【日本事件史上一番恐ろしい】おせんころがし殺人事件とは?他の凶悪事件も10件も!?

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日本事件史上一番恐ろしい事件

日本では、これまでに数多くの凶悪事件が起こってきました。

それらの中でも、日本事件史上一番恐ろしい事件と言われているのは「おせんころがし殺人事件」です。

では、その「おせんころがし殺人事件」とは、一体どのような事件だったのでしょうか?

また、それら以外では、どのような凶悪事件がこれまでに起こってきたのでしょうか?

日本事件史上一番恐ろしい「おせんころがし殺人事件」とは?

「おせんころがし殺人事件」は、日本事件史上一番恐ろしいと言われる事件です。

近年でもゾッとするような事件は起こっていますが、「おせんころがし殺人事件」はそれらの事件よりも恐ろしいということです。

では、その「おせんころがし殺人事件」で、犯人は人としてどのようなタブーを犯したのでしょうか?

※近年では忘れられる権利が重要視されています。そのため、本記事では一部で被害者や加害者の名前は伏せ、事故の内容を主体としています。

親子に声をかける

1951年、ある母子が行方不明になった夫を探すために千葉県の上総興津駅(かずさおきつえき)にやってきました。

母親は当時29歳で、11歳の長女と6歳の長男と3歳の次女の3人の子供も一緒でした。

その母子に、栗田源蔵という人物(当時24歳)が「家まで送る」と声をかけます。

しかし、栗田源蔵は盗みに入る家を探しており、たまたま遭遇した母親を強姦しようとしていたのです。

親子を殺害

親子は電車代も宿代もなく、駅で途方に暮れているところでした。

それを見つけた栗田源蔵は、出会い頭に親切そうに接して真っ暗な道を歩かせたのです。

一家を連れ出した栗田源蔵は、道中母親に対して「いい体しているな」「やらせろ」などと言い寄りますが、母親は適当にあしらうだけ。

いくら迫っても一向に乗り気にならなかったため、「おせんころがし」と呼ばれる崖にある道で、まず子どもたちに襲いかかりました。

最初に襲われたのは自転車に乗っていた5歳の長男で、近くにあった石で意識を失うまで滅多打ちにしました。

更に11歳の長女の頭も何度も激しく殴り、長男もろとも崖から突き落とします。

そして、母親に背負われていた3歳の次女は足を持って地面に叩きつけられ、崖へ投げられてしまいます。

子供を手にかけた栗田源蔵は、最後にターゲットとしていた母親を強姦、紐で首を絞めて絞殺し、遺体を子供たちと同じく崖から突き落としました。

崖の中腹で生き残った子ども

一家を殺害したと思われた栗田源蔵でしたが、子供は崖の中腹に引っかかって一命を取り留めていました。

ですがまだ現場から立ち去っていなかった栗田源蔵は、わざわざ崖を降りて死亡したかどうかを確認しに来ていたのです。

そして、まだ息があった子供に対して口封じのために石を使って念入りに殴打を繰り返し、とどめを刺したのです。

その後立ち去った栗田源蔵ですが、一人だけ助かったのが長女でした。長男が襲われている間、草むらに逃げ込んたことで助かったのです。

そしてその日の朝、現場で泣いていたところを偶然通りかかった僧侶に見つかり保護されたことから事件が発覚していきます。

別の事件で逮捕

一家を殺害してから約3カ月後、栗田源蔵は主婦とその叔母を殺害する事件を起こします。

おせんころがし事件の翌年、前に盗みに入った家に着物がたくさんあったことを思い出し、その家に忍び込みます。

そして、侵入に気づいた主婦をタオルで首を絞めて殺害、更には一緒に住んでいた叔母も包丁で殺害しました。

また、主婦の遺体には強姦した形跡もありました。

勝手口から逃走した栗田源蔵ですが、近所の住人によって警察に相談されたことで捜索が開始され、この事件をきっかけに栗田源蔵は逮捕されます。

逮捕後、警察が捜査を進めた結果、指紋から「おせんころがし」の事件の犯人も栗田源蔵であることが判明しました。

さらに別の事件も発覚

さらに調べると、栗田源蔵が「おせんころがし」以外にも殺人事件を起こしていたことが発覚します。

闇米ブローカー集団のメンバーだったころ、栗田源蔵に対して近づいてきた17歳のA子と交際しますが、24歳のB子とも関係を持ち、三角関係になっていました。

結婚を迫ってきたB子を邪魔に思ったために殺害して海岸に埋め、そしてA子も手ぬぐいで絞殺したのです。

加えて、1951年には栃木で子育て中の若い女性の家に侵入して強盗をはたらくとともに、母親を強姦、殺害しています。

栗田源蔵はわずか4年の間に7人もの命を奪ったことになります。

事件の犯人は…

逮捕後に栗田源蔵は主婦とその叔母を殺害した事件の裁判で、死刑の判決を受けます。

また、それ以外の事件の裁判は別で開かれ、その裁判でも死刑判決を受けました。

2つの死刑判決を同時に受けることは、1994年の勝田清孝事件のケースまでは栗田源蔵が唯一の事例でした。

その後、1959年に死刑は執行されています。

日本事件史上に残る恐ろしい事件10選

「おせんころがし殺人事件」は日本事件史上一番恐ろしい事件と言われています。

しかし、日本では他にもいろいろな凶悪事件が起こっています。

それらの事件でも、犯人たちが犯したタブーにゾッとすることでしょう。

では、他にはこれまでにどのような凶悪事件があったのでしょうか?

座間9人殺害事件

座間9人殺害事件は2017年に起こった事件で、被害者は女性8人と男性1人です。

犯人はお金と性的暴力を目的に、SNSで自殺願望のある女性と接触していました。自分も自殺願望があるように見せかけて、事件現場となるアパートに誘い犯行におよびました。

被害に遭ったのは15歳から26歳までの男女で、殺害された9人の遺体はバラバラに解体されてクーラーボックスで保存されていました。

この事件によって強盗強制性交殺人などの罪に問われた犯人は逮捕され、2021年に死刑判決が確定しています。

女子高生コンクリート詰め殺人事件

女子高生コンクリート詰め殺人事件は1988年に起こった事件で、被害者は当時17歳の女子高生です。

犯人は4人の不良少年グループで、被害者を拉致監禁していました。

被害者は犯人の自宅に監禁され、暴行や強姦などを約40日という長い期間に渡って受け続けました。

リンチを受け続けた女性は死亡してしまい、犯人グループはその被害者の遺体をコンクリート詰めにして東京湾の埋め立て地に遺棄します。

別の事件で犯人たちは逮捕されたことで、この事件は発覚しました。

この事件の詳しい記事はこちら。

東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件

東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件は1988年に起こった事件で、被害者は4人の幼女です。

犯人は被害者たちを誘拐後、暴行を加えた後に殺害しています。

また、新聞社に犯行声明を送ったり、被害者の遺骨を自宅に送るなどの異常行動もしていました。

犯人は1989年に幼い姉妹へのわいせつ行為で逮捕され、その取り調べで4人の幼女の殺害を認めました。

その後、裁判で死刑が確定し、2008年に執行されています。

井の頭公園バラバラ殺人事件

井の頭公園バラバラ殺人事件は1994年に起こった事件で、被害者は公園の近くに住んでいた男性です。

遺体はバラバラにされて、公園一帯のゴミ箱27カ所に分けて遺棄されていました。

発見したのは公園の女性清掃員で、猫の餌を探すために偶然ポリ袋を開けたところ、遺体を発見したもようです。

通報を受けた警察が周辺を捜索したところ、分断された人間の手足や胴体の一部が入った袋が発見されました。

この事件は犯人が捕まっておらず、2021年に時効を迎え未解決事件となってしまいました。

地下鉄サリン事件

地下鉄サリン事件は1995年に起こった事件で、国内で起きた同時多発テロとしてご存じの方も多いでしょう。

被害者は死者14名、負傷者が6400名以上にも上った痛ましい事件で、地下鉄丸ノ内線、日比谷線、千代田線の5本の地下鉄車内で神経ガス「サリン」が同時に散布されました。

化学兵器が一般市民に対して用いられたテロ事件は世界でも初で、世界中に衝撃を与えた事件でもあります。

この事件を起こしたのはオウム真理教で、日本最悪の無差別殺人と言われています。

オウム真理教の教祖であり本事件の首謀者、麻原彰晃こと松本智津夫は教団幹部ら13名と共に2018年に死刑が執行されました。

神戸連続児童殺傷事件

神戸連続児童殺傷事件は1997年に起こった事件で、被害者は小学生2名です。

犯人は酒鬼薔薇聖斗と名乗る当時14歳の中学生で、少年Aとして有名です。

中学生が猟奇的な事件を起こしたことで、少年法が改正されるきっかけにもなりました。

少年Aに関する記事はこちら。

世田谷一家殺害事件

世田谷一家殺害事件は2000年に発生し、父親・母親・長男・長女の一家4人が全員殺害された事件です。

遺体は子どもまでメッタ刺しにされる残忍なもので、金銭目的や怨恨など様々な犯行動機が考えられています。

また、犯行後も現場の被害者宅にしばらく留まって、パソコンを使ったり、アイスを食べるなどの異常ともいえる痕跡がありました。

警察の捜査では、犯人の指紋や血痕が発見されるなど手掛かりが多く見つかっていながらも、犯人は捕まっておらず、未解決事件となっています。

2000年の12月31日という20世紀最後の日であったこと、年の瀬に発生したことなどもあって、未解決事件の中でも特に注目されています。

秋葉原通り魔事件

秋葉原通り魔事件は2008年に起こった事件で、トラックによって信号を無視し多数の被害者を出しました。

被害者は7人、重軽傷者が10人で、赤信号を無視して歩道に侵入した犯人は2トントラックで秋葉原の歩行者天国に突っ込みます。

その際には歩行者を5人も跳ね飛ばし、その後はトラックを降りて奇声をあげながら持っていたダガーナイフを使って無差別に通行人および警察官に切りかかりました。

犯人は警察官らの決死の捕獲によって逮捕され、その後2015年に死刑が確定しました。

関東連続少女殺人事件

関東連続少女殺人事件は1906年~1923年に起こった事件で、犯人は吹上佐太郎です。

27人以上もの少女たちが強姦の被害に遭い、そのうち6人を殺害した惨たらしい事件です。

最初の被害者になった少女も発見時にかなり激しい凌辱の後があったようで、首を絞められて殺害されました。

次々と被害者が発見されたことで、関東大震災後ようやく落ち着きを取り戻しつつあった中、放置すればさらに被害が拡大するとして大々的な会議や情報共有が行われました。

結果、名前を次々に変えて10代の少女を狙っていた吹上佐太郎は土木作業所にて逮捕されます。

逮捕後の取り調べで、殺害した被害者のことを「死に別れ」強姦して殺害しなかった被害者を「生き別れ」と呼ぶ異常性を見せたとされています。

1925年に死刑が確定し、その年内に死刑は執行されました。

広島一家失踪事件

広島一家失踪事件は2001年に起こった事件で、一家4人と愛犬1匹が行方不明となりました。

世羅郡世羅町にて発生したこの事件では、忽然として愛犬を含めた一家が家から姿を消し、メディアでも多く取り上げられました。

被害者宅には争った形跡はなく、玄関も施錠されていたこと、失踪する理由もないことなどから、事件性を匂わせる部分が無いため迷宮入かと思われました。

しかし、失踪が発覚してから約1年後に被害者宅の近くのダムで一家と犬の遺体が発見されます。

確定的な結果ではありませんが、一家心中と結論付けられました。

日本事件史上一番恐ろしい事件は更新される可能性あり

日本事件史上一番恐ろしい事件は「おせんころがし殺人事件」と言われています。

しかし、恐ろしい事件は今も起こり続けています。

凶悪事件のニュースが流れるたびに、犯人が犯すタブーにゾッとする人もいるでしょう。

これからも事件が起き続ける限り、いつか日本事件史上一番恐ろしい事件が更新される可能性もあります。

そのようなことが起こらないことを祈るばかりです。