした中学生当時の少年Aの顔写真です。
東慎一郎。97年神戸児童殺傷事件の酒鬼薔薇聖斗。児童の頭部を学校の正門に置くなど男児を殺害した事件がクローズアップされるが、この男は女児も殺害している。少年院で根本的な人格が変わったとは到底考えられない。今尚危険人物だ。男の居場所を見つけ事件を知らない世代に幅広く伝える必要がある。 pic.twitter.com/ld9rfYKgsu
— 世間はこいつらを忘れてはならない (@dont4get7) January 3, 2022
さらに、出所から約10年が経過した33歳時の顔写真も公開されていました。
右側のカラー写真は医療少年院に入所していた頃の顔写真です。
少年Aの最近の顔写真はキャッチされていませんが、医療少年院出所後もメディアに追われる立場である事から、現在は整形などをし身辺を隠している可能性もありそうです。
少年Aが出所後に立ち上げた自身のサイト「存在の耐えられない透明さ」内で公開していたプロフィールと併せて、探り出された少年Aの本名も紹介します。
- 本名:東慎一郎(あずま・しんいちろう)→西岡真(にしおか・まこと)
- 身長:165.6cm
- 体重:54.3kg
- 視力:右0.03/左0.05
- 血液型:A型
- 性格類型:INFJ型
- 出版書籍:「絶歌」2015年6月28日出版
- 大動脈心臓部に雑音あり
- 誇大妄想癖あり
少年Aの元々の本名は東慎一郎ですが、出所後に改名し西岡真と名乗っているようです。
しかし、現在の氏名のイニシャルは「K.M」だとする記事もあり、2023年現在はまた別の名前を名乗っているかもしれません。
また、少年Aの性格類型であるINFJ型を要約すると「誠実で物静かで慎重、普段は感情を表に出さないが怒った時はわかりやすく表情に出す」傾向があるようです。
当時14歳だったため、2023年4月現在年齢は40歳を迎えています。
酒鬼薔薇聖斗事件(神戸連続児童殺傷事件)の概要とは?
ここで、かつて14歳だった少年Aが犯し日本中に衝撃を与えた「神戸連続児童殺傷事件」の概要を紹介します。
まず上部の画像は、少年Aが事件で実際に使用した犯行声明文です。
被害男児の切り取られた頭部に添えられた犯行声明文が社会に与えたインパクトは絶大でした。
さらに事件の詳細や犯行動機まで徹底的に解説します。
少年A・・酒鬼薔薇聖斗の犯行①女児をハンマーで殴る
1997年(平成9年)2月10日16時35分頃、少年Aは神戸市須磨区中落合一丁目の路上で、当時小学6年生だった女児2人の後頭部をゴム製のショックレス・ハンマーで殴りつける事件を起こしました。
幸い、被害者2人は命に別状はありませんでしたが、2人の女児の内1人は重傷を負ってしまいます。
ブレザーを着用し学生鞄を所持していたと犯行時の服装を目撃されていた少年A。
犯人の手がかりを得た被害女児の父親は、近隣の中学校に対し、犯人特定のためにも生徒の顔写真を見せてほしいと要望しました。
しかし、学校側は警察を通して欲しいとして顔写真の開示を拒否します。
そのため父親は、兵庫県警に被害届を出して生徒写真の閲覧を再度要求したものの、結局、顔写真は開示されませんでした。
この時、学校側と警察が父親の証言を真摯に受け取り、適切な対応をしていれば、その後の凶行は防げたのではないかと言われています。
少年A・酒鬼薔薇聖斗の犯行②通り魔殺人
最初の犯行から1ヶ月程度経過した3月16日12時25分頃、少年Aは神戸市須磨区竜が台二丁目の路上で、付近にいた小学4年生の女児の頭部を金づちで殴りつけ逃走。
女児は病院に運ばれましたが、犯行から1週間後に脳挫傷で死亡しました。
金づちを使用した犯行から10分後の午後0時35分頃、少年Aは神戸市須磨区竜が台五丁目の公園で、小学3年生の女児の腹部をナイフで刺し逃走。
ナイフを刺された女児は幸い命は助かったものの、あとわずかでも深く刃先が刺さっていたら危険な状況だったそうです。
少年A・酒鬼薔薇聖斗の犯行③2度目の通り魔殺人
日本中が震えた少年Aの特異性を象徴する殺人事件です。
1997年5月24日の昼過ぎ頃、殺人衝動にかられた少年Aは自身が殺人を犯すのにちょうどいい人物を探すため、自転車に乗り町を周りました。
偶然、顔見知りだった小学5年生男児(当時11歳)と出会い、男児を殺人のターゲットに定めます。
男児がカメ好きと知っていた少年Aは「一緒にカメを見に行こう」と嘘の誘い文句で、男児を「タンク山」と呼ばれる高台の山頂付近まで連れ出しました。
そこで、男児を絞殺しようと少年Aは右腕を男児の背後から首に巻き付けますが、うまくいきません。
何度か体制を変えながら自らの手で絞め殺そうと試みる少年Aは、なかなか息絶えない男児にいら立ちを覚え始め、スニーカーの靴紐を使い遂に男児を絞殺しました。
遺体の隠し場所をタンク山にあるアンテナ施設に決めた少年Aは、金ノコと南京錠を万引きにより調達。
金ノコでアンテナ施設に元々かかっていた錠を壊し、遺体を隠す事に成功した少年Aは、調達した新しい南京錠で施設をロックし、タンク山を去るのです。
少年A・酒鬼薔薇聖斗首の犯行③首切断し学校の正門に晒した
男児を絞殺した夜、少年Aはタンク山に金ノコを隠してきた事を思い出し、金ノコで人間の頭部を胴体から切り離したい衝動にかられます。
翌5月25日、再びタンク山に向かった少年Aは、何の抵抗感もなく遺体の首を切り落としました。
少年Aは逮捕後の事情聴取で、遺体の首を切っている際「エキサイティングな気持ちになった」と供述しており、自身が切り離した頭部を地面に置き鑑賞しながら射精に至ったそうです。
胴体部分はそのままタンク山に隠し、頭部は持参した黒ビニール袋に入れて持ち歩き、少年Aは下山します。
その後、男児の頭部を自宅に持ち帰った少年Aは、やがて行われるであろう警察の捜査をかく乱しようと思い付きます。
あえて、自分自身が通う中学校に自ら遺体の頭部をさらして、警察の捜査を遠ざけようと考えたのです。
さらに偽りの犯人像を警察に植え付けるために「酒鬼薔薇聖斗」の宛名で犯行声明文を書き上げました。
5月27日未明、自身が通う中学校の正門前に、顔面が道路側を向くように男児の頭部を置き、口に犯行声明文をくわえさせた少年A。
正門前に作り上げられた異様な光景を、少年Aは自身が作り上げた作品だと供述していたそうです。
少年A・酒鬼薔薇聖斗の最後 神戸新聞に声明を出したことがきっかけで逮捕
少年Aが引き起こしたショッキングな事件の話題は日本中の話題となり、連日ワイドショーでは犯人像の推測が絶えませんでした。
しかし、報道される犯人像の推測は真実からかけ離れており、目論見通りの状況に満足した少年Aは、新たに神戸新聞社宛てに第二の犯行声明文を郵送し警察を挑発します。
しかし、神戸新聞社宛ての犯行声明文がきっかけとなり、水面下で犯人の可能性がある人物としてマークされていた少年Aは警察に任意同行を求められてしまいます。
任意同行の聴取中に第一の犯行声明文のコピーを突き付けられた少年Aは、大声で泣きだした後に自供を始め、逮捕へと至ったそうです。
逮捕後の供述で、少年Aは第二の犯行声明文について「調子にのっていた。警察の筆跡鑑定を甘く見ていた」と述べています。
少年A・酒鬼薔薇聖斗の性格・人物像を徹底解説。犯行の動機は?
猟奇殺人犯が中学生だったという神戸連続児童殺傷事件は、世間からの注目度が非常に高かったため、家庭裁判所は例外として未成年である少年Aの精神鑑定の結果を公開しました。
精神鑑定を通して示された少年Aの特徴をわかりやすくまとめました。
- あらゆる脳検査の結果、脳は異常無し。
- 染色体の検査、ホルモン検査も異常は無い。
- 精神疾患はなく、意識はしっかりしている。
- 年齢相応の知的能力がある。
- 少年Aは「解離性同一性障害」ではないため、別人格による犯行という事はありえない。
- 性衝動と攻撃性が交わった特殊なサディズム性が事件の重要な原因である。
- 瞬間的に見た映像を長期的にしっかり記憶できる能力があり、その素質が事件の原因の一つ。
- 自己肯定感が低く、他者への共感力が乏しい。
- 独善的な考え方がこの事件の原因の一つ。
少年Aは小学5年生の頃から、猫を殺害し首を切るなど動物虐待を楽しんでいました。
やがて、虐待行為の対象は動物から人間へと変わってしまい「殺してみたい」「首を切断して感触を確かめてみたい」という身勝手な感情から犯行を重ねました。
まさに鑑定結果通り、共感力の欠如と独善的な考え方がベースとなっていると見受けられます。
さらに、犯行を重ねる事で性的興奮を覚えていた事実から、少年Aの犯行動機は「快楽を得るため」と結論づけられました。
また、自己肯定感が低い者は自己顕示欲が高くなる傾向があるため、少年Aの犯行声明文はドラマチックに仕上げられたという見方もあります。
逮捕後の少年Aの様子
逮捕後、少年Aは関東医療少年院に入所します。
家庭における親密体験の乏しさを精神鑑定で指摘された少年Aに対し、医師による「疑似家族」を作り上げるという特殊な治療体制が組まれましたが、少年Aの暴力性は治まる事はなかったようです。
そんな少年Aは、ある少年院仲間に自身についてこのように語っていたそうです。
少年A・酒鬼薔薇聖斗の母親がおかしい?事件で金儲けをしていた
少年A・酒鬼薔薇聖斗の母親が本の印税で家を購入した?
出典:amazon
なんと、少年Aの両親は、少年Aとの家庭内での関わりや逮捕時の状況についてをまとめた手記を出版していました!
この手記はベストセラーにもなり、印税額は1999年の出版から20年で合計1億円近くに達しているそうです。
事件を機に離婚した少年Aの両親。
真実なのかは断定できませんが、少年Aの母親は多額の印税を私的に利用し、新居の購入や少年Aの弟たちの学費に充てたと噂されています。
加害者との約束が破られた?
少年Aに支払い命令された賠償金の総額は、示談金も含めると2億円近くに上ると言われています。
少年Aの両親が手記を出版した理由は、被害者家族への多額の賠償金を支払うため。
事件後、少年Aの家族をサポートする弁護士が受けた取材によると、少年Aと家族達はコツコツと賠償金の支払いを続けていたそうです。
また、両親の手記の印税は賠償金支払いのための大きな原資とされたとの事。
印税の全てを賠償金に充てたのかまではわかりませんでしたが、賠償金の支払いは継続しているようです。
少年A・酒鬼薔薇聖斗も事件を使って金儲けしていた?
先程紹介したよいうに事件の加害者本人である少年Aも、自身の手記を発売しています。
被害者家族への事前通告が何もされないまま少年Aの手記は出版されてしまい、当時の被害者家族は大変激怒しました。
賠償金支払いに充てるために手記の執筆を選んだと考えられますが、あまりにも軽率すぎた少年A自身の手記とはどのような内容か調査しました。
少年Aが著書の「絶歌」を発売
初版の印税は1500万円、酒鬼薔薇聖斗手記出版の目的とは –http://t.co/qShqot3tZK pic.twitter.com/gpM6fEbDAt
— 週刊女性PRIME (@shujoprime) June 18, 2015
「絶歌」は2015年に出版された、大人になった少年Aが事件当時の自分を振り返るという自伝的手記。
日本の事件史にも残る「神戸連続児童殺傷事件」加害者の手記は注目を浴び、出版時にはニュースにもなりました。
著者自身のナルシズムに溢れているとレビューされる絶歌の一文を紹介します。
1997年6月28日。
僕は、僕ではなくなった。酒鬼薔薇聖斗を名乗った少年Aが18年の時を経て、自分の過去と対峙し、切り結び著した、生命の手記。
引用:amazon
手記というよりは、物語的なスケールを感じますよね。
少年A本人は仕上がりに手応えを感じ「100万部売れる」と自信を持っていたようですが、実際の売れ行きは25万部ほどで、少年Aは不満に感じていたそうです。
HP&有料メルマガを配信していた?
なんと、少年Aは「絶歌」のプロモーションのために自身のサイトを立ち上げ、さらに有料メルマガ配信まで行っていたという事実を確認しました。
サイト名は「存在の耐えられない透明さ」で、少年Aが趣味で制作したというイラストやグラフィック作品が掲載されていたようです。
有料メルマガは「元少年Aの“Q&少年A”」というタイトルで月額800円で配信されていました。
メルマガの目的は「元少年Aとよりディープに、魂の触角と触角が絡み合うようなやり取りができるよう、新たに別な場所を設ける」と説明されており、まるで有名人気取りの少年Aのサイトとメルマガは、現在閉鎖されているため閲覧できません。
少年Aの異常性がわかるイラストとは?
少年Aのサイトには趣味で制作したというアート作品が掲載されていました。
ナメクジをモチーフとした作品が多く、サイトでは実際のナメクジの写真も多数掲載されていたそうです。
驚く事に「セルフポートレート」と称し、顔を黒い布で隠した自身の裸の写真も掲載していたという少年Aのサイトは、その特異性からサイト開設当時は大変な話題となりました。
少年A本人はサイト開設の理由を「絶歌」のPRのためとしていましたが、自己顕示欲を満たしたくて始めたのではないかという見方もされています。
少年A・酒鬼薔薇聖斗と母親が書いた2冊の本の内容が違う?
- 愛情深く丁寧に子育てをしてきた。ルールはしっかりと教えてきた
- 厳しいしつけなどした事がなく、せいぜいおしりを叩いてたしなめた位だ
- いわゆる平凡な家庭だったと思う
- 父親が母親に育児を丸投げするような家庭ではなかった
- 自分の息子が動物虐待をする人には到底思えなかった
- 幼い頃から厳しい教育としつけを受けさせられた
- 少年Aの母は幼い弟達にかかりきりで、父は子育てに無関心だった
- 弟達に暴力を振るう事もあったが、その度に母親からも暴力を振るわれ母親を恐れた
- 少年Aの祖母が母親代わりに少年Aを可愛がってくれた。祖母を愛していた
- 少年Aが小学校5年生時に祖母が他界。動物虐待が始まる
- 動物虐待に使用する刃物をわかるように置いても、両親は少年Aに関心を示さなかった
少年Aの動物虐待は近所でも噂になる程でしたが、少年Aの両親は注意するどころか全く関心を示さなかったという情報があるため、両親の少年Aへの無関心は真実味をおびていると見られています。
双方の言い分が全く違うため真実は不明ですが、出所後の少年Aは両親とは連絡を取らず、少年Aと両親は現在も絶縁状態だそうです。
少年A・酒鬼薔薇聖斗の全記録を裁判所が廃棄していた?
2022年の10月20日のニュースにて、神戸家裁が「少年A」の全記録を廃棄していることが判明しました。
神戸家裁は全記録を廃棄したことに関して、「運用が適切ではなかった」とコメントしていますが、経緯や廃棄した時期については不明とのこと。
一般的な少年事件の場合は少年が26歳までの保存が認められています。
最高裁では、史料的価値が高い記録の永久的な保存を義務付けており、重要な資料に関しては26歳以降になっても「特別保存」を命じていますが、今回の少年Aの全記録に関しては廃棄されていたようです。
神戸家裁も今回の廃棄に関してコメントしています。
神戸家裁のコメント全文
特別保存に付されなかった理由は不明だ。また、廃棄された当時の状況も不明だ。当時の神戸家裁における廃棄の判断が適切であったかどうかは、廃棄に際して実際にどのような検討がなされたのか不明だが、現在の特別保存の運用からすると、当時の本事件の記録保存の運用は、適切ではなかったと思われる。
最高裁判所が初めて遺族に謝罪をした
2023年2月14日、最高裁有識者委員会で遺族の土師さんが意見を述べました。
2022年秋、神戸家裁による記録廃棄問題を受けて記録保存の在り方が検証されていました。
土師さんは
少年A・酒鬼薔薇聖斗の現在は結婚しておらず社会復帰はしている説が有力
14歳だった少年Aが犯した「神戸連続児童殺傷事件」は世間に大変なショックを与え「少年法」改正のきっかけにもなりました。
少年Aは出所後、定住していた東京都内で記者の直撃を受け転居。
その後の足取りはわかりませんでしたが、結婚はおろか彼女さえいない可能性が高いと考えられます。
どうか真面目に働いて、被害者家族への償いを全うしてほしいと願っています。
また、少年Aの異常な性癖やナルシズムは、両親からの愛情不足が原因とも言われています。
少年Aの母親については、こちらの記事で詳しくまとめていますので、ぜひ読んでみてくださいね。