【2023最新】少年A・酒鬼薔薇聖斗の現在がヤバい?結婚や母親がおかしいとの声も?

未分類

1997年(平成9年)に兵庫県神戸市須磨区で発生した「神戸連続児童殺傷事件」

事件の残虐性と被害男児の口に挟まれた「犯行声明文」が大変な話題となり、連日ワイドショーを賑わせました。

猟奇殺人の実行犯として逮捕されたのは当時14歳だった男子中学生、通称少年Aです。

事件から26年が経ち、2023年現在41歳になろうとしている少年Aの現在を徹底調査しました。

少年A・酒鬼薔薇聖斗の現在がヤバすぎる?

少年Aといえば、事件の際に用いた犯行声明文の表書きに書かれた「酒鬼薔薇聖斗(さかきばら・せいと)」という宛名を思い浮かべる人も多いのではないでしょうか。

「酒鬼薔薇聖斗」とは、少年A自身が命名した自身の悪い部分の名前だそうです。

いかにも中二病真っ只中な名前を臆さず犯行声明に使用する辺り、少年Aとは自己顕示欲が強い人物なのではないかという印象も受けますよね。

そんな少年Aのプロフィールや現在を調査し詳細をまとめました。

少年Aのプロフィール(本名・顔写真など)

このTwitterの画像は、事件を起こした中学生当時の少年Aの顔写真です。

さらに、出所から約10年が経過した33歳時の顔写真も公開されていました。

右側のカラー写真は医療少年院に入所していた頃の顔写真です。

少年Aの最近の顔写真はキャッチされていませんが、医療少年院出所後もメディアに追われる立場である事から、現在は整形などをし身辺を隠している可能性もありそうです。

少年Aが出所後に立ち上げた自身のサイト「存在の耐えられない透明さ」内で公開していたプロフィールと併せて、探り出された少年Aの本名も紹介します。

  • 本名:東慎一郎(あずま しんいちろう)→西岡真(にしおか まこと)
  • 身長:165.6cm
  • 体重:54.3kg
  • 視力:右0.03/左0.05
  • 血液型:A型
  • 性格類型:INFJ型
  • 出版書籍:「絶歌」2015年6月28日出版
  • 大動脈心臓部に雑音あり
  • 誇大妄想癖あり

少年Aの元々の本名は東慎一郎ですが、出所後に改名し西岡真と名乗っているようです。

しかし、現在の氏名のイニシャルは「K.M」だとする記事もあり、2023年現在はまた別の名前を名乗っているかもしれません。

また、少年Aの性格類型であるINFJ型を要約すると「誠実で物静かで慎重、普段は感情を表に出さないが怒った時はわかりやすく表情に出す」傾向があるようです。

少年Aは現在は結婚して子供もいる?

少年Aは現在結婚していない可能性が高いです。

しかし、結婚して子供もいるという噂もあります。

噂の出所は西村博之さんがかつて管理人をしていた「2ちゃんねる(現:5ちゃんねる)」の書き込み。

その中には、「少年Aは結婚していて、結婚式の招待状を被疑者に送り付けた」というものもありました。

その後も似たような情報がネットで出回りましたが全て根拠がない情報のようです。

少年Aによる手記「絶歌」の編集担当者が取材を受けた際のコメントを紹介します。

彼は人と親しくなることを警戒しています。親しくなると、その人に対して、自分が殺人者であることを隠すことに耐えられなくなるからです。女性にも同じ。好きにならないよう警戒していた。禁欲的な生活です。

引用:J-CASTニュース

また、少年A逮捕後の供述調書によると、少年Aは自ら切断した被害男児の首が地面に置かれている光景を見て何回も射精してしまったと供述したそうです。

このような異常性癖を少年A本人は自覚していると考えられます。

そのため、編集担当者のコメントからも読み取れるように、恋人を作ろうとする意志はないのではないか、と推察されます。

少年Aは東京都内に住んでいる?

医療少年院を出所した少年Aは、普通の暮らしを取り戻す事に大変な苦労をしたようです。

どこに行っても疑われ、雑誌の記者に追われる日々だった事から、ネットカフェや簡易宿泊所を転々とする毎日だったと語られています。

滞在していたという確かな情報がある土地は、2011年頃から定住した静岡県浜松市、そして2015年頃に定住した東京都足立区の「UR花畑団地」です。

週刊文春に東京都内の住居を割り出されてしまった少年Aは、週刊文春記者の直撃を受けてしまいます

最初は記者をはぐらかしていた少年Aですが、突如豹変し記者に対して大声で凄み、逃げる記者を執拗に追いかけたそうです。

「名刺も手紙もいらねえよ」「命がけで来てんだよな」

脅しとも取れる言葉を発し、異変を感じて逃げる記者を約10分間、執拗(しつよう)に走って追いかけてきた。記者は「(加害男性は)ポケットの中で何かを握る素振りを見せながら叫んでいた。更生できているのか疑問に感じた」と振り返る。

引用:産経新聞

週刊文春記者の直撃を受けた数日後、ひっそりと転居をしてしまったという少年A。

その後の足取りは判明していません

酒鬼薔薇聖斗事件(神戸連続児童殺傷事件)の概要とは?

ここで、かつて14歳だった少年Aが犯し日本中に衝撃を与えた「神戸連続児童殺傷事件」の概要を紹介します。

まず上部の画像は、少年Aが事件で実際に使用した犯行声明文です。

被害男児の切り取られた頭部に添えられた犯行声明文が社会に与えたインパクトは絶大でした。

さらに事件の詳細や犯行動機まで徹底的に解説します。

少年Aの犯行①女児をハンマーで殴る

1997年(平成9年)2月10日16時35分頃、少年Aは神戸市須磨区中落合一丁目の路上で、当時小学6年生だった女児2人の後頭部をゴム製のショックレス・ハンマーで殴りつける事件を起こしました。

幸い、被害者2人は命に別状はありませんでしたが、2人の女児の内1人は重傷を負ってしまいます。

ブレザーを着用し学生鞄を所持していたと犯行時の服装を目撃されていた少年A。

犯人の手がかりを得た被害女児の父親は、近隣の中学校に対し、犯人特定のためにも生徒の顔写真を見せてほしいと要望しました。

しかし、学校側は警察を通して欲しいとして顔写真の開示を拒否します。

そのため父親は、兵庫県警に被害届を出して生徒写真の閲覧を再度要求したものの、結局、顔写真は開示されませんでした。

この時、学校側と警察が父親の証言を真摯に受け取り、適切な対応をしていれば、その後の凶行は防げたのではないかと言われています

少年Aの犯行②通り魔殺人

最初の犯行から1ヶ月程度経過した3月16日12時25分頃、少年Aは神戸市須磨区竜が台二丁目の路上で、付近にいた小学4年生の女児の頭部を金づちで殴りつけ逃走

女児は病院に運ばれましたが、犯行から1週間後に脳挫傷で死亡しました。

金づちを使用した犯行から10分後の午後0時35分頃、少年Aは神戸市須磨区竜が台五丁目の公園で、小学3年生の女児の腹部をナイフで刺し逃走

ナイフを刺された女児は幸い命は助かったものの、あとわずかでも深く刃先が刺さっていたら危険な状況だったそうです。

少年Aの犯行③2度目の通り魔殺人

日本中が震えた少年Aの特異性を象徴する殺人事件です。

1997年5月24日の昼過ぎ頃、殺人衝動にかられた少年Aは自身が殺人を犯すのにちょうどいい人物を探すため、自転車に乗り町を周りました。

偶然、顔見知りだった小学5年生男児(当時11歳)と出会い、男児を殺人のターゲットに定めます

男児がカメ好きと知っていた少年Aは「一緒にカメを見に行こう」と嘘の誘い文句で、男児を「タンク山」と呼ばれる高台の山頂付近まで連れ出しました。

そこで、男児を絞殺しようと少年Aは右腕を男児の背後から首に巻き付けますが、うまくいきません。

何度か体制を変えながら自らの手で絞め殺そうと試みる少年Aは、なかなか息絶えない男児にいら立ちを覚え始め、スニーカーの靴紐を使い遂に男児を絞殺しました。

遺体の隠し場所をタンク山にあるアンテナ施設に決めた少年Aは、金ノコと南京錠を万引きにより調達。

金ノコでアンテナ施設に元々かかっていた錠を壊し、遺体を隠す事に成功した少年Aは、調達した新しい南京錠で施設をロックし、タンク山を去るのです。

首を切断し学校の正門に晒した

男児を絞殺した夜、少年Aはタンク山に金ノコを隠してきた事を思い出し、金ノコで人間の頭部を胴体から切り離したい衝動にかられます。

翌5月25日、再びタンク山に向かった少年Aは、何の抵抗感もなく遺体の首を切り落としました。

少年Aは逮捕後の事情聴取で、遺体の首を切っている際「エキサイティングな気持ちになった」と供述しており、自身が切り離した頭部を地面に置き鑑賞しながら射精に至ったそうです。

胴体部分はそのままタンク山に隠し、頭部は持参した黒ビニール袋に入れて持ち歩き、少年Aは下山します。

その後、男児の頭部を自宅に持ち帰った少年Aは、やがて行われるであろう警察の捜査をかく乱しようと思い付きます。

あえて、自分自身が通う中学校に自ら遺体の頭部をさらして、警察の捜査を遠ざけようと考えたのです。

さらに偽りの犯人像を警察に植え付けるために「酒鬼薔薇聖斗」の宛名で犯行声明文を書き上げました。

5月27日未明、自身が通う中学校の正門前に、顔面が道路側を向くように男児の頭部を置き、口に犯行声明文をくわえさせた少年A。

正門前に作り上げられた異様な光景を、少年Aは自身が作り上げた作品だと供述していたそうです。

神戸新聞に声明を出したことがきっかけで逮捕

少年Aが引き起こしたショッキングな事件の話題は日本中の話題となり、連日ワイドショーでは犯人像の推測が絶えませんでした。

しかし、報道される犯人像の推測は真実からかけ離れており、目論見通りの状況に満足した少年Aは、新たに神戸新聞社宛てに第二の犯行声明文を郵送し警察を挑発します。

しかし、神戸新聞社宛ての犯行声明文がきっかけとなり、水面下で犯人の可能性がある人物としてマークされていた少年Aは警察に任意同行を求められてしまいます。

任意同行の聴取中に第一の犯行声明文のコピーを突き付けられた少年Aは、大声で泣きだした後に自供を始め、逮捕へと至ったそうです。

逮捕後の供述で、少年Aは第二の犯行声明文について「調子にのっていた。警察の筆跡鑑定を甘く見ていた」と述べています。

犯行の動機は一体?性格・人物像は?